プロが教えるわが家の防犯対策術!

大学生です。学校に不真面目な人と真面目な人がいて、自分は真面目な方にいます。不真面目な人をみていると、千差万別と分かっていながら、イライラしてしまいます。授業中おしゃべりとか遅刻して入ってこられたり妨害されるのも嫌いです。

そういう人もいる、ほっとけばいいというのはわかっています。でも気がいってしまいます。

ある先生曰く、真面目に努力してきた人と不真面目に努力しなかった人では、最終的に差ができるでしょ?そんなに気になるか~?とおっしゃっていました。

これって本当なんでしょうか??

A 回答 (9件)

日本語の解釈として


真面目に物事に対応している人間
不真面目に物事に対応している人間
この二者が将来に渡り差がつかなければ嘘です
結果がついてくるのかと言う質問ではないのでこれで正しいのですよ
結果と言うものには運もあります
デモね努力もない人間に運もないでしょう
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その言葉において他人は関係ないとおもいますよ



不真面目にしてきた人に対してあなたが上でありたいわけではないですよね?

将来的に”不真面目にやったであろうあなた”と”真面目にやったであろうあなた”の2通りがあり
当然、真面目にやったあなたのほうが立派になると思いますよ

それでいいじゃないですか
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 「概ね本当」という所でしょうか。



 確率的には、真面目にやってる方が成功する「確率」が高いですが、不真面目でも周りに気に入られるタイプだと、案外「出世」したりします。

 ただ、真面目といっていても、ただ時間前に行って、黙って板書してるだけでは出世できないです。
 目的を持って積極的に行動しないと、ただのイエスマンで終わります。

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 先生からしてみれば生徒の顔をそんなに覚えてないんです。
 その中で、「飛び抜けて出来る奴」「ダメな奴」「面白い奴」「可愛い子」はすぐに覚えます。
 それ以外は、そんなに記憶に残りません。

 就職活動も一緒で、上記に当てはまらないと記憶に残らない=審査の対象にならないという事です。

 真面目に黙って目立たないように過ごすだけではなくて、こまめに先生に聞きに行くとか、自分の顔や姿勢を売り込む事で、初めて「真面目」を伝える事が出来るのです。

 その行動をワンセットで考えないと、真面目にやっても報われません。
 ダメな奴が真面目になると、一目おかれるのは、上記のような理由からです。
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本当ですよ。

肝心な所でサボる人に限って、肝心な所で落としますから。

例えば、テスト勉強を考えてみましょう。
サボる人は山勘で最小限のところしか勉強しませんが、まじめにやる人は広く勉強しますよね。
前者の人が勉強したところが当たる確率をpとすると、n回連続して当たるのはpのn乗の確率になります。普通に考えればnが増えれば増えるほど指数的な速さで勝ち続けるのは難しくなってきます。
まじめにやっている人にそういうことはありません。

人生のチャンスも同じで、チャンスが来た時にそれをつかむために満たしておくべき条件というのがありますが、まじめに日頃から準備している人はそれをつかむことができても、準備していないとつかむことは難しいでしょう。例えば、あることを知っていたら取れる仕事も、それを勉強して来なかったら取れませんから。それも、運良くつかめる確率がpだったとすると、回数を重ねるごとに指数的な速さでチャンスをものにするのは難しくなっていきます。

確率から外れた人生を送っているラッキーな人か天才かならここから外れて努力しなくてもそれなりの成果を手に入れられるかもしれませんが、あなたがそのどちらかという自信はおありですか?
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本当です。



どういう差ができるかは、ケースバイケース
ですが、差ができるのは間違いありません。

真面目な人は、それなりに信用ができます。
反面、ウツになりやすいです。

不真面目な人は、信用されませんが
気楽な人生を送れるかもしれません。

日本は、世界的にみても真面目な人間が多く、
そのため、世界でも有数の豊かさを誇れる
国になれました。
反面、幸福感は少ないです。
貧乏で、食うや食わずのラテン系国家の人に
聞いてみると、それでも幸せだ、という
人が多いのです。
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テストの点くらいなら差になるでしょうけど


それ以外の点では、要領のよさ、周りからの愛され度、誠実さ、など色んな要素がからんでくるので
私は、大学の授業程度の真面目不真面目では、差の判定はできないと思ってます。

もちろん、根っからの真面目で何事にも努力を惜しまず、実直な人と
根っからの不真面目で、何をやらせても無責任に放り出すダメ人間とだったら差はできます。
けれど、大学の授業でおしゃべりしたり、遅刻したりする程度では何とも言えないなと。
勉強を真面目にするのは大事ですが、勉強と人間性とは別問題ですしね。

私は真面目な方ですが
遅刻者がいたりして授業が中断するのは、むしろ助かってましたよ。
だって、その間にノートをまとめられるし、それまでの内容を見返してちょっと復習したりもできますし。
他の人のおしゃべりも、授業に集中していればさほど気になりませんでした。
もし、気になっていたとしたら、私なら最前列に座っていたと思います。

質問者さんが、他の不真面目な人が気になるのは、もう仕方ないじゃないですか。
だって、どうしたって気になっちゃうんだから。人は人って分かっててもでしょう?
だったら、妨害されっぱなしじゃ悔しくないですか?勝利は自分で勝ち取らなきゃ。
妨害に負けないように(そもそも勝負じゃないんですけどねw)中断された時間も大いに活用し
このザワザワの中でも集中できてる自分に酔いしれてみて下さい!
なんか回答がズレました。すいません!
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ウソに決まってるでしょ。


あなたも、うすうす気づいているから、
本当ですか~?って言っているのではないですか。

そもそも。
学校に真面目だから、真面目に生きていることになりますか?
授業にはちゃんと全部出てても、ただ先生の言ったことを書き写すだけ。
そんなの真面目じゃなくて、消極的なだけでしょう。
テストに出ないところだけ勉強して満点取ったとして、
それっていい生き方ですか?
「あなたはいいロボットです」という評価にしか思いません。

逆に大学の授業はちょくちょく休んでも、
裏で自分のやりたい勉強をメッチャやっているかもしれませんよね。

成功者のなかで学校嫌いが多いものです。
縛られるのが嫌いで、やりたいことに妥協しない。

もちろん、授業をちゃんと受けて、一生懸命勉強することは立派です。
でも、大学にとっての真面目さと生き方に対する真面目さを
直結させないほうがいいです。
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そりゃ学生のうちはね。



社会に出れば真面目なんてのはそんなに評価されないでしょう。
社会では過程が評価される事は稀です。
求められるのは結果です。
過程が評価されるのは学生の時だけです。

逆に真面目に取り組んだけど結果が出せませんでしたは、言い訳でしかありません。
もちろん結果を出すためには真面目に取り組む事は必要かとは思いますが、真面目だけでは評価はされないのです。
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私は全く先生とは逆で



「真面目だろうが、不真面目だろうが、何が起きるかわからないよ?」
…と、他人には言っています。
努力=結果、じゃないんです。
努力とは「結果に辿り着こうとするための、ひとつの手段」です。
だから、真面目でも不真面目でも、結果はそのことで決まりはしません。

ただし、前向きに結果に向かって進んでいこうとすることが努力ですから、それは「進んでいること」に違いはないわけですね。
そのことこそが貴重なのです。

要はアクティビティーが大事ということです。
勉強でも、遊びでも、なんでもね。
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