昔から疑問だったのですが、卑弥呼の墓というのは結局みつかったのでしょうか?見つかってないとすれば、どこが一番有力とされているのでしょうか?卑弥呼という人が謎だらけですが、その後継者の「いよ」とかいう人も謎です。どなたかご存知な方がいらっしゃいましたらお願いします。

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卑弥呼」に関するQ&A: 卑弥呼は進化?神化?

A 回答 (2件)

gomuahiruさんの言われるとおり、「畿内説」論者の間では、「決まり」といってもいいような扱いをされています。

墓の大きさなどからしても有力そうです。しかし、「九州説」論者の間では、当然認められておりません。

残念ながら、「箸墓古墳」の発掘調査ができないのです。

最近、弥生時代末期考古学的発掘により、この時代の畿内の「力」が分かってきて、「畿内説」有利と言った状況のようです。専門家のみならず、アマチュア愛好家の間でもそんな感じです。

以下に、私が毎日ウォッチだけしているSiteを紹介します。非常に「濃い」です。論者のレベルも高いです。

http://www.netlaputa.ne.jp/~andreus/

で、卑弥呼の娘「壱与(または台与)」ですが、これもまだはっきりしてないようです。以下に、大和説に立ち、なかなか説得力のある論理を展開している方のSiteを紹介します。

http://plaza.harmonix.ne.jp/~onizuka/Yamatai.html

参考URLに古代史関係のリンク集を挙げます。

参考URL:http://www.netlaputa.ne.jp/~andreus/link001.html
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この回答へのお礼

詳しい説明ありがとうございます。やはり箸墓古墳の発掘調査はできないのですねぇ。壱与が卑弥呼の娘だとは・・
知りませんでした!もしかしたら・・卑弥呼の墓だとされている箸墓古墳の中に一緒に埋葬されているかも・・なんてことはないもんでしょうかね・・。とにかく謎が多いですね。御回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/05/24 00:57

一番有力とされるのは奈良、山の辺の道の途中にある「箸墓古墳」ではないでしょうか?


一つ参考ページを紹介しますが、これ以外にも、たくさん「箸墓」でヒットします。

参考URL:http://www.ohyu.ed.jp/~shakai/news1/hasihaka/has …
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この回答へのお礼

そうなんですか!箸墓古墳なんですねぇ。でも調べれないというのは・・謎が深まるばかりですね。事実を知りたいものですね。ありがとうございました。

お礼日時:2001/05/24 00:53

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Q祭神が応神天皇である神社の神紋とは?

私の住んでいるところは、近所には

・八幡神社

と言う神社があります。

この神社の祭神は”応神天皇”です。
ですが、
この神社の神紋は「下り藤紋」
なのです。

私のにわか神社知識ですが、応神天皇をご祭神とする神社の神紋は、

三つ巴紋”

では?と思うのですが、特にこういうのって決まっていないのでしょうか?
祭神が同じなのに神紋が異なるなんておかしいのでは? と思っているのですが、
こういうことは、よくあることなのでしょうか?

因みに、この八幡神社は、一時隣町にある春日神社に合祀されていたことがあるそうです。(現在は分社されています)

これが関係しているとは思われるのですが・・・だからって紋て変わるものなのでしょうか?

小さめで神主さんもいない神社ですし、神社役員の方もなんか頼りない・・・

一般的と言う言い方はおかしいのかな?とも思うのですが、
応神天皇を御祭神とする神社の紋は、なんなのでしょうか?
また、ご祭神が同じでも、神紋がちがう、変わるなんてことは、よくあることなのでしょうか?

Aベストアンサー

まず、日本で一番多い神社は「八幡神社」です。
その数は2万ほどと言われています。
これは、武家の総領である源氏の氏神であることで、武家社会の江戸時代に各地に勧請(分祀)されたからです。

八幡社の総本宮は大分県の宇佐神宮で、そこから京都の石清水八幡宮が分祀され、さらにそこから鎌倉の鶴岡八幡宮が分祀されました。
各地の八幡社はその三つから分祀されたものが多く、さらに分祀の分祀が繰り返されています。

八幡社の祭神は応神天皇(誉田別命)を主神として、比売神、神功皇后(息長帯比売命)を含めて八幡三神として祀られていることが多いです。
八幡を名乗っていなくても、八幡三神を祀っている例があったり、八幡を名乗りながらも別の神を祀っている例があったりして歴史の中で混沌となっているのが現実です。

神紋に関しても多伎にわたっており、総本宮の宇佐神宮でも、巴紋の他の紋も使用していますし、石清水八幡宮も同様です、また、鶴岡八幡宮は鶴丸紋が使用されています。
藤紋は藤原氏の代表的な紋で藤原氏の氏神である春日社に多く見られるのも事実です。
しかし、藤紋は春日社以外でも用いられる例があり、八幡であるから、藤紋がおかしいとは一概に言えません。
ご推察のように、春日社に合祀されたからとも言えますし、そうでないからかも知れません。

私は全国の神社を巡り、いろんなことを見聞しています。
どこの神社も正統だということは言えないことが分かっていますし、変だ疑問だと思うことも数多く遭遇します。
それらを調べることや興味を持たれることは歴史を知る上でもとてもいいことだと思います。
これを機に、お近くの他の神社も調べてみたらいかがでしょう。
もっと面白いことや不思議に出会えるかも知れません。
ちなみに、私事ですが今年に入って6月までで230社の神社を訪問しました。
特に、今年は震災復興の祈願も兼ねていますので、拍車がかかっています。

まず、日本で一番多い神社は「八幡神社」です。
その数は2万ほどと言われています。
これは、武家の総領である源氏の氏神であることで、武家社会の江戸時代に各地に勧請(分祀)されたからです。

八幡社の総本宮は大分県の宇佐神宮で、そこから京都の石清水八幡宮が分祀され、さらにそこから鎌倉の鶴岡八幡宮が分祀されました。
各地の八幡社はその三つから分祀されたものが多く、さらに分祀の分祀が繰り返されています。

八幡社の祭神は応神天皇(誉田別命)を主神として、比売神、神功皇后(息長帯比売命)を含め...続きを読む

Q卑弥呼の墓はどこですか?

卑弥呼の墓はどこですか?

Aベストアンサー

奈良の箸墓古墳とする説があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B8%E5%A2%93%E5%8F%A4%E5%A2%B3
http://inoues.net/club/hashibaka.html

邪馬台国が九州であった説をとると
宇佐説と
http://homepage3.nifty.com/washizaki/paper/paper21.html
平原遺跡と言われています。
http://www.systemicssystem.com/ja/%E5%B9%B3%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1

Q神功皇后?神功天皇?

日本書紀によると、第十四代「仲哀天皇」の後に『神功皇后』の章があり、第十五代「応神天皇」と続きます。ところが扶桑略記によると、「仲哀天皇」、『神功天皇』、「応神天皇」となっています。

『神功皇后』と『神功天皇』の、どちらが正しいのでしょうか。

Aベストアンサー

どちらも 正しくない

理由 天皇 皇后という呼称は天武天皇のころからです
なのでその前の おおきみ が天皇とか皇后とか名乗るわけがない。

だれを天皇とするか?という基準を(事後的に)決めるのは、日本国家だから、日本国が正式に編纂した日本書紀が正しいとも言えます。

ただ、日本書紀では存在しない 弘文天皇が 1200年経てから 追号を受ける場合もあるので、そのうち神功天皇という呼称が成立する可能性も否定出来ない

Q卑弥呼とその後

歴史カテかもしれませんが、卑弥呼が実在したかどうかはっきりしないというのは本当ですか?
確かめたわけではなく人から聞いたものなのですけど。
また、その後に「いお」という名前の巫女がいたと、小学生の時くらいに子供向けの本で読んだのですが、
この人はもっと実在が疑わしいとか。これも本当かどうか教えてください。

Aベストアンサー

卑弥呼はあくまでも当時の中国側からの呼び名であり、本当の名前はわかりません。実在したかどうかわからないのは証拠が三国志の記述しかないためです(魏志倭人伝)。卑弥呼の死後、男王をたてたが、倭国が混乱し、動乱がおきたそうです。そのために女王「いよ(とよ)」をたてて混乱が終息したそうです。
実在が疑われている人物は聖徳太子です。厩戸皇子がいつのまにかそうだというようになったそうです。

Q古事記を読みたい!

神功皇后、応神天皇、仁徳天皇。この辺りの歴史本を読みたいのですが、初心者にもわかりやすい本をご存知でしたら教えて下さい。上の3人それぞれの本でもいいのですけど、出来れば流れで、前後背景が分りやすいのがいいです。↓ 気になるHPを見つけたのですが、どんな本なのかあまりよく分からなくて。。。http://www.bfortune.net/calen/izumo/sinwa/sinwa12.htm
ちなみに応神天皇は八幡の神様とか・・・。この辺のも読んでみたいです。

Aベストアンサー

こんにちは!

この時代を知るにあたり、先ずは芯として古事記を読破する事をおすすめします。岩波文庫の「古事記」あたりが入門書でしょう。
・・・と言っても難しい言い回しやら似たような神様ばっかで、原書で読むと挫折しちゃうんですよねぇ。神官の孫が言うんだから、これは「自信あり」がついちゃいます(笑)で、最近読んだ中で、現代的解釈と分かりやすい言い回しで「読みやすいなぁ」と思ったのは、永岡出版から出ている「本当は知らなかった ものがたり日本の神話」です。どっちかと言うとお子様向けかな?とも思いますが、大まかな流れを把握するにはとても役立ちますよ。

で、時代背景として読み解く上で、記紀とはちょっと違った角度から見る時に、なかなかおもしろいな・・と思ったのは、学研M文庫から出ている神一行氏の「消された大王饒速日」です。逆賊として扱われている饒速日を通して記紀の矛盾を解き明かしていくのですが、著者自身はジャーナリストで、元々は政界についてルポルタージュを多く著しているひとなので、単なるトンデモ本ではなく、取材による綿密な裏打ちによって謎解きをしているので、結構おもしろいと思いますよ。

秋の夜長の慰みに・・・どうぞご参考にされてみてください。

こんにちは!

この時代を知るにあたり、先ずは芯として古事記を読破する事をおすすめします。岩波文庫の「古事記」あたりが入門書でしょう。
・・・と言っても難しい言い回しやら似たような神様ばっかで、原書で読むと挫折しちゃうんですよねぇ。神官の孫が言うんだから、これは「自信あり」がついちゃいます(笑)で、最近読んだ中で、現代的解釈と分かりやすい言い回しで「読みやすいなぁ」と思ったのは、永岡出版から出ている「本当は知らなかった ものがたり日本の神話」です。どっちかと言うとお子様向...続きを読む

Q卑弥呼・・・?

 最近ニュースなどでも話題になっている卑弥呼と邪馬台国・・・ニュースを見ていて疑問に思ったことがあるので質問させていただきます。邪馬台国は、大和説や九州説があるようですが、どこに存在したのかはっきりわからないのになぜ卑弥呼という人が存在した事や、邪馬台国の存在があることははっきりしているのですか?普通は、地中から出てきた出土品から判断して、この時代にこのような人がいたと判断するのではないのですか?よろしくお願いします。

Aベストアンサー

yoshin01さんの見解のように有史前のことがらは、発掘により時代が確認されて初めて認められます。考古学では推論は認められないわけです。従って発掘の数と発掘技術の進歩によって過去の”事実”がどんどん改められていきます。

卑弥呼の時代の発掘と遺跡の再現は相当進んでおり(ここ15-20年で)中国の魏志倭人伝に書いてあることが発掘によって確認されつつあります。卑弥呼(個人名)や邪馬台国の存在の確認は日本に文字がなかった時代のことだから今後とも難しいでしょう。(魏志倭人伝に邪馬台国の場所が詳しく書かれていますが、方位や距離が正確ではないなどの事情から、まだ解読されていません。
しかし、邪馬台国のようなクニや卑弥呼的女性の存在は発掘によって証明がすすむでしょう。同様のクニはたくさんあったと思われるので、九州説や近畿説が出るわけです。

Q着物=呉服??

応神天皇が、呉へ縫工女を求めました。

呉織(クレハトリ)・穴織(アナハトリ)らが来ました。

このことは、着物を呉服ともいうことと関係があるのでしょうか?

Aベストアンサー

呉服の語源は、中国が三国時代の時に、呉の織物や着物の縫製方法が日本に伝わったからと言われています。元々は絹製品を呉服、綿製品は太物(ふともの)と称して、昔は扱う店も別であったそうです。

>このことは、着物を呉服ともいうことと関係があるのでしょうか?
ずばり、hanahide様が予想されたとおりです。(^^)b

ちなみに、中国の「呉」というのは、映画の『レッドクリフ』の舞台になっている呉のコトなんですよ。

Q邪馬台国、卑弥呼についての入門書

初めて本質問掲示板を使わせて頂きます。

関東で理系大学に通ってる私ですが
ここ最近ふと邪馬台国、卑弥呼に
興味を持ち学んでみたいと思いました。
とは言うものの
高校時代も世界史も日本史も教科選択しておらず
ほとんど無知、0の状態です・・。

そこで是非ご教授をお願いしたいのが

邪馬台国について。
当時の文化とはどういったものだったのか。
卑弥呼とはどんな人間だったのか。

この辺りについて記してあって
私のような初心者に向いていると皆様が思われる
入門書を紹介していただければ、と思っています。
よろしくおねがいします。

Aベストアンサー

私が読んだ本を1冊、たいへん良かったと思います。

題名 : 邪馬台国 ( 朝日文庫 )
著者 : 朝日新聞学芸部
発行 : 朝日新聞社

通称「魏志倭人伝」の 二千余字からなる原文と、新しい読み下し文が載っています。

この新読み下し文は、中国語学・中国文学の専門家である 京大人文科学研究所教授 尾崎雄二郎 および 神戸大学教養学部教授 一海知義 の両氏によるものだそうです。

Qつながってない?応神/継体/天武

「天皇家は万世一系?」という質問に依然としてたくさんの投稿があるようですが、知らない事実が出てきて回答がフォローできない部分もあります。誰か教えていただけないでしょうか?

1)天智・天武が兄弟だとすると矛盾があるとはどういったことでしょうか? 額田大王をめぐって兄弟が争ったという古典的なイメージしか持ち合わせていないもので。

2)継体天皇が別系列であるというのはなんとなく聞いたことがあるのですが、詳しく教えてください。

3)さらに応神天皇も前とつながっていないともききましたが、どういうことでしょうか?

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

(1) 天智・天武は天智(兄)、天武(弟)とするのがこれまでの定説でした。最近になって、天武を兄とし、天智を弟とする説が唱えられるようになってきたと聞いています。残念ながら、関連する書籍・論文などを目にした記憶がなく、これ以上の説明は出来ません。

(2) 継体帝(26)の出自の疑問。武烈の帝(25)が、古事記などでは非常に残虐な天皇として描かれた上に、子供がないままに亡くなり、かつ皇統を継げる第1世王(父が天皇の皇子)が絶えたことが述べられています。継体自身は応神の帝の5世の子孫(5代前が応神)という極端に血のつながりの薄い皇族であり(これも事実かどうか、疑う研究者が多いようです)、また即位から大和の地に入るまで20年もかかったことなどから、継体を征服者と見る研究者も少なくないようです。
また、継体の前例が、その後において「5世王までは皇統を継ぐ権利がある」という慣例となって伝えられていくことになります。

(3) 応神帝(15)に対する疑問。第14代仲哀との間に歴史的な連続性に疑問があると言われています。母が神功皇后で、この方も実在に疑問が持たれており、応神の帝が仲哀の帝(実は仲哀の帝も実在性が薄いとする説があります)に取って代わるか、婿入りするかして王朝を継いだのではないか、とも言われています。
神功皇后はいわゆる三韓(朝鮮半島)征伐の英雄として古事記・日本書紀に描かれていますが、対応する中国・朝鮮側に対応する文献がないなどこれを証明する歴史的な証拠がありません。かつ応神の帝の妊娠期間が異常に長い(袖の袂に石を入れて、出産を遅らせた……との記述がありますが、医学的には「嘘」の一言で片づけられるような記述です)、また仲哀の帝が亡くなってから応神の帝が誕生するまでが一年以上、あるいはいわゆる一〇月一〇日きっかりである……などの記述から、古事記・日本書紀のあからさまなねつ造と言われています。

(1) 天智・天武は天智(兄)、天武(弟)とするのがこれまでの定説でした。最近になって、天武を兄とし、天智を弟とする説が唱えられるようになってきたと聞いています。残念ながら、関連する書籍・論文などを目にした記憶がなく、これ以上の説明は出来ません。

(2) 継体帝(26)の出自の疑問。武烈の帝(25)が、古事記などでは非常に残虐な天皇として描かれた上に、子供がないままに亡くなり、かつ皇統を継げる第1世王(父が天皇の皇子)が絶えたことが述べられています。継体自身は応神の帝の5世の子孫(5代前が応神...続きを読む

Q卑弥呼が死んだときには古墳時代でしたか?

数年前に奈良の古墳の年代測定で、卑弥呼の時代はすでに古墳時代に突入していたというニュースがありました。
その後ニュースを聞かないのですが、卑弥呼が亡くなったときにはすでに古墳時代であったということで決着がついたのでしょうか?
邪馬台国畿内説の優位は動きませんか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>卑弥呼が亡くなったときにはすでに古墳時代であったということで決着がついたのでしょうか?
現段階では卑弥呼は古墳時代初期に数えることが多くなっていると思います。しかしこれで決着がついたかという点は分かりません。またこれから何らかの発見・展開があるかもしれません。

>邪馬台国畿内説の優位は動きませんか。
畿内説を信じている人が多いという点、ほかの説を信じている人も少なからずいるという点では変わっていないと思います。
また現段階ではどの説も確証が得られていない単なる"仮説"の段階なので"信じている人が多いから必ず畿内だ"というわけではありません。これもこれからの発見待ちになるかと思います。


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