人に聞けない痔の悩み、これでスッキリ >>

よろしくお願いします。

もし出来れば、医療関係の方のアドバイスを求めています


まず、私は匿名ですが、「nao913」です。

質問履歴を公開にしています。

このカテゴリ:「家族」の欄で、何度も投稿しています。


父の病状については、

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7973280.html

を参考にしてください。


さて、一昨日、母が主治医から余命1週間と宣告されました。

尿の量が減っているな、と思っていましたが、

肝硬変末期の上に「腎不全」が来たみたいです……

人工透析が1週間できなければ、どうなるか素人でも解りますね……

今の父に人工透析をしても意味が無いことも素人でも解ります。


そこで、質問なのですが、

父は、肝硬変末期で、3回、腹水を抜いて、

それでも、またお腹も両脚も腫れています。

こんな父が、穏やかに最期を迎えることが出来るでしょうか???

腎不全の最期というのは、どういうものなのでしょうか???


遅れましたが、私は父の長男(42歳)です。

私は父の病院へは、車で25分で行けます。

しかし、弟は東京に居り、関西のK市の、この病院には、

どんなに早くても3~4時間かかります。

父の最期に弟も居させたいと思ってもいます……


どうか、アドバイス、よろしくお願いします。 m(_ _"m)

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A 回答 (8件)

お返事読ませて頂きました。

NO.6です。

お父様と、まだ会話が出来るのですね!ご家族への感謝、何気ない会話…。へんな言い方かもしれませんが、お父様・ご家族ともに、今の現状を充分分かった上での会話という感じがして、切なく、でも温かい気持ちになりました。
ある意味、それは幸せなことかもしれませんね。最後の時、これほど濃厚な時間を過ごせるご家族はそう多くないかもしれません。
きちんとお別れができて旅立てる方は、そうはいらっしゃらないように思います。
でも、心の準備がお互い出来ているからこそ、お辛い部分もあるでしょうね。

血圧もまだまだ大丈夫、尿もちゃんと出ているようですね。意識もまだ保たれておられるようですし、あとは苦痛の少ないことを心から祈ります。

質問者様も、休める時はしっかり休まれて下さい。お返事は無理なさらないで下さい。
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この回答へのお礼

ny-sanさん、

何度もお返事、本当に、有り難く思っています。

今日も9時から18時まで病院に居ましたが、
今日は父とは会話らしい会話もありませんでした…

もう、神様が決めることと解っているんですけど、
でも、気になることがあるので、
もし、無理でなければ、ご回答をお願い出来ませんか?

本当に、申し訳ありません。


父の状態ですが、

まず、体温が、昨日は36度台だったのが、
今日は35.7度になっていました。

それでも、腹水で掛け布団が重く感じるのか?
「暑いから」と言うので、
軽い羽毛布団も嫌がって、
もっと軽くて、薄い掛け布団をしていました…

体温が下がっていること。


それから、血圧。

今日は、上が100台で、下が50台でした。

血圧が下がっていること。


点滴なんですが、

昨日の夕方から、今まで腕の血管でしたが、
太ももの血管に針を刺して、液を入れ、

今朝、点滴の「ポンプ」みたいな機械で液を入れるように
なっていました。


それで、最後に、尿の量ですが、

一昨日が360g、
昨日が160gで、
看護師さんに、昨日が160gと尋ねて聞いたんですが、
その看護師さんが、
「少ないですね」と言われて……

でも、今日は、18時の段階で、80gで……

こんなこと、冷静に書いている自分が信じられないですが……

もう、母と父の横で「筆談」をしてて、

低体温、血流量低下、腎不全、尿量低下、血圧低下、って書いてて…

帰りの車の中で、かなり辛かった……

でも、父のこと、やっぱり知りたいんです。

呼吸とかは、特に変わってはいません。

お時間が有れば、何か教えてください。

申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
m(_ _"m)


余談ですが、

さっき、21時前に弟と父の初孫の13歳の甥っ子が来てくれたと、
母からメールがありました。

間に合って良かった。 本当に良かった。

明日の夜に、東京から弟の妻と姪っ子が来てくれます。


今日は、もう明日の晩ご飯は作らずに寝ます。
申し訳ありません、失礼します。

お礼日時:2013/03/14 21:55

本当にお疲れさまです。



NO.6です。何度もお邪魔させて頂きます。

私もあまり詳しく返答できずに申し訳ないのですが…。

血圧については、健常者でも結構変動するので、110/60だったのが→100/50になったことを「明らかに低下した」ととるかどうかはもう少し経時的に見ないと判断しかねますね…。1日中いつ測っても、80~90以下とかになれば明らかに低下したと言えるでしょうね。体温も然り、かと思います。

ただ、尿量は看護師さんが言われた通り、明らかに減少傾向とみてよいようです。(1日の輸液投与量に変化なければ。)24時間尿量が100を切ってきたということであればやはり予断を許さない状況かと思います。

「ポンプのような点滴」については正直なところ分かりません…。厳密に滴下量を設定することになった理由が何かあるのでしょうかね…?もしかすると、腎血流増加を期待してカテコラミンなどの昇圧作用のある薬剤を投与しようとするならば、厳重な滴下量チェックが必要になるかもしれません。または単に、投与量と排泄量(主に尿量)のバランスをしっかりチェックするため…??
私の未熟な知識では真意が分からず、申し訳ありません。

弟さんが戻られたとのこと。本当によかったです。意識がもう一度戻られて、皆様でお話ができるといいですね…。陰ながらお祈りします。

あまりいい回答ができませんでした。ごめんなさい。
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ご家族の皆様の心中お察し申し上げます。



医療関係者ですが、参考にならなかったらごめんなさい。

肝不全→循環血液量が減少(簡単に言えば、血液がうまく全身を回れなくなります)。腎血流量も減少するため腎臓はその機能を維持しようとしますが、結果的に腎不全状態となり尿量も低下します。徐々に血圧も維持できなくなります。だんだん呼吸も浅くなり、やがて呼吸停止、心停止に至ります。

難しい話は省きますが、経過としては大体このような感じかと思います。

尿がほぼ出なくなれば、それこそ死期の迫った状況と考え、1日~数日内と見積もってよいかと思います。
呼吸が浅くなり、下顎呼吸状態になれば、あと数時間という可能性もあるかと思います。
あとは医師であっても、亡くなる日にちや時間までを推定することはできません。
それこそ、神のみぞ知る、です。

弟さんがどうしても間に合うようにとお考えなら、今の段階で帰郷して頂くのがいいと思います。それが難しいなら、間に合わないこともあるということを分かって頂くしかないかと考えます。

文面とこれまでの経過を見る限り、このまま眠るように最期を迎えられるのでは?と思います。突発的な状況(静脈瘤破裂など)が起こる可能性もないことはないですが。

大変な状況でしょうが、お父様が穏やかな経過を辿られますことを心よりお祈り申し上げます。

(私の未熟ゆえ、医療的見解で意見の異なる方もおられるかもしれません。ご了承下さい。)
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この回答へのお礼

お返事、ありがとうございます。
医療関係者の方の貴重なアドバイス、
本当に参考にさせて頂きます。

本来なら、投稿してくださった順に、
お礼をしなければならないのですが、
今日も時間が無いので、申し訳ありませんが、
どうか、他の5人の皆さま、お許しください…


先ほど、病院から帰って来て、
夕食を家族と終えたところです。


今日の14時20分に、父が、

「お世話になったなぁ…。 ありがとう…。」

と言い出しました。
「ええっ!」と思い、
私と母は、かなり緊迫しました。

私が
「ありがとうは、ボクらが言う言葉やろ~!」
「誰が働いて、苦労して、息子2人を育てたの?
 父さんが一生懸命に働いて、育ててくれたんでしょ?」
と言うと、

父は
「はい、はい、すみません……」と…
母が、
「父さんが謝ることないのですよ」と。

そして、父が、
「運命は、運命は… もう運命に任せる」と……

それで会話は終わり父は眠りました。

でも、
16時には、私と母が携帯のメールの話をしていると、
ベッドで横になっている父が話に割り込んできて、
「テレビでメールできるのがあるだろ……?」
と言いだし、何のことか分かりませんでしたが、
よくよく父に聞いてみると、
テレビはパソコンのモニターで、
メールはインターネットで、
要するに、「スマートフォン」のことが解って、

私が「父さん!そんな新しいモノ知っているの~!」
と言うと、母が「父さんは新しいモノ、好きやからねー」
「でも、新車で買ったリーフは失敗やったねー」
と母が。(リーフは電気自動車です。400万円位します…)
すると父が笑って「そうやなぁ~、あれはアカンなぁ~」と。
私も母もそんな父に笑ってしまって、
久しぶりに、家族3人で笑いました…

そういう場面があって、

18時前に、私の妻が娘を連れて来てくれました。
8歳の娘です。
孫の顔を見て、父も喜びました。
でも、5分もしないうちに疲れて、寝てしまいましたが。

今日は何事も無く、私は家に帰って来ました。
でも、24時間、母は緊迫しています…

父の体調の方を報告させて頂きます。

今日の血圧は、下が60、上が110 ぐらい
この1週間、そういうもので、看護師さんからも
安定しています、と言われています。

肝性脳症については、上に書いた会話を参考にして下さい。

尿の量は、カテーテルが入らないので、
パッドで重さを計って、30gや80gが1日に何回か…
1日で合計何gかは、分かっていません…

こういう状況は、主治医の先生も知っているので、
本当に危ない状況になれば?
分かるのかも知れませんが?

でも、本当に「神のみぞ知る」で…


弟には今、やっと携帯でつながって会話ができました。

仕事で疲れているのに、土日に父の看病に関西まで帰り、
疲れ果ててしまっていること。心身ともに…

弟が自分の家族を父に会わせたいなら、
「今しかないぞ!」と言い切りました。

でも弟は、「1回家族で帰ったら、20万はかかるし…」

そう言われると、
もう弟の判断に任せるとしか言えませんでした…

「ボクだけなら、会社休んで、関西に帰れるけど」と、
「じゃ、せめて、父さんと母さん、家族4人で笑おう…」と…

私も弟も、泣きそうでした…


すみません、まだ明日があるので?
明日のために、休むことにします。


このサイトでは、
1回、回答を出すと2回目の回答は出せないのですか?
そこのところ、分かっていませんが、

ny-sanさんだけに限らず、他の皆さまにも、
医学的なこと以外にも、
家族のこと、私の投稿で感じられたことでも、
十分に私たちは救われるので、
許されるなら、気になさらずに投稿をお願い致します。。。

こんな極限状態は産まれて初めてで・・・・・・

よろしくお願いします m(_ _"m)

お礼日時:2013/03/13 22:29

今のお父様の状態はどうでしょうか。


先日までは「水・・・」と発語があったり、問いかけに頷くなど会話も成立していたと思います。
まだ意識はおありなのでしょうか。

肝不全になったということは、尿内の毒素をろ過できずに、それが脳に回っていきます。
それによって引き起こされるのが、肝性脳症です。
これからは、肝性脳症が進行してくるでしょう。
興奮状態や痴呆のような意味不明なことを言うようになり、だんだんと眠るようになり、
そのまま昏睡状態へと移行していきます(急激に進んだ場合はいきなり昏睡になることもあります)
昏睡になると、本人は苦痛を感じなくなると言われています。
そのまま心停止するまで眠ったままとなります。

静脈瘤がすでにおありなので、それが持ちこたえてくれることを心より祈っています。

昏睡状態でも、呼吸は苦しそうな音を立てます。
反射で刺激を払いのけるように腕を動かしたりもします。
ですので、見守る家族にとっては「本当に苦痛はないの?」と思う姿かもしれません。
けれど、ご本人にとっては、苦痛なく眠るような安らかな最期となると思います。

昏睡状態に入ったら、おそらく心電図をつけられると思います。
そうなったらすぐに弟さんに連絡を。
無責任に書くことはできませんが、3~4時間なら持ちこたえてくれる可能性はあります。

私は祖母の時、危篤の知らせを受けて3時間かけて病院へかけつけ、その13時間後に亡くなりました。
こればかりは人によるので、参考にしかならないと思いますが、弟さんが間に合わないと決めつける事はできないと私は思います。
素人の回答になってしまい申し訳ありません。
ご家族の心中、お察し申し上げます。

この回答への補足

順番を飛ばして、お礼をしてしまい申し訳ありません…

補足日時:2013/03/13 22:31
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似ている環境でお邪魔することにしました。

先月亡くなりました。
病状も全く同じではないですがほぼ似ています。
父の場合は昏睡状態になって数日でした。痛がっていましたが意識はあまりなかったようです。
病院は昏睡状態なのに食事が出たり「痛み止めは飲めないしぃ~」となんだかのんきなもんでした。直接入れて貰いましたが。


日にちに幅がありましたが、急変してからその時までは僅か数分だったと思います。
なのでこれる時に来て話をするなど(意識が無ければ一方的にでしょうが)して一度帰る形を取るか、地元に数日泊まり込むのは如何でしょうか。
色々都合はあるでしょうが、どうせ亡くなれば休みを取って帰るのです。
ならば、生きてるうちに帰る方がいいですよね。

その瞬間にうまく…と合わせるように集まる気持ちはなかなか複雑ではありますが、顔を見れて良かったと思っています。
(父の子は数人おりますが、病院に来たのはわたしだけです)

うちは高齢ですのでさっぱりしたものでしたが、それでもやっぱり、…あれですよね。

意識のない状態でしたら、送ることで納得するのはこちら次第とも思います。
何日間も泊まり込みは難しいですから、最期にはうまく立ち会えないかもしれませんが、自分たちの中で後悔のないようにすれば、結果は問題ではないと思いますよ。
これから大変だと思いますが、どうかご無理をされませんように、ご自分たちを責めるようなことのないようにされて下さいませ。

この回答への補足

皆様へ

順番を飛ばして、お礼をしてしまい申し訳ありません…

補足日時:2013/03/13 22:33
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以前の質問にも投稿しましたが、今は痛みが酷いはずなので


心停止寸前位のモルヒネが使われているかも知れません。

私の友人の例では、とても穏やかでは無かった様にご家族の方に
ききました。(そうとう痛がった、との事です)
ただ、薬の効き方も有り、この辺はここのケースで異なるとおもいます。

また、友人は家族が20:00に病院をはなれて、多分、日が変わる位に
急変して、4:50頃に亡くなったと記憶していますので、当日の
時間に寄りますが、時間帯によっては間に合いますし、21:00を回ると
飛行機が使えるかどうか、微妙な時間になりますから、弟さんが
よければ、今日明日に実家に帰られた方が見送りやすいと思います。

癌が原因ですが、最終的には腎臓に来たり、呼吸不全になくなったり
しますから、本当に時間との闘いと思います。
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慢性腎不全の尿毒症による最後の症状ですが・・・


死亡の1週間前にけいれんを起こして2回目のけいれん後に昏睡
それ以降は水も受け付けない状態
注射を毎日やっても貰っています。
けいれん1週間後に永眠
けいれんを起こして昏睡後はもう助からないしいつ死んでもおかしくない状態でしたが、よく1週間も頑張ってくれた18年間ありがとうと抱きしめて褒めてあげました。
なのでけいれん→昏睡になったら弟さんに駆けつけて貰って最後を看取った方が良いかもね・・・
病院の方から危篤の連絡があってから東京から駆けつけても間に合わないと思うよ。
お仕事優先にされるなら最後は看取れないことを覚悟なさったほうがいいです。
余命1週間って医者に宣告されてるのですから明日にでも弟さんが仕事を放り投げてでも駆けつけてくれた方が良いかも知れないけど弟さんの生活もあるし、余命よりも早く亡くなる可能性、または余命よりも長く生きられる可能性もあるのでいつ駆けつけた方が良いとは的確なアドバイスは出来ないんです。
常時医者に症状を聞いてヤバイって思ったら弟さんに連絡して直ぐに駆けつけられる体制にした方が良いかもね?
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弟さんは無理でしょう、タイムラグがあるので、、、意識も薄れ、安らかに、行くのでは、と思います。


そばにいて、声をかけて、手を握ってあげれば、それで良いのでは。

看取り方法などで、検索をかけて、あなたなりに、調べれば良いでしょう。

できだけ、そばにいてあげるべきでは。
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Q末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 

末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 
末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。
これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。

母がすいぞう癌だと宣告されたのはおよそ1年前です。
肝臓にも転移しており既に手遅れでした。
今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが
4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。
あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。
肺へも転移し、咳がひどいです。
今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。
急に食欲もなくなりました。
一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。
母はこれからどうなっていくのでしょうか。
苦しみが増しますか? 
意識は最後まであるものですか?
自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?
この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。

文章がうまくまとまっていなくてすみません。
少しでも心の準備ができればと思います。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用
が止ることになり、肝性昏睡などの様々な症状を起こします。
大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。
腎臓の機能が低下すれば……
脳の機能が低下すれば……

つまり、がんがどこにあり、その臓器は、どんな仕事をしているのか、
ということです。
何が起きても不思議ではない、ということです。

「苦しみが増しますか?」
軽くなるということはないでしょう。
出てきた苦しみを押さえるということになります。

「意識は最後まであるものですか?」
わかりません。
先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている
場合もあります。

「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」
状況によりますが、オムツということも考えてください。
尿はカテーテルを留置することになります。

残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、
「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを
しないという選択肢もあります。

末期症状は、医師や看護師がよく知っています。
まずは、医師や看護師と相談してください。

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化...続きを読む

Q肝硬変と腹水で苦しむ父を見ていられません…

71歳の父です。

もう長くはありません・・・

C型肝炎から肝硬変になり、もう肝不全になって、

今は、入院して、肝臓で処理できないアンモニア等を点滴の薬で処理しており、
アンモニアが身体に回って、肝性脳症(昏睡)になるのを防いでいます。

腹水で、お腹が妊婦さんのようにパンパンに腫れ、両足も腹水で腫れてしまっています。

私は長男で、父の家から車で5分のところに住んでいます。
弟家族は、東京に住んでいて、ここは神戸ですので、新幹線で3時間かかりますが、
父が倒れて入院してから、毎週のように帰って来ています。

父の孫は、私の家族に2人、弟の家族に2人います。


今は、その肝性脳炎・昏睡で倒れた父を、
何とか薬で肝性脳炎になって、意識がなくなってしまうのを止めているだけで、
腹水は、利尿剤等を使ってもなかなか抜けません。
残るのは、お腹に針を刺して腹水を抜くだけですが、
それも、すぐに腹水がたまってしまうそうです。

病院のベッドで起きている時は、腹水のせいで、
「しんどい~、苦しい~、苦しい~」
とばかり言っています。

本当に、苦しいんだと思います・・・

私と母が交代で、毎日、父の看病をしています。

肝性脳炎・昏睡には、5段階のレベルがあるそうで、
私が見る限り、昼間にウトウトと寝る程度で、
5段階の1番目ほどしか当てはまらないと思います。


父は、テレビも見ていますし。

でも、食欲も無く、歩くことも出来なくなりました。

父にとって楽しいことなんて何もありません。

今のところは、私と母で、毎日、父の状態を見て、
肝性脳炎・昏睡が進んでいないか?を確かめるだけです。

父は、2月1日に倒れました。

さすがに、その時は、もう昏睡になって、意識が戻らないかと思って、
私も母や弟と同じように、かなり動揺しました。

でも、3年前から肝臓癌が発症していて、
もともとが肝硬変ですので、1年前から腹水がたまっていたのか、
かなり苦しそうで、「癌」というのが頭にありましたから、
その時から、父の最期を考えてきました。

だから、私の中では、もう、父を看取るように心の準備をしてきました。

母も弟も、そういう覚悟はしています。



しかし、ここからが私の質問になるのですが、

もう後のない父に、今の肝性脳症・昏睡だけを防ぐ治療って、

父が昏睡になるまで?心不全にとかになるまで続けるのでしょうか???

今の総合病院には2月いっぱいまでしか居られず、
3月からは、実家の近くの病院か介護施設に入るしかありません。

母がとても父の介護を出来ないので… 私もそうです…
私たちは、そこで父を看取るつもりです。

でも、「私は」、母や弟と違って、
もう、父は充分に生きてくれたと思いますので、
今の苦しいだけの、治る見込みのない「闘病」生活なんか
父には、意味が無いと思うんです。

まだ主治医の先生に会って詳しく話をしてはいませんが。

そんなに腹水が苦しいなら、まだ昏睡状態の方が良いのではないか?
と思っています。

要するに、今の治療は、ただの「延命治療」に過ぎないと思うのです。

かなり極端な話ですが。


私、個人の話になりますが、
思春期に、父という高い壁があって、かなり父に反抗しました。
大学受験に失敗し、うつ病になって、就職が出来ませんでした。
今は、妻の収入で、「主夫」として生きています。

そういう私に、父は失望したと思います。 親不孝者です。

ですから、毎日、父の病室に足が向かいます。
映画じゃないですが、毎日、短い手紙を父に書いて渡しています。

父に謝って、許して欲しいんです。

私は父の家から車まで5分の所に住んでいるので、
毎週のように、2人の娘を連れて、遊びに行っていました。

ですから、もう過去のことは、父と私の間では「和解」しているかと思います…

それでも、肝性脳症になっている父から、
一言でも、許してくれるような言葉が欲しい・・・

でも、もう父には、闘病生活なんかしなくていい、

今まで本当に私たちのために、頑張って生きてくれたね、
本当にありがとうね。
もう、好きなだけ、好きなお酒を飲んできたんだし、
これ以上、私のために無理をして生きてくれなくてもいいんだよ…

って思うんです。

このように、まだ私の中でも、矛盾していますが、
母と弟は少しでも長く生きて欲しいようで、
私は、今の治療さえ、父には、ただの「苦しい延命」に思えています。

それでも、私個人として、悔いなく父を看取るには、
いま、何をすれば良いのか???

それが分かりません・・・

長くなってすみません。

これを読んで頂いた方には、
ただ感じたことだけでも良いですので、
何か私に言葉をかけてください。

どうか、よろしくお願いします。。。。。

71歳の父です。

もう長くはありません・・・

C型肝炎から肝硬変になり、もう肝不全になって、

今は、入院して、肝臓で処理できないアンモニア等を点滴の薬で処理しており、
アンモニアが身体に回って、肝性脳症(昏睡)になるのを防いでいます。

腹水で、お腹が妊婦さんのようにパンパンに腫れ、両足も腹水で腫れてしまっています。

私は長男で、父の家から車で5分のところに住んでいます。
弟家族は、東京に住んでいて、ここは神戸ですので、新幹線で3時間かかりますが、
父が倒れて入院してから、毎週...続きを読む

Aベストアンサー

心中お察し致します。
私の父もそうでした。
父の場合腹水ではなく、血管から漏れ出た水分が体中にむくみをもたらすものでした。
とても高価な抗生物質を何度か投与しましたが、全く効果がありませんでした。
もはや打つ手がないという状態を前に、私もあなたと同じことを考えてしまいました。
それでも父とは意識の疎通が出来ました。
茶目っ気も残っていて、嫌いな親戚が見舞いに来たら寝たふりをするんだと笑って教えてくれました。
今の自分に出来ることは最後まで父と向き合うことだと思いました。
何も考えずただ父の側にいようと決意したのです。
手足のマッサージはとても気持ちが良いと申しておりました。
お湯に足を浸して温めてやるのも良いようです。
看護師さんに内緒でこっそり味のついた氷をガーゼでくるんで父の口に入れてやったりもしました。
そんな時の父の顔はまるで子供のようでした。
私と二人だけの秘密の思い出を沢山作ってくれた父は、眠るように息を引き取りました。
後悔はありません。

参考になれば幸いです。

Q肝硬変の行く末…どの位生きられるのでしょうか

親戚の話です。
65歳、男性、肝硬変と診断されて何年も経っています。
先生曰く末期であろうとのことです。
半年前に食道静脈瘤が発見され、入院して硬化療法をしました。
今後は定期的に胃カメラで様子をみるようです。

食道静脈瘤の破裂・出血の心配は、だいぶしなくて良くなっただろうと
思うのですが、
では、このまま行けば、普通の健康体の人と同様に
何十年も生きられるのでしょうか?
(勿論、他の病気にならなかったら…ですが)
それとも、肝硬変がますます進んだ場合に、
肝臓の機能が停止してしまう…とかそう言う心配もあるのでしょうか。

勿論、余命は人それぞれだとは思うのですが、
可能性として、健康体の人と同様に数十年生きられる場合も結構あるのか
それとも持って数年なのか…
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

肝硬変の経過ですが、
(1)肝機能が徐々に低下して肝不全になる。
(2)食道静脈瘤などができて、そこからの出血が起こる。
(3)肝臓がんを併発する。
こういう理由でなくなる方が大部分です。(1)は比較的少ない印象で、(3)、(2)、(1)の順である印象があります。
食道静脈瘤が出来ているとのことですので、完成された肝硬変と考えられます。
10年より長いということは低いと思います。

Qがん末期の非常に危険な状態とは

がんの末期において危険な状態の血圧の低下というのはいくつぐらいまで下がっていくと危険なのでしょう。また呼吸の浅さはどうやってわかるのですか。酸素吸入の目盛りを上げると血圧が上がるのはなぜですか?脈拍数の低下の非常に危険なボーダーラインというのはいくつなのでしょうか。他に油断を許さない危険な状態というのは何で判断するのか教えて下さい。

Aベストアンサー

 兄が脳腫瘍で亡くなりましたが、そのときの状況でも。

 病院で血圧を測定する機械に触れましたが、上が60を切ると機械が電子音を出して緊急性を表していました。
 また、血中の酸素濃度が95%を下回ると危険な状態と言えるようです。逆に言うと、95%を上回るように酸素を送り込む必要があります。
 こういった状態のとき、脈拍数は180と非常に高い数値を示していました。血圧や血中酸素濃度が低いにもかかわらず脈拍数が落ちてきたら非常に危険だと言えるでしょう。

 本当に死の直前では、呼吸が見るからに弱弱しくなり、呼吸が止まることがどんどんと多くなりました。呼びかけると思い出したかのように呼吸を始める感じでしたが、まさに「息を引き取る」という表現そのままに死へ至りました。

 全体としては、「血中酸素濃度の低下」「急激な血圧の低下」「呼吸の力強さの低下」の順で危険度が増す感じでした。
 あくまで脳腫瘍の例ですが、参考になればと思います。

Q癌の末期症状を教えてください。

義母が末期癌です。大腸から頚部のリンパ節に転移し、肺にも影がみられるそうです。

自宅で疼痛のコントロールは何とかできてきていたのですが、足がむくんで歩くことができなくなり入院しました。
入院後は足のむくみは取れたのですが、足がほとんど動かなくなり寝たきりになってしまいました。
2週間ほど前から下血が見られるようになり、たびたび輸血をおこなっています。食事はほとんど取れていません。薬を飲むために数口食べるのがやっとです。
いびきをかいて眠る時間が多くなり(昼夜逆転している感じです)せん妄らしき意識障害もしばしばみられます。微熱も続いています。
数日前からは痰がよくからむようになってきました。息苦しい時もあるようです。目も見えにくくなっているようです。

このような病状なのですが、どういう状況にあると考えればいいのでしょうか。主治医の先生に聞いても的を得た答えを得られずにいます。
また今後はどういう状態に気をつければいいのでしょうか。
少しでも楽になるように、私たち家族は何をしてあげればよいのでしょうか。
どんな小さなことでもいいです。ご存知のことがあれば教えていただけないでしょうか。

どうぞよろしくお願いします。

義母が末期癌です。大腸から頚部のリンパ節に転移し、肺にも影がみられるそうです。

自宅で疼痛のコントロールは何とかできてきていたのですが、足がむくんで歩くことができなくなり入院しました。
入院後は足のむくみは取れたのですが、足がほとんど動かなくなり寝たきりになってしまいました。
2週間ほど前から下血が見られるようになり、たびたび輸血をおこなっています。食事はほとんど取れていません。薬を飲むために数口食べるのがやっとです。
いびきをかいて眠る時間が多くなり(昼夜逆転している...続きを読む

Aベストアンサー

各症状について、可能性のあることを書きます。
足のむくみについては、心機能や腎機能などの臓器機能の低下や血流障害(これには、末梢の循環障害のほかに腹腔内のリンパ節転移などの圧迫による静脈還流の低下などが含まれます)、栄養状態が不良のため血液中の蛋白濃度が低下した場合など。
足が動かなくなったことについては、廃用性の筋萎縮に伴う筋力の低下や神経障害(両側の場合は脊髄への転移などの可能性)に伴うものなど。
下血は消化管からの出血を示しますが、可能性としては原発巣からの出血が最も考えられますが他の場所への転移、浸潤、潰瘍形成などによる出血の可能性もあります。 
せん妄、抑うつ、不安等などの精神症状は癌の末期にはしばしば出現します。疼痛コントロールがうまくいっていないときは出現の頻度も当然高くなります。
熱については、一般的に感染に伴うものと癌による腫瘍熱の二つが最も考えられます。
痰や呼吸困難は、呼吸器感染症の合併もしくは心不全徴候などの可能性があります。

この状態であれば御本人の苦痛をいかに取り除くかは、ご家族ばかりでなく医療側の比重が大きくなると思います。
まずは、御本人の意識を保った状態で苦痛を取り除くことが目標ですが、それが困難になればある程度鎮静させ意識レベルを落とすことも必要になります。肺に転移しているようですが、呼吸不全が進行してくると酸素投与だけでは呼吸困難が改善されないこともあり、そのような場合は体力の消耗がはげしく悪循環に陥りますから、積極的に鎮静させます。結果的に、ご家族との直接の会話はなくなることも多いですが、話すことができなくても完全に意識をなくしているとは限りませんから、気持ちの平安のためにも御本人に話しかけてあげることが大切だと思います。
最終的な症状は、血圧が下がる、尿の出が悪くなる、呼吸が浅くなるなどです。自分で痰を出すことができなくなると、常に痰が詰まることによる窒息が心配になります。喘鳴が強くなったときは、すぐに痰の吸引をしてもらうようにして下さい。

各症状について、可能性のあることを書きます。
足のむくみについては、心機能や腎機能などの臓器機能の低下や血流障害(これには、末梢の循環障害のほかに腹腔内のリンパ節転移などの圧迫による静脈還流の低下などが含まれます)、栄養状態が不良のため血液中の蛋白濃度が低下した場合など。
足が動かなくなったことについては、廃用性の筋萎縮に伴う筋力の低下や神経障害(両側の場合は脊髄への転移などの可能性)に伴うものなど。
下血は消化管からの出血を示しますが、可能性としては原発巣からの出血が最...続きを読む

Q肝硬変末期の父なのに、その母と息子は疲れるだけか?

度々、書き込んでいます。

家族の看護がいったい、どういうものなのか?分からなくなってきました…


71歳の父は、C型肝炎から肝硬変、肝臓癌となり、

年末から腹水がたまり、足も腫れて、仕事も辞めました。

そして、とうとう

2月1日、肝性脳症で風呂場で倒れ、緊急入院

私と母が交代で毎日、腹水で食欲のない父の食事の世話等で通い始めました。
でも、まだ元気そうに見えました…

2月16日、1回目の腹水を抜き、

2月18日、食道静脈瘤破裂で吐血… 個室に移される…

この日以後、家族、私と母と弟は一変しました。
もちろん父も、素人の誰が見ても、もう末期的にしか見えません

母は病院に泊まり込み、私は母のサポートで1日病院に、
弟は東京から週末ごとに帰省します。 

もちろん父も、素人の誰が見ても、もう末期的にしか見えません。

食道からの吐血なので、固形物は食べられず、
点滴と水だけ…

腹水でお腹がパンパンなので、
水を飲みたがりますが、飲むと腹水を圧迫して苦しみます。

3月2日、とうとう2回目の腹水を抜きました… 体力が落ちることが分かっていて。

腹水を抜いて、私と母に冗談を飛ばすように、よく喋るようになりましたが、
それも3日後ぐらいから、腹水が元の状態にもどり、
昼間でも寝ている時間がかなり長いです。

でも、3時間ほど毎に、「み、水、飲ませてくれ・・・」

と言うので、家族はとても看護師さんだけに任せる訳にはいきません。

母は病院の父の個室で寝て、24時間看護の体勢、
私は息子ですが、うつ病の為、家族の食事を作って、病院に通います。
でも、私にも家庭があるので、19時までには帰宅したいところ。

弟は今週は、大阪に出張もないので、東京に居ます。

私や弟が父に出来ることは、とても母にはかないません。
ただ、母の「サポート」をするしかないんだ、と分かりました。

肝心の父のここ最近は、「小康状態」としか言い表せません。

私が10時から18時までいる間は、
喋ることも少なく、ほとんど寝ていて、

でも突然、「み、水をくれ…」というので、吸い飲みで口に注ぎます。
それしか口に入れるものが無いので、「美味しい美味しい」と言ってくれます…

会話らしい会話も出来ず。

母は、一昨日は風邪で病院に、昨日は髪のカットに行きました。
実家の用事もありますし、祖母の介護施設の手続き等々、することがあり、
父だけに時間を使えないので。
その間、私が父を看ています。
何もしないのに、病院に居るだけで疲れます…

私は、家の車から実家で、実家の車に乗り換えて、病院に行きます。
母は、実家の車しか運転できないと言うので。

昨日の出来事の1つですが、

母がカットから実家の車で病院に帰って来て、駐車場に止めました。
もう18時を過ぎていて、私は焦っていました。母も焦っていました。
携帯に母から連絡があり、駐車場の方に向かいました。
「駐車券はどこ?」
「車の中」
「何階のどの辺りに止めたの?」
「3階の昨日とは違う方」
それで、別れて私は車の方へ、母は病院の方へ、
でも、実家の車のカギの引き渡しを受けていませんでした。
すぐ母の携帯に何度もかけても、出ません。 
何で携帯に気づかないのか!?
とにかく父の部屋に戻っていると思って急いで病院に戻るも居らず、
携帯にでた母は、買い物をしていました…
切れたらいけないと思いつつ、切れそうになりながら、
やっと母からカギを受け貰い、駐車場へ。
「3階に止めてあるからね」と言われたので3階で車を探します。
ありません。 また携帯にかけますが、母はでません!
4階を探してもなく、2階に行って、やっと車を見つけた時に、携帯に母から、
「ごめんね。えらい運動させてしまったね~。」
笑って言っていました。
私も、「2階だったよ」と笑って言うしか出来ませんでした。

夜の、「慣れない車」の運転の前なので、怒ってはいけないいけない。落ち着いてと。

そういう「一こま」でした。

私は帰宅してから、家族と夕食の後、
次の日の夕食を料理して、23時。

もう疲れて寝るだけです。

何か、何というか?
肝心の父を看護しているのか?父は殆ど寝ているだけで、
たまに体を拭いたり、寝返りをするため看護師さんの手伝いをして、
父の横ですることもなく、
でも、自分には自分の家族の生活があって、料理・買い物等で疲れて、
母にも、母の用事が何かとあって、
母の方が、病院の簡易ベッドなので、疲れているはずで…

肝心の父と会話もなく、
母も私も疲れるだけで…

看取るというか、家族の看護って、こんなものなんでしょうか?

長々と書いて、すみません・・・・

度々、書き込んでいます。

家族の看護がいったい、どういうものなのか?分からなくなってきました…


71歳の父は、C型肝炎から肝硬変、肝臓癌となり、

年末から腹水がたまり、足も腫れて、仕事も辞めました。

そして、とうとう

2月1日、肝性脳症で風呂場で倒れ、緊急入院

私と母が交代で毎日、腹水で食欲のない父の食事の世話等で通い始めました。
でも、まだ元気そうに見えました…

2月16日、1回目の腹水を抜き、

2月18日、食道静脈瘤破裂で吐血… 個室に移される…

この日以後、家族、私と母と...続きを読む

Aベストアンサー

41歳です。
10年前、私も実父を肝硬変で亡くしました。

父が入院したときは、緊急だとか危ないとかではなく
「ちょっと数値的に悪くなったので、入院してそのへんを良くしましょう」的な
ことだったのに、入院してだんだん悪くなり、3ヶ月で亡くなってしまいました。

当時父の面倒は母が見ていました。
千葉に住んでいた兄と埼玉に住んでいた私は、週末のみ子どもを連れて
病室にいる母と交代したり、必要な買い物をしたりしていました。

たった3ヶ月でしたが、
兄も私も自宅から実家に帰るのに3時間はかかりましたし
途中二度の危篤状態があり、そのたびに小さい子どもを連れて
狂ったように大急ぎで帰って・・・
実父のことなのに、こんなに死んでほしくないと思っていたのに
疲れて・・・3回目(このとき亡くなりました)のときには
「またか・・・」とまで思うようになってしまいました。
家族の不満も、こちらが大変だというのはわかっていましたから
黙っていたけど、それでも溜まっていたのでしょう、
兄夫婦も、私たち夫婦も一時的に不安定な状態になりました。
それでも実家に帰らないわけにはいかず・・・大変疲弊しました。

亡くなったときは「ほっとした」というのが正直な気持ちです。
亡くなってからはまた葬儀等の準備で忙しくなるので
悲しんでいる暇も、疲れた体を休める暇もなく・・・
火葬場の都合で通夜が二晩あったのですが、泣くことができたのは
その通夜も終えて告別式に入ってからでした。

あなたの質問文、ずっと読んでいました。

私の父も腹水が溜まって苦しんでいましたし、
個室に移され、白い壁だけを見ているうちに
自分の死が近づいてきたのがわかるのか
暴れだして点滴を抜いたり、幽霊が迎えに来たと騒いだりしました。
母は本当に大変だったと思います。

家族の看護というのは、看取るというのは
あなたのおっしゃるとおり「そんなもの」だと思います。
病室で相手の手を取って、静かな最期を迎えられるのは
ほんの一握りなのではないでしょうか。
私の父も、最期はほとんど言いたいことも言えることなく
こん睡状態に陥り、そのまま亡くなってしまいました。
(私は最期に立ち会えませんでした。間に合わなかったのです)

あなたのお父様があとどれくらい生きられるのか
それはわかりません。
恐らく、病室に誰か1人待機しているのは
看護婦さんに迷惑を掛けられないという思いと
いつ最期の時が来るかわからない、最期のときに
1人にしてはいけないという思いがあるからだと思います。
できることなら、一晩だけでもいいですから看護婦さんにお願いして
皆さんで家で休むということはできるといいのですが・・・
もしものときはすぐに連絡をしてもらう、ということで・・・

キツい言葉になってしまいますが、
お父様が亡くなられてからも遺族の方々には
今の家族との生活が待っています。
これから亡くなっていく人のことより、これからも
生きていかなければならない人のことが、生きていかなければならない人の
生活のほうが大切なのです。
それは私の父が病床で言っていたことです。
お父様のことは勿論大切ですが、それでも、
ご自身の体を、生活を大切になさってください。
疲れたら、看護婦さんにお願いして休む。
大丈夫です、看護婦さんはそのへんはわかっていらっしゃいます。
休みたい・・・と思ったら、その心の声を優先して休んでください。

41歳です。
10年前、私も実父を肝硬変で亡くしました。

父が入院したときは、緊急だとか危ないとかではなく
「ちょっと数値的に悪くなったので、入院してそのへんを良くしましょう」的な
ことだったのに、入院してだんだん悪くなり、3ヶ月で亡くなってしまいました。

当時父の面倒は母が見ていました。
千葉に住んでいた兄と埼玉に住んでいた私は、週末のみ子どもを連れて
病室にいる母と交代したり、必要な買い物をしたりしていました。

たった3ヶ月でしたが、
兄も私も自宅から実家に帰るのに3時間はかかりま...続きを読む

Q肝硬変末期で死期の近い父と、現実を直視できない弟が

もともと、C型肝炎に感染させられていた父(71歳)は、

C型肝炎が17年前に発症し、インターフェロンの治療を受けましたが、完治せず、

C型肝炎から肝硬変→肝臓癌、食道静脈瘤の手術を数回、受けて、

とうとう、2月1日、肝性脳症のため風呂場で倒れ、緊急入院し、

腹水でお腹が妊婦さんのようにパンパンに腫れ、両足もむくみ、

毎日、父の病院に通い、昼から来る母と交代で看ていました。

腹水のせいで、食欲が無く、でも私が父の口に運んで何とか半分食べてくれていました。

2月15日、1回目の腹水を針で抜いて、食欲も出てきて、

回復に向かうと思っていた矢先の

2月18日、食道静脈瘤が破裂して、吐血、

6人部屋から個室に移されました。

その日だけ、父の見舞いを休んでいた私(42歳の息子です)は、

次の日、個室に移された父の顔色を見て愕然としてしまいました。

まるで血の気が無く、土色のようになった顔色の父は今まで見たことのない父でした…

酸素チューブと点滴のチューブに繋がれ、心電図の電極を貼られた父の姿を見た時、

見てはいけないものを見てしまったという感じと、

父がもうすぐ逝ってしまうと直感的に悟りました。

それまで、こういうサイトを見つけたりして、父の回復を探していましたが、

http://www.kanen.ncgm.go.jp/forcomedi_cir.html

病院の主治医によると、上のサイトで、「腹水穿刺排液」の後の処置は、

「腹水濃縮再静注法」と書いてあったので、弟がこの治療法を試せませんか!?

と医師に詰め寄りましたが、90年代に、この処置が効果的でないという結果がでており、

現在の父の状態は、危険因子が3つ、

・ 肝硬変
・ 腹水
・ 食道静脈瘤が今度破裂すると「致命的」

と、私たち家族には絶望的な説明に終わりました・・・・・

私も母も「弟」も、1年前に父が3回目の肝臓癌の手術した時に、

「ある程度の覚悟」を決めていたと思っていました。


父は、お酒が大好きで、意識が無くなるまで、とことん飲んでいました。

C型肝炎が完治しなかった時も、肝臓癌が発症した時も、

「酒を断つ」ことは一切しませんでした。

外から見れば、「命を削っても、酒を飲んでいるようなもの」、でした。

「自業自得」と言えばそれまでですが…



しかし、20歳前に、「うつ病=抑鬱神経症」になった私には、父の酒の意味が伝わります・・・

大学受験に失敗し、就職もしなかった、うつ病の私は常に希死念慮から逃れられません。

「どうせ、こんな自分だから」と自分を卑下し、自分の人生に意味は無い。

と、どう考えても、考えても、行き着く先は、「自分の人生に意味は無い」になります。


今は、2人の娘がいますが、妻の扶養家族になって、

「主夫」として生きるしか「生きる術」がありません。 

けっこう惨めなモノです…

でも、娘が産まれてから、自分が親だから、惨めでも生きないと…

惨めな人生でも、娘のために、買い物して、料理して、

情けないヤツでも、嫁さんに養ってもらっていても、「体裁なんかどうでもいい!」

って自分の人生のプライドを捨てて、開き直りました。 

こうなると、けっこう「楽」なものです。


一方で、父は、父で、挫折を味わってきました。

M菱電機と言えば、誰でも分かる、家電メーカーです。

そこで、60年代にテレビの研究職として働き始めた父も、

M菱に集まった有能な人材には勝てず、事務畑の方に追いやられました。

また祖父(父の父)が戦後、裸の身から一財産を作ったことを考えれば、

父の挫折は、会社の中だけでは無いのかと思います…

父のことは私の憶測までですので、確かなことは聞いていませんし、

そんなこと(挫折)を話す父ではありません。


しかし、弟は違うと思うんです。


私と同じ公立の進学高校を出て、1年浪人しても、国立のK大学に入り、

サッカー部の主将をし、「地所」と言えば誰でも分かる「M菱地所」に入り、

高校から付き合っていた彼女が奥さんになり、平和な家庭を持っています。


私も弟の経歴に「ひがんだ」時もありました。 正直に言うと。


弟は私と違って、優しいヤツです。

しかし、今、父の死を前に、弟が危険なんです。

父が入院してから、東京に居る弟は飛んで帰って来ました。

それからも、大阪に出張があれば、実家に泊まって、

母が病院に泊まり込めば、病院に泊まって、父の看病をします。


私宛のメールに、

「兄ちゃん、父さんは腹水が苦しいかも知れないけど、腹水を抜いたら体力が落ちるから、

 腹水はこのままで、食欲が出るようになって、繊維質のものを食べれば、

 アンモニアも体から出て、肝性脳症が防げると思うんだ。

 だから、母さんと兄ちゃんで看病して貰って、父さんの回復を気長に待とうよ。」 

 と…

母も、さすがに、これには心配しています。 私も同じです。


弟は医師の説明を一緒に聞いた、父の水しか飲めない姿を見た。

水を飲んで、腹水を圧迫し苦しむ父の姿を見たはずなのに・・・・


「現実」が見えていないのか?????

「現実」を直視しようと出来ないのか…?????


大学を出てから、実家を出て東京に行った弟です。

東京で家庭を持った弟です。

私は実家から車で5分の所に住み、毎週のように孫を連れて父の所に行きました。

一緒に食事をし、娘たちを遊んで貰い…

そういう父の思い出が、私には多々あります。


しかし、東京に居る弟には「無い」。


私は、父には本当に、「今まで十分に生きてくれた」と思えています。

でも、弟は東京と神戸という「距離」が、

「父との想い出」、みたいなものを不足させたのかと…

それとも、幼少期の根源的な「父子の触れ合い」が不足しているのか…

私が長男で、弟が次男で、私が父の愛情を弟より多く受けたのか???


とにかく、71歳と平均寿命より早く逝ってしまう父を前に、

健気な、楽観的な、メールを送ってくる弟が心配で堪りません。

母は「時間が解決する、時間があの子に教えてくれる」と言いますが…


私が20歳の時、「鬱」で「廃人」のようになった経験を、

39歳の今の弟にさせたくないんです。


父はもう長くありません。

父の最期の前に、私から弟に無理にでも解らせないといけないのでしょうか???

もともと、C型肝炎に感染させられていた父(71歳)は、

C型肝炎が17年前に発症し、インターフェロンの治療を受けましたが、完治せず、

C型肝炎から肝硬変→肝臓癌、食道静脈瘤の手術を数回、受けて、

とうとう、2月1日、肝性脳症のため風呂場で倒れ、緊急入院し、

腹水でお腹が妊婦さんのようにパンパンに腫れ、両足もむくみ、

毎日、父の病院に通い、昼から来る母と交代で看ていました。

腹水のせいで、食欲が無く、でも私が父の口に運んで何とか半分食べてくれていました。

2月15日、1回目の腹水を針...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。他の質問へ回答を加えずににこちらへ書きました(*^_^*)

他の方へのお礼で読みましたが、お父様と会話ができたようで本当になによりです。
腹水が少しの時間でも楽になって、お父様も嬉しかったのだと思います。
とにかく、意思の疎通ができることは本当に本当になによりです。

質問者さんは、お優しい方なのだなと心から思います。
他人のことを自分のことのように想う、共感力を持っている方なのだなと。
けれど、きっとその能力が質問者さんを苦しめる時もあるのだと感じています。
お父様の病床で闘う姿、遠方の弟さんの心境…自分に重ねすぎると、苦しくなりすぎてしまいます。
そういう思考が質問者さんの良い所なので、そのままでいいのです。
ただ、もし、苦しくなり過ぎた時は「自分とは違う人だから同じとは限らない。大丈夫大丈夫」って思い出して下さい♪

弟さんには、弟さんなりの現実があります。
弟さんなりの親子関係があり、父親像があり、現実の受け入れ方がある。
それは、兄弟だからといって、質問者さんと同じとは限らないのです。
距離や過ごした時間の長さの違いなど、どこにもあること。あまりご心配なさずとも大丈夫ですよ!
弟さんの言動を見て「現実が理解できてない」とは、私は感じませんでした。
肝性脳症の仕組みをよく理解されていて、対処する方法を弟さんなりに考えたのだなと思います。
楽観的なのではなく、希望をもって最後まで付き合おうよって気持ちなのかなって思いました。

苦しそうなのが可哀想で、もういいよ、早く楽にさせてあげたいと思う質問者さん。
最後まで、何か手があるだろうと諦めずに考え続ける弟さん。
どちらも、正解なのです。どちらも、お父様への愛情の形なのです。それでいいんですよ。

外は寒くなったり、温かくなったりですから、どうか質問者さんもご自愛ください。

こんにちは。他の質問へ回答を加えずににこちらへ書きました(*^_^*)

他の方へのお礼で読みましたが、お父様と会話ができたようで本当になによりです。
腹水が少しの時間でも楽になって、お父様も嬉しかったのだと思います。
とにかく、意思の疎通ができることは本当に本当になによりです。

質問者さんは、お優しい方なのだなと心から思います。
他人のことを自分のことのように想う、共感力を持っている方なのだなと。
けれど、きっとその能力が質問者さんを苦しめる時もあるのだと感じています。
お父様の病床...続きを読む

Q肝臓癌での最後の症状

今現在、39歳の兄が肝臓癌の末期状態で余命1ヶ月と言われた所を
1ヶ月半程がんばっています。

私は近畿に在住していて兄は鹿児島に入院しています。
昨年、大腸癌が見つかってそこから肝臓へ転移して
今を迎えているのですが、兄は独り者で面倒を見てくれるのは
病気がちな母しかおらず、わたしも出来る限り時間を作り
帰っていましたが正直今の状況だといつ帰っていい物なのか
わかりません・・・

今すぐ帰りたいところなのですが
心も体もボロボロで仕事もそう長々とは休めない状態です。

どの様な症状が出たら危ないサインなのでしょうか?

母によると兄の状態は意識ははっきりしていますが腹水がたまり
3日前程から下半身が相当腫れて来て歩くのが難しくなって
尿も出ずらい状態だそうです。

こういうことを書いてる自分に嫌悪感を覚えますが
どなたかわかる方がいらっしゃいましたら教えてもらえると幸いです。

Aベストアンサー

家族が全く同じ状況だったものです。
肝臓の機能が低下すると足に水が溜まってきます。
足が膨らんでぱんぱんになります。
そうなったらもう長くはないはずです。
本人が苦しくなった場合、死の数日前に早めにモルヒネを大量に投
入して意識をなくした状態にするかもしれません。
会うのであればその前がいいと思います。
意識をなくすかどうかは本人が決めることだと思います。
死の直前は呼吸の仕方が変わります。
肩で息をするようになります。
ただそうなってからは1時間も持たないかもしれません。
最後は心臓の持久力次第なので、医者にもわからないと思います。
意識をなくす前に一度お別れの挨拶をして、後は死後でもやむを
えないと考えたほうがいいのではないでしょうか。

Q人工透析せずに何日間生きられますか

現在透析してます。合併症なども酷く、改善の見込みもありません。無能な医者にお世辞を言うのも疲れました。実際透析せずに何日ほど生きられますか?また尿毒症で意識障害になる前はかなり苦しみますか?個人差はあると思いますが、一般論でいいので教えてください。これは自殺ではありません。病死または自然死です。主治医も無駄な医療費かけずに死んだほうが良いといっています。その通りだと思います。

Aベストアンサー

はやければ、数時間から、2-3日でしょう。

通常健康体の人でも、自信などで、者に挟まって、出られない場合、24じかん、48時間、72時間、96時間が、目安です。貴方の場合、腎臓が機能せず、尿が作れない、意識混濁は、早いと思います。

Qもうあと残りわずかな命なのでしょうか?

昨年12月末に父が入院、手術を受け、大腸がん末期(ステージ4)と言われました。
手術の時に胃ろうを付け、それからは吐き気がひどく、飲み物のみで食事は全くできませんでした。
抗がん剤も1クールしましたが、一時期 脱水症状、呼吸や血圧の低下、高熱などがあり危なかったため、今は抗がん剤も止めています。
余命数ヶ月かも、との告知を受けて、あれから3ケ月が経ちました。
最近、昼間もずっと寝ています。家族が部屋にいても、目を開けるのはほんの数回、それも数分でまた寝てしまいます。
今まで胃ろうから黒かったり、透明だったりの胃液が出ていましたが、ここ数日は本当に真っ黒となりました。透明だった吐く胃液も黒いです。
最近、小腸ろうもつけましたが、これは白いです。
おしっこの管も今週よりつけられ、点滴も3~4種類と多くなりました。足がときどきパンパンにむくみます。
先日は、せん妄も現れはじめ、時々おかしな事をいって、看護師さんや母を困らせました。
しかし、ここ数日は本当に四六時中寝ています。


大学病院に入院のため、主治医はかなり忙しく、なかなかつかまりません。
同じような大腸がんの症状を経験したご家族の方にお聞きしたいです。
このような症状は本当に最後の時が近いのでしょうか?
教えてください。

昨年12月末に父が入院、手術を受け、大腸がん末期(ステージ4)と言われました。
手術の時に胃ろうを付け、それからは吐き気がひどく、飲み物のみで食事は全くできませんでした。
抗がん剤も1クールしましたが、一時期 脱水症状、呼吸や血圧の低下、高熱などがあり危なかったため、今は抗がん剤も止めています。
余命数ヶ月かも、との告知を受けて、あれから3ケ月が経ちました。
最近、昼間もずっと寝ています。家族が部屋にいても、目を開けるのはほんの数回、それも数分でまた寝てしまいます。
今まで胃ろ...続きを読む

Aベストアンサー

大腸癌ではなかったですが、少しだけでも、の参考に書き込みさせてもらいましたm(_ _)m
父は膵臓癌の末期でした。
最初は余命半年と言われ、家族も皆、今一体何をすれば良いのかという状態にいきなり追い込まれました。
本人の辛い気持ちも癌の痛みも遺志も何一つわかってあげられないまま、宣告から1ヶ月半で旅立ちました。
最後に一番そばについてた母の言ってた事ですが、最期の方は、尿が醤油のように真っ黒だったそうです。
私が知ってる部分の最期に近い時の事は、浮腫、よく眠る、食べられないのに吐く、はばたき振戦(こんな字だったかな?)
寝ている最中に、いきなり目だけ開けて、あちこちを見回す…とかでした。
父は最後まで、周りの一番気になる事を話してたらしいですが、長く多くは語らなかったです。多分薬のせいで頭がボーっとなっていたせいだと思いますが。

「大学病院の担当医」かも知れませんが、聞きたい事はナースに言伝してでも、ちゃんと聞いた方がいいと思います。
でないと、後々後悔が残ります。
実際父も、意識がハッキリしてる時だけは、「担当医がこれからの事、何も言ってくれない…」と不安がってました。
父には、短いとわかってても頭の中にはほんの少しだけでも「これから」があったんだと思います。
何も言わなかった担当医が家族を呼び出し、多分後一週間位だと聞いた時には、もっと早く聞きたい事を聞いて、教えてもらっておけばよかったと後悔しました。母はさじを投げられたとも言ってました。
結局一週間ももたず、容体が急変し、5日でした。
どうか、出来るなら担当医から詳しく聞いて、なるべくそばについていてあげてください。

最後に、私が書いたことが、不安を更にあおることになったのであれば、お許しください。

同じ「癌」を患った人が家族にいた人間として、1日でも長く生きられる事をお祈りしています。

大腸癌ではなかったですが、少しだけでも、の参考に書き込みさせてもらいましたm(_ _)m
父は膵臓癌の末期でした。
最初は余命半年と言われ、家族も皆、今一体何をすれば良いのかという状態にいきなり追い込まれました。
本人の辛い気持ちも癌の痛みも遺志も何一つわかってあげられないまま、宣告から1ヶ月半で旅立ちました。
最後に一番そばについてた母の言ってた事ですが、最期の方は、尿が醤油のように真っ黒だったそうです。
私が知ってる部分の最期に近い時の事は、浮腫、よく眠る、食べられないのに吐...続きを読む


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