プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

もう、ほとんど毎日、投稿しています。

父が3月11日に、

「余命1週間」と主治医の先生から言われています。

今日はもう、15日です。 たぶん?もう、父の時間が無いんですね…


私は匿名ですが、「nao913」です。

何度も質問をしているので、「質問履歴」を「公開」にしています。
http://okwave.jp/mypage/question/history
これで、見れるか分かりません。

それか、私のネームの「nao913」のところをクリックして貰えれば、見れるかと思います。

どうか、ご参考にしてください。



大好きな父の最期を、何としても「看取る」思いでいます。

私と母と弟の3人は、もう時間単位、分単位で、考え、動いています。

かなり極限状態かと思います。冷静さも無いかと思います。



でも、大好きな父の最期に、悔いを残したくなく、

大好きな父の最後に、何て言葉をかけてあげればいいのか分かりません……


父は3日前に、とうとう、言いました。

「ありがとう…… お世話になりました……」 って…

父さん!何言ってるの?! 世話になったのは私なのに。 

私と弟を育ててくれたのは父なのに。

父が働いて、私と弟を食べさせてくれたのに……


「運命は、運命は… 運命は、すべて天に任せるわぁ……」 と。

そうです、もう神様しか知らないことです。医師にも分かりません。

でも、時間が無い… 父が居なくなってしまう……


弟が家族を連れて、東京から関西に来てくれました。 間に合いました…

転院を考えていましたが、もう、そんなこと考えてなんかいられない状況になりました…

ヒゲを剃ってやりたいと思っていましたが、なんて「残酷」なことをしようとしていたのか、

「おばさん」から教えて頂き、やっと解りました…

医療関係者の方から、貴重な意見も頂きました。


もう、今までにたくさんの方から、良いアドバイスを、こんな私にかけて貰いました。


耳は最期まで聞こえる。と。

父が私たち2人の息子を育てるのに、どれだけの時間とお金と労力を使ったのか…と。

私たち子供が、父に孫を抱かせるまで育っただけでも、

私と母が、ずっと父の病室に居るだけでも、父は満足じゃないか?と。

「おばさん」からは、洒落者だった父の伸びたヒゲを剃ってやろうとしたら、

<今>、<生きている>、父に、そんな、「死の準備」みたいなことは、

父に<酷>と。 そう、悟らされました…


その他にも、いっぱい、いっぱい、いっぱい、貴重な、有り難い言葉を貰いました…

本当に皆様、ありがとうございました。 m(_ _"m)


冷静になって書きますね。


父は肝硬変末期で、肝性脳症で倒れて、2月1日に入院しました。

2月18日に、食道の静脈瘤破裂で血を吐いて、個室に移されました。

それ以後、水しか飲んでいません。 ゼリーも嫌がります。

点滴の栄養は1日、200キロカロリーです… 

主治医から、「餓死」することも考えてと…

腹水は3回、抜きました。 先週の土曜日が3回目。

でも、もう、腹水で、パンパンです。 脚もパンパンです。

昨日の体温が35.7度

血圧は、下が50台、上が100台

呼吸は特に変わったことが無いように思います。

母が24時間体勢で看てくれているので。

尿の量が、

3日前が360g 2日前が160g

160gと聞いて、看護師さんに「少ないですね…」と言われました。

昨日の18時の時点で、まだ80gでした……

以上です。 こんなこと、冷静に書いている自分が信じられないです…


父に、

「ありがとうね。」
「しんどいね。」
「大好きだよ。」
「ごめんね。」

とか言ってきました。
毎日、病院に行ってますので…

でも、本当の最期に何て言えばいいのか????


私のことですが、高校の時、父との確執があって、
国立のO大学をでて、有名家電メーカー勤務の父を、
全面的に、父の人格まで全て否定してしまいました。

そして、私は、鬱病(抑鬱神経症)になって、
大学は出たものの、就職も出来ず、家庭教師のアルバイト…
そんな私に父はどれほど失望させてしまったか…

幸い、今の妻と結婚出来たけど、
妻の収入で生活しています。 私は「主夫」です。

孫娘2人を抱いてもらいました…

いっぱい、いっぱい、「ありがとう」と「ごめんなさい」があります…

父に懺悔したい私
父に感謝したい私
口下手で思ったことが言うに言えない私

です…

父になんて言ってやれば良いですか???


雑な分で、本当に申し訳ありません・・・・・・・ m(_ _"m)

A 回答 (46件中1~10件)

おばさんです。

おはようございます。

昨日はお疲れ様でした。
毎日挨拶をするお位牌ですから、満足いかれるものがみつかり良かったですね。

少しずつでも手続きを進めることによって、気持ちの中に静かに静かに<受け入れ>が忍び込んできます。
でも、それは決して<忘れる>ことを促すわけじゃなく、極限の気持ちの救け(?)になっていってくれるものなんだと思っています。

無理をされませんように。

またね。
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この回答へのお礼

はい、昨日はK市の中心街まで車で母を乗せて行って、

少し?母が「奮発?」しましたが、(^_^;)

父が宿ってくれる、黒くて良い、ご位牌を見て、
何か?出来上がるのが楽しみになりました。(*^-^)♪

昨日はお寺さんが「喪」について説明してくれました。

「子」は「配偶者」より長く喪に服すらしいです。
父にとって私は直接「血」がつながっているからと。
1年と1ヶ月は「喪中」になるそうです。

まあ、相続の期限が10ヶ月で、
1年ぐらいは、父のことを想ってしまいますね…

でも、もう、悲しいとか、そういう気持ちは薄れていき、
父が立派な「ご位牌」に宿って、
毎日、拝めると思うと、心が静まります。

「宗教なんて!」って思ったこともありましたが、
でも、昔から続いていることは、やっぱり有り難いです。

今日は、白檀の香りの、渦巻き線香をつけて、
父をお参りしました。

年金の書類が届いていたので、持ち帰り、
ちょっとチマチマと?書かないといけませんが(^_^;)

明日は母の家に私たち家族が押しかけて、
焼き肉パーティー?します。(;^_^A

もう材料は買っています。(*^-^)ニコ/♪

お礼日時:2013/03/29 14:12

おばさんです。

報告をありがとう♪

お礼なんて気にしなくて良いからね。
貴方が広く回答を求めたい時には、前のように新しく質問を立ててね。
貴方が書きたいときに書き込めるよう、(内緒で)ここだけで書き込んでいきますね。

欝は波があると思う。
だから無理をしないで、出来る時にできることを・・・で、充分だと思うよ。
外に目を向けられた時に、袖擦り合った方たちと繋がっていけたら良いね。

今日はお疲れ様でした。
ゆっくりお湯で疲れを解してくださいね。

この回答への補足

おばさん、有り難う!
ホンマに、癒されます…m(_ _"m)ペコリ

今は、もう事務的なことをしています。
http://okwave.jp/qa/q8014544.html

母の生活を守らないといけないので…

また、明日、報告しますね。♪

補足日時:2013/03/27 23:02
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この回答へのお礼

いつも、いつも、ありがとうございます。<(_ _)> ペコ

さっき帰って来ました。

報告しますね。

1日で出来る事は限られていますが、

今日は、父の年金を年金機構に電話して確認。
介護保険で、介護は受けていないので、その手続き、
それから、父の、お位牌を母と注文に行きました。
私の運転で。
4月12日に出来上がるのですが、
今の白木のお位牌から、少し高いですが、
黒いお位牌に、父が納まると思うと、
帰りの車の中で母と、何か?一区切りついた気持ちで、
何かよく喋っていました。

保険・年金・相続については、書類が届いていないのもあって、
ほとんど進みませんでしたが、
お位牌が決まって、本当に、一段落です。(;^_^A

お礼日時:2013/03/28 18:19

おばさんです。



・・・案じていました。

逝く瞬間を看取れなかったのは、ちっとも重大なことではないんだよ。
相続までが大変なら、今は放っておいて良いんだよ。
動けないなら、横になっていれば良いんだ。
耐えられなければ、泣いていても良いんだよ。

貴方は何も悪くないんだ。
だから、無理なんてしなくても良いんだ。
貴方が自分を責めることなんて何1つないんだ。
家族だって誰1人貴方を責めるなんてないんだよ。

焦らなくて、良いんだ。
罪悪感なんて感じなくて良いんだ。

貴方はよく頑張った!

だから、疲れただけなんだ。
辛くて部屋から出れなかったら、焦らずに、出たくなるのを待ってみたら良いさ。

窓から咲き始めた桜でも眺めて、自然を感じてみて。
貴方は大きな自然の中で生かされているんだ。
だから、安心してゆっくり休んでいよう。

明後日は主治医の先生の診察ですね。
お花見がてら、散歩のついでに行くことができたら良いですね。

○○しなくちゃ<いけない>・・・なんて、自分をがんじがらめに縛らないで。
○○しなくちゃ<いけない>・・・なんて、誰も言っていないし、思ってもいない。

貴方は貴方のままで構わないんだ。
貴方自身が貴方にやさしくしてあげてね。

今日は風もなく、日向ぼっこができるよ(^-^)

この回答への補足

おばさん、ありがとうございます。

3日間、鬱で寝込んで、さっき久しぶりに家族で、
晩ごはん、食べました。

でも、今日も寝込んでいました。
もう、疲れたので、また明日、
ちゃんと、お礼させて頂きます。
申し訳ありません。m(_ _"m)ペコ

補足日時:2013/03/26 21:02
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この回答へのお礼

お返事、いつも、ありがとうございます。m(_ _"m)

報告だけになってしまいますが…

今日は、上の娘を学童に行くのを見届けて、
朝に熱いシャワーを浴びて、実家に行きました。

今日は午前中だけ。13時まで実家で諸手続を…
といっても出来ることは限られていて、

・父の会社の保険組合から送付された書類の整理
・K電力への支払い口座を父から母の口座に移転の手続き

上の2つだけで、3時間ぐらいかかりました…
遺産相続なんて、まだまだ遙か先のことです。

ひとまず、父の健康保険に入っていた母ですが、
父が「除籍」になったので、今は社会保険に無加入状態で、
会社の保険組合に電話して、国民健康保険に加入すると、
教えて貰って、初めて分かる始末・・・・・

今日、母が区役所で手続きをして、保険証が届くのは、
早くて、来週の月曜とか・・・・・

父の祭壇に、3回、お参りして、
動揺しないよう、疲れないよう、
「心を殺して?」淡々と今日出来る事務をしました。

明日から毎週木曜日に、七日・七日の法要です。
私の精神科の主治医の診察が木曜なので、
先生に会って話したいことは山ほどありますが、
4月28日に四十九日の法要で、納骨まで済ますと、
母とお寺さんで決めたので、
自分の「鬱」の調子を見ながら、必要なら、
法要を(午前中なので)抜いて、診察に行こうかと思います。

おばさん、心配してくれて、ありがとうございます。

正直、ホンマにしんどい…

でも、ネットって、本当に有り難い。
FBで、中学の同窓生が見つけてくれて、友達になって、
その子、3人の子のママさんだけど、
1人、娘さんが、自分で立てなくてね、
歩行器とかでリハビリしてるねん。

その写真は、娘さん、「良い笑顔」でね・・・・
「オジサンも負けへん!応援してます!」
ってコメント書いたら、パワー貰ったよ。

お礼日時:2013/03/27 15:18

すいません。

かなりPCから離れてざるを得ず、今更ですが書き込みしてます。
お父様が旅立たれたとの報告、今読みました。
ご冥福を本当に心よりお祈り申し上げます。

大きな存在との別れの受け取り方は人それぞれだと思ってます。
乗り越えるとか、受け入れるとか、こだわるとか、引きずるとか・・・
そういう言い方もできるけど、どれも正解じゃない気もするし、どれも正解だとも思う。。

上手く言えませんが、質問者さんは、質問者さんなりの感じ方をすればいいし
日常は容赦なく「今まで通り」に進んでいくけれど、そこへ自分なりの戻り方をすればいいと思ってます。

私は1年前、祖母との別れを経験しました。
どうやら母との別れも遠くないようです。
質問者さんの質問やお礼・補足、他の方の回答を読ませていただいて、そして、私も自分なりの想いを書かせて頂いて「私も“ちゃんと”できるかは別にして、自分なりに向き合っていこう」と思うことができました。

泣いたり、泣けなかったり、頑張り過ぎたり、逃避したり・・・きっと私は心の中でドタバタしちゃうな。
でも、それでいいんだって質問者さんが思わせてくれました。本当にありがとうございます!
なんか、自分の話になっちゃってすいません。

質問者さんは、休むことを恐れないで下さいね!
疲れとか以前に、大きな変化があったという時点でうつ病には負担なはずですから。
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この回答へのお礼

父の葬儀まで、耐えていました・・・・・

この2ヶ月、耐えていた糸が切れて・・・・・

自分の「心を殺して」、お骨拾いまでしました。

でも、父の相続を母に出来るまでの手続きを始めると、

父の残した、綺麗に整理された保険などの書類を見て、

泣けてきて、辛くなって、父が偉大すぎて、

とうとう、鬱病の「鬱」が出て、
一歩も部屋から出れなくなりました。

父の逝く瞬間を看取れなかったこと・・・・・

父から母への相続まですることが膨大なこと・・・・

いくら抗うつ剤をのんでも、鬱になって・・・・・

あの父が、あんな姿になって、骨になって・・・・

もう、動けない・・・・

もう、耐えられない・・・・

お礼日時:2013/03/26 04:07

おばさんです。



>「充分親孝行」なの?

うん!
貴方という子供を授かれたこと。
貴方から2人の孫を授かれたこと。
貴方が順不同をせず、お父様を送って差し上げられたこと。

私はこれで充分だと思っている。
他のことは、何とでもなるさ、と。
だから、私は自分の体が心配なときには、不安よりも先に<母を悲しませてはいけない!>という強い思いだけがあり、父に私を見守ってくれるように頼んでいる。
貴方も希死念慮がわいたら<順不同で母を悲しませてはいけない!>という強い思いを持ち、お父様に貴方を見守ってくださるよう頼んでください。
順不同になった時の親は、自分の身を切り刻むほどの悲しみと苦しみに苛まれると思う。
人生にはこれ以上の苦痛はないと思う。
だから、他のことは…何とでもなるさと、腹をくくっている。
だから、貴方が順不同をせず、お父様を送って差し上げられたことで、充分親孝行だと思っている。

>ゆっくり休んでいいの?

うん、休める時に体を休めておこう。
そうすれば、心も少しずつ落ち着いていく。
焦る気持ちばかりがハヤったところで、何もできないよ。
そして、貴方ができる範囲で、焦らずに、周りに助けてもらいながら整理を進めてください。

弟さんのメール。
心うたれます…。

貴方はたくさんの<愛>に見守られていらっしゃいます。
それだけは忘れないで。
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この回答へのお礼

父の葬儀まで、耐えていました・・・・・

この2ヶ月、耐えていた糸が切れて・・・・・

自分の「心を殺して」、お骨拾いまでしました。

でも、父の相続を母に出来るまでの手続きを始めると、

父の残した、綺麗に整理された保険などの書類を見て、

泣けてきて、辛くなって、父が偉大すぎて、

とうとう、鬱病の「鬱」が出て、
一歩も部屋から出れなくなりました。

父の逝く瞬間を看取れなかったこと・・・・・

父から母への相続まですることが膨大なこと・・・・

いくら抗うつ剤をのんでも、鬱になって・・・・・

あの父が、あんな姿になって、骨になって・・・・

もう、動けない・・・・

もう、耐えられない・・・・

お礼日時:2013/03/26 04:07

おばさんです。



親の死をいくらお葬式をあげたからって、受け入れられるわけないじゃない。

私は56歳で亡くなった父の遺品のノートすら、20年以上、まだ見ることもできてないよ。
1回、頑張ってページを開いたんだけれど、涙で3行くらいも読めなかった。
私だけでなく、母も、弟も…。
父の年をこえたというのに…。
父はあの日から、56歳のまま、私たちの心の中で生きてくれている。
思い出はいくらでも話せるけれど、父が書いたものは…多分…辛くて読めないまま、母のお棺に入れるんだろうな。

亡くなった人は偉大だよ。
まして親なら永遠に太刀打ちできない。
できなくて当たり前なんだ。
近づけるようにさえしたら良いんだ。

お父様を心に想いながら、一緒に人生を教えてもらいながら、ゆっくり貴方のペースで歩いていけば良いんだよ。
わからない時には<これで良いんだよね>と、心の中のお父様に問いかけながら、進んでいけば良いんだ。
貴方のことは絶対に見守っているよ!!

自分を責めたら、お父様が悲しむよ。
貴方は頑張った!
精一杯頑張った!!
それで充分!!!

充分親孝行だよ!!!

ゆっくり休んで(^-^)
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この回答へのお礼

おばさん、何度も世話になりますね…

>自分を責めたら、父さんが悲しむ

私も弟も、自分を責めたら、父が悲しむと知っています…
私も弟も、残された母を守らないといけないと思っている…

>頑張った
>精一杯頑張った
>それで充分

>充分親孝行だよ
>ゆっくり休んで…

なんか違うような気がするだよ…
おばさんに歯向かうみたいだけどね…

確かに、父が息を引き取るまで看取った。
確かに、父の葬儀を無事に送ることができた。
でも、
それで、「充分」なの?
それで。「充分親孝行」なの?

ゆっくり休んでいいの?

そりゃ、父さんは、まだ四十九日まできてないから、
冥土までたどり着いてないかも知れないけど、
苦しい肉体から解放された・・・・・・

弟のヨシが東京に明日、帰るけど、
兄のマサの私は、社会に出てないから、
役所関係、病院関係、銀行関係、香典関係等にうとい。

父は自分で確定申告の書類まで作っていた…
倒れて入院する寸前まで…


今日3月21日から役所関係等々が動くから、
兄と弟は、何も出来ない母の代わりに動くよ。

病院の精算なんて、2~3週間かかるって言われた。
銀行預金の口座の名義替えは、母が父の生前からしてた。

まだ何が残っているのか、どうすればいいのか?
今日、実家に行って、弟と母に聞かないと兄は分からない。

だから何? ですよね…

1ヶ月かかても、半年かかっても、
居なくなった父の関係の処理をすればいいだけのこと…

社会に疎くても、素人だから、詳しい人に教えて貰って、
ゆっくり間違わずに進めて終えればいいだけのこと…

>亡くなった父は偉大。

>まして、親だから、なおさら偉大です。
 立ち向かえない、太刀打ちできない…
 父も祖父が亡くなった40年前同じ状況だったろうに…

>出来ないのは当たり前。
 ホント、ボクも弟も、
 今まで自分の家族を、自分の子供を守ることだけで
 精一杯で…

 病院の精算、葬儀会社の精算、役所関係したことない。
 分からないことばかり。

でも、少しぐらい遅れても?分からなくても?
お金のことは、淡々とすれば良いんです。

弟からメールが来た。

兄ちゃん
父さんがもう居ないことを受け入れられないのはしかたないよ。
僕も全然受け入れられなくて今も食卓でメールを打ちながら、
父さんが二階からスリッパの足音を立てながら下りてきて、
リビングの扉をがちゃっと開けて『何やヨシ帰っとったんか。
はよねえよ』と言われそうな気がするよ。
僕は3/17に写真と棺桶に一緒に入れる遺品を一人で取りに帰り、
そこで目にした全てに涙し、父さんの部屋で誰に憚ることなく
おもいっきり泣いて、少し気持ちが楽になった気がしたよ。
泣かないで過ごすなんて無理だから、
兄ちゃんが現実を受け入れたくないと思うのは普通だよ。
鬱になるというよりも、父さんを失った悲しみを乗り越えるめ、
今は父さんのことを思い、偲び、自分の気持ちを何とか整理しようとしているんじゃないかな。
僕自身すぐに涙が溢れだす状況からいつ回復できるか自信ないけどね。
時間が寂しさを忘れさせ、父さんとの楽しい、暖かい、懐かしい、思い出だけにしてくれると思って、暫くは思うままに泣いて自分の気持ちを楽にしたいと思ってます。
兄ちゃんも一緒に哀しみを乗り越えようね。

って。 長くなってごめんなさい。

父は手で字を書くのが下手で、メモなんか読めなかった。
だから、父が、生前に、自分の書斎で息子宛に手紙を書いて
いるとは思っていません。

でもパソコンがある。
パソコンなら、字が下手な父でも、
何か息子に書いて残してくれているかも知れないと思って、
父のパソコンの中、必死に探した。
絶対にワードで手紙を残しているはずだ…
でも、見つからない…

父の残した言葉が欲しい…

人が1人、居なくなったら、その整理に1年はかかるって聞いた。
だから、急ぐことはない。
それより、父を偲んで、弔って、泣くしかない…

そうでないと、先に進めない。
母も、妻も、子供も守れないから。

何を書いているのか分からなくなってしまいましたね。
長すぎる…

お礼日時:2013/03/21 02:23

おばさんです。



>父は、みんなに慕われていたんですよ。
>良い葬儀だったと思います。
>良かったよ。

うん(^-^*)
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おばさんです。



本当にお疲れ様でした・・・。
まだまだ、今日のお墓参り、会計精算などの引き継ぎや支払い等で大変だと思いますが・・・。

お母様はお家に帰られて・・・お一人なのでしょうか・・・。
さみしさ、悲しさ、辛さはお葬式のバタバタに紛れていましたが、忙しさが終わると・・・どっと襲ってきます。
いままでご夫婦だけでの生活でしたのならば<お父様への供養>だと思い、貴方に無理のない範囲で、毎日顔を見せたり、電話をしたりして、お母様の話を聞いて差し上げてください。

「我」を通すことも、今は許して差し上げましょう。
お父様が亡くなられて、今は<自分が!>頑張らねば!との気負いが、拍車をかけてもいるのでしょう。
でも、1人の夜はとてつもなく暗いし、長いし・・・朝の1人での目覚めは言いようのない寂しさに包まれます。
弟さんご家族も東京に帰られてしまうので、さみしさはひとしおでしょう。
話をさせてあげること、話を聞いてあげること・・・それがお母様を<守る>ことになるのだと思います。
貴方自身の苦しさも、お父様の<良き思い出>を話されることで、少しずつ救われて(?)いかれると思います。

奥様は影で本当に大変だったと思います。
心からの感謝や、ねぎらいの言葉をかけて差し上げてくださいね。
今、貴方には隣で悲しみに寄り添ってくださる、大切な奥様と娘さんたちがいる。
いつも大切な奥様と娘さんたちがいてくれる・・・幸せ。

貴方の心に余裕はないかと思います。
ですが、それでも・・・お母様のお悲しみに・・・いるだけでいい、聞くだけでいい。
ただ黙って・・・寄り添って差し上げてほしいなぁ・・・。

この回答への補足

今日は、もうすぐお墓参りに行きます。

私と弟と母と私の家族で。
ちょっとバタバタしてます。

昨日は、弟が実家に母と一緒に泊まりました。
今日、弟は東京に帰ります。

父が居なくなって、広い実家に、母だけです…

私が車で3~4分のところに住んでいるので、
電話なり、買い物の帰りなり、
声を聞いたり、顔を見たり出来ますが、

なんせ、母にとっては世話のかかった父?だったから、
気が抜けたようになるかもです・・・・・・

ちょっと途中なんで、この欄に書きました。

またお墓参りが終わってから、
いろいろ?報告しますね。
 
  m(_ _"m)ペコリ

補足日時:2013/03/20 12:11
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この回答へのお礼

先ほど、お墓参りから帰ってきました。

40年前に、祖父が60歳で亡くなった時に、
父が建てた墓石です。

18年前の震災で、倒れた墓石は角が・・・・・・



って、書きながら、横になって、寝ていました。

何か、夢を見てました。

これは、夢だって分かってました。

夢だから、起きたら、嫌な事が有る、

って警告していました。

起きたら分かりました。

現実だ。 そうだ、現実だ…

現実は…

あの汚い墓を、こまめに行っては、毎回掃除していたのは父、

あのうるさい母さんを黙らせて、黙々と家を回していたのは父、

細かい請求書、役所関係、香典関係、やっていたのは父、

母さんだけじゃ、何も出来ない。

だから息子の私と弟が居る。

でも、弟は明後日にでも東京に帰る。

私は、弟のように会社勤めでなく、鬱病で、主夫で…

だから… 社会のことに、うとい… 知らない…

起きたら現実で、

起きたら、現実は、父さんが居なくなってて、

それは、病院からずっと見てたから、本当に、現実で、

墓石の裏の、建立した父さんの名前、

赤色に塗られていたけど、もう赤色がはげ落ちていて、

弟に電話して、墓、見たら泣けてきたって言って、

父さんって、「偉大だね」って言い合って、

弟も一緒に泣いて、

そのまま寝て、夢を見て、

起きたら現実で…

アカン…

これだけ、書いてきたのに、

ボクはまだ、現実を受け入れていない・・・・・・

あの「偉大な父さん」が、

あんなに小さくなって、

しわくちゃになって、亡骸みたいになって、

亡くなったことを… まだ、ボクは受け入れてなくて…

そんな自分に、唖然として・・・・・・

静岡のいとこに、メールで、

「いい叔父ちゃんって言ってくれてありがとう。

 何よりも供養になるよ。」なんて解ったようなメール送って、

メールが帰って来て、

やっぱり、父さんが居ないことを、もう1回、知って……

ダメだ。 看取ったのに、葬儀を送ったのに、

私は受け入れができていなかった…

時間、かかりそうです。

頭で解ったふりして、深層心理はそれを拒絶してる…

明日は、無理だけど、

木曜日、精神科の主治医の診察があります。

先生に言わないと…

先生から教えて貰わないと…

どこまで情けない42歳だ…

どこまで情けない42歳だ…

どこまで情けない42歳だ…

ダメだ・・・・・・・

父さんが偉大すぎる。

お礼日時:2013/03/20 19:42

おばさんです。



お疲れ様でした。

悲しみが深すぎたままでは、お体に障りますよ。
お父様のご冥福を心静かにお祈りいたしましょう。

心と体を休めてくださいね。

この回答への補足

おばさん、ありがとうございます。

いま、さっき、実家から帰って来たところです…

悲しいのもありつつ、
とにかく、雑務等々で疲れてしまったので、
明日、また、ちゃんとお礼させてもらいます。

失礼します… m(_ _"m)

補足日時:2013/03/20 00:06
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この回答へのお礼

おばさん、お礼するつもりが、一晩寝ても、
疲れが取れなくて・・・・・・

もう、とにかく、いろいろありました…

すみませんが、
このページの「お礼?」の欄を見て下さい。
http://okwave.jp/qa/q7999381.html

今日は、お墓参りで、ボクはもう1回、寝ます…

申し訳ありません。

m(_ _"m)

お礼日時:2013/03/20 07:01

おばさんです。



今日1日、本当によく頑張りましたね!

皆さんの温かい回答に心打たれました。
貴方のお礼にもお父様への愛が溢れています。

明日もお父様は見守っていてくださいますよ。

この回答への補足

もう書く欄が無いので、
無理矢理?補足の欄に書かせてもらいます…
昨日の告別式の報告です。

報告します。

昨日は11時からの告別式でした。

でも、朝は私の妻の着物の着付けがあるので、8時過ぎ出発。

11時の式が始まるまで、
父の棺に入れる物を探していました。もうバタバタ。
式場には小さな紙に、お手紙をと渡されましたが、
こんな小さな紙じゃ何も書けないよ…

急いで、9時過ぎに車に乗って、近くの駅前店舗に。
専門店に文具屋さんがありましたが、10時開店…
隣のダイエーに入り、1階は開いていたものの、
3階の文具コーナーが10時開店…
階段の黄色い鎖は、もう勝手に取って、3階に。
店員さんが、1人。
「すみません、営業時間外とは分かってますが、売ってください」
って。
色紙5枚セット、筆ペン、便せん を買わせて貰いました。
かなり無理してるって、自分でも分かっていました…

10時半に、集合写真とか。そんなん、どうでもいいのに。
自分は、カバンに色ペン等用意しているので、
姪っ子に、色紙に「お祖父ちゃんに書いてあげてね」と渡し、
私は、色紙に筆ペンで、
高校で習った漢文ですが、父の気持ちを代弁するつもりで
書きました。 以下、漢文。

我人生是飲酒也
我人生是会話也
我人生是家族也
我人生於是無悔

と。
私の人生は酒を飲むことです
私の人生は酒を飲んで、仲間と集まって楽しく会話することです
私の人生は家族です
私の人生において、悔いは有りません。
という意味です。

1枚失敗して、もう1枚書きました。
父の棺の横に置き、読経が始まりました。

お経を聞きながら、坊主のお経より、親父に最後の手紙や!
って、便せんに2枚しか書けなかったけど、

「ありがとうございました。」と
「おつかれさまでした。」と
楽しかったよ、嬉しかったよ、母さんを守るよ、
父さん、ボクたち孫の家族も守ってね、と。

読経の間、母と私と弟と妻2人が前に立って、
皆様に挨拶を。
喪主の母は、やっぱり感情が高まって、
最後の挨拶の文を読めない状態になりましたが、
でも、最後まで読みました。

読経が終わると11時、出棺の前。
みんなと皆様が集まって、
ドライアイスで冷たくなった父の顔を触って。
父さん、こんなに冷たくなって… 寒いやろ… って。

それから、出棺、火葬場へ。
いったん帰って食事。
食う気もしない、呑む気もしない。
父は焼かれている。

私は、食べるも食べず、外に出て、1本だけ一服を…

また火葬場へ。 淡々と時間が過ぎる…
お骨拾い。
骨、いっぱいあるのに、骨壺に入るの少しだけ。

父さんの骨のかけらを1つ、
黙ってハンカチに入れて、持って帰って来ました。
また、お守りに入れようと思って…

また、斎場にもどって、初七日の法要。
もう坊主の読経はええわ!
坊主が帰って4時。 ここで、たいがい疲れてます。

弟家族が東京に帰るので、その準備とかもあって、
5時ぐらいに、斎場を出たかな?

それでも、私と母と弟は、まだ終わりません。

実家に帰って、3人で座敷を掃除、

18時に斎場の担当の方が、灯籠とか親父の祭壇等々を
持ってきてくれて、組み立ててくれましたが、
四十九日が終わると、しまって、初盆にまた出すので、
一緒に組み立てて、覚えて、
食器やその他等々の配置を写真に撮って…

19時だったか、3人で食事に行って、帰って、
今度は、お香典の金額確認と簡易リスト作り。

親族だけで、一般の方のお香典は断っていたのですが、
それでも、終わったのが22時かな?

嫌な事だけど、

母親が、オレがリスト作って、名前書いて、金額書いて、
そういうことしてると、
誰々が来てない、誰から香典貰ってない、
この人は誰?って聞くと、
この人は、お父さんの・・・・って長い長い話が始まって、
もうええ!時間が無いねん!!って切れると、
黙って聞きなさい!と逆ギレ!
祖父の実家の本家の誰々とか、
父のいとこの関係の誰々とか、
今、言って聞いておかないと、覚えないでしょ!
って。

ボクも弟も、PCのエクセルで表を作って、
書き込んで、しんどいのに、
母だけ、何も出来ないから、
やれ、誰の香典がどうのこうのとか… 言うだけ言って…

母が2階に上がっていなくなって、
父の位牌の前で、弟と

やばいな…
オカン、自分の言いたいことだけ言うようになってるな。
お前は知らんと思うけど、転院の件でも、
ギリギリにヤバイ状況やったんや。
親父の病状があと1ヶ月、3ヶ月続くと、
さすがに、オカンを説得して転院させなアカンかってん、
そんでも、オカン、聞く耳もたへんから困ってな…
オレの嫁さんにも自分の言いたいこと言うだけ。
開いての話を聞こうとせえへんねん。
おまえとこの嫁さんにはどうや?
こっちも疲れてるで。言いたいこと言うだけだから。

もう、家族の恥かも知れませんが、

母は、66歳なのに?性格か?
自分の「我」を通すので、私と弟の嫁さんの家族にも、
言いたいこと言って、開いての話を聞きません…

これは、私が家に帰るとき、
さすがに、弟と2人で、
「母さん、ああなって、今まで父さんが抑えてくれていたけど、
 父さん大変やったろうな… オレらが抑えんとアカンな…」
って会話して、23時。

私の家は近いものの、
何か、感情が複雑で、1日を通すと。
泣きそうになったり、
辛かったり、
切れたり、
逆ギレされたり…

とにかく疲れるだけ疲れて、もう寝るだけ…

まだ、疲れが出てきたので、もう一眠りします…

すいません。
お礼でも何でも無く、ただの愚痴ですね…
ほんとに、申し訳ありません。
m(_ _"m)

補足日時:2013/03/20 10:37
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この回答へのお礼

おばさん、ありがとう。

たぶん?次の質問?を見て
これを書いてくれたんだと思うんだけど?

あのお礼、酒は飲んでなかったけど、
調子に乗って書いたかも知れない…

寂しかったし。
悲しかったし。
父と何もお別れ出来なかった。

次の質問で一番上に書いている人のように、
自分の最期も考えたよ…

酒は飲まないけど、タバコを吸う自分は、
「ろくな死に方できないやろな…」
って父を看病している時から思った。

でも、娘が成人するまで生きたいと前から思っていた。
だから、あと18年?20年?
今、42歳だけど、どうなるか分からないけど、
希死念慮からきているのかも知れないけど…
60歳で自分が逝っても良いと思っています。

とにかく、今日も乗り切るよ…

お礼日時:2013/03/19 06:41
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