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 時期外れの質問ですが、あなたが見た、記憶鮮烈な

 「プロ野球 日本シリーズ」

のお話を聞かせてください。


 私のは、「1994年のシリーズ」です。

 この年のカードは、巨人対西武で、巨人が4勝2敗で勝ちました。

 記憶に残ったのは、

 ・不利と思われた巨人が勝った事
 ・長嶋監督、初の日本一
 ・西武の全盛時代を築いた森監督の退任
 ・シリーズ終了前に退任の報道
 ・名手・辻の悪送球
 ・引っ張り専門、右投手を撃てなかったコトー選手の活躍

といった事です。余り話題になりませんでしたが、私は特に、後半戦で、価千金の当たりを連発したコトー選手が印象的でした。
 また、第4戦で西武がサヨナラ勝ちをして、選手がベンチを飛び出したシーンで、喜び爆発のはずが、何だか盛り上がりきってない様に感じたのも覚えています。
 名勝負ではないかもしれないけれど、私にとっては、このシリーズが鮮烈でした。

A 回答 (11件中1~10件)

私は1970年代前半まではセ・リーグでは巨人ファンでした。


しかし江川事件以降、球界の盟主として勝手に振る舞う巨人を見放し、アンチ巨人になっています。
また長年のファンであった近鉄球団が消滅して以降は、プロ野球そのものに興味を失い、特に最近の巨人の選手についてもほとんど知りません。

そんな現在の私ですが、昔、巨人ファンだった当時、記憶に残っている日本シリーズは、1961年(昭和36年)の巨人対南海です。
当時の巨人は、セ5連覇(S30-34)を果たしはしたものの、シリーズではS31-33年に西鉄に3連敗。
S34年も、杉浦を擁する南海に4戦ストレート負け。
続くS35年はリーグ優勝さえできませんでした。
ファンとしては、まさに意気消沈だったのです。

昭和36年は、川上監督の就任初年度だったのですがセで優勝し、杉浦がシーズン途中に戦線離脱したパの南海と対戦しました。
巨人2勝1敗で迎えた、シリーズの命運を分ける第4戦。
3対2のビハインドで迎えた9回裏、南海のピッチャーは仁王のようなスタンカ。
2アウト後の代打は藤尾。ファーストファールフライで万事休すと思った瞬間、ファースト寺田がミットに当てて落球。
その後2アウト満塁で打者・エンディ宮本。2ストライクと追い込まれてからの次の玉が決まったかに見えて、ゲームセットと思った捕手・野村が腰を浮かせたところ球審の判定はボール。
冷静さを失ったスタンカが次に投げた玉を宮本が捕らえ、2者生還して逆転サヨナラ勝ち。
シリーズ3勝1敗で優位に立った巨人が、結局4勝2敗となり、6年振りの日本一。

まだ中学生だった私は、プロ野球ファンとなって初めての巨人日本一に酔いしれたため、この年の日本シリーズが記憶に残っているのです。

ほとんど最近の方ではご存じない選手ばかりでしょうが・・・

この回答への補足

 阪急対巨人(1976)や、西武対巨人(1983)、西武対ヤクルト(1992)などの、熱い投稿があって、ベストアンサー選定に悩みましたが、逡巡の末、technatama 様を選ばせていただいました。皆様、ありがとうございました。

補足日時:2013/04/02 18:40
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この回答へのお礼

 ご回答、ありがとうございます。

 私は、昭和47年生まれで、長嶋の現役時代には間に合わなかった、残念な野球ファンなのですが、父は、モロ長嶋世代で、テレビで長嶋の引退試合が放送された時に泣き出すほどのファンでした。
 technatama 様は、私の父に近い世代の方ですね。このサイトを利用している方は、お若い方が多いと思われますが、この様な、私にとっては「伝説の時代」のお話こそ聞きたいと思っていましたので、とてもありがたいです。

 これは、「円城寺 あれがボールか 秋の空」で有名なシリーズですね。サヨナラ打を喫したスタンカは、バック・アップと見せかけて、円城寺球審に体当たりをしたそうです。
 3割打者は長嶋一人。王は台頭前。チーム打率が、国鉄より低い.226で、バントの多用という、まさに「スモール・ベースボール」で優勝にこぎつけた巨人と、2年前の日本一の立役者、杉浦不在の南海。実際に見ていないのに、この時代のお話を聞いたり読んだりするだけで、体が熱くなるのは、なぜでしょう?

 物量に勝る水原巨人に、守備重視の選手起用や、「使い捨てローテーション」とまで言われたエース級酷使で勝利をつかもうとする鶴岡南海の死闘。フォークの杉下投手の仁王立ち。三原・水原の「巌流島の決闘」。鉄腕・稲尾のタフネス。杉浦の4連投4連勝。大毎・西本監督の満塁スクイズ戦術失敗。東映・安藤投手のひょうひょうとしたマウンドさばき。
 まさに「伝説の時代」です。こんな時代を目の当たりにされた方を、うらやましく思います。

お礼日時:2013/03/20 19:12

何年までは覚えてないのですが、西武VS広島の第八戦です。



今までで唯一の8試合目、これからもよほどの事がない限りないでしょう。
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この回答へのお礼

 これは、確か昭和61年でしたか…。
 だとすると、清原選手と、森監督の1年目ですね。
 「ミスター赤ヘル」、山本浩二選手(今、WBC敗退で、気の毒な事に、批判にさらされている…)の最終年でもあります。山本選手が、東尾投手の得意球、外角スライダーを読んで、踏み込んで撃ちにいき、ライトへホームランするという、さすがの「技」を見せてくれました。
 初戦が引き分けの後、広島が3連勝、そこから西武が4連勝。史上唯一の8試合、と、もっと話題になってもいいシリーズです。

 ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/21 23:10

第1戦、第2戦、第6戦を神宮球場で見た1992年の日本シリーズですね。



当時の西武はあの常勝軍団の円熟期であり、リーグ戦も早々に優勝し余裕のある出場。一方、ヤクルトは阪神と最終戦にまでもつれにもつれる大混戦の挙句にゴールに倒れこむマラソンランナーのような優勝。
下馬評は圧倒的に西武有利。「4勝1敗で西武」が大方の評論家の予想で、「4連勝で西武」という人さえ珍しくありませんでした。

第1戦の試合前、早々に外野スタンドは解放されやがてヤクルトナインが試合前の練習に現れますが、なにしろ戦前にケチョンケチョンにいわれているだけあっていつもはのんびりしているヤクルトファンも悲壮に殺気立つ雰囲気がありました。スタンドのファンが誰もが思ったのが「せめて1つくらいは勝ってくれ。じゃないと他のセリーグチームのファンからバカにされる」というものでした。あのスタンドの悲壮な雰囲気は二度となかったですね・笑。
だいたい、ヤクルトのファンでさえ「あんなに圧倒的に強い西武に勝てる気がしない」と思ったほどです。私もそう思っていました・笑。

そして試合が始まると、なんせ当時の西武の不動の四番はあの清原。キャリアハイの時期でもあったし、なんというか、バットがボールに当たると全部スタンドに飛んできそうな「王者の風格」が当時の彼にはありました。忘れもしません、第一打席でまさに威風堂々たる清原の姿にスタンドが完全にビビってしまい・笑、ヤクルトファンが「フォ、フォアボールでいいぞ!」と言い出しました・笑。これ実話です。いやほんとスタンドが飲まれたんです。
ところがその第1戦がまさかまさかの杉浦の代打サヨナラ満塁ホームラン。とにかく1つ勝って他のセリーグファンにバカにされないで済む、しかもサヨナラで勝つなんて、とヤクルトファンは夢見心地でした。

ところが2、3、4戦を西武に取られ、やはりあの勝利は奇跡に過ぎなかったかと諦めかけたところを第5戦でなんとか繋ぎ、迎えた第6戦、2回に西武に先制されるも3回に逆転、ところが4回に西武がまた逆転し、しかしその裏にまたヤクルトが逆転。しかし6回に再び西武が逆転し、7回にまたもヤクルトが逆転するも、9回ツーアウトランナーなしでもう勝ったと思ったらそこから同点にされ、これが常勝西武の底力かと心底戦慄しました。
しかし延長10回に秦がこれまたまさかまさかのサヨナラホームラン。スタンドは文字通りの歓喜の渦になり、もう見ず知らずの人たちと抱き合いましたが、第1戦のとき「これは敵わない。1つ勝てれば良しとしよう」と思っていた程度のファンもさすがにこうなると「勝てるかもしれない。いや、ここまできたら日本一になりたい」という雰囲気となりましたね。

しかし第7戦はあの伝説となった広沢の走塁もあり、文字通りにあと一歩のところで日本一には届きませんでした。あの黄金西武と互角の戦いをしたという充実感と、勝てなかった悔しさと、いやもう実際は悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。

ファンでさえあんなに悔しかったのですから、選手たちの心中はいかばかり。しかしあの悔しさがあったからこそ翌年の連続優勝と、93年はリベンジの日本一があったわけですし、その後のヤクルト黄金時代があったのだと思います。
あの92年の日本シリーズに比べたら、95年のイチローと仰木マジックとの対決の日本シリーズは終始余裕で見ていられましたし、2001年の日本シリーズも近鉄ファンには申し訳ないですが、負ける気がしませんでした。もう二度と、あんなに熱狂する日本シリーズを私個人は見ることはないと思います。

この回答への補足

 '95年のシリーズにも言及しておられますね。ヤクルトが敗れた試合ではありますが、このシリーズの、「小林の14球」を覚えておられますか?「江夏の21球」の様な、秘術を尽くした勝負ではなかったかもしれませんが、崖っぷちのチームを背負う小林投手と、絶好調の主砲、オマリー選手との真っ向勝負、テレビの前で固唾を飲んで見ていました。オマリー選手の三振の後、興奮して、「小林の14球!」と、勝手に命名したのを覚えています。

補足日時:2013/03/26 18:34
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この回答へのお礼

 ヤクルト対西武の第一ラウンドを、ナマでご覧になったのですね。
 当時は、西武が負けるなんて事は想像出来ない時代でしたが、球場のファンの方が、そこまで悲観しておられたとは、知りませんでした。
 (そう言えば、質問で挙げた1994年のも、私は、巨人は1つぐらい勝てるかなあ、と思っていました。ヨレヨレのリーグ優勝でしたし、選手層が、明らかに劣っていましたから…。)
 万年下位からの優勝だったからでしょうか?まあ、相手が相手ではありました。これを最後に、西武が日本一から見放され、たった2年後に森監督が退陣するなど、誰も予想しなかったでしょう。
 ともあれ、不利と目されたヤクルトが、王者に食らいつき、食らいつき、最終戦の岡林投手の力投まで、目が釘付けのシリーズでした。
 翌年の、「リベンジ・シリーズ」も熱かった!

 ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/21 22:56

すでに他の方が回答済みではありますが、1976年の阪急対巨人、1983年の西武対巨人 の2つが双璧です。


小学生のころから巨人のV9を見せつけられ、アンチ巨人としては胸糞悪い時代が続いたのですが、1976年は阪急が3連勝し、ついに巨人に勝つのか!と思った矢先のまさかの3連敗、おまけに第6戦は7対0からの悪夢の逆転負け、もはや流れは完全に巨人、おまけに最終戦は後楽園、誰しもが巨人の奇跡の逆転優勝・・・と東京は半ばお祭り騒ぎ状態になりました。品の良かった巨人ファンが他チーム並みの応援をするようになったのはこの時のお祭り騒ぎ状態が始まりです。
 そして次の日の第7戦、早くも浮かれている4万9千の巨人ファンを前にして、阪急最後の砦、足立が巨人の前に立ちふさがりました。「もっと騒げ、もっと騒げ」とつぶやきながら冷静に投げる足立、最後の打者山本和の三振の瞬間を忘れることはできません。ラジオに向かって万歳を繰り返していました。

 1983年はまさに逆転に次ぐ逆転の繰り返し、本当に中身の濃いシリーズでしたね、第6戦の延長11回に江川から打った金森のサヨナラヒットと最終戦のテリーの満塁走者一掃逆転2塁打は今でも私の網膜に焼き付いています。

個別のプレーでは翌1977年、この年は阪急が4勝1敗と巨人を圧倒しましたが、第3戦の9回表の代走蓑田の芸術的な走塁も忘れられません。

ちょっとマニアックですが1971年の阪急対巨人の第4戦だったか? 阪急が1点負けての9回裏、2死一塁で代打当銀、次のバッターは1番に戻って福本、西宮球場の一塁側ベンチからスタンドまで「何とか福本に回してくれ~」の一念のオーラ全開、そんな中で当銀が粘りに粘って堀内から四球を選びました。
そして福本!ジャストミートの強烈なライナーは2塁土井の真正面。ゲームセット! でも、ファンもベンチも「当銀があそこまで粘って福本につないでくれたんだからしょうがない」と誰しも納得した敗戦でした。

個人的な思い入れで失礼しました。
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この回答へのお礼

 「個人的な思い入れ」こそ、聞かせていただきたいので、すでに出ているカードでも、どんどん挙げてください!

 1976年の阪急は、シリーズで5度も煮え湯を飲まされた巨人の打倒に燃えていたのでしょう。何で3連敗したのか、よく分からないのですが、他の方へのお礼でも触れた、足立投手の投球は、その年のプロ野球を締めくくるに相応しい、圧巻の完投劇でした。新聞に、「一人で五万人と戦った男」と書かれたそうですね。
 この年のが注目されるため、翌年の同じカードは話題になりませんが、蓑田選手のプレーは、捕手を外側に避けての本塁突入でしたか?阪急黄金時代が終わってから活躍したので、余り目立ちませんでしたが、オールラウンドの、好選手でしたね。

 1983年のシリーズも、すでに他のお礼でコメントしていますが、表彰された太田や田淵といった面々の他に、テリー選手もいい所で撃っていましたね。金森選手は、サヨナラ打した後、「サヨナラ?喜んでいいのかな?勘違いじゃない?」といった感じで、戸惑いながらベースを回っていました。華やかな場面に慣れてない悲しさ?コミカルな選手でした。

 当銀選手のお話は知りませんでした。こういうプレーの積み重ねが勝利に結びつくのだ!と、侍ジャパンに言いたい!もう手遅れか…。そういった、細かいお話が、もっと出てこないかなあ…。

 アンチ巨人ですか。私は、特にご贔屓の球団がなく、野球自体を楽しんでいるのですが、何となく思い当たるフシはあります。V9は、話に聞くだけですが、西武の黄金時代は見ています。ソツなくプレーして勝ちを積み重ねてしまうが、面白くない、というのが、私の強力西武の印象です。西武は、強い割に、熱狂的な人気がありませんでした。V9巨人が、人気低迷にならなかったのは、ONというスーパースター、川上監督のネームバリューと、それまでの人気の「貯金」でもっていたのではないか、と、勝手に想像していますが…。

 ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/21 22:42

1978年第七戦の大杉ファウルをホームランにした富澤線審の世紀のボーンヘッド。

映像を確認すれば、ボールがレフトポールの手前に移っているので明らかにファウルです。

ただし、この試合、ヤクルト先発の松岡弘の出来は抜群で、ホームラン騒動での1時間19分の中断を挟んでも、結局阪急を完封したのは見事でした。大杉のホームランが無くてもヤクルトが勝っていたでしょう。
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この回答へのお礼

 このシリーズは、富沢線審のジャッジばかりが話題になりますが、全体としても、面白いシリーズに入ると思います。

 ボーン・ヘッドは、頭に血が上ってしまった上田監督にも言えそうです。足立投手は、長い中断でひざに水が溜まってしまい、降板せざるを得なくなってしまいました。試合再開で、新人投手を登板させたのは、試合を捨てていたのでしょうか。こうなると、八百長?試合放棄?とも思えてきます。それまでが面白かったのに、ブチ壊しになってしまいました。大杉選手にも失礼です。さすがと言うべきか、次の打席で彼は、ホームランの「撃ち直し」をして見せました。

 ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/20 23:59

議論を呼んだ中日山井~岩瀬のパーフェクト継投ですね。

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この回答へのお礼

 ご回答、ありがとうございます。

 議論になった交代劇でしたね。落合さんらしいと言えば言えるのですが、果たして、選手は納得していたのか?まあ、それでチームは勝ったのだから、何も言う事はないし、続投させて負けていたら、というのも分かりますが、あれで岩瀬投手が打ち込まれていたら…と考える事も出来ます。まあ、我々以上にチームの状況を知っていての決断ですから…。WBCのダブル・スチールよりは整合性があるかな?

お礼日時:2013/03/20 21:35

2003年のダイエー(現ソフトバンク)対阪神



唯一の本拠地チーム全勝シリーズだったし、両チームのファンなので一番良かった。


早くもシリーズ以前に、今年の鷹対虎の交流戦in福岡が待ち遠しい。
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この回答へのお礼

 回答、ありがとうございます。

 なるほど、ホークスとタイガースのファンなのですね。好きなチーム同士のシリーズなんて最高!こたえられませんね。セ、パ両リーグにご贔屓チームがあると、こんな期待や楽しみが生まれますね。これは初めて聞くお話です。どちらを応援するかが悩み所なのでは?

お礼日時:2013/03/20 21:29

 こんにちは。

「ドラマティックな日本シリーズ」ですが、様々あります。
(1)1971年の日本シリーズ:第三戦、王貞治の逆転サヨナラスリーラン。
(2)1976年の日本シリーズ:三連敗からの三連勝(結果は阪急に負けましたが)
(3)1979年の日本シリーズ:江夏の「伝説の21球」
(4)1983年の日本シリーズ:第五戦、ヘクター・クルーズのサヨナラスリーラン。
(5)1989年の日本シリーズ:第五戦での「原の1号満塁弾」以後、第六戦での「篠塚・岡崎・中尾」の下位打線のポテンシャルの高さ
(6)2005年の日本シリーズ:甲子園球場でのB.バレンタイン監督の言葉「このチームは一番です」

以上ですが、如何でしょうか?。

この回答への補足

 私に事実誤認がありましたので、ご報告いたします。
 (4)の、クルーズ選手にホームランを献上したのは、東尾ではなく、森繁和投手でした。失礼しました。
 なお、東尾投手は、第3戦でサヨナラを喫しています。

補足日時:2013/03/21 00:04
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この回答へのお礼

 回答、ありがとうございます。

 たくさん挙げていただきました。私が覚えていないものもあります。調べてコメントする事も出来ますが、「知ったかぶり」はしないで、自分が覚えている範囲でさせていただきますね。

 (1)山田投手は、王選手に被弾したあとの記憶がないそうです。また、王選手に、シリーズで打たれた本塁打は、あの1本だけとコメントした事があるらしいです。実際には、4本打たれているのですが、山田氏の意地か、それとも、余りにも強烈なあの1本の前に、他のは吹き飛んでしまったのか…?

 (2)3連勝の後、なぜか投手陣がヨレヨレになって、逆王手をかけられてしまった阪急。勢いに乗る巨人に立ちはだかったのは、「巨人キラー」、「シリーズ男」の足立投手。巨人ファンの怒号の中で、マウンドを守り抜き、チームを日本一に導きました。華のない、職人肌ですが、私好みの選手です。

 (3)シリーズ最終戦、最終回、無死満塁、絶体絶命の大ピンチ…。「江夏の21球」は、シリーズ有数の名シーンですね。西本監督の悲運、近鉄球団の悲運と捉える事も出来るでしょう。

 (4)これは、確か二死走者なしからの連打の後のサヨナラ劇でしたか。投手は、リリーフの東尾。この勢いで巨人が一気に…とならなかったのは、やはり西武の強さだったのでしょうか。こんな痛打を浴びながら、しっかり立ち直って仕事をしてしまう東尾投手は、やはり一線級ですね。

 (5)近鉄3連勝の後、巨人が一矢報いるも、まだ絶対不利の状況で、主砲ながら絶不調に喘いでいた原選手が放った、自身にとっても、チームにとっても起死回生のグランドスラム。これは、はたして、例の「ビッグ・マウス」のせいなのか…?

お礼日時:2013/03/20 21:20

2000年のON決戦ですね



確か本拠地東京で2連敗し 敵地福岡で3連勝 そして…

最終戦は覚えてません
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この回答へのお礼

 ご回答、ありがとうございます。

 ON決戦として話題になったシリーズですね。
 確か、最後は長嶋さんがおいしい所を持っていった様な…と思って、調べてみたら、そうでした。長嶋さんが勝っていました。
 「やっぱり長嶋が勝つ様に出来てるんだ」と、変に納得したのを覚えています。
 十数年前のシリーズですが、選手の寿命が延びているにもかかわらず、案外、今でも一線級の選手は出ていませんね。松井さんも、この前引退してしまいました。

お礼日時:2013/03/20 18:47

私は1983年の、当時「史上最高の日本シリーズ」と言われた巨人vs西武の試合が印象的です。



サヨナラゲームが3試合、第3戦以降は先取点を取った方が必ず負ける展開で、
子供ながらに手に汗握って応援していました。

巨人は江川、西本、原、中畑、篠塚、駒田、槇原と言った面子で、
対する西武は田渕、大田、石毛、伊東、東尾、松沼兄弟、森繁和と言う
両チームとも若手からベテランまで豪華なメンバーでした。

結局、シリーズを通して江川の絶不調が響き、
第7戦で巨人が力尽きて球界の盟主を奪われる形になったのですが、
江川や西本がリリーフに出て来るシーンはゾクゾクしたものでした。

今と違って昔は先発完投型のピッチャーが多かった時代だったので、
短期決戦でエース級をリリーフに持ってくるシーンはシビれましたね~(^^)
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この回答へのお礼

 ご回答、ありがとうございます。

 私が野球を見始めたのが、この1983年。高校野球では、桑田、清原(1年生)のPL学園が、夏・春・夏3連覇確実と言われた池田高校を破って夏を制した年でもあります。(池田は準決勝、決勝は横浜商業。横浜商業は、春夏連続準優勝でした。)

 西武対巨人の名勝負と言えば、'94より、この'83ですね。逆転、逆転、また逆転の、比喩でなく、手に汗握る、目を離せないシリーズでした。本当に、スターから渋い職人、ベテランから若手まで、今から見ると、ヨダレが出る様な選手陣ですね!今でも、史上最高のシリーズかもしれません。
 私の印象に残ったのは、シリーズ全体の面白さの他、リリーフで起用されて、ふてぶてしく仕事をしてしまう東尾投手と、目の覚める様な当たりを飛ばす田淵選手です。特に、田淵ほどの魅力がある選手は、昨今いませんね。

お礼日時:2013/03/20 18:41

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