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漫画やアニメ、ゲームなど原作の物語をまったくの別物として再構成しつつも、原作で語られた事項とあまり矛盾しないという作品はあるでしょうか?

原作では悪役として描かれていたキャラは、実は主人公の立場を守るためあえて悪役を買って出た、真の理解者であった。
主人公に対する辛らつな言葉は、深い葛藤と真の目的のためののもだった。

原作では単なる萌え要素として設定されていた好物などの特徴は壮絶な過去に由来するものであり、ギャグとして描かれていたエピソードは実は、トラウマや障害と向き合いつつ皆と折り合いつけていこうという涙ぐましい努力の光景だった。

といった具合に、その作品を見た後で原作を読み返すとガラリと印象が変わって見える作品はあるでしょうか?


例として思いついたのは、桃太郎+泣いた赤鬼

特殊な生い立ちゆえに孤立していた若者が村に溶け込めるように、あえて悪役を買って出たのが鬼とされる者たちだった。
金品の略奪をしていた真の黒幕は他所にいた。


わかり辛いたとえですみませんが、よろしければお付き合いください。

A 回答 (8件)

まず思いついたのが、


★藤崎 竜「封神演義」

安能 務訳の「封神演義」を原作として明記していましたが、
途中から内容がまったく変わってしまった。
最後の戦いは別にして、イベントは同じことがおきていますが。
例えば、十絶陣、牧野の戦いと同じイベントはあるのですが、
殺される登場人物は違うし、殺され方も、武器の機能も違う・・・。
(それでもイベントと主な結果は同じなので矛盾してはいない。
 但し、最後のほうは完全に余分。)

で、原典の著作権などとっくに切れている(というより成立した頃に著作権法などないし)ので
他に、小説にした人もいて
嘉藤 徹「小説 封神演義」
等でもかなり違ってます。

アニメも結構違っているらしいが見ていないので詳細不明。
さらには、漫画の二次創作もいろいろでていて・・・。


原作の印象がガラリと変わるという観点で言えば、
★浦沢直樹「PLUTO」
手塚治虫「鉄腕アトム」で単にやられた~ってキャラだっただけの相手について
すごくいろいろな話の肉付けがされています。

★井上 淳哉「妖怪HUNTER 闇の客人」
も諸星大二郎の原作(妖怪ハンターシリーズにあった短篇のどれか。
タイトルは...忘れました。&未確認)の背景などをより肉付けしていて分りやすい。
(原作の印象が変わるわけではないですが。)

★神林 長平原作の「戦闘妖精・雪風」&「グッドラック」
これもアニメはエンディングが違うし、空中母艦バンシーの中に出てきたJAMの機械群のイメージも
小説読んだイメージとはちょっと違う。
(たぶん、原作書いた人がこのエンディングとどっちがいいかなと迷ったようなエンディングに
 思えるのでアニメはアニメでいいのですが。)


## 質問にある「例」の話を見ていて、楠桂の「桃太郎まいる!」を思い出したけど、
## あれはどちらかというとギャグ漫画化しただけなのでどうか?と思います。
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この回答へのお礼

封神演義は名前はよく目にしますが、そういう位置づけだったのですね。
アニメになる際の改変もすごそうです。


PLUTOは断片的に見ていましたが、アトムからあんな物語を作り出す力量に葉圧倒されました。
雪風も、確かに小説のイメージとは違いました。
JAMのイメージが映像化に携わった方のセンスの問題なのか改変と見るかは微妙ですが。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/30 16:57

回答NO.7さんの解答をえて踏まえるならば。



『安能務』訳の封神演義は、他の例えば、『完訳 封神演義』や『渡辺仙州』訳と違って、良くも悪くも、安能節です。
陽ゼンが、ホストしてたり、竜吉公主とちょっといい感じだったり、変化の術を悪用?してたり。
那托が小生意気だけど、家族は(父親以外)『大事』だったり。
例えに挙げた二つが、割と正統派だとすれば、安能訳はなんと言うか誤解を承知で言うならば、『東海道中膝栗毛』に対する『真夜中の弥次さん喜多さん』。
確かに、筋も含めて『封神演義』だけども、なんかが違うみたいな。
読むのは骨ですが、一覧あれ。
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この回答へのお礼

なにやら読むのが楽しみなような恐ろしいような。

何とかして探し出して見ようと思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/04/07 10:59

追加で。



一番古い2次創作って三国志演義かも。
三国志では、ほとんど触れられていなかった人たちが大活躍ですからね。
最近のCMで、桃園の誓で、曹操が参加しているのを指摘されて、三国志じゃなくて三国志バトルだから、ってのがありましたが、そもそも三国志には桃園の誓はないです。。。
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この回答へのお礼

桃園の誓はなかったのですか!?
知らなかった。
パロディや2次創作で盛り込まれた要素を正史と思い込んでるケースはたくさんありそうですね。

お礼日時:2013/04/07 10:55

いくつかあげてみます。


『タイトル』(原作/作者)で表記します。

『孔明のヨメ』(三国志/杜康潤)
国を憂えて立ち上がり、常に二手三手読んでいた諸葛孔明。
その若いころ、と言うか、俗に言う『三顧の礼』ノ前な時間軸のお話なんですが、うん。
リア充爆発しろ、とか、人間くさいぞ孔明、この野郎とか、原作の孔明さんを更に好きになりました。


『機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズ』(機動戦士ガンダムSEED&SEEDDESTINY/複数)
廃人レベルのガンダムオタクからは中指立てられてますが。
SEEDのパ-トは、一方その頃な感じでした。
また、原作のあの伏線が実はこうだったとか、あれの行動が外伝ではこう影響していたとか。
或いは、結局、SEED本編はキラ=正義(まで行かなくとも、善意)になってますが、結局、彼の造ったあれが原因で生体CPUが戦場で通用する結果になったり(結果、戦闘用コーディネイターが廃棄されたり)とか、ムルタ=アズラエルが何故でかい面できたかとか。
その辺り、読むと推測できます。
後、ソキウス達が可哀想過ぎて健気過ぎて、読むたびに我輩涙止まらないでごわす。


『機動戦士ガンダムOOP、OOF、OOI』(機動戦士ガンダムOO/複数)
原作でのやや独善的とは言え、正義(己だけのにしても)のヴェ-ダの印象ががらっと変わります。
とあるキャラの両親の死のエピソードとか、ティエリア絶対原作開始前にもう一回記憶いじられてるよな、とか。
イオリアの意思捻じ曲げて解釈しているよな、とか。
原作主人公組、体の良いすてご・・・操り人形よな、とか。



機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER(機動戦士ガンダムSEEDDESTINY)
搭乗機とかちょっとしたワンシーンからするに恐らく、「SEEDDESTINY」中盤の二次になるかと。
戦争は、結局、国家(集団)のエゴであって個人のエゴでないのよな、と思える一作。
戦争を描いたわけではないけども(戦争中ではありますが)、それでも、STARGAZERであったであろうとした彼らの物語ってことで。



「機動戦士Ζガンダム デイアフタートゥモロー ―カイ・シデンのレポートより―」
「機動戦士ガンダム デイアフタートゥモロー ―カイ・シデンのメモリーより―」
タイトル通りの作品。
前者が、ガンダムZ時間軸でのカイのスピンオフ。
後者が、(恐らく)ZZ終了(無印から14年以上/ジオン崩壊から十年以上?)十年ぐらい後のスピンオフ。
皮肉屋で要領が良いのにどこかぬけた三枚目、が原作というか無印やZの彼の印象なんですが。
なんて言うか、彼も『戦っていた』んだな、とか。
或いは、所詮『歴史は勝者』のものとか。
後者の場合、セピア色で語られるそれが他人から見れば悲惨かもしれないけれど、『あたりまえ』の『日常』だったんだなぁとか。




ちょっと趣旨から外れていたりするかもですが、ご参考までに。
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この回答へのお礼

ガンダムもサーガとして世界観を固めていくと、敵軍、更には民間人の立場から描いた「ポケットの中の戦争」のような作品の深みが増してきますね。
これもまた『日常』を描いた作品でした。
ジャーナリストという切り口だとまた違った見方ができそうです。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/30 17:34

岩波書店「ハイジ」(岩波少年文庫)


アニメ「アルプスの少女 ハイジ」

原作に一番忠実な翻訳が岩波書店版らしいです。
アニメしか知らずに読むと、宗教色の強さに驚きます。
特におんじの扱いは真逆ですね。
アニメでは、おんじは孤立するのをやめて村人らと付き合うようになりますが
最後まで自身の感じ方や考え方は変えていません。
むしろ周りの人達が、ハイジを仲立ちにおんじに共感を覚えていく印象を受けます。
原作では、神を信じられなくなっていたおんじが、
フランクフルトで神の教えを知ったハイジに感化されて
熱心な信者になり万事めでたしめでたし、となります。
(省略の仕方が乱暴かも…すみません)
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この回答へのお礼

そこまで違うとは。
翻訳の際のニュアンスの違いというレベルではないですね。
逆に、アニメにその宗教色を盛り込むのが難しかったのかもしれませんが。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/30 16:52

「原作」が歴史的資料で良ければ、歴史小説や歴史マンガはそうだといえると思います。

基本的には史実をなぞりつつ、独自解釈を混ぜ自分の作品に仕上げる。

 原作が創作だというのも、古典クラスの作品が原作というのは独自解釈入れたもの多いですね。西遊記の独自解釈入りなどは山ほどあるし。
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この回答へのお礼

確かに歴史モノや古典クラスとなると2次創作といえますね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/30 16:50

合法的に行われたもので有名なものは、ルパン三世じゃないかな。


最初のアニメが放映された時点での原作は、ルパン三世はあくまでも悪役として描かれていますが、アニメはご存知の通りですよね。

あと、スタジオジブリで早世された監督 近藤さんの作品 耳をすませば は、原作の漫画 柊あおいさんの同名の作品と、似て非なる作品です。さらにいうと、そこからのスピンオフで、ジブリの別の監督の作品である 猫の恩返し 、さらに原作者によるさらなるスピンオフ と、面白い作品の連鎖が続いています。

同じくジブリの作品で、魔女の宅急便 って、原作があるのをご存知でしょうか?
1989年の公開の作品ですが、原作の完結は2009年です。国民的アニメを受けての、原作者による独自世界の展開は、一見の価値がありますよ。

2次創作で、日本で一番成功したのは、文句なしに、フランダースの犬 でしょう。日本で知らない人はいないこのアニメ、原作は、舞台になった現地の人も知らないほどの駄作でした。アニメのヒットにより、日本人観光客がやってくるようになっても、現地の人は、なぜ、こんな作品で観光客がくるんだ? と不思議がったようです。
観光客のひとりが、原作ではなく、アニメを現地の人に見せて、その内容の素晴らしさに感動をして、現地の整備をしたそうですよ。

世界名作劇場は、必ず原作に手が入っています。それが成功して、ヒットシリーズになったんですね。

ご質問の趣旨と違って、原作に多くの手を加えることで、原作のラストの放映に漕ぎ着けた作品に、子鹿物語 があります。
NHKで放映されましたが、ライセンスの関係か、再放送がないみたいで、知らない人が多いみたいで残念です。
日本初のフルデジタルのアニメとしても有名ですが、悲劇的なラストを子どもに見せることに、放映前から批判的な意見が多かったにも関わらず、原作に手を加えたその丁寧な構成で、衝撃なラストシーンを原作どおりに描いたにも関わらず、放映後には批判は出なかった記憶があります。すごいですよね。
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この回答へのお礼

原作、というより原案という位置づけにすると、相当な作品が2次創作に含まれますね。
確かにスピンオフの連鎖で出来上がった作品もなかなかによいものでした。
同じ食材でも切り方だけでガラリと食感が変わる料理のような面白さがあります。

フランダースの犬の話も聞いたことがあります。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/30 16:33

 そういう作品の改竄は情報操作と呼ばれるもので、原作者との間で訴訟事件に発展したり、公開中止に追い込まれた事件が過去に数え切れないぐらいありますよ。



 人気漫画の内容が、原作通りに動画製作すると放送法に触れるので、内容を大幅に変えたり、設定を逆にした例はありますが、原作の意図とは全く正反対の展開にすると原作者から訴えられるのが普通です。

 これは漫画やアニメに限らず、映画でも起こっている訴訟事件が数多くあります。映画会社の方針に合わないという理由で、政治的効果を狙って作り変える例が多く、原作者との間で喧嘩になる事もあるそうです。

 ユーモアやジョークとして描かれたものを変な美談に作り変えると、視聴者から政治ではないかと疑われます。

 ご存知無いかもしれませんが、米国映画には露骨な政治映画が作られる例が多くて、有名な女性運動家の実話を捻じ曲げて自虐的ポルノ映画にして笑い者にしようとした例など、数え切れないぐらいあります。

 作品の情報操作を目的とした改竄をやったものは、娯楽としての冗談を除いて、視聴しない方が良いです。改竄部分が鼻について見るに堪えませんし、人気も出ないからです。そういう作品を実際に見てみればわかります。

この回答への補足

あの…。
あくまでもどういう作品があるかを知りたいのであって、そういう作品が社会的、商業的にどういう扱いになるかは質問の趣旨から離れます。

補足日時:2013/03/30 16:19
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この回答へのお礼

しかしながら、知らないことをいろいろと教えてくださりありがとうございました。

お礼日時:2013/03/30 16:27

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