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よく死刑制度の反対意見に「冤罪」という言葉がでますが、その言葉は反対意見でいうことには適していないような気がします。
死刑ではないにしろ、全ての罰則において冤罪はおきてはならないものです。
死刑はとりかえしがつかないといいますが、他の罰則でさえ、もし誤って受けることになれば人生が狂います。
犯罪をしたことが確定できている場合は、その罪に見合ったものとして死刑制度はあってもいいと思いますが、なぜ反対する人はなぜ反対しているのでしょうか。
「国が人を殺すことは、国の文化が命を大切にしていないことになる」
「加害者は生きて罪を償い続けたほうがよい」
この言葉もよく反対意見にありますが、あまり納得ができません。

A 回答 (9件)

ただ討論がしたいのではなく、質問なのであれば、


きちんと法的な観点から真摯に回答します。

>よく死刑制度の反対意見に「冤罪」という言葉がでますが、
>その言葉は反対意見でいうことには適していないような気がします。

単に、冤罪事件がおきてしまった場合に被害を和らげよう
という趣旨です。


>死刑ではないにしろ、
>全ての罰則において冤罪はおきてはならないものです。
>死刑はとりかえしがつかないといいますが、他の罰則でさえ、
>もし誤って受けることになれば人生が狂います。

例えば、すべての交通事故はおきてはならないものです。
死亡事故は取り返しがつかないといいますが、
他の事故でも人生は狂います。

では、シートベルトをする意味は無いのでしょうか?

シートベルトをしたからといって、事故が減るわけではありません。
それでも人の命を一つでも守れるならば、守りたいわけです。

同様に、死刑を廃止したからといって、冤罪が減るわけではありません。
それでも人の命を一つでも守れるならば、守りたいわけです。


>犯罪をしたことが確定できている場合は、
>その罪に見合ったものとして死刑制度はあってもいいと思いますが、
>なぜ反対する人はなぜ反対しているのでしょうか。

冤罪を理由に死刑に反対する人のほかには、
大きく分けると

1.死刑制度は無くても良いという人(無ければならない理由が無い)
2.死刑はその罪に見合っていないという人
3.死刑制度には無駄な税金(死刑裁判費用)がかかるという人

がいます。

1.
主に犯罪抑止力が無いことを挙げる人が多いですが、
「なぜ廃止すべきなのか?」について明確な理由が無いのと同じで
「なぜ死ぬべきなのか?」について明確な理由も
無いのです。

そして、法的な観点から言うと、
原則として、全ての刑罰には
その刑罰が存在しなければならない理由が
必要なのです。


2.
実は死刑は、
全ての刑罰におけるバランスの観点から言うと
整合性が取れません。

「人の命を奪ったのだから死ぬべき!」
というのが主な死刑の考え方ですが、
これを同害報復と言います。

しかし、同害報復とは
被害者の事情を100%考慮し、
加害者の事情が皆無である場合に
はじめて認められるものです。

例えば、被害者が死んでしまったとしても
事件がわざと起こされたものでない場合には、
加害者は死刑にはなりません。

「わざとじゃない」ことは被害者には全く関係ない事情ですし
ちょっと注意さえすれば命を奪うことは避けれたかもしれません。
現に一生を通じて死亡事故を起こさない人は沢山います。

それでも、どれだけ苦しんで死んだとしても
夢も希望も全ての人権を奪われた被害者のことを無視し、
(本当は罰を受ける時点で無視しているわけではない)
加害者側の事情だけを考慮しており、
死刑を回避するわけです。

そして、実は全ての事件において、例外なく
加害者には不幸な生い立ち等のなんらかの事情が
存在しています。

だからと言って、
何をしてもいいわけではありませんので、
当然、無罪にはなりません。

そして、わざとじゃない場合よりも
わざとである場合のほうが罪は
重いです。

しかし、加害者の事情は皆無というわけではなく
同害で報復しなければならないという理由には
ならないのです。


3.
「凶悪犯を税金で養うな!」という人がいますが、
アメリカなどでは、死刑廃止によって費用削減を図る
という事例が意外に多くあります。

日本では
廃止したほうが費用削減なのか
殺したほうが費用削減なのか
分かりませんが、

アメリカの事例のソースを提示して
死刑に反対する輩がいるのは
事実です。


>「国が人を殺すことは、国の文化が命を大切にしていないことになる」
>「加害者は生きて罪を償い続けたほうがよい」
>この言葉もよく反対意見にありますが、あまり納得ができません。

まあ、私も
法的な理論や考え方を前提にしなければ
命を大切にしていないのは賛成派か反対派か
どちらなのかは分かりません。

まして「生きて罪を償い続けたほうがよい」なんて
その人の勝手な主観のような気がします。

ただ、あくまでも、法理論的には
消極的な死刑反対論がもっとも整合性が取れていると
私は思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/04/08 21:10

>・・・自然の消滅が一番でしたら、病気や怪我の治療で延命することも自然とは言えないような気がします。



医療による延命は、人の英知の賜です。
それは自然から与えられたものです。
死刑の執行は、人の英知と言えないです。
だから、この2つは次元が違うのでリンクできないです。
なお、極悪犯は社会悪から生まれます。
自然の賜ではないのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/04/08 21:10

>責任の取り方であると思います。


日本人はことのほか この「責任」というものにこだわりますよね。でも、これは英語の
responsibilityとも違うものですね。むしろ ヤクザの「落とし前」に近いものです。
これを語ると非常に長くなるので 詳細は割愛させていただきます。

>ここらへんの話は興味があります。どのような対応がうまくいくのでしょうか。
一筋縄でいく方法はありません。ただ、いじめの問題にしてもいじめられる側にも原因があることを認識する必要はあります。

>どのような経験をしてきたのでしょうか。
ここでは書ききれません。あしからず。

>執行されたかどうかだけの公表だけで良いです。
これだと、死刑囚を社会からデリートするだけで たとえ死刑に値する命でも その命にはそれなりの重みがあるということが認識されにくく、従って人命の軽視にも繋がると思います。
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この回答へのお礼

死刑賛成においても、なぜ賛成なのかを考えさせられる回答です。

食肉も生きているところを殺して食肉にしている姿をみることで、ただスーパーに並んでいる姿だけをみるより命を実感できますし、実際にみる事で認識する効果があるのかと思いました。命の尊さを知る事は、身近な家族や親戚・友人などの死を持って実感しますが、国が命を奪うという点では、それらと異なり、国民の一人として今この時間に死刑が執行されているという認識が必要なのかと思いました。
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/24 23:54

>また、福祉の仕事につき考えが変わるとはどのような心境でしょうか。


福祉と言っても、主に いじめ、虐待、DVなどの問題に関わってきました。
暴力に対し暴力でお仕置きしても根本的な解決にならないことを実感しましたね。
死刑もその延長ではないでしょうか。


>死刑は厳しくしないと意味がないというのもなぜ意味がないのかわかりません。
日本で死刑になるような凶悪な殺人者は死刑の有無に関わらず殺人を犯しますよ。
死刑というのは本来冷酷なものです。そして、過失致死などを除き、明らかな殺意があれば
同情の余地のあるような殺人まで容赦なく公開処刑することによって 国民の対し威嚇効果を発揮することができるのであって、今の日本の死刑制度は国民のガス抜き程度なので 政治に利用されるんですよ。

参考URL:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8006207.html
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
確かに、暴力に対して暴力で返すという行為が解決に至らないということはわかります。いじめ、虐待、DVがあったとして、その加害者に罰をあたえたところで根本的な解決にはなりませんね。
なぜ、いじめが発生しているのか、なぜ虐待をする必要があるのかを個人だけではなく、環境や人間関係を踏まえて考えなければいけないものだと思います。
死刑は、犯罪の仕返しの方法としても考えていませんし、死刑が暴力の延長とも考えられません。他者からのお仕置きではなく、責任の取り方であると思います。

話はずれますが、
>福祉と言っても、主に いじめ、虐待、DVなどの問題に関わってきました。暴力に対し暴力でお仕置きしても根本的な解決にならないことを実感しましたね。
ここらへんの話は興味があります。どのような対応がうまくいくのでしょうか。どのような経験をしてきたのでしょうか。
家庭に介入する大変お仕事だと思います。



死刑を犯罪の抑止力との視点では考えていません。死刑のあるなしで犯罪の件数に影響があるのは、死刑制度のなくなったその時だけの一時的な変化くらいかと思います。犯罪の抑止力は、死刑の有無ではなく、軽い犯罪でもしっかりと取りしまわれる事だと思っています。万引きやいじめなど世間が軽く見ているような事こそしっかりと対応する事が治安維持などにつながると思います(それらの罪を重くするということではありません)。
死刑の公開は、特に望んでいるものではありません。執行されたかどうかだけの公表だけで良いです。

お礼日時:2013/03/24 18:34

目撃者も多数で、現行犯で捕まえれば


冤罪も存在しません。

それらの事例にまで、死刑を廃止する必要は無いのだから
制度的に廃止する理由は、冤罪論では不可能だねw

参考URL:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7926504.html
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この回答へのお礼

まさにそう思います。
冤罪と死刑とを語りだすと、死刑が必要かどうかの論点からずれています。
回答、ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/24 14:49

死刑廃止はある意味 車のシートベルトに似ているかもしれません。

シートベルトで事故は防げないけど、それでも死亡事故は大幅に減らせます。

昔は私もkokosu525さんと似たような考えでした。しかし、結婚して子どもが出来て、福祉の仕事に付き、法律を勉強し、海外の死刑の事情を見ているうち考えが変わってきました。
↓の質問もご覧ください。
死刑というのは 本当はこのくらい厳しくやらないと意味がないんですよ。

参考URL:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7979865.html?pg=1&is …

この回答への補足

死刑廃止がシートベルト?

補足日時:2013/03/24 15:22
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

海外の13歳の少女の死刑の例ですか。
国によっては同性愛で死刑になる場合もあるし、どのような罪で死刑になるかで死刑制度そのものの廃止か賛成かは問えません。
この例は私の主観ですが死刑が妥当とは思えません。なんでもかんでも死刑に該当させるのを賛成しているわけではないです。
この例では13歳が対象となっていますが、その姿を自分のお子さんと重ねたので反対意見になったということでしょうか。
また、福祉の仕事につき考えが変わるとはどのような心境でしょうか。要介護高齢者・障害者など社会的弱者を以前は排除し、施設などに収監するような社会でしたが、デンマークの知的障害者の親の会から始まり1959年に法律化されたノーマライゼーションや、社会的排除ではなく社会の一員として誰もが過ごしていくというソーシャルインクルージョンなどの概念によって社会や地域の中で受け入れるようになってきています。
ただ、犯罪者をそれと同様に考えるのは違うような気がします。
社会参加に難がある点では同じかもしれませんが、人の共同生活・社会生活を自身が崩そうとした点は異なると思います。
死刑は厳しくしないと意味がないというのもなぜ意味がないのかわかりません。

お礼日時:2013/03/24 15:22

納得がいかないのは当たり前。

反対意見には砂粒ひとつの論理も無いからです。じゃなぜ反対しているか?それは自分が死刑に処せられる側の立場だからです。それだけです。
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この回答へのお礼

なるほど。

死刑の賛成も反対も、いつのまにか感情論になっている節があるので、論理的な意見を聞いて考えてみたいものです。

お礼日時:2013/03/24 15:24

”よく死刑制度の反対意見に「冤罪」という言葉がでますが、


 その言葉は反対意見でいうことには適していないような気がします。”
     ↑
全くその通りで、冤罪の可能性ということは、理論上は
反対意見にはなりません。
しかし、実際に死刑廃止にした国では、冤罪がきっかけに
なった場合が多いのです。
死刑になった人が、実は無罪だった、という衝撃が
理論も何も吹き飛ばして、死刑を廃止にもっていって
しまうのです。
だから、死刑反対論者は、冤罪を強調する訳です。
だから、彼らは、心の底では、冤罪を望んでいると思います。
決定的な冤罪事件が発生したら、死刑廃止には
非常に有利になります。






 
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この回答へのお礼

感情論は、内容がないにもかかわらず交渉や決定において有効な手段です。話し合いの場面で感情に訴えてくる人がいた場合は、もうこの人には何もないということ。

死刑廃止ではなく冤罪の起きないシステムが重要なのに、冤罪が起きた場合の解決方法が死刑廃止なのはおかしなものです。

回答、ありがとうございます。

お礼日時:2013/03/24 15:32

人は自然に「生」を受けています。


その「生」は自然と消滅するのが自然です。
それを法律と言う名の下での殺人は許せないです。
仮に、自然より法律を優先したいのであれば、
世界中を同一の法律とならなければ不公平です。
同じ人間でありながら、ある所では死刑で、
ある所では死刑は免れると言う社会は道理に合わないです。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
上3行の考えは嫌いではありません。
すごくきれいな考えで何度か読み返しました。

「生」は自然の消滅が一番良いことですか。
確かに法律は人が作るものです。
しかし、自然の消滅が一番でしたら、病気や怪我の治療で延命することも自然とは言えないような気がします。
また、世界共通で医療の技術が揃っているわけではなく、ある国では治療ができず息絶え、ある国では生きることができるのでは不公平になるのでしょうか。確かに不公平ではありますね。できることならばみんな生きるようにしたいわけですから。
不公平といえば世界共通にしないと不公平ならば、死刑制度に限らずどの法律も当てはまります。

お礼日時:2013/03/24 15:47

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