プロが教えるわが家の防犯対策術!

このカテゴリ<家族>の中で、何度も投稿しています。

まず、私は匿名ですが「nao913」です。

本当に皆様にお世話になった上に。再び質問をしますので、

私の質問履歴を「公開」にしました。 どうぞ、ご覧ください。m(_ _"m)ペコ


さて、私の今回の質問ですが、

父は3月16日の土曜日の11時に亡くなりました。

今は、葬儀も終わり、父の年金・保険・相続などの手続きに追われる毎日です。

今さら、蒸し返すようなことになってしまいますが、

父が亡くなるまでに、私が息子として、してきたことに、いくつか後悔があります・・・


3月12日(火)

父が病床で言い始めたんです…

「○○、母さん、お世話になりました… 本当にお世話になりました……
 
 運は、運は… すべて天に任せるわぁ・・・・ 」 と

そこには、2月1日から毎日、父を看に通っていた私と母がいました。

母はその日の前の月曜日に、医師から「余命は1週間です」と言われて知っていました。

しかし、それを知らなかった私は、父がもう長く無いと感じていましたが、

まだ1ヶ月、いや3ヶ月かも?と思っていました・・・・

父の「お世話になりました・・・」という言葉に、ついつい感情的になって、


「世話になったのはボクらの方やろ!父さんが働いて、一生懸命に育ててくれたんやんか!!」

と、父の言葉を止めてしまいました・・・・

父は、「そうそう、申し訳ありません・・・・」 と謝ってしまい…

寝てしまいました。

今になって思えば、あのときが、父の人生の終わりの言葉だったんだな、と思います。

母が私を止めましたが、私は堪らず、そんなことを父に言ってしまいました…

もっと、冷静になって父の言葉を聞けば良かったのに…

いま、父が何か私と弟に書き残していないかと探し回っています…

字が下手な父だったので、パソコンの中も探していますが見つかりません…


それから、3月15日に弟家族がこちらに帰ってきてくれました。

その金曜日の夜は、弟と弟の妻に、父の部屋に泊まってもらい、

毎日泊まっていた母と、私は、家に帰って寝てしまいました。



3月16日の10時過ぎ、弟から、「兄貴!早く来て!!危ない!!!」って電話が、

私の家から父の病院まで、車でいくら飛ばしても20分はかかります。

父の部屋まで走りましたが、もう父は息を引きとっていました…

母も、間に合いませんでした…

あんなに毎日、父を看てきたのに、どうして父の最期の瞬間を・・・・

と、思い返してしまいます・・・・


乱雑な文で、申し訳ありません。

火曜日に、父の最期であったであろう言葉を、遮った私の後悔。

土曜日に、呑気に料理なんかせず、朝から父の部屋に行っておけばよかったのにという後悔。
看取れなかった後悔ということです。

何か、質問になっていませんね…

でも、火曜日と土曜日の私の後悔について、

そして、これから1年と1ヶ月、喪に服して父を弔っていきます。

父のご位牌がある実家まで近いので、毎日、父を参っています。

父の祭壇に向かって、

「ありがとうございました」

「ごくろうさまでした」

「私たちを見守ってください」

って、手を合わせて、つぶやいています…

仏事には詳しくありませんが、お坊さんのお経を覚えて、

「般若心経」を母と一緒に唱えています…


以上、2つの私の後悔と、いまの父の弔いについて質問させて頂きます。

本当に曖昧で申し訳ありません。

どうか、ご感想やご自身の体験で良いので、「お言葉」をよろしくお願いします。

m(_ _"m)


ちなみに、今、父は白木のご位牌に居ますが、

仏具屋さんに、漆塗りのご位牌の注文を終え、4月12日に取りに行きます。

少し、立派なご位牌を見て、気持ちが落ち着きましたが…


どうか、よろしくお願いします。   m(_ _"m)

A 回答 (12件中1~10件)

私は父が臨終したと言う知らせを国際電話で日本にいる家族から


受け取りました。即刻飛行機のチッケトを取っても通夜にも間に合いません。
しかも当時私は超高層ビルの建設設計を一人で担当してて引渡し前の
突貫工事現場で手書き図面を皆に出さないと駄目な状況に居ました。

父に「なあ父さん。俺、この状況で帰って良いと思うか?」
「俺、父さんならばか者!!何百人もの人がお前を頼って居る時に帰って来る奴があるか」って
言う様に思うんだけどさ。と思った瞬間に涙が溢れて号泣してしまいました。
父が他界して既に7年が経ちますが、今この瞬間もあの時の事を思い出すと涙が出ます。

私にとっても父は常に超えなければ成らない存在でした。
或る日二回目の退職をした父が日向ぼっこしてる後姿を見て、くそ!なんで弱くなったんだよ
何で俺が超えるのを待たずに自分勝手に弱く成りやがって。と悲しくなった記憶があります。

幼い頃は厳格な父に反感ばかり持っていましたが、自分がパパから親父と呼ばれる様になって
色々父について解った事が有ります。

貴方は良い息子さんです。緒父上も幸せな方です。ちゃんと父親にありがとうと言えたんですから。
お経も良いでしょう、でも私は心の中で父と話す事にしています。
その方が父も喜ぶのではと思って居るからです。
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この回答へのお礼

何て言って良いか解りませんが、

回答者様の体験、すごく、ズーンときました・・・

私は42歳ですが、まだ娘は8歳と2歳です。
まだ「パパ」と呼ばれ、「親父」とは呼ばれていません…
だから、まだまだ、私は、回答者様の「域」にまで達して
いないと思います。

まだまだ父を理解していないと思いました…

息子と娘の違いというのもあるかも知れませんが、

父親というのは、息子に対しては、敢えて「厳格に」なるのかと?
そう思います。

私の父も、厳格でした。もう30年前の時代のことですが。

勿論、父に反発し、大学受験で父を超えようと無理をして、
失敗し、鬱病になってしまいました…
人より6年遅れて大学に入れて貰い、当然、就職も無く、
家庭教師のアルバイトしかすることが有りませんでした。

たまたま、今の妻が、私の病気を理解してくれて、
結婚し、2人の娘に恵まれました。
私は、一時期、塾の講師を数年していましたが、
でも、鬱病とそういう社会の組織に負けて、退職を余儀なくされ、
結局、妻に働いてもらい、今は「主夫」をする始末です……

私自身も、こんな自分に失望しましたが、
父は、もっと「失望」したと思います………

私は、私なりに開き直って、
「主夫」という生き方を肯定しましたが、
でも、嬉しそうに孫を抱いてくれた父の心中は未だに解りません・・・

父は昭和16年生まれ。

戦中、戦後の厳しい時代を生きてきた人です。

父の父、つまり私の祖父が戦後で、裸一貫から、
自転車1台を借りることから商売を始め、一財産を作り、

父も「祖父という壁」を超えようとしていたかも知れません。

すみません、何かお礼じゃなくて、私の話になっていますね…

でも、貴方のお父様が、2度目の退職をして、
貴方が、日向ぼっこしている、お父様の後ろ姿を見る気持ち、
おぼろげですが、解るというか、想像が出来ます…

私の父は、最期まで弱いところを見せようとしませんでした。

肝硬変の腹水でお腹がパンパンになって苦しいのに、
亡くなるまで、苦しいとは医師にも言いませんでした。

我が父ながら、何て言うか、「スゴイ」「見事」と思いました。

父は、そうやって「生き様」と「死に様」を私に見せてくれました。
肝硬変でも、肝臓癌でも、酒を止めなかった父。

会社の仲間と飲む酒が、楽しく美味しかったんだと思います。

弟は酒を止めて長生きして欲しかった、と言いますが、
私は鬱病の希死念慮からきているのかも知れませんが、
自分の子供を「責任を持って」育て上げたら、
自分の使命は終わり、という父の観念が解る気がします。

本当に自分の話になって、申し訳ありません。

父は、生前、よく、こう言っていました。
「孫は無条件に可愛い。
 しかし、子供には親として<責任が有る>から、
 子供は可愛いだけでは済まされない」
と。

今日は土曜日で、父が亡くなって2週間です。

私は妻と2人の娘を花見に連れていってきました。

不謹慎かと思われるかも知れませんが、
日常生活は父の死と関係なく進んでいくんですね…

本当に私の事ばかりで、まとまりも無く、
本当に申し訳ありませんが、お礼の順番も間違えていますが、
書かずには居られませんでした・・・・

今日は、実家に行って、父を参り、
私の家族と母と一緒に食事をします。

残された母に寂しい想いをさせないために。

今はもう、ただ淡々と父の残した年金・保険・相続の
手続きを進めるだけの毎日です。

でも、実家に行けば父の祭壇があり、
父に参ります。

もうすぐ、父に会いに行きます。
父と話をしようと思いました。

本当に雑な文ですが、ありがとうございました。

本当に申し訳ありません。 m(_ _"m)

お礼日時:2013/03/30 16:48

以前の質問にも何度か回答したものです。



どんなに親孝行したと思っても後悔は次から次へとわいてきます。

時間しか心を癒すことはできませんが、その時間をどう過ごすか大切だと思いますよ。

ここで自分の気持ちを吐き出して色々な方の優しい言葉や叱咤激励の言葉をこれまでも、たくさん受けているのですから、もうそろそろ、自分自身で自分の心に向き合っていく方向に変えて、自分で悲しみや辛さを乗り越えないとお父様が本当に成仏できません。

こんなことを言うと、以前、一人でたくさん回答されていた方に叱られるかもしれませんが、今はもう自分の人生を生きるほうに向かっていってほしいと思います。

この辛さを乗り越え、自分の人生を一生懸命生きることが結果として1番の親孝行だと思うのです。

経験した人は、みんなそうやって今がありますから。
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両親・兄亡くしましたが死ねばノーサイドです。


「墓に布団は掛けられない」ということです。

お父さんに対して100万回後悔の言葉を告げても意味はありません。
人が亡くなれば必ずそこには教訓が残ります。それを生きている間に実現して
行くことが本当の意味での供養になります。

これからは質問者様が子どもに父親としての背中をしっかり見せる番です。
そして独りになられたお母さんを支えることです。

前を向いてしっかり歩いてください。
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再度No.5です。

昼の回答は実は会社から、殆ど書き終えて送信と
言う時に部下が来て慌てて涙拭いたり鼻かんだり、ははは 慌てました。

一杯色々と書いて下さって有難う御座います。
再度私から2つだけ。感じた事を書かせてください。
1. お父上は自分の病気と闘う壮絶な姿を貴方への最後の越えて欲しい
  父親の姿として残したのかも知れません。「超えてみろ」と言う
  気持ちを汲んで下さい。

2. 今度は貴方が息子さんに超えられそうに無い壁を見せる番です。
  息子は、貴方も私もそうで有った様に父親が好きで、しかも嫌いで
  でも矢張り何時も見ていて、その物事に立ち向かう姿勢や母親との
  付き合い方等から色々と学んで来た筈です。 当然反面教師だった
  時も有ると思います。しかし矢張り父は尊敬出来るちょっとや
  そっとでは超えられない大きな存在で有れば子供にとって幸せなんで
  は無いでしょうか。 今度は貴方の番です。未だお父上を超えてませんから
  超える努力が子供さんから見たら超えられそうに無い立派な父の
  姿に見える事でしょう。

亡くなった父の最期気持ちに沿っても頑張ってください。
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前回も回答した者です。

 
あなたは本当にお父様が大好きだったんですね。
お父様の余命を知り、危ないと知らせを受けたけどお父様の最期を見とれなかったのは本当に本当に悔やんでも悔やみきれませんね。
私は、まだ身内の臨終に立ち会ったことはありません。
父は行方不明になりましたし母は今73歳ですが1人暮らしをしています。
いつ母に何が起こるか不安はあります。
母は私の家から車で2時間ほど離れたとこにいます。

あなたのような経験を私もいつかするんでしょうね。
あなたには兄弟がいますが、私は1人っ子なんです。

あなたがお父様に生前してあげれなかったことなど後悔はいっぱいありますよね。悔やんでも悔やみきれない。
わかります。
でもね、天国へ行ったお父様は今のあなたを見たら、この質問内容を知ったら「いつまで後悔してる!俺は大丈夫だぞ!お前はいつまでくよくよしてる?前を向いて生きて行きなさい」そう言われると思います。

お父様がお亡くなりになったことは現実です。
現実をしっかり受け止めて、後悔しても何も始まりませんよ。
しっかり前を向いて、あなたには2人のお子様がおられるんだからこれからはしっかりあなたがお子様のお父様にならないといけないのでは?

いつまでもくよくよしてるあなたをお子様たちはちゃんと見てますよ。
しっかりしないといけないのはあなた自身です。
お父様のことは、忘れてはいけません。でもいつまでも後悔を引きずってもいけません。
しっかり頑張ってください。
あなたやお子様にはまだまだ未来があります。
頑張ってください。
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私から見たら


すごく 親孝行な息子さん…だと思います。
そんな風に色々 考えてしまうだけ
親に関わった証拠だと思うし。

私の母も長くはないです。。
病院からの言葉なので 自分にはピンとこないんです…

この前 奥田英二?さんの奥さんが
TVでいってました

介護をした人は
必ず こうしてあげれば良かった…もっと…と
後悔をして 立ち直るのにとても時間がかかるって。

どんなに介護しても後悔が残るって…
多分 そうなんだと思います。
亡くなった悲しみも
全てが自分のせいのように感じるんじゃないかと
今の私にも 予測できます。
それでも…
自分は生きてるのだから
自分に都合よく考えつじつまあわせて生きていくしかないのだと思います…
親は 子供の幸せしか生き甲斐はなかったはずですから。

子供が笑って生きることが
親の幸せ。。かな。
私も 自分の子供にそう願いますからね。
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私は16歳の時に母を亡くしました。

最後の言葉は口げんかでした。

感謝の気持一つ伝えられず、親不孝を後悔し続けました。


ある時、出会った人に言われました。親が一番悲しい事ってなんだと思う?

自分の事で後悔されたり悩まれたりする事だよ。

私が毎日笑顔でいる事が何よりもの親孝行なのだと気付きました。

質問者さんは立派に看取られていますよ。何も後悔する必要はありません。
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私の父は、2~3日前まで通常の生活をし


体調を崩したと思ったら、あっという間に肺炎になり
たった1日入院しただけで亡くなりました。
私も遠方に住んでいるので、仕事中に母から電話があり
父が入院したと聞いて、「病院にいれば安心だね」なんて
母と電話で会話した数時間後、
母から早急に帰宅するように連絡をもらい
病院に駆けつけたときは、容態も落ち着き、父と一言二言
会話したのが最後です。
父本人も、私たち家族も、こんなに急に亡くなるとは
思っていませんでしたので、感謝など最後にふさわしい
会話はありません。
最期の迎え方にしても、後悔がないといえば嘘になりますが
今更言ったところで始まりません。
ウジウジしていても、父は喜びませんからね。
後は、父に感謝しつつ、残された母を姉妹で協力しながら
サポートするだけです。

まだまだお父さんが亡くなられて日が浅いので
後悔の念があるかとは思いますが、これは時間が解決してくれるのを
待つしかありません。
以前からの質問も読んでいますが、故人の息子さんがこれだけ長期間
毎日、長時間にわたって、看病ができた環境は、かなり
スペシャルなことです。
どうか、その環境を支えてくれている奥さんへの感謝も
忘れないでくださいね。
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個人的意見



いつまでもウジウジメソメソされてると
本当には成仏出来ないと思う
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お父様のお世話、お疲れ様でした。



私は48才の主婦です。

10年前に父を、2年前に母を亡くしました。

父の時は、母が世話をしていました。
車の免許を持たない母は、毎日、電車とバスを乗り継いで片道2時間の道のりを通い続けました。

父の身内は、一度見舞いに来たきりでした。

それなのに、結局、父が亡くなったのは母が少し席をはずした時、
母の姉が父を見送ったのです。

母は、めったに泣かない人でしたが、
さすがに四十九日を終えた後、
泣きながら私に「お父さん、幸せだったかな?もっと、本当にしてほしい事あったんじゃないかな?」と電話をしてきました。

私は、その5年ほど前に主人の義祖母(主人の祖父の後妻)を送っており、
その時も、同じ後悔をしていましたので、母の気持ちは痛いほどわかりました。

そして一昨年の夏、私は仕事を休んで母の世話をしました。
やはり、母を見送ることはできませんでした。

母が泣いていた時、母にも言ったのですが、
一番近くで世話をしていたからこそ、相手が亡くなった後、後悔が残るのではないでしょうか。

私は、質問者さんがお父様に感謝の言葉を伝えられて、本当に良かったと思います。
お父様も安心して旅立たれたと思います。
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