No.3ベストアンサー
- 回答日時:
縄文遺跡は,全国各地で発見されています。
そこで発掘された遺物が交易によってもたらされた物か,移住と共に人が携えてきた物か,個別には判断出来ません。
石器・縄文土器の工房跡などから,生産の継続に必要な原材料の産地の特定により,交易が行われていたことは,十二分に推定出来ます。少数の工人で大量の生産を維持する為には,交易以外に考えられないからです。
原材料産地の特定は,石器などでは確立された科学的方法です。黒曜石もサヌカイトも,原石の分析から産地の同定が出来ます。
土器の技法なども年代測定により,製造年代がほぼ確定出来,製造技術の伝播の経路も可成りの確実さで推定されてきています。縄文集落・工房跡の状態から集住集落の規模もわかり,同様の集落や工房が一定の範囲の広がりを持っていたこと,その広がりの中心部と周辺部で,原材料の産地が変化する場合があることなどから,年代の新しい集落では,原料の仕入れ元が年代と共に変化していったことが考えられています。
技術も材料も製品も,人が携えて移動したことは確かですが,交通不便の時代に,家族連れでの長距離・大規模な移住は困難な事から,特定の運搬者が居たものとの推定もほぼ確実でしょう。そこには,交易を生業とする人達の存在をも推定させます。
貨幣のなかった時代のことですから,交易があったとすれば,物々交換以外には有り得ません。
No.2
- 回答日時:
南島貝文化の研究―貝の道の考古学という本があります。
http://www.amazon.co.jp/南島貝文化の研究―貝の道の考古学-木下-尚子/dp/4588334875
弥生時代の遺跡を調べたもので、奄美沖縄から愛知まで、朝鮮半島を含めて地域間の交易があったが出土品からわかっているそうです。
一方向に展開しているのでなく、多方向のものの流れがあったことが出土品からわかるそうです。
ネットワークを通じてなのか、一対一の直交易なのか、などの交易の実際は不明でも、また、市場のような交換場所があったのか、単に貿易船や行商や交易部隊のような形でやったのかは、遺跡からではわかりません。
時代が下がって文書記録のある時代でも、卑弥呼や倭の王は貢ぎ物と返礼、遣隋使、遣唐使なども基本的にはそうしたやり方でした。未開の人々は、かなり後の時代まで、(品物をもっていって置いてくる。後でその場所をみて別に置かれたものを持って帰る)という(暗黙の交換)をしていますから、面談して交換する方式ではない交換方式が多かったかも知れません。
いわゆるマーケットとか、標準交換レートなどはないから、(Aが置いていったa)を(Bが欲しいと思ったら、代わりに渡していいと思ったbを置いておき)(Aがbをもらって帰る)。 Bをリサイクルショップ、bを現金、Aを元の持ち主、aをAが不要に思っているものと考えてみれば、そういう交換の仕方はあるでしょう。 それで、Aが喜べれば、また同じことを繰り返すようになるでしょう。
塩や土器などは、どこでも作れるものではないので、作れるところの人が大量に作って隊商を作って遠隔地へ運んで、集落の外に置いて、その集落の産物を代わりにもらって帰るという方式で、内陸部で塩のない集落や土器を作るのが難しい集落と交易したのだと思います。
海路を使う交易だと遠方まで比較的短い日数でいけます。しかし陸路では数日では遠くにいけません。
長い日数をかけてもいいのですが、帰路に事故で死亡したり、ものを失う危険もあります。何しろ、道もない、橋もない、宿屋もない、地図もない、方角や距離はよくわからないところをいくのですから、遠くに行って交易してくるのは不成功になると、昔の人は思ったでしょう。
想像ですが、通常は数日の範囲で往復できる範囲で交易していたのではないかと思います。その交易でもらうものが塩や土器、石器、青銅器、貝、翡翠などであったとして、自分たちではいらないものでも、それを持ってさらに数日のところに行き交易してくるということで、各地からいろいろのものが入手できます。そのような各地で行われるいろいろの交易がネットワーク状態に広がると、百キロ以上も離れた地方のいろいろな物資を入手することができるようになると思います。
うまくすれば、30日、50日で、200キロ先から土器などの品物がとどくこともあるのではないかと思います。良いもの、みんなが喜ぶようなものなら、それこそ全国的に広がるのに半年も掛からないのではないでしょうか。
http://members.jcom.home.ne.jp/kaskoba/TT_SE01.htm
http://www.geocities.co.jp/une_genzaburo/Primiti …
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
この回答へのお礼
お礼日時:2013/04/01 14:07
なるほど、たしかに塩は内陸では無理ですね。
物々交換にもいろいろな形態があるとは知りませんでした。
縄文のころにはすでに複雑な交易ルート・ができていたのかもしれないということでしょうか。
出土品からいろいろと推測できるのですね。
ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
●古文書
○縄文時代には文書はありませんし、縄文時代を生きた人による文書も残されていません。
それ以前に縄文時代に文字があったかどうかも定かではありませんし、現在のところ「縄文文字」と認定されたものはありません。
●壁画
○残念ながら縄文時代の壁画は見つかっていません。
ただ縄文土器の文様などで狩りを表現したようなものは見つかっています。
●市場の跡
○仮にそれが見つかっても遺構としては「ただの広場」でしょうし、そこに交易品が残されている可能性も低いです。
そうです。「推測」なのです。
近隣では生息しない貝が見つかったり、黒曜石のように産出地が限られるものが広範囲に流通していることから少なくとも「交易」があったのは間違いありません。
そして「貨幣」に類するものが見つかっていないということ、民族事例などといった間接証拠、状況証拠から「物々交換であっただろう」と推定されているのです。
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