
No.14
- 回答日時:
事実:実際に起こったこと
真実:検証され、認定された事実らしいもの、あるいは事実に近いものをそういう場合がありますが、それを誰も事実だとは言わないし、いえない。それが事実と同じだろうという願望はあっても絶対そうだという自信がないから。ですから、よく「真実は誰にも分からない」といわれるし、「真実なんてどこにもないんだ」とすら言われることがあります。その代表的なものが人間の本心です。当人にも分からないことが往々にしてあります。
真実:嘘でないこと などといわれますが、嘘かそうでないかは誰にも分からないことが非常に多いのです。ですから、真実は無限大などと同様にフィクションなのです。
No.12
- 回答日時:
そんなに難しく考えなくても・・・。
事実の中には、真実も嘘の事実もあります。
つまり、事実は真実の上位概念だ、という
ことではないでしょうか。
No.11
- 回答日時:
こんにちは。
わたしが歯が痛いとき 《わたし》も《歯》も《痛い》も 《事実》だと捉えます。
《歯》は・そしてあるいはワタシという身は 何の某というワタシがこの世に一人しかおらずその歯も ただひとつの存在ですが そのように《歯》なら歯 《ひと》ならヒトとして言葉をもって名づけていることにおいて ほかの人の歯や身とおなじタグイ(類)であると見なしています。
この類をあらわす言葉をとおして 《歯が痛い》という事実も 他人(ひと)の歯痛についてはついぞ感じることが出来ないにもかかわらず 一般にひとが歯が痛いと言えば それは《事実》であり 特には《真実》だとも見なすことになっています。
ワタシという身や歯は 見ればだいたい分かりますが そしてあるいはあたまを殴るとコンという音がしてそれも耳で聞けば分かりますが 《痛い》は・そしてあるいはものを食べるときの味などは ただちにほかの人間が本人と同じかたちで見止めることがむつかしい。ゆえに 《事実》ではあるが その事実内容のことを そのワタシの《真実》と言いかえて捉えることをおこないます。
もっとも電気は事実ですが そして目にも見えず耳にも聞こえませんが そして感電することはあるわけですが 一般にも《事実》に分類されます。
ただし人体の中の電気は・つまり電磁波の作用は どうか? 放射能さえ持たれている。
モノは・つまりコトは 《事実》なのでしょう。
しかも もし仮りに人が怒りにまかせてその思いと感情なる意識を思う存分ぶちまけたとしたら その場合はどうでしょう?
つまり その《意識の排泄》において ガミガミ電波が それもその人の配偶者や子どもやあるいは部下に対してぶちまけられたとしたら どうでしょう?
たぶんその電磁波現象は《事実》だと言えると考えますが――生体電気現象( bioelectricity )として自然科学的事実だと思いますが―― そのときの人間どうしのあいだにおける影響関係は なかなか事実とは認められにくいかも分かりません。
分かっていることは そのガミガミ電波を受けるアース役のほうでは いやな感じを受け留めているということでしょう。これは いまのところ《真実》として取り扱われるのではないかと考えます。
つまりは イジメの問題でしょうし パワー・ハラスメントやモラル・ハラスメントといった事態です。
そのときガミガミ電波をまき散らしたたとえば或る父親が その妻や子どもに対して いやいや そんなことをするのは わたしの本意ではない そんなことをするつもりはなかった あやまると言えば それは《真実》という次元の問題であると見なされます。
一般に《事実》の認識が 《真実》です。
ただし身という事実のもとに こころという現象が起きます。そのココロ自体は まづその現象に関するかぎり事実ですが しかもそのココロに発するこころ(思いや考えやあるいはたとえば理想へのあこがれなどの志向性)は では 《事実》なのか?
たぶん《真実》であることは おおかたの認めるところだと思われます。
ワタシが・つまり主観がそのことを事実認識しているかぎり そうです。
ただししばしばそのような《志向性などとしての心的現象》は それを知覚しているときには真実であるのですが いつしか消えてしまう場合もあります。ということは 知覚としての真実が マチガイであったのでしょうか?
言いかえると まぼろしとしての真実もあるようです。
人間の《真実》には 自然科学的な《事実》にもとづくその認識もあれば 痛いや嬉しいといった―― 一時的には――事実であるものの認識もあり その一時的な事実だと思ったことが錯覚であったと分かる知覚内容もあるようです。
しかも人間は このマボロシとしての仮りの真実を いわゆる虚構としてみづから積極的に物語るというクセをも持っているようです。
こうなると 虚構ないしマボロシとしてそのような話も 事実であり真実であると見なされるようになったようです。
言いかえると ウソをまじえた作り話の中にも おのれの生きた歴史の中身に響き合うものを見つけるなら それはそれとして《真実》だと人は受け取ります。
うんぬん・うんぬん。
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