動物愛護とよく言いますが、牛や鶏等を殺して食べていますが、それはいいのですか?人間が生きる為には仕方のないことだではすまないと思います。種別でわけるのではなく動物としてみると殺りくしているのにどうして身近な犬、猫が虐待をうけるとTVなどで報道されるのでしょうか?人間が殺された時も報道されますが、牛などが殺されたりころしたときはなぜしないのでしょうか?動物愛護に矛盾しているはずなんですが・・・。

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A 回答 (22件中1~10件)

犬、猫、鯨、牛、馬、羊、豚、哺乳類はみな人間と同じ系統の動物です。


鯨に一番近い動物は、カバです。鯨もカバも、偶蹄類といって牛や羊と同じ仲間です。
人間に一番近い動物は、チンパンジー(猿)です。
鯨が人間に近い仲間であるなら、牛も人間から遠くありません。
人間がこれらと種を同じくする動物であるということを忘れて
肉食を続けると、必ず健康を害します。

肉は食べ物である、人間は肉を食べなくてはならない、というのは
大嘘です。日本は1000年以上基本的に肉食しない時代がありました。
哺乳類である人間が他の哺乳類の体を食べ続けると、
共食いに近い作用がわずかずつ蓄積されていき、
老化を早めて癌で死にます。

肉を食べるとき、自分と同じ哺乳類の体を食べているのだということを
忘れないでください。

牛は知能の高い動物です。あなたが言っていることが分かっているのです。
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動物を殺すのが虐待か、止むを得ないか、の境目は


(1) 屠殺方法
(2) 必要性
です。

どうしても必要な場合に限り、必要な数量だけ、苦痛を与えない方法で屠殺する、というのが、人と自然とが共存する条件だと思います。

人類は「霊長目」に属する生物で、身体のつくりが純然たる草食動物ではありません。(例えば牛や羊などが草を食べるとβブドウ糖分解酵素の働きで消化され、ヒトがデンプンを食べた時と同じように炭水化物としてエネルギー化されますが、ヒトにはこの酵素が備わっておらず、食物繊維は消化管の蠕動を刺激するだけで、直接の栄養源としては活用できません。)
ですから進化論的に人類はある程度、肉食するのが自然なわけです。
この意味で食用に畜獣を屠殺するのは、ある程度「必要」(必要悪?)と言えます。

勿論その場合、屠殺方法も問題で、欧州では牛の屠殺方法の残虐性を巡って延々と議論が続いたことがあります。(今でも続いていると思います。)

ペットを虐待したり、人間同士が傷付け合ったり(幼児虐待など)する場合は通常、食用などの必要性は無く、ただひたすら痛めつける事が目的である場合が多いので、大問題になるわけです。

動物の種で差別すべきでない、というご質問の趣旨はある程度理解できますが、食用に適する動物とそうでない動物、人間の生活にとって脅威となる害獣とそうでない種、などが存在するという事実も否定できません。

ちょうど、人権が「公共の福祉に反しない限り最大限の尊重を要する」(日本国憲法。つまり公共の福祉の為に人権を制限するのはある程度止むを得ないと憲法でも認めている)のと似たように、動物の権利擁護もまた、これに準ずると考えるしかないのではないでしょうか。


ちなみにNo2のhirakawaさんのご回答にあった、キリスト教流の人間中心の尊大な世界観に基づく似非「動物愛護」思想には、私もかねがね懐疑的に思っております。かつて滞米中、熱狂的キリスト教信者だったアメリカ人の友人から、表紙総革張の聖書をプレゼントされ、彼らの自然や動物に対する無神経に驚愕したのを今でも想い出します。
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前にも投稿しました。

色々考えましたが結局この問題に答えはありません。植物も生きています。菜食主義の方も所詮命を頂いているのです。この地球のしくみがそうなっているので、何を言っても議論しても無駄じゃないかと思います。ただ いたずらに動物を殺さないで欲しい。この前の小泉容疑者が保健所のことを取り上げていました。本当に動機がそうなのかは分かりませんが、私も同じ意見です。今の不況で飼っていたペットを保健所に連れて行く人が多いみたいです。最後まで責任を持つべきです。頂きます。食事の前に言いますよね。これは、作ってくれた人にも、後は お魚 お肉 命を頂くと言う事です。馬鹿な親は給食費を払っているから頂きますを言わなくて良いとか・・馬鹿げてる。人間は愚かです。昔から戦争を繰り返し 結局弱いものが犠牲になっています。もちろん私もその人間ですから同じです。偉そうな事は言えません。一層の事こんな星無くなれば?なんて思ってしまいますよ。でも、何事にも寿命はあります。何百億年先か分かりませんがこの宇宙にも寿命があるのです。答えになってませんね・・ごめんなさい。私も色々考えましたが、結論は出ないです。ただ、むやみに生き物を殺すのは絶対良くないですよね。ペット 動物は裏切りませんよね。皆さん保健所なんかに絶対連れて行かないで 炭酸ガスで苦しみ苦しみ苦しみぬいて死んでいきます。何も罪の無い動物を殺さないで下さい。。
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動物愛護はその結果ではなく、考え方、方向性であると思います。


その中核にある思想は不要な殺生はしない、だと思います。

どうしたら、生きとし生けるものを殺さないですむのか、それを真剣に考えることが大事なのです。

科学・技術の成果を適切に利用して行けば、殺さなくてもすむ生物がどんどん増えてきます。
現在の科学的知見によれば、人は植物性食材だけで健康な暮らしを遅れます。
また、人間だけが、自ら、食材を選択できる能力があります。
人間が尊厳を保つ為には動物と違って、自己を律することが必要です。
将来的には科学の進歩により、植物の命も奪わなくてもすむのではないか、と思います。
不要な殺生をなくす精神が重要なのです。

参考URL:http://blogs.yahoo.co.jp/springsanbo
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私は動物大好きで動物愛護に関して何時も関心を持っています。


一人の力は小さいですが、ボランティアに参加したりしたいます。
ただ・・・・牛や豚 鶏は殺して良いのか・・・この問題で何時もつまずきます。ただ、いたずらに動物を殺すことは絶対反対です。私もお肉をいただいています。又、飼っている猫や犬もお肉食べますよね。
アフリカのライオンはシマウマを襲う。ライオンも食べていかないといけません。わたしはこの星はすばらしく美しい地球ですが、弱肉強食の地球は嫌いです。いっそこんな地球一瞬で無くなれば良いのになんて思うこともあります。せめて保健所や牛さん豚さ鳥さんに苦痛が無いように天国に召されて欲しい。無力な私・・悲しい世の中です。ごめんなさい。全然回答になってなくて 人間だけの地球じゃないこと・・でも
犬や猫のワクチンや人間の薬動物実験のお陰です。死刑囚で人体実験すればいいと思いません?ただ殺すのはもったいない・・すいません・・・私は結局何も出来ません・・情けないです・・・・
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大分前の質問ですが、偶然見つけたので、あくまで私一個人の考えとして回答させてください。



動物愛護ですが、人それぞれに考え方が違うと思いますが、私の場合は、牛や鶏、豚なども犬や猫と同じです。
ベジタリアンなので食べませんし、人間が殺すことはすごく残酷に思えます。
以前は生きていくためには仕方がないことだと思っていましたが、食べなくてもよいことを知り、救われた思いになりました。
動物を食べないというと、植物は食べているくせにと言われることもありますが、一番の違いは感情があるかないかです。恐怖を感じるか感じないかです。
ですから、私のようなベジタリアンやビーガンなどにとっては(倫理的な理由でなった人の場合、健康上の理由でなった人は違うと思いますが)食肉は動物愛護に当然反する訳です。
しかし、一般的には 肉を食べる人も多いので、それを虐待だと言っていたら大変なことになってしまうでしょうね。でも、いくら食べるためとはいえ、命を取る方法が残酷でいいはずがありません。恐怖や痛みをなるべく軽減するべきですし、飼育環境も考えなくてはならないのです(昨今はそういった考えも浸透してきており、行政の方でもそういった考えを取り入れています)
実験動物も医薬品のためには仕方がないという考えが日本ではまだまだありますが、ヨーロッパなどでは化粧品開発のための実験は消えつつあり、教育や医学研究の場面でも代替法が広まってきているようです。
動物愛護の領域がどんどん広がってきていると言えるのではないでしょうか。
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質問から数年経過してしまってますが...



No.2の方と同じような内容なのですが、欧米人にとって飼育された動物というのはあくまでも「工業製品」であって、明らかに野生生物とは一線を画しているもの、という認識があるそうです。

だから、自然界に生きる野生生物が減少すれば環境破壊であり、工業製品たる家畜を殺しても環境は破壊しないし(当然と言えば当然ですが)動物愛護の対象外となってしまうんでしょうね。

あるアメリカ人は、「家畜は食べられる為に生まれ、育てられたんだから殺されても当たり前なんだ」と説明してくれましたが....

但し、彼らにしてみても家族の一員たるペットが殺されるとショックなので、犬や猫の虐待には反応するのでしょう。

個人的には、私もこの様な欧米の感覚は好きではありません。No.4の方が言われているとおり、植物でも命がありベジタリアンに対しても独善的に感じざるを得ません。

しかし、キリスト教的発想では「人間は神から選ばれた生物」という事になってしまうので、クリスチャンの多い国の人たちの発想は前述の様になってしまうのでしょうね。

(あなたの命を)いただきます、と感謝して食事を始める習慣は彼らにはありません。問題の核心は文化や宗教の違いからくるものという事になってしまうのでしょうね。

腹は立ちますが、文化ギャップはどうしたら埋まるのか?もしくは埋まらないのか?と考えていかざるを得ない気がします。
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昔、小学生が書いたという詩を読んだことがあります。

畑を耕す際に、害虫を殺さねばならない。でも、虫に恨みは無い、でも殺さねばならない。そんな心情をつづったものでした。
結局、どれが良くてどれはダメと決める事は出来ないと思うし、そんな権利は人間には無いと思います。唯、生物を殺す時は、その小学生の気持ちを忘れずにいたいなと思う。
そんな気持ちで考えれば、おのずと「動物愛護」の真意が見えて来るような気がします。
それに、人間が動物を殺すとき、全てが「虐待」になるとは思いません。
(hidepuriさんの文章だと、みーんな虐待ととっているように感じる。)
勿論無駄な殺戮もしてるとは思いますが。
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  雄は生ゴミ!!


ちょっと、衝撃的な話ですが、実話です。
今月初めに、うちでもヒヨコが孵りました。
そこで思い出したのですが。
昨年名古屋の孵化場までヒヨコを受け取りに行ったときの事です。
場内にポリのタライが置いてあり初生雛が沢山入っているのです。
鶏は寒さには思いの外強く、雪の積もる地方でも冬季暖房無しで飼育できます。
しかしこれは成鶏の事です。
これに反しヒヨコですが、自然孵化の場合は母鶏の羽毛布団と体温に包まれています。
ですから人工飼育の場合は、あの有名なヒヨコ電球を点灯して暖めるのです。
少なくとも40℃は必要でしょう。
タライに入れられたヒヨコはお互いの体温で暖めあうでしょう。
しかし、
一晩越すことすら大変で、無論生きて行くことは不可能です。
孵化場のおやじに聞くと、
オス雛は生ゴミで出します。
と、言う返事です。
よく見るとタライの横に、ふた付きポリバケツとゴミ袋が置いてあります。
その真前には孵卵機とメス雛用の飼育機が並んでいます。
温度管理、湿度管理に気を使っておられます。
これが、現実なんです。
どうして、そういうことをするかというと、
以前はオスも結構需要が有って、皆さんご存じ「縁日の花形」に成った訳であります。
運のいいヒヨコは釣られた後わんぱく少年の友となり、
ミカン箱で飼ってもらえます。
餌は給食の残りで十分です。
でも、ある日悲劇がやって来ます。
「コケコッコー」と一鳴きすればそれでおしまいです。
今まで我慢していたお父さんが
近所の神社の境内に、
あるいは橋の下に捨てに行きます。
でも、これは相当運のいい人生(鶏生)の場合です。
たいがいは、釣られて数日、いや数時間の命です。
でも、この「命」は無駄になったのでしょうか?
否、私はそうは思いません。
子供は残酷とよく言われます。
しかし、生き物の「生」の本質はその「死」を持って分かるということも
言えるのではないかと思うのです。
縁日でただ面白いだけで釣り上げたヒヨコが死んだ。
特別な世話をせずに死んだ。
電気も点けずに死なせてしまった。
とっても情けない思いがします。 悲しいです。
ただ、しまったと思うかもしれません。
でも、こんな経験を積んで子供は「生」を大切に出来る大人に成って行ったように私は思います。
孵化場の主人いわく。
「最近動物愛護団体がうるさくてネ。」
「縁日でヒヨコ釣りやったら抗議が大変」
「生ゴミで出すのは忍びないけど、これが一番安い処理なんだ」
「生きてるうちはどこへも出せないからネ」
生ゴミとして処理される「命」これが動物愛護団体の希望なんでしょうかね。
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結局、身近じゃ無いって事じゃないですか?


犬とか猫とかとかって日常生活中においてよく見かける生き物でしょ。普通に一般家庭で飼われてたり街中で見かけるでしょ。それだけに、まあ、普通の人なら情が湧いてもおかしくない。でも、牛とか鶏とかって普通の街中では見ないし、生きてるのを見てもまあ、農家の方とか以外は生活を共にしないじゃないですか。肉を食べるっていっても自分達で殺すわけじゃないでしょ。店に並んでるのは既に殺され、解体されたただの肉の塊、食用の肉以外の何者でも無いじゃないですか。肉を食べてる時にこれは牛、豚、もしくは鳥の死体を食べてるって意識しますか?
愛護って言う概念は可哀想とか個人の価値観とか主観とかそういうレベルの問題ですからね。結局、情と罪の意識の問題だと思いますよ。
言ってしまえば、自己満足の世界ですから。(動物愛護に限りませんがね)
結論的には、人間は利己的な生き物だって事ですよ。

個人的には動物愛護運動は金持ちの道楽だと思ってます。宗教がらみじゃなきゃ発展途上国、また、いわゆる第三世界などではあまり見られない光景ですからね。だから、動物愛護しようがしまいが私は何とも思わないのですが、動物愛護という大義名分を掲げて愛護しない奴は情が無い、人間じゃないみたいな愛護の押し付け的運動をする人はお世辞にも好きとはいえませんが…
だから、最近の愛護の風潮はちょっとイラつくかな…
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