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映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」について。
いくつかの疑問があります。

1.歴史上のリチャード・パーカーは、他の船員が生きるために食べられました。
本映画では、リチャード・パーカー(トラ)は、他の船員(動物)を食べています。
公式サイトでは、意味のある偶然の一致と書いてありますが、
一致さえしていません。何が言いたのでしょうか?

2.大人になったパイが、最後に、コック・仏教徒・母親・自分で云々言っていますが、
動物との航海は、船上の人数は5人です。最後の例えは、4人です。一致しません。
取材に来た記者は、コックはハイエナだとか言っていますが、
では残りのパイは誰に置き換わるのでしょうか?


よろしくお願いいたします。どちからのみの回答でも構いません。

A 回答 (2件)

えーと、ものすっごいネタばれ回答になりますので、行間をあけます。


閲覧する方でまだ鑑賞されていない方はご注意ください。
(いろんな考え方があると思いますが、質問者さんも、このようなご質問を立てる際にはタイトルに「ネタバレあり」等の注釈をつけられたほうが、マナーとしてスマートだと受け止められると思いますので、次回からいかがでしょうか。)






1も2もリンクしているのですが…。
問題は、これが「大人になったパイ・パテルが作家に語った話である」ということです。つまり最初に語った話も、日本の 調査員に語ったとつけくわえた話も、どちらが事実なのか、あるいはどこまでが事実でどこまでがウソなのか観客にはわからないし明かされない、ということです。
ですからこの映画を単なる少年の漂流記として見るとよく理解できない話になり、何百日も漂流するという厳しい体験を通じて宗教的な解脱にたどりついた話とか、カルネアデスの板的な哲学的問いかけ、とみなしたほうがしっくりきます。

その上でですが。

1 「偶然の一致」とは「先に発表された小説とあとで起こった事件との偶然の一致」です。映画の内容と実際に起きた漂流事件との一致ではありません。
 しかし、この偶然の一致を知って映画を見ると、あるキーワードが浮かび上がります。人肉食です。

2 トラはパイです。パイがなぜ二人いるか?というと、明確には描かれませんが、人間のパイは理性や人間社会の道徳と生きのびる道が相反することへの苦悩、葛藤、否定などを表し、トラはパイの中の野生性や獰猛さ、自然の厳しさなどを表しているのではないかという見方ができます。ちなみに日米のネットでの感想も、私が見た限りこれで一致しています。

映画をご覧になっていていろいろヘンだと思いませんでしたか?ちょっとファンタジーすぎます。
調査員も否定していましたが、「トラと二人きりで何百日も漂流」というのはありそうにもない話です。そもそも最初の、なぜ船が難破したときに動物が(それもバラバラに一頭ずつ)避難ボートに逃げ込めたのか?からして寓話的。
ですから、おそらくはパイが語った2番目の話のほうが事実です。
難破した本船から命からがら避難ボートに逃げ込んだ4人。漂流が長引くにつれ食糧問題は切迫してゆき、ついに殺人と人肉食が起きた。
コックが船員を殺し、抵抗するパイの母親も殺し、そのコックを逆上したパイが殺した。
人が人を殺すことはもちろん、人が人を食べることもタブーです。
パイは、たった一人さまよう中で否が応でも自分の行為に対する本能的な忌避感と、生き延びるための手段との間での苦悩にむかいあわなければなりませんでした。
その苦悩が、動物たちとの漂流という話を生み出したと考えるほうが自然です。
(人食い島だっておとぎ話めいています。それに、あの無数のミーアキャットたち、いったい何を食べて生き延びていたんでしょうね?)
そうすると、このトラと漂流したという話はメタファーだらけということになります。
(ネットでは、あのミーアキャットたちは死体に沸いたウジ虫かもしれないという感想がありました。パイがしきりにミーアキャットを振り払う描写がありましたね。トラ=パイならば、なぜ非常食をわざわざ筏に移したか?3人分の死体に沸いたウジから避けるためでは?
ちなみに227もちょっといじると円周率=パイになるそうですし、あの人食い島は海外の掲示板で「横たわるビシュヌ神の姿だ」という意見があったそうです。)
前半のトラと漂流したという話が空想の物語であるとすると、いったい彼は何を隠したかったのか?
ちりばめられたメタファーを繋げるものは、上述した人肉食です。トラの名前がリチャード・パーカーという、パイと同じように船の遭難に遇い食べられた少年の名前だというのはそのメタファーのひとつなのでしょう。
トラとの話がつくり話だとすると、実際の話はかなり悲惨です。
嵐で難破し一家離散。おそらく父と兄は海の藻屑、母は殺され、自分も殺人を犯した。人肉まで口にしたのに助かるめどもなく、たった一人、すがるにはかぼそい希望に必死ですがり続け、心が折れそうになりながら何百日も漂流した。
もしかすると、自分の母親の肉をも口にして生きのびたかもしれないパイ。
助かって人間社会に戻ってきたあとも、その漂流の間の苦悩と罪の意識を「生き延びられたんだからいいでしょ」とはすっきり割り切って捨てきれないまま彼に深く刻まれた。
だからベジタリアンになり、漂流の話を聞きたがった作家に、自分の心を助けるために作り上げた話と本当の話、両方話した。
それがこの映画、ということなのではないでしょうか。
漂流記ではなく、生きるとはなにか…みたいな話なので、漂流するまでの描写が長い、特に宗教との関わりをきちんと描いたのだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

とても勉強になりました。

お礼日時:2013/04/11 21:15

ヘミングウェイの小説に出てきたリチャード・パーカーとパイ自身が同じ運命を


たどるかもしれない、そういう恐怖を引き起こす存在・・・それがトラであるといえます。
つまり、トラとリチャード・パーカーの逸話両方がパイに恐怖を感じさせるので、
トラをリチャード・パーカーとまとめて呼んでいるのでは・・・・・?
当たり前すぎるかもしれませんが・・・。

他の方の回答に、パイが人肉を食っていた可能性が示唆されていましたが、それは
あまりにも飛躍しすぎていると思います。まるで中島敦の山月記のような葛藤があったという意見を
読みましたが、実際にトラ1匹と人間一人が漂流した事件をすべてメタファーであるかのようにとらえているのは勝手すぎるものの見方ではないでしょうか?
パイが人肉を食っていたという意見は、名誉棄損になるかもしれませんよ・・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど。参考になりました。

お礼日時:2013/04/11 21:15

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