「狐の嫁入り」という意味は辞書でひくと、 

1、狐火が多く連なって嫁入り行列の提灯のように見えるもの。
2、日が照っているのに雨の降る天気。浄、壇浦兜軍記「―のそばへ雨、晴らして  いかう」

と書いてありますが、なぜ狐の嫁入りと言うのでしょうか?黒澤明の映画「夢」のなかで、一番最初に狐の嫁入りの話があります。その中の内容は確か次のようなものでした。

お母さんが、子供に「こんな天気の日は狐の嫁入りがあるから林へ行ってはいけないよ。」と言われているにもかかわらず、子供は林へ行ってしまいます。家に帰ってきたら母親は、「おまえ、狐の嫁入りを見てしまったんだね?これから狐のとこに行ってあやまってきなさい。」

この内容を見て、友達に狐の嫁入りってどういう意味なの?と聞いてみたら、その友達は「不義の結婚のことだよ」と言ってました。しかし、図書館に行って調べてみても、詳しいことは載っていません。どうか詳しく知っている方、教えてください!!!

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A 回答 (3件)

もともとは、理由のはっきりしない、原因不明の現象を警戒心を込めて表現したものだ、と聞いています。


キツネにつままれた、とかいうのも、キツネにばかされた、というのも、因果関係が不明確な時に不安な感情を含んで使われます。
日が照っているのに雨が降る、というなんとも不可思議な天気の時に、これは常々人をだましているキツネが絡んでいるに違いない、ということで、キツネが人間に化けて嫁入りしてくる時には山中に狐火が並ぶ、というのと同じ発想で、わけのわからない事を狐の仕業に転嫁して、そんな原因不明の事が起こる時には何があるかわからないからおとなしくしていよう、ということでしょう。逆に言えば、不思議な自然現象のある時には嫁入りなどの大イベントはやらない方がいいでしょう、という事ですね。そんな時に嫁入りを決行すると、まわりからあれはキツネだ、なんていわれるから止めときなさい、という抑止効果が狙いだったのだと思います。
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この回答へのお礼

詳しい解説、ありがとうございます。「不義の結婚」とは関係無いんですかね?黒澤明の映画と、友達の一言から、何か深い意味があるのじゃないかと思ったのですが・・・もし、「夢」という映画を見てらっしゃなく、お暇な時間がありましたらどうか見て下さい。なんかすごく意味深なんです。

お礼日時:2001/05/24 18:49

 『平凡社世界大百科事典』「狐火」の項に、


「狐火がよく見られるというのは薄暮や暗くなる間際のいわゆるたそがれどきとか翌日が雨になりそうな天候の変わり目に当たるときであり、出現する場所も……キツネに化かされる場所とも一致するようである」という記述があります。
 思うに、日が照っているのに雨が降っているという天候の変わり目にいわゆる「狐火」が現実の自然現象として見えることがしばしばあり、さらに狐火が見えなくても、日が照っているのに雨が降るのは、キツネに化かされているのだという連想が働くようになって「狐の嫁入り」の(2)の意味がでてきたのではないかと考えられます。
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この回答へのお礼

調べていただいてありがとうございます。「不義の結婚」とは関係無いんですかね?何か深い意味があるんじゃないかと思ったのですが・・・

お礼日時:2001/05/24 18:44

ある地方の民話を紹介したホームページに以下のとおりに紹介されていました。



>昔娘の嫁入りは夜にかけて行なわれ、あたりは暗く、提灯を下げて行列しました。
>この提灯の明りと、たまに里に現れる狐火が、その時ばかりは一緒に平行して見え、狐の嫁入り行列では?というお話が生まれたとも言われています。
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この回答へのお礼

調べて頂いてありがとうございます。私はどうも不義の結婚と関係しているんじゃないかと思うのですが、関係ないのですかね?

お礼日時:2001/05/24 18:53

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Q「狐の嫁入り」について

「狐の嫁入り」という意味は辞書でひくと、 

1、狐火が多く連なって嫁入り行列の提灯のように見えるもの。
2、日が照っているのに雨の降る天気。浄、壇浦兜軍記「―のそばへ雨、晴らして  いかう」

と書いてありますが、なぜ狐の嫁入りと言うのでしょうか?黒澤明の映画「夢」のなかで、一番最初に狐の嫁入りの話があります。その中の内容は確か次のようなものでした。

お母さんが、子供に「こんな天気の日は狐の嫁入りがあるから林へ行ってはいけないよ。」と言われているにもかかわらず、子供は林へ行ってしまいます。家に帰ってきたら母親は、「おまえ、狐の嫁入りを見てしまったんだね?これから狐のとこに行ってあやまってきなさい。」

この内容を見て、友達に狐の嫁入りってどういう意味なの?と聞いてみたら、その友達は「不義の結婚のことだよ」と言ってました。しかし、図書館に行って調べてみても、詳しいことは載っていません。どうか詳しく知っている方、教えてください!!!

Aベストアンサー

もともとは、理由のはっきりしない、原因不明の現象を警戒心を込めて表現したものだ、と聞いています。
キツネにつままれた、とかいうのも、キツネにばかされた、というのも、因果関係が不明確な時に不安な感情を含んで使われます。
日が照っているのに雨が降る、というなんとも不可思議な天気の時に、これは常々人をだましているキツネが絡んでいるに違いない、ということで、キツネが人間に化けて嫁入りしてくる時には山中に狐火が並ぶ、というのと同じ発想で、わけのわからない事を狐の仕業に転嫁して、そんな原因不明の事が起こる時には何があるかわからないからおとなしくしていよう、ということでしょう。逆に言えば、不思議な自然現象のある時には嫁入りなどの大イベントはやらない方がいいでしょう、という事ですね。そんな時に嫁入りを決行すると、まわりからあれはキツネだ、なんていわれるから止めときなさい、という抑止効果が狙いだったのだと思います。

Q北原白秋の短歌(照る月の…)について

北原白秋の短歌、

「照る月の冷さだかなるあかり戸に眼は凝らしつつ盲ひてゆくなり」

の解釈など、この短歌に関することなら何でもいいので教えていただけませんか?
図書館などで調べてみましたが、どこにも載っていなくて困っています。
ご存知の方はよろしくお願いします。

Aベストアンサー

童謡作家として有名な北原白秋の和歌としては有名な作品です。

「照る月の冷(ひえ)さだかなるあかり戸に 眼は凝らしつつ盲ひてゆくなり」

白秋はまさに現実を生きる人間そのものを歌ったのです。本人が視力を失いつつあるその病床にて詠んだもので、【月明かりは感じられるものの はっきりとは見えない。見えないがあかり戸を照らす冷え冷えとした月光の冴えは感じられる。】 月の光を身体全体で感じているということではないでしょうか。

同じ病をテーマに もっと叙情的に歌ったものもあるが、闇と光のコントラスト、冷たい感触、匂う様な月夜、そんなものを感じさせるのがこの歌だということです。 

五感全てに訴える歌人であると評されている白秋の、最も白秋らしい歌との評価の高いものらしいです。

Q”狐の嫁入り”

こんにちは。

晴天なのに小雨が降ることを、「狐の嫁入り」と言いますが、
なぜなんでしょう???

「狐の嫁入り」の由来を教えて下さい!!

Aベストアンサー

気になったのでちょっと検索してみました
過去にあった質問
http://okwave.jp/qa80450.html
岐阜地方気象台のサイトから
http://www.gifu-net.ed.jp/kishou/bbs/ans/a0386.htm
Yahoo知恵袋にあった回答
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129106872
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1410317934
森田さんの回答
http://www.tbs.co.jp/morita/qa_tenmon/faq_020511-12.html
これは後から作られた話かな
http://ameblo.jp/antonov/theme2-10002083045.html
から引用---------------
干ばつの被害に喘いでいた村人が、
雨乞いの為、狐を生け贄にして、
なんとか雨を降らそうと、
村一番の男前の村人を婿にしたて、
狐の娘を騙して嫁入りさせようと、
企んでいました。

ところが、狐の娘に情が移った男が、
「これは罠だから殺されてしまう!」と言い、
娘を逃がそうとするのですが、

狐の娘は、その男が好きだったので、
「いいんです」と言い、人間の娘の姿に化けて、
そのまま嫁入りをし、村人たちに殺されてしまいました。

すると、雲一つ無い空にもかかわらず、
大粒の涙のような雨が降ってきました。

カンカンに晴れているのに・・。
-------------引用終わり
狐の嫁入りを題材にした地歌
http://members.jcom.home.ne.jp/wj2m-nrmt/page58.htm

私が一番興味を引いたのは外国でも天気雨に動物の結婚という表現を使っているということですね
太陽を花婿、雨を花嫁さんにみたてて結婚という表現を使ってるのかな
ハーバード大が'98年にまとめた世界の表現集
http://www.linguistlist.org/issues/9/9-1795.html

気になったのでちょっと検索してみました
過去にあった質問
http://okwave.jp/qa80450.html
岐阜地方気象台のサイトから
http://www.gifu-net.ed.jp/kishou/bbs/ans/a0386.htm
Yahoo知恵袋にあった回答
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129106872
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1410317934
森田さんの回答
http://www.tbs.co.jp/morita/qa_tenmon/faq_020511-12.html
これは後から作られた話かな
http://ameblo.jp/antonov/theme2-10002083045....続きを読む

Q日本の昔話における狐

日本には狐が出てくる昔話がたくさんありますよね?

狐のイメージとして狡猾というものがあるせいか、狐は昔話において悪役になることが多いですが
狐がかわいそうな役回りになっている昔話はありますか?

またなぜ狐には狡猾なイメージがついたのでしょうか。

Aベストアンサー

「なぜ狐には狡猾なイメージがついたのか」はわかりませんが、「悪役ではなくて、ちょっと可哀想」な昔話なら知っています。

かのアニメ「日本むかし話」で「きつねがわらった」という話があります。
数年前に思い出したようにゴールデンで再放送された際に初めて観たのですが、大変素朴(地味?)な話ながらもすっかりこの話に魅了されてしまいました。

「相手に悪かった気にさせないよう、終わらせる」といった礼儀・気配りの精神や、「人を憎まない(他人のせいしない)」「与えられた運命を受け入れる」・・といった、日本ならではの「慎ましさ」の美徳がそこにあると思いました。(日本では当たり前に尊ばれているそういった考え方も、日本を一歩出ると案外当たり前でもなかったりしますね。)
でも、狐にとってはそれが「美徳」でありベストな生き様であったのですから、「可哀想」等と言ってはいけないのかもしれませんけどね。

Q狐の嫁入り行列

新潟県津川町の他に狐の嫁入り行列を見られるところはありますか?
以前、妻籠のお蕎麦屋さんに宣伝の名刺が置いてあったのですが・・・
テレビでも放映されたようですがどこか忘れてしまいました。
ご存知の方教えてください。

Aベストアンサー

山口県でもあるようです。こちらだったでしょうか…?

参考URL:http://www.ubecci.or.jp/event/sinkawamaturi/suke.htm#idx-a06

Q林芙美子の放浪記の舞台はどこですか?

林芙美子の放浪記の舞台はどこですか?
との質問を受けましたが、答えられませんでした。
どこというのがよいのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。

そうですねぇ・・・ここ!と断言したいなら、私的にはやはり尾道でしょうね。幾ら彷徨っても、彼女の心は何時も、尾道を目指していますから。

Q天気予報で使わている用語の意味

英語の天気予報を見ているとよく
" Clearing shower"という表記をよく見かけます。
これは、「大雨」という意味なんでしょうか?

Webでも英和辞書でも見当たらないです。
分かる人いましたら、教えてください。

Aベストアンサー

専門家の方々でもちがう意見が出ているようですので、お答
えします。このclearingは品詞的には現在分詞なのでshowerを
取り除くわけではありません。clearingなshowerということ
です。では、clearingとは何か。ここでは、open spaceと
いう意味で、「晴れ間」ということです。
つまり、「晴れ間のあるにわか雨」ですね。イギリスでは
一日に何度かこういうことがあります。日本語の適当なこ
とばでいうと、「狐の嫁入り」とか「天気雨」みたいな
感じです。

Q漁夫の利を借る狐!?【ことわざ】

彼氏が、後輩の男の子とその彼女にウンチクをたれていた時のたとえ話です。
「漁夫の利を借る狐って言葉もあるだろ?」って。

ふんふんと、尊敬の眼差しで彼氏を見ている後輩の態度をよそに、私は思った!。
「漁夫の利」と「虎の威を借る狐」が、混ざってませんかー?。
そんなことわざ、聞いたこともないんですけどー(>_<)。

一瞬「え?」という怪訝な顔で彼を見たものの、
後輩達が彼氏を尊敬の眼差しで見ているので、言えませんでした。

帰ってきてから、彼氏に「漁夫の利」と「虎の威を借る狐」は
全くの別物のことわざだと思うと告げました。
でも、彼は「いや、学校で先生にそう習った!!」と譲りません。

造語とかで、そのような言葉は使われているのでしょうか?。
時々、思い出しては納得がいかないです。

Aベストアンサー

 
  そういう言葉は、確かに使っている人はいるようです。わたし自身は直接聞いたことはありませんが、昨日、半分眠りつつ、インターネットで、どこかを見ていると、「漁夫の利をかるきつね」とかいう諺を学校で学んだと主張している人の話がありました。少なくとも、使っている人がいるというのは本当のようです。
 
  これは元々、中国の漢文の諺であった「漁夫の利」と「虎の威を借る狐」を勘違いしてか、意図的にか、合成でしてできた言葉であるらしく、「漁夫の利を狩る狐」というらしいですが、「漁夫の利を借る狐」と書くのだと思っている人もいるようです。
 
  「漁夫の利」は、争っていると、より「狡猾な」者が現れて、争っている者双方とも、身を滅ぼすという意味で、争っている者に対する警告で、世のなかには「狡猾な者」「関係ないところから突然現れて、利益を洗いざらい浚って行く狡猾な者がいる、注意せよ」という意味です。
 
  他方、「虎の威を借りる狐」あるいは「虎の威を借る狐」は、虎が狐に向かい、「俺は偉いのだ」と言って、狐を後ろに従え森を歩くと、森の生き物が皆、虎を見て、驚いて逃げるのを示したのですが、狐が、「そんなことはわたしもできますよ」と言い、虎に後ろについてきてよく見るようにと行って、狐が先頭に立って歩くと、森の生き物が皆、狐と虎を見て、驚いて逃げるので、虎は感心して、「お主もなかなかやるのう」とか言って、騙された話です。これは、実力のない者が、実力のある者を後ろ盾にして威張るという意味だとされていますが、実は、狐は、森の生き物を驚かしたと同時に、本当に騙した相手は「虎」であるのです。狐がいかに狡猾かということを示す話でもあるのです。
 
  「漁夫の利を狩る狐」というのは、世間には、他人の争いに乗じて利益を得る狡猾な者がいる。しかし、もっと狡猾な者がおり、実力は大したことはないのに、バックにある組織とか人物を後ろ盾に、そういう漁夫の利をしめる狡猾な者から、更にその利を吸い上げるというので、こういう諺があるようです。こういう「狐」は、便乗利益を狙って、絶えず、「漁夫」を捜していて、漁夫が利益を得ると、それを「狩って」行くので、こういうそうです。
 
  政治家秘書とか、大企業の肩書きで、狡猾な者からも利益を吸い上げる狡猾で小心な者を批判的に指すのに使うようです。また、国会議員バッジを見せながら、公害企業などに賄賂を要求する政治家の譬えにも使うようです。
 
  なお、「漁夫の利を狩る狐」とは、どういう意味か、これは、「教えてGOO」いう場所の質問 No.235453 の回答に、こういう意味だと書かれているそうです。参考にしてください。
 
  また、そう言い張る彼氏には、「漁夫の利」の意味と「虎の威を借る狐」の意味を説明し、更に、「漁夫の利を狩る狐」の意味についても、上の説明でしょう、と尋ねてみられることです。その通りだと、いう場合は、そういう諺は、「もの凄くマイナー」なので、一般には使わない方がいいと、アドヴァイスしてあげればいいです。また、そういう意味ではない、という返答でしたら、どういう意味か尋ねてみられ、本当は、こういう意味で、やはり、「もの凄くマイナー」なので、一般には、使わない方がいいとアドヴァイスされることです。
 
  また、「虎」の力や、あるいは雑学のこけおどしの博学などで、いい加減なことを主張しごり押しして、自分では、そういうことをしているのに気づいていない人のことを、「威のなかの狐」とも言います。また、専門家と名乗って、色々なことを言う人も「威のなかの狐」とか「威のなかの専門家」などと呼ぶそうです。あるいは、回答者同士で何が正しいか色々論じていると、質問者が、回答だけちゃっかり手に入れて、「お礼」のレスは書かない、質問も閉めないで、どこかに去って行くような場合、「質問者の利」とも言うそうです。言葉は色々派生して、面白いですね。
  

 
  そういう言葉は、確かに使っている人はいるようです。わたし自身は直接聞いたことはありませんが、昨日、半分眠りつつ、インターネットで、どこかを見ていると、「漁夫の利をかるきつね」とかいう諺を学校で学んだと主張している人の話がありました。少なくとも、使っている人がいるというのは本当のようです。
 
  これは元々、中国の漢文の諺であった「漁夫の利」と「虎の威を借る狐」を勘違いしてか、意図的にか、合成でしてできた言葉であるらしく、「漁夫の利を狩る狐」というらしいですが、「...続きを読む

Q意味を研究する事って

こんばんは。
今、授業で「認知意味論」を学んでいます。私は「意味を研究する事に意味があるか」という質問に答える事になったのですが、意味が無いと言ってしまうと授業が成り立たないので意味があると答えるべきだと思いました。
しかし、その根拠となる事柄がなかなか思いつきません。「どんな語にも意味があり、言語活動は意味を伝達する事であるから」ということだけでは、意味を研究する意味の根拠としては乏しいと思うのです(語の持つ意味が重要だとしても、言語によって意味は違い、その全てを網羅するのは不可能に近く、また、ある一つの言語に限っても、類似した意味の区別をつけることは困難、つまり意味というものは曖昧なものだから。)
そのような訳で、意味を研究する事の意味はどこにあるのか、皆様の考えをお聞かせ願いたく、質問しました。
また、私は専門家ではないので難しいことは分かりません。もし上の私の考え方でおかしなところがあれば訂正頂ければ助かります。

Aベストアンサー

意味論というのは定義が難しくて定義も様々ですが、共通して確認できる前提としては、意味というものは社会的な性質を持っているということです。要するに、言葉の意味とは事物の中に隠れているものが発見され命名されるのではなく、人間がその言語を通して事物に意味を与えていくものだということです。

将棋をさす時にある駒が足りなければ、そこらの石でも牛乳瓶のふたでも、何でも代用することができますが、これは駒そのものが重要なのでなく、将棋というゲーム全体の関係性の中においてその駒に与えられた意味が重要だからです。逆にいえば、ある駒を見つめていてもその駒の持つ意味というものは決して理解できません。

これと同様に、意味というものは全体の関係性の中で言葉に付与されるものですから、孤立した単語を眺めていても決して浮かびあがってくるものではありません。言葉の持つ意味とは、他の単語との関係の中に捉えられる、ある体系内の価値である、という風に認識できるでしょう。言語とは網のようなもので、意味とはその中の流動的なひとつのマスに過ぎません。これが意味論の根本的なスタンスと言って良いでしょう。
そう考えると、ご質問にある「言葉の意味を考える」ことは、すなわち社会制度としての言語の意味のネットワークを考える、ということに直結するわけですから、文化・社会・歴史全般にわたる広がりを持つという意義もわかるでしょう。裾野が大変に広いわけです。

言葉がご指摘のように曖昧な意味を担っていて、周辺のぼやけというかある幅を有することも事実ですが、先の意味から考えればこれは逆に、意味が他律的に周囲との関係の中で定まるものであるがゆえに、意味の中心が存在せず、せいぜい最大公約数的なものしか認識できない、という風に言えるでしょう。

要するに、明快な意味が定義できないから駄目なのでなく、そこをスタートとして、それなのに曲がりなりにも意味が通じ合うのはどういうことなのか、という風に意味の意義を求めてみてはどうでしょうか。
「言葉はモノの名称リストではなく、我々の世界認識の結果である」というのが、現在の言語観の基本です。

また、意味というものは意外と動的なもので、単純なものではありません。意味論の初歩でデノテーションとコノテーションを学ばれることと思いますが、例えば『ユダヤ人は所詮ユダヤ人さ』というせいりふの意味を考えてみると、最初のユダヤ人は「ユダヤ民族に属する人」という外示的意味(デノテーション)を指すのに対し、あとの方のユダヤ人とは「狡猾でずるいやつ」という共示的意味(コノテーション)を担っています。

これはひとつの些細な例にすぎないのですが、コノテーションを深く知れば、表現を通じて人間の意識というものを知ることにもつながります。言葉の意味は一定しないもので、常に既成の意味体系に限定されていく人間の意識が、言語の表現作用を通じて解放されていく様がコノテーションには見られるからです。
意味というのは世界の分節化であり限定性を本質的にもつものですが、それに抗って新しい意味生産を行うこと、つまり、言語の網の目の改変、という点で言葉の意味をたどることは人間の意識や思考方法そのものを見つめることに直結します。無意識のレベルで言葉の音と意味がどのように関わりひとつの語として紡がれるのか、というプロセスを研究する人達もいます。

さらに、認知意味論というのは特に人間が意味を認識する過程を問題にするわけですから、意味を考えること、ひいてはどうやってその意味が認識されているのか、ということは人工知能や認知哲学など広い分野に活用されるべき知識です。
例えば、海に浮いているメッセージボトルを見たとき、我々はすぐにそこに何らかの意味があることがわかるのですが、これはなかなか容易なことではありません。内部情報(中の紙に書かれている意味)を理解する以前に、外部情報(例えば「この文章が日本語で書かれている」といったこと)、さらにフレーム情報(つまり「このボトルの中には意味のある情報が入っている」ということ)が適確に理解されなければなりません。
「これは意味のあるモノである」という情報それ自体もメタ情報として意味を担っているわけで、実は語やモノの意味を理解することはそれ以前に多くの意味の解釈を必要としているのです。我々にとっては無意識の作業ですが、そういった事柄が我々の頭の中でどのように認識し処理されているのか、大変興味深い研究テーマだと思います。その困難さは、人工知能にこれらの行為を代替させようとした時にどれほどの困難が伴うことかを想像してみればわかることでしょう。

※少しご質問の内容とはずれがあるかもしれませんが、あまり意味論を理解していない回答が多いようなので、敢えて考え方のヒントとして書いてみました。ご参考までに。

意味論というのは定義が難しくて定義も様々ですが、共通して確認できる前提としては、意味というものは社会的な性質を持っているということです。要するに、言葉の意味とは事物の中に隠れているものが発見され命名されるのではなく、人間がその言語を通して事物に意味を与えていくものだということです。

将棋をさす時にある駒が足りなければ、そこらの石でも牛乳瓶のふたでも、何でも代用することができますが、これは駒そのものが重要なのでなく、将棋というゲーム全体の関係性の中においてその駒に与えられ...続きを読む

Q林芙美子が恨まれた理由は?

 林芙美子さんの葬儀の時に、挨拶に立った川端康成が芙美子の生前の不義理を弔問客に謝ったそうですが、何に対して詫びたのでしょうか。流行作家になってから人が変わったように他人を攻撃したり、悪い噂を流したりしたそうですが、具体的にどんなことをしたのか知りたいと思います。また、なぜそんなことをしたのでしょう。教えていたただければ幸いです。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
 虚像と実像 ~ 余りに文芸的な人々 ~
 
── 川端康成はこう挨拶したのです。『故人は自分の文学的生命を保
つため、他に対して、時にはひどいこともしたのでありますが、しかし、
あと二三時間もすれば、故人は灰になってしまいます。死はいっさいの
罪悪を消滅させますから、どうかこの際、故人を許してもらいたいと思
います。』
 確かに芙美子は、後進の女流作家に意地悪をしたり同輩の女流作家
(とくに吉屋信子や平林たい子)に無意味な対抗意識を持ちすぎました。
けれども、告別式が行われている芙美子邸の外には、焼香を待つ市井の
人たちが何百人も行列していたという事実の方が大事なのではないか。
霊柩車が家を出たときは大勢の人たちに囲まれて、前へも後ろへも動け
なかったともいいますが、つまり、芙美子は文壇の鼻摘みものにして、
市井の人気者だったわけです。いや芙美子は最初から最後まで市井の一
員だった。だから一種特別の集まりだった文壇では摩擦ばかり引き起こ
していたのではないか。・・・」
http://homepage3.nifty.com/ryuichiro-n/comment/taiko04.html
── 井上 ひさし《太鼓たたいて笛吹いて 20040402-0429 サザンシアター》
 
<PRE>
♀林 芙美子  19031231 福岡 尾道 19510628 47 /過労死/19510629 46 /籍=フミ子
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030629 生没百年 ~ 林 芙美子「あじさい忌」
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C9%E7%C8%FE%BB%D2
 
♀吉屋 信子  18960112 新潟 鎌倉 19730711 77 /門馬 千代の養母
♀平林 たい子 19051003 長野   19720217 66 /籍=タイ/小堀 甚二の前妻
 
 川端 康成  18990611 大阪 逗子 19720416 72 /ガス自殺/18990614
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C0%EE%C3%BC+%B9%AF%C0%AE
 
 井上 ひさし 19341116 山形 東京 20100409 75 /19341117/旧姓=内山 廈
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20100409 遅筆堂主人 ~ 怒る亭主は久しからず ~
</PRE>
 
── 芥川 龍之介《文芸的な、余りに文芸的な 192704‥-08‥ 改造》
 

 
 虚像と実像 ~ 余りに文芸的な人々 ~
 
── 川端康成はこう挨拶したのです。『故人は自分の文学的生命を保
つため、他に対して、時にはひどいこともしたのでありますが、しかし、
あと二三時間もすれば、故人は灰になってしまいます。死はいっさいの
罪悪を消滅させますから、どうかこの際、故人を許してもらいたいと思
います。』
 確かに芙美子は、後進の女流作家に意地悪をしたり同輩の女流作家
(とくに吉屋信子や平林たい子)に無意味な対抗意識を持ちすぎました。
けれども、告別式が行われている...続きを読む


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