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以前、ここで親孝行してますか?という質問をしたら

産まれてきてやったんだから、存在自体が親孝行みたいな回答をする人が何名かいました。


ここまで日本人の価値観は変わってしまったんでしょうか?
それともネット特有の価値観なんでしょうか?

なんという高飛車、傲慢なんだと思いました。

A 回答 (4件)

今、母が沖縄旅行に行ってるんですが、行く前にお小遣い3万円あげました。



今までは子育てのフォローなど世話になりっぱなしで、何かの形で恩返ししなきゃとはずっと思ってたけど、自分の生活が苦しい時にあげても突っ返されます。ようやくさりげなくあげられるようになった。

お金そのものじゃなく、こんな立派になったんだよ、と示すのが親孝行なのかなと。

あと、孫のめんどうを見てもらうのも親孝行のひとつだと思ってます。

確かに存在自体が親孝行かも知れないけど、それは子が言うセリフじゃないよね。

大金あげなくても、ささやかでも、育ててくれた感謝の気持ちを示すだけで親は喜ぶんだから、生きてるうちに何かしないといけないよね。
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そんな回答は、「開き直り」だね。


それができないと、「自分の存在価値」「生きる意味」とやらに、逆にあれこれ悩むんじゃないの?
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悲観的になってしまう質問者様の心情は、何となく解ります。



しかし、好意的に解釈すれば、「親孝行」に対するそうした考え方は、自分自身が子の親となり、我が子に対し、「産まれてきてくれただけでありがたい」と実感するようになったことで、新たに芽生えた価値観だったりするのかも知れません。

ただ、現実問題として、親の保護下から卒業できない子たちの反抗心が、親の存在を過剰なまでに軽んじたり疎ましがる態度や価値観を生んでいる側面は、否定できない部分があるかなとは思います。
親に対し、高飛車・傲慢とも思える発想に頼ることで、親元を離れ、自立してみせるほどの生活力がない自分自身への焦りや苛立ちを、少しでも紛らわせるしかないのかも知れません。

(注)ココに書いた内容は、身近な人々の証言を見聞きする中で、自分自身が感じてきた一例であり、質問者様のご質問へ参加された回答者様の立場を、そのように決めつけたいわけではありません。

私の親孝行に対する概念は、「わざわざ人前で『私は親孝行してマス』などと披露してみせるほどのことではない」だったりします。
その考え方の根源にあるのは、「子が親のために尽くすのは当然のことであり、誰かを感銘させるような理想的な答えを、敢えて用意する必要はない」という信念ですが、私のこうした価値観も、高飛車・傲慢と受け取られておかしくないかも知れませんね。
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貴方は、子の親ですか?


だとしたら、見返りのための子育てなんですか?

私は、親が子供を育てるのは当然のことだし、親の生きる目的だと考えています。
だから、子供にその気持ちを押し付けて、自分に返してくれるのではなく、子供には子供自信やその子供に伝えていってほしいと願っています。

生まれてきてくれて、存在自体が親孝行でも全然かまいません。

甘やかしすぎかもしれませんが、そうやって、気持ちを未来へ繋いでいくことが、自分の役目だと思って生きています。
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