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日本のほとんどの大学(工学部)では、線形代数学を習うと思いますが、どうして抽象的な理論を中心に講義を行っているのでしょうか?
米国では、具体的な計算等を中心に行なっていますし、工学の分野では、数学科ほど理論に力を入れる必要はないように思えるのですが、何か理由があるのでしょうか?
日本の大学の試験でも線形代数学の場合、具体的な計算が中心だったので、わざわざ理論にずっと時間をかけていた理由が分かりません。線形代数学以外の科目でも同様です。
米国では、時間がたっぷりあって、日本では時間が限られているから詰めているだけなんでしょうか?
例えば、youtubeで「京都大学講義 全学共通科目 線型代数学A 」、「mit linear algebra」とそれぞれ検索し、京都大学とMITの講義を比較すると、MITの方が分かりやすくなっているが、京都大学の方はほとんどが抽象的で分かりにくくなっています。講義時間と回数も異なります。
数学で日本の講義を理解している学生は1~3割しかいないらしいです。

A 回答 (5件)

おそらく、「日本のほとんどの大学」ではそうではないと思いますよ。


ただし、難関大学ではそういう傾向はあると思いますし、おそらく京都大学が日本で最もそういう傾向が強いのではないかと思います。

そもそも、なぜそうなるかと言えば、大学が学部と教養課程に分かれていることが原因の一つです。現在、教養部は廃止されている所も多いですが、京都大学では依然として、共通教育の課程が明確に残っていると思います。そうすると、当然のことながらその講義担当者がいますが、京大であればおそらく総合人間学部の教員が担当するでしょうし、その多くは理学部数学科の出身です。つまり、理学部的な観点から講義が行われます。
だとすれば、「理屈を知ることが学問の根幹であり、理屈がわかれば、具体的な計算は簡単にできるはずである」とか、「理屈がわからずに計算をするのは科学者としてよろしくない」などという価値観をもっている訳です。つまり、そういったことをおろそかにして計算練習のようなことを教えるは彼らのプライドが許さない訳です。また、多くの教員は難しい内容の講義をしたがる傾向があるものです。

当然のことながら、数学科の教授がそういった講義を本気ですれば、それを十分に理解できる学生は少ないでしょうけど、幸か不幸か、京大クラスであれば、理解できてしまう学生が少なからず存在するのでしょう。そのために、教養部廃止後に、形を変えてでもそういった伝統が脈々と受け継がれているのでしょう。

一般教養の数学を担当しているのは理学部出身者が多いと言うのはどこの大学でもあるでしょうから、そういう傾向は他大学でもあるかもしれません。しかし、それでは単位を取れない学生が多すぎるという話になれば改めざるを得ないんでしょうけどね。
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この回答へのお礼

私立大学でも国立大学と似たような状態だったのですが、やはりライバル視して似たような状態になってしまったのでしょうかね。数学以外の専門科目まで似たような状態だったものもあります。数学を担当していた教員はたしかに理学系の出身者でした。教養部の歴史が影響していたとは思いませんでした。調べたら、明治時代の大学予備門で行われていたことが今でも続いていたみたいで、ショックを受けています。理論ばかり教えている科目でも試験は計算問題が中心のため、講義で行なっていることを理解しなくても単位をもらえてしまうのですが、やはりその切替ができない人もおり、これは何か意味のあることなのか疑問に思っていました。参考:教養部解体とその後の大学:http://d.hatena.ne.jp/ProfDr_SUMIOKA/20100118/12 …

お礼日時:2013/04/22 18:25

さらに補足。



そういう劣等生でも,その後,数学を自発的に勉強しなかったわけでもありませんからね。Mandelbrotの『Fractals』がでたとき,この理論は他分野でも応用可能なのですが,まだ日本語訳がでていなかったので数学科図書室から原書を借りてきて読みました。その熱心さでもって,「お情けC」の先生に応えたと思いますよ。
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>大学の授業がすべて理解できる必要はない



あ,それでも数学で「お情けC」はもらって,ちゃんと卒業してますよ 爆。たしか,何問かあったうち,1問しかまともに解答できなかったと思います。
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>理学部の学生でさえも理解できていないというのは、やはり問題がありそうです。



いやあ,理学部つったって極左から極右までいろいろな分野があるわけで・・・ぼくは「体力勝負の理学部」なもんで 爆。

理論系の科目がさっぱりわからないという経験をしたおかげで,「おれの抽象的な思考力はだめらしいな。じゃあ,体力で稼ぐしかねえだろ」という,正しい判断ができたわけです。そういう逆説的な意味で,大学の授業がすべて理解できる必要はないとぼくは考えています。

ただしこれは,入学試験は一括募集で,専門課程で分野を選べる場合です。もしぼくが受験の理数がちょいとできるくらいで誤って数学科や物理学科に入ってしまっていたら,悲惨きわまる結果になったでしょう。
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ぼくは理学部(非数物系)だけれども,教養課程で受けた「禅問答」のような数学は,さっぱりわかりませんでしたね。

その後,工学部に進学した友人(やはり数学はさっぱり)に「やっていけるのか?」と質問したところ,「あんなもん工学部じゃ使わねえよ。実用数学を別に習うから,大丈夫なのさ」との答えでした。日本の大学で禅問答をするのは,脳味噌の眠っていた部分を刺激してくれたわけであり,ぼくでさえも何十年も<習ったことだけ>は覚えていますので,まんざら無意味ではないと思います。

youtubeの講義録画(しかも英語)を聴いて理解できるとは,あなたはたいした脳味噌の所有者ですね。
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この回答へのお礼

理学部の学生でさえも理解できていないというのは、やはり問題がありそうです。youtubeでの講義は黒板に書かれている内容だけでも比較可能ですが、私の場合幼少期に英語圏で生活していたため、日本語と似たような感覚で英語も理解できるだけです。MIT、スタンフォードの講義を視聴してビックリしました。

お礼日時:2013/04/22 18:13

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