プロが教えるわが家の防犯対策術!

 理系大学に通っているものです。言語能力を鍛えなおし、勉強の能力を常人並みに上げたいのですが、何を始めたら良いか分からないので質問させていただきます。
 言語能力がない人は、思考能力、勉強の能力ともに低いということを聞いたことがあります。
過去の話をすると、自分は受験生のころ、国語・英語ともに物凄く苦手でした。センター試験の現代文の過去問では、なかなか8割を超えることが出来ませんでした。(ちなみに、教材は出口先生の「システム現代文」を使っていました。)
受験は高校2年生の頃から国公立の電通大を目指していましたが大失敗。家から通うのに3時間もかかる私立で偏差値の低い東京電機大に行くことになりました。
失敗の原因は言語能力が自分にはなかったからだと思っています。
 現在は家族から「お前はもの覚えが悪い、要領が悪い、日本語が変だ、バカだ」とよく言われます。
例えば、毎週末に親から料理を教えてもらいますが、その時に何度も同じ注意をされ、同じ失敗をしてしまいます。他にも、大学の課題のレポートを書いて兄に見せると、「分かりにくい下手な日本語だ」とダメ出しされてしまったりすることだって多いです。
それにこの簡単な質問文を書くのに、30分も掛けてしまいました。やっぱり言語能力がないんです。
 このままでは自分は普通の人のように勉強することができない、これからも苦労していく人間のままで生きていくことになってしまうから、思考能力の基本となる言語の勉強をしなおしたいと考えています。
 TOEICの勉強も頑張って、これから英文法の再確認などしていこうと思ってますが、その前に今一度、心配な日本語の言語能力を最低限鍛えなおそうと考えているのですが、良い方法、または薄めの良い問題集、特に電車の中でもできるような良い読むべき本などはありませんか?

A 回答 (12件中1~10件)

補足。



あなたの質問文をみるかぎり,語彙力が弱いのではありませんか。使ってある単語が,なんというべきか,どうも「定型的」に感じます。ぼくが引用した荷風の文章は,文体が古くてとっつきにくいというだけではなく,単語そのものがわからなかったでしょう? 日本史の知識もなければ,「紀元節」なんていう昔の祝日もわからないはず。

そういえば,某米国大統領の知能指数が,その演説のボキャブラリーの分析から「常人以下」なんてはなしもありましたね。
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この回答へのお礼

語彙力の不足・・・あると思います。
日々、改善していこうと思います。
ご指摘ありがとうございました。

お礼日時:2013/04/24 20:47

いや、質問文は論旨通ってて読み易かったですよ。



ローマの賢人カトーがこう言っています。
「読むことによって知のなんたるかを学べ」

私は読みも書きも得意で、代議士の演説原稿を書いたりもしてきましたが、
その源泉は、小学低学年で市立図書館の本を制覇する程読み漁ったことと、
(これで小一の時、市の読書感想文コンクールは最優秀賞いただきました)

小学高学年では18巻ある百科事典を読み込んだことにあります。

読む量を圧倒的に多くすることです。
量が質に転化するんです。

まずは野矢茂樹さんの本を推薦します。
新版 論理トレーニング
http://www.amazon.co.jp/o/asin/4782802110/

補足かお礼で、読んでみた感想を聞かせてくれたら嬉しいです。
この本があなたにユンケルのように効くことを保証します。

私も、この回答書くのに相当時間をかけて、
前後に行ったり来たりしながら、推敲重ねました。
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たぶん、これからの何かのヒントになるかと思って書きますが、


数学は、解けない問題をもう一度やる、のではなく、解けない問題を、解けない状況を再現した上で、何が原因だったのか、どう見えていたのか、どう見えなければならなかったのか、と細かく潰して行かなければなりません。
それを全範囲で積み重ねることが重要です。
また、入試標準レベルの勉強ができないのであれば、基礎レベルの勉強に一段落として、まずそこをしっかりやることです。
入試標準レベルのことがスラスラできれば、数学だけなら電通には受かっていたでしょう。

英語に関しては、たぶん、言語力云々というレベルのことは、電通程度だとあまり問われてないんじゃないかと想像します。
言語力以前の基礎の所、単語だとか文法だとか基礎的な読解だとか、その辺りがちゃんとできていたのか。
数学も英語も、積み重ねの科目です。
基礎がちゃんとできた上で、それで入試標準レベルのことを積み重ねていたのか。
基礎ができていない状態で、それより上のことを積み重ねようとすると、それこそ余程要領の良い人を除けば、ザルのように勉強した内容が抜け落ちていくでしょう。

こういう地味な作業って、むしろあなたに合っているんじゃないかと思うんですが、如何でしょう。

> 言語能力がない人は、思考能力、勉強の能力ともに低いということを聞いたことがあります。

確かに、私自身、十分な言語能力があるとは思えません。
十分な能力があれば、例えば教科書などを読んで、それで一度に吸収できる内容が違うんだろうと思います。
ただこれも、「有無」ではなくて「程度」の問題で。
日本語を、読むには読む、目を通すが、実は内容がさっぱり掴めないような人だと、確かに大学入試どころじゃないでしょうね。
ただ、あなたがそこまで酷いとは思えません。
出口ができるかどうか、センター8割、というラインで考えても、おそらく現実に、電通やら広島大学やらに、センター現代文6割で受かっている奴は居るんだろうと思います。
だから、そのレベルの大学で、言語能力によって左右されるようなことは、あまりないと思います。
勿論、言語能力が高い方が勉強が楽なのかもしれませんが、そのラインに足りないからといって絶望的ということも無いでしょう。
東大に行こう、というのでしたら、真っ当な言語力があった方が良いだろうと思いますけど。

本。吉川英治なんてどうでしょうか。綺麗な文体だなぁと思いました。
いえ、私は文章のことは詳しくありませんから、その辺の大学の先生にでも聞いて貰った方が良いでしょうけど。
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この回答へのお礼

昨日、思考能力は低いのかもしれないのではないかというアドバイスを受けましたが・・・。
入試の勉強のスタイルについてのご指摘、今後に生かしていこうと思います。
アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2013/04/25 13:50

 こんばんは昨日の追記です。

少しばかり違う角度からです。
パソコンのモニター画面には様々な画像が表示されていますね?。でもあれはプログラムを実行している画面であって、もう一つキャラクター画面もあります。
 そんなことは知っていると仰るはずですが、では「プログラム」って一体何でしょう。プログラムの大方は
“A=A+1”で始まります。でもこれは「単なる数式」ではありません。“A”という値に常に“1”を代入せよ、とコンピュータに「指示を与えるための表記」です。つまり「翻訳」です。では「翻訳」の目的は一体何でしょう。コンピュータは電気仕掛けの機械装置ですから人間の言葉をそのままでは理解できません。人間がコンピュータに指示を与えるには両者の間に架け橋が必要です。人間側から見た各プログラム言語のソースがそうした役割を演じ、最終的に「ゼロ・イチ」の電気信号に置き換わるだけです。
 これを文章の問題に置き換えてみましょう。俳句を英語に「翻訳する」。この問題を例に挙げます。芭蕉の「古池や~」を英語に翻訳したらどうなるか。
 “An old pond,
  A frog jumps in・・・
  The sound of the water.”
 17文字のなかに織り込まれているイメージや感慨といった日本文化固有の前提を大方の英語読者は共有していませんから、そこに記されたとおりの「光景」を言葉に置き換えるでしょう。でもこれだけでは「芭蕉の句を英語に訳した」ことにはなりません。光景を機械的に言葉に置き換えただけですから。
 日本人が「僅か17文字」の中に詠み込んでいる内容を少しでも明示的に表現するなら、こんな形にもなります。
  “Into the calm old lake
A frog with flying leap goes plop!
The peaceful hush to break.”
「静まった古い池の中に、蛙がぽしゃんと音を立てて飛び込み、静寂を破る」と一言の説明があれば、日本の文化を理解していない他言語文化の方にも少しは「芭蕉の気分」を伝えることができるでしょう。つまり江戸時代の芭蕉の言葉を「一度、現代の言葉や雰囲気に置き換えてみる」ことで、芭蕉の句が伝えようとしたことを英語に置き換えることも可能になります。
 質問者様はご自身を「言語力がない」「論理力がない」とお嘆きのご様子ですが、考えをまとめる力もあれば論旨明快に話をする部分に何らの遜色は見られないと僕は感じています。
 少しだけ付け加えるなら、同業者の方が仰る「語彙」と同時に僕は「語感」というスパイスを足してみたらどうかなと感じます。言葉にも幾つかの種類があって、強い言葉もあれば優しい言葉や耳からすーっと入ってくる音楽作品のような言葉もあって、時には人を励ます手段にもなれば逆に刃物のような凶器になることすらあって、僕自身も臆病になってしまうことも珍しくはありません。自身の口から離れた瞬間に言葉は独り歩きを始めますから、相手がどの様な解釈を持ってしまうかは相手によっても、相手の気分によっても様変わりしてしまいます。
 その自分と相手の間をつなぐ「架け橋」として「翻訳する」ことを考えてみてもおもしろいかなとも存じます。
 今手元にある書物では北條文緒さんの『翻訳と異文化』(みすず書房刊)、丸山眞男さんと加藤周一さんの対談を掲載した『翻訳と日本の近代』(岩波新書)、月本洋さんの『日本語は論理的である』(講談社選書メチエ)、辰濃和男さんの『文章のみがき方』(岩波新書)、齋藤孝さんの『古典力』(岩波新書)をお薦めします。
 またお手許に辞書を二種類ほど置かれることも効果的です。一冊は国語辞典の類で、もう一方は語感や語源に関する辞書が効果的です。同じ言葉を別の表現にするならばどの様な言葉があり、それはどの様な成り立ちでそうなっているのか、などを手繰っていけば自ずと言葉の森に脚を踏み入れることとなります。
 物語の言葉って様々な顔を見せますから、何かワクワクとそそられますね!
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この回答へのお礼

国語辞典を置きながら、本を読むと。
すこしシュールですね(笑)
ぜひ参考にさせていただきます。

お礼日時:2013/04/25 13:54

あなたには「とりあえず話す、書く癖」はないですか。


時にはそれもなかなか良い手なんですが、それでまとまりに欠くケースも多いです。
苦手な人はそういう人が多いですね。

そういう場合は何事も一拍おく癖をつけるといいですよ。
それで結論を出してから話す、書く。
そして内容も補足するのではなく、ムダを削る意識を持つこと。
そして質実剛健な話し方、書き方は割と冷たい印象を持ちやすいので、笑顔やユーモアを持つこと。
基本的に一息で言えるぐらいがベスト、一文一意が原則です。



本は齋藤孝さんや池上彰さんの著書がいいです。
あとは家でセルフトーク(独り言)をするといいです。
批判の多い政治家ですが、有名議員ともなると実際問題、大したものですよ。
よく聞いて真似するといいです。

などなど「上手い」と言われる人の発言をyou tubeなどで見つつ
安倍総理や齋藤孝さんや池上彰さんのつもりで5-10分書く、話してみる。
いかに自分が無能か思い知らされますよ。
ただ繰り返していくだけでもすごく向上していきます。
またオモテでもどんどん練習すること。
積極的にゼミや学会で発表したり、サークルやバイトでも意見を言ったりする。
批判されたり失敗することもあるでしょうが、繰り返すことで向上出来ます。
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この回答へのお礼

今からでは遅い、なんてことはなく、寧ろこれからなんですね。
希望めいたものが見えてきました。
練習やってみます。
アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2013/04/24 21:01

> それにこの簡単な質問文を書くのに、30分も掛けてしまいました。



そんなもんです。
できが良いんでそれで良いですよ。
30分かけてぐっちゃぐちゃというのとは違いますんで。
大事なのは、それを繰り返すこと、積み重ねること、です。
そうすると早くなるんです。
初めから早いんじゃありません。

数学力はどうなってますか?
むしろ、論理的思考力に問題が無いでしょうか?
例えば、
> 言語能力がない人は、思考能力、勉強の能力ともに低いということを聞いたことがあります。

xxだと聞いたことがあり、自分にもその可能性がある、というのは判りますが、果たしてそれが原因だと確定させてしまって良いのでしょうか?
何が原因なのか。原因に対して対処があります。原因の分析を間違うと、対処も間違います。

書けば綺麗な文章が書けるけれど、レポートの文章が分かり難いわけです。
論理性の方じゃないかなぁと。勘ですが。

出口をやっても身に付かなかった。
普通は論理性を疑うべきだと思いますが。
それに、出口をやってみてダメだったのなら、次の手を考えないといけませんでした。
中学生用の教材をやるとか、板野やら他の人の教材に変えるとか。
つまり、判断力がどうなのか。
どどのつまりは、電通に受からなかったわけです。
数学ができていれば、電通はともかく、もっと良い私立に受かっていたということは。
論理性や判断力を、十分に鍛えていたでしょうか。

要領が悪い。それはそうだろうと思いますが、その前に、要領よくやれるまで、できるようになるまで、繰り返したでしょうか?
数学の勉強の仕方がそうなのですが。
要領良くはできない、できないことを確認した上で、できるまでやっているでしょうか。
また、思考力の元となる言語力、以前に、思考力自体がどうなんでしょうか。
勘ですけどね。
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この回答へのお礼

言語能力が低いと勉強する能力も低いということは、ネットで研究の結果としてのレポートもどこかで確か見たことがあったし、自分は特に日本語の文法を含め、現代文が苦手ですから、反論するものが見当たらず信じました。
数学力は計算ミスもあるし、今となってはどんな問題が解けるか分かりませんが、やっぱり得意ではありません。
論理性が低いと思います。
「問題演習が足りなかった」と時々いわれますが、受験生の時は繰り返しも含めてできるようになるまでやってなかったかもしれません。
あと、何かを決断する時も、友達からもよく「何を考えてそうしたんだ」と言われます。
判断力もダメってことですね・・・。

そしてこれからは、おっしゃる通り思考力自体を伸ばすことを考えていかなくてはいけない気がします。
思考力って、果たして伸びるもんですかね・・・。すごく情けないですが。
論理力は、今からでも中学生用の教材をやるべきでしょうかね・・・。あと、判断力は・・・思考力がついたら自然とよくなると思いますが。

関係ないですが、その「中学生用の教材をやってみてはどうですか」っていうアドバイス、前にもあなた様から聞いた気がします。

・・・とりあえず、何が自分に足りないか、少し浮かんできたような気がします。特に、思考力と論理力を鍛えるために、今なにやったっらいいか考えようと思いました。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/04/24 21:19

以前、お会いしましたね。


お久しぶり。

また落ち込んじゃったのかな。
私もネガティブですが、
私から見ても、キミのネガティブさは半端ないね。

まぁ、順番に行きましょう。

>現在は家族から「お前はもの覚えが悪い、要領が悪い、日本語が変だ、バカだ」とよく言われます。

キミの家族の人間性を疑うよ。大丈夫かい?

>毎週末に親から料理を教えてもらいますが、その時に何度も同じ注意をされ、同じ失敗をしてしまいます。

お前の教え方が悪いんじゃ、ボケ!
くらいに思っておくことはできない?

>大学の課題のレポートを書いて兄に見せると、「分かりにくい下手な日本語だ」とダメ出しされてしまったりすることだって多いです。

舌打ちでもして、
ロクなアドバイスじゃねーな、使えねー。
と言ってやるくらいじゃないと・・・

まぁ、キミの悩みは、言語能力じゃ解決できないと思います。
よって、本を読むのは時間の無駄です!
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この回答へのお礼

以前に会ったときはお世話になりました。
・・・正直、いつのことだかは覚えていないのですが・・・
なるべく、これでもポジティブにはいられるような努力はしているんですけどね。。。
本を読むのは全くの非効率で、やらないほうがいいと。
それではまた別の方法を探さなくてはいけないのですね。
分かりました。

お礼日時:2013/04/24 20:52

「自分でいうほど悪いとは思えねえがなあ」という感想は,他の同業者の方々とおなじです。



「言語能力がないと勉強全般ができない」というのは,ぼくはそっちの専門じゃありませんが,七歳の童子についていうことじゃないですか。たとえば,算数の「太郎くんは100円持ってお店にいき10円のガムを3つ買いました」という文章題を読んで,その行動を動画的に把握できず,さらに 100-10×3 という計算に結びつけることができない。

ぼくが引っかかるあなたの思考様式は,受験勉強と文章修行がいっしょくたになっていることです。あなたの文章は,内容は正確に伝わるけれども,「持ち味」や「切れ」,「遊び心」,「弾性」がありません。魅力的な文章ではありません。それは教科目「現代文」の範囲外でしょう。
-----------------引用
晴れて風寒し、午前中洲に往く、脚気及梅毒の注射をなす、途次車にて丸の内を過るに青年団の行列内幸町辺より馬場先門までつゞきたり、先達らしき男或は日本魂或は忠君愛国など書きたる布片を襷がけになしたり、是日紀元節なれば二重橋外に練り出して宮城を拝するものなるべし、近年此の種類の示威運動大に流行す、外見は国家主義旺盛を極るが如くに思はるゝなれど実は卻て邦家の基礎日に日に危くなれることを示すものなるべし、何事に限らず外見を飾りて殊更気勢を張るやうになりては事は既に末なり、然れども今の世に身を処するには何事に限らず忠君愛国を唱へ置くに如かず、梅毒治療剤の広告にも愛国の文字は大書せられたり、帰途銀座に飯し牛込を過ぎて帰る (永井荷風『断腸亭日乗』)
------------------
むろん,こんな文体のレポートを提出されては困りますが(笑),背後にそういう筆力があるかないかは影響すると思います。いろいろな作物に親しみ,自分のモデルとなるものを探すことですね。
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この回答へのお礼

語彙力を身に着けつつ、そういった文学作品にもふれること。
やることが見えてきましたが・・・読書は時間の無駄だというご回答もありました。
でも、いろいろ試してみます。
お礼が遅れてすみませんでした。

お礼日時:2013/04/24 20:55

 こんにちは、確か以前にお目に掛かったことがあるかと存じます。

その時もお話ししましたが、質問者様は決して「言語能力に不備がある」などとは思えません。文章も拝読させていただきましたが、「日本語が変だ、バカだ」「分かりにくい下手な日本語だ」などをうかがわせる部分など微塵もありません。短く簡潔に書かれていて論旨も明快です。
 >簡単な質問文を書くのに、30分も掛けてしまいました
文章を書くならば時間を費やすことも大切な部分です。推敲のための時間は大切ですから。書き殴りの様な形で推敲されていない文章ほど読みにくいものも他にはありません。
 一つの提案ですが、自分のルールの様なチェックポイントを作ってみては如何でしょう。遙か昔マスコミ志望の学生達にとってのバイブル的な存在がありました。当時毎日新聞にいらした山崎宗次氏が私塾的に開いていたセミナーで「文章作法の極意」とも呼べる7つの要素の頭文字を採り「カンカラコモデケア」と呼ばれています。
(1)「カン」…自身が感動したこと、感じたことを書く
(2)「カラ」…文章から「カラフル」、色彩感が感じられること
(3)「コ」…題材やテーマに「今日性」、コンテンポラリーであること
(4)「モ」…一つの文章として「物語」が展開されていること
(5)「デ」…読み手を納得させるための「データ」、具体的な裏付けが織り込まれていること
(6)「ケ」…文章全体から、書き手の「決意」がうかがわれること
(7)「ア」…全体のトーンが「明るい」こと
 それぞれの頭文字を採って「カン・カラ・コ・モ・デ・ケ・ア」と呼んでいました。これは「入社試験」での一つのモデルですが、実際の職場でも参考になる部分もかなりあります。僕は企業と大学教育それぞれに携わる者ですが、そうした中での経験則として、別なポイントも工夫しています。タネ明しをしますと、「か・ぐ・や・ひ・め」です。
(A)…一つの文を「簡潔に書く」
(B)…「具体的な根拠」を示す
(C)…「やたらに専門用語を使うこと」を避ける
(D)…書いたら「一度、他の人に読んでもらう」
(E)…文末を「明確な表記で止める」
 そして「最初に結論を書く」ことで、文章全体が冗長になることを防ぐことを心掛けています。中々その域に達することも叶いませんが、達意の文章は読み易く、相手に誤解を与えることを防ぐことにつながりもします。
 とかく現代の人は性急に答を求めたがる傾向にありますから、要領が悪いなどとして「物語の文章」を敬遠しがちですが、「物語の文章」と「説明の文章」では性質も異なります。同じ基準で読んでも物差しが違いますから、そこに記されている言葉の受け止め方に自ずと差違も生じます。
 小林秀雄の文章が今年のセンター試験で話題になったことも憶えているかと存じますが、小林秀雄の文章も「一つの事象を裏側から見た表現で見たらどうなるか」との事例の一つです。ストレートに綴られた文章ならばストンと落ちますが、それを搦め手から書かれていた文章だったから多くの受験生達が困惑してしまったのでしょう。意地悪な文章ですが、それだけ冷静で論理的であり醒めた目の持ち主だからこそなし得た技ともいえますそうしたスタイルに慣れていなかったからパニックになることも当然です。
 もしレポート提出ならば、こうした方法もアリです。冒頭をパンチの利いた文で書き始めれば、読み手は「おやっ」と注目し、その後に続く文章を慎重に読んでいきます。「なぜ、あの様な文をこの書き手は記したのか」と自身の考えと対比していきます。
 文章も相手との対話ですから、そうした遣り取りを意識することも大切です。相手の言葉をどこまで聴くことができるかを頭の片隅にでも置いておくことで、推敲の姿勢も変わってきます。
 北野武氏の『間抜けの構造』なる一書があり、こうしたことを自身の言葉で語っているから説得力もあります。またテレビにコメンテータとして時折登場する尾木直樹(尾木ママ)の言葉にも教育現場に携わり、子ども達の声を直接に聴いているからこその裏付けと説得力もあります。北野さんも尾木さんも共に「みんなの声を聴きたいな、聴かせてくれるかな?」とニコニコしながら「聴いている」から相手に言葉のボールを投げ返すこともできるのでしょう。映画撮影や大学教育の現場で出会った厳しい現実をキチンと受け止めているからできることであって、質問者様にもそうした財産が必ずあるはずです。他の人が望んでも手に入れることのできないもの、が必ずあるはずですから、これからの4年間はそれを見つけるための時間と考えても良いのではありませんか?。
 先ずは様々な「新書」から始めてみましょう。遠山茂樹の言葉もあれば、朝永振一郎や永六輔が映し出す時代の姿など多士済々で、まさに言葉のラビリンスともいえましょう。でも一冊一冊の本に綴られた言葉も分解していけば一つ一つの段落そして一つ一つの文になります。一つ一つの文それぞれが「どの様に組み合わさって」段落を構成しているかをじっくりと手繰っていけば、「こんなロジックの展開の仕方もあるんだな」と様々なアプローチ方法に出会うこともできます。
 ご質問に答えているかどうかは判然としませんが、肩の力を抜いて「多読」そして「素読から精読」と慌てずに「本を読む」ことをお勧めします。長くなって申し訳ありません。
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この回答へのお礼

さっそく、東野圭吾さんの「白夜行」を友達と話をあわせるためですが読んでいます。
一文一文、なるほど。
そんな方法も試してみます。

お礼日時:2013/04/24 20:58

 40年間ほど文系の学生とつきあってきた者です。

そして、現在進行形です。

(1) 確かに、言語能力はその人の活動、特に「知的営為」の能率に影響しそうですね。「人間の持つ言語的状況は、それを持つ人の能力のすべてを拘束する」(サピア・ウォーフの仮説)と言われます。

(2) ただ、ご質問の文章は実に理路整然としていて、素晴らしい質問文だと思いました。ですから、言語能力が低いとはまったく感じませんでした。

(3) それなのになおご自分の言語能力を鍛えたいとおっしゃる心意気に感銘を受けました。(私の担当クラスの学生さんに聞かせたいくらいです!)。まさに、「天は自ら助くる者を助く」ということをつくづくと感じました。

(4) そこで私からのご提案を申しあげます。
 まず、「手っ取り早く方法論を学ぼう」などと考えないほうがいいと思います。(それで得られるくらいの言語能力は、すでにお持ちだと拝察しました)。「電車の中でもできるような」ことにぴったりなことがあります。それは、実は…、ただ、「本を読む」ことのお勧めです。

(5) 何でも結構です。どんな本でもよいのです。自分にとって、「一番面白そうなもの」がいいでしょう。「楽しみながらやる」ことが大事です。「飽きずに続けられる」ことが大事です。「読書を楽しんでうちに、必ずや言語能力が培われていく」ことを信じて疑いません。

(6) 現代学生の読書離れには激しいものがあります。そして、のべつまくなしにスマホなどをいじくっています。スマホがいかん、などとは申しませんが、それに溺れているうちに「主体的な思考能力」が剥奪されていくように思えてならないのです。その証拠に、レポートを書かせると、大半がコピペです。そこには微塵も、「自前の脳ミソ」が参加していません!
 
(7) まとめとご提案 : 「楽しみながら言語能力を鍛えられる」ことを請合います。
 どうぞ、質問者様におかれては、「スマホに代えて書物を」電車内でお楽しみなさいますように!

 以上、ご回答、というよりお勧めまで。
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この回答へのお礼

ときどき、電車の中で本を読むと眠くなって・・・ってことがありますが。
それでも読書は大切だと思いました。
アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2013/04/24 21:00

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