親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

「学校とか、親の教育のやり方が、一つの答えを求めすぎているため、ダメな子が増えているのだ。」
という様なことをよく耳にするようになってから、
だいぶ経ちますよね。

人生の答えは一つじゃないんだから、という事なんだろうとはわかるのですが、いまいちピンと来ません。

答えが一つでないのなら、ある意味、教えることがなくなってしまうし、自信もなくなります。
先生や親は困りますよ、それは。

この辺の問題をうまく表現する方法はありますか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (8件)

こんにちは、#2です。


最初に謝っておきますが、好きな話題なので頑張って長い文章を書いてしまいました。すいません。

教育には大雑把に言って二つの役割があります。それは「学力・知識」と「社会性・道徳」を身に付けさせることです。両者は混ぜてしまうと議論がごっちゃになってしまうので(リンクする所もありますが)僕は分けて考えているんですが、今回の質問は「社会性・道徳」の方だと思いますのでそちらについて書いてみようかと思います。

(1)「ゆとり教育」について
よく言われますが、「詰め込み教育」と「ゆとり教育」という形での話はどうにも嫌いです。というのも現在のゆとり教育なるものはゆとり教育ではなく、「やりたい放題・責任は誰もとらん教育」だと思うからです。現状の教育をゆとり教育と称するのはゆとり教育に対して失礼だとすら思います。あとネーミングセンスはこの際ほうっておいて下さい。

(2)個人的見解による教育に関する基本スタンス
レベル(1):まずどんな教育方針だろうとその根底にあるのは「人に迷惑をかけてはいけません」でしょう。こんなことは小学生でも理解しています。それをゆとり教育のせいで学級崩壊が起こったとか言うのはどうかと思います。どういう理論でもって学級崩壊を正当化できるのでしょう?価値観が多様化しているから?正しいものがわからないから?いや、そうではないでしょう。どんな理屈をつけようと「人に迷惑をかけてはいけないんです」。この理論はテロリストにだって通用します。変に理屈をつけようとしては「いけません」。極論ではなく小学生をひっ捕まえて「うるさい」と言ってしまえばいいんです。勿論それだけでは終わらずに後のケアが必要な場合も当然にあるでしょうが(ex家庭環境に問題が起こっている反動でイライラしている可能性とかは対処しないといけません)。

レベル(2):そして「人に迷惑をかけてはいけません」の次に出てくるのは「自由もルールの範囲内での自由だ」ということです。例えば制服の学校で私服を着ていくことはどうでしょう?これを「人に迷惑をかけてはいけません」のレベルで「迷惑だ」と言うこともできるでしょうが、あえてここではレベル(2)の話として書いていきます。ここで生徒が「誰にも迷惑かけてねーし」というのは許されるでしょうか?これは許されません。気に入らないのであれば私服を許容するように学校に訴えることもできるんですから。それを面倒くさいといってルールを無視することはいけません。社会でそんなことをすれば一発で信頼を失います。学校は社会のルールを経験する場所でもあります。だから教師はそれをしっかりと教えて叱る必要があります。また、この生徒がどうしても学校の言うことを聞かないので停学処分になったとしたらそれは誰が悪いのでしょうか?学校でしょうか?社会でしょうか?いえ、通常はその生徒だけです。禁止されていることがわかっていながら押し通したのですから、その責任は自分が取るしかないのです。あと余談ですが、自分の人権被害を訴える人の多くが「制服がいい」という人のことは考えていません。自分は手軽に被害者になってしまいます。

レベル(3):さらに続いて「自由に行ったことに対しての責任は自分でとりなさい。周りのせいにはできません。」という原則でしょう。例えば何も考えないで何となく「俺はミュージシャンになる」とか「フリーターでいいや」などと言う生徒に対しては「リスク・成功率の低さ」などをきちんと説明して軽く「脅して」(笑)おきさえすればいいのです。それでもその道を選ぶのであれば完全にその生徒の責任です。「何であの時止めてくれなかったんだよ」などと言う人間に対しては「お前が決めたんだろう。知ったことか」と一言言ってやればいいんです。
まとめ
長々と書きましたが、ようは「最低限のルールを守るように教えろ。守れない奴は容赦無く叱れ。守れるように生徒を導けばそこで教師の役割は終わりだ」です。これが守られていれば少々教育方針が変わったとしても大変な社会問題になることは少ないでしょう。現在は誰もが責任をとりたくないと言っている制度・考え方だから社会にとっても生徒にとっても教師にとっても親にとっても学校にとってもやりにくい微妙な関係になるんだと思います。

>ですが「現実どうなっているか」が、一番わかりませんよね?
具体的にはどういう場合について仰っておられるのですか?
>それは「逃げ」では? と言われたこともあります。
逃げるという言葉は「立ち向かわなくてはならない」場合においての話ですよね。何か一つの答え「のみ」を生徒に提供することは僕の考えでは「有害」なんです。これはそれを教える先生がアインシュタイン並みの大天才であっても同じことです。教育の役割は「最低限の一般常識をみにつけた」「自立できる」人間を育てることです。決して「万能の答えを出すこと」ではありません。万人に共通の答えをだすことが出来る人であれば是非総理大臣どころかいっそ世界征服をしていただいて理想の世界を造っていただきたいものです。そういう批判は教育の役割を考えれば出てこない考え方かと。但し最低限の道も示せないで逃げるのであればそれは確かに「逃げ」でしょう。
    • good
    • 0

教育が誰の為のものであるか、という視点が欠けていると


私には思えます。

もし教育が親や教師が楽をするためにするのであれば、
画一的な内容を子供に押し付ければ、すべて丸く収まります。

しかし、教育が子供のためであるとすれば、そうはいきません。
現実問題として、子供が社会に出れば、問題の答えは一つ
ではないという現実に、否が応でも直面します。

その時に、自分で物事を考える訓練を積んでいなければ、
社会的に役立たずの烙印を押され、自分が損をする結果と
なるでしょう。

結局、親や教師が努力をして、子供に多方面から教育をして
いく必要があるわけです。
当然、親や教師は楽ができません。苦労します。
しかし苦労した分だけ、立派な子供が育っていくのではない
でしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですね、変化の多い(速い)社会ならば害のほうが多いでしょう。
しかし、人間の寿命に対して、変化の少ない社会においては良いことのほうが多いんじゃないかとも思います。



大変申し訳ないんですが、皆さんへのお礼を書く時間がなくなってしまいました、、、。
ここで締め切ります。
回答していただいた皆さん、ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/18 22:15

こんにちは。



教育機関や教職の立場にある人間が価値観の多様化についてきていない、というのも無理からぬ事だと思います。
そういう職に就く人の大半は、一般の人以上に学歴偏重社会のまっただ中を通り、最も普遍的な価値観を抱いているのではないでしょうか。勉強が出来てちゃんと進学すれば立派な大人になれる。と信じてきた人に、それ以外の生き方を教え示す事は困難だと思います。

それと、学校や教員の果たす役目が以前と変わっている、という事もあるのではないでしょうか。
学校と家庭の間にあるべき信頼関係が、以前と比べ希薄になっていると思います。教師はただ授業を指導するだけの存在で、個々の生徒に人対人としてより密に関わることは期待されていないし、関わろうとすると却って問題視すらされます。
学校という場所は集団生活を通して社会性を身につけ人間形成を促す場であると私は思っていますが、現在はただ単に授業を行う箱のように見えてなりません。

確かに教育者としてあるまじき人間が教職にあって、それがしばしば問題にもなりますが、そうでない教員や学校にまで過度の不信を抱く保護者または世間にも問題があると思います。
そういう世間の冷徹な評価が教育機関を萎縮させ、ますます意味のない物に変えてしまってるのかも知れません。

ご質問の内容からそれた話になってしまいましたが、私が思う教育の問題とはこのような感じです。
    • good
    • 0

「一つの答えを求めすぎているため、ダメな子が増えているのだ」というのはそうなんですか?


最近では、他の回答者さんが答えているような、あれもアリこれもアリという個性化教育の弊害が出ているという説をよく聞きますが。
日本には欧米諸国のような明確な宗教のバックボーンがないため、道徳は教育で補う必要があるわけで、それを放棄して個々の人間にそれを任すのは、まぁ性善説的なものを信奉しているのであればそれでも良いのでしょうが。実際は、子供の好き勝手にやらせればどうなるかなんて学級崩壊のような現象が出てくる訳で。
子供にとっては不条理でも、上から押えつけることで調教する必要があるのではないでしょうか。なんて説ですが。

個性化教育で幸せになれる天才はほんの数%もいませんよ。残りの凡人には平々凡々な指標を明確に指し示しておくべきかと思います。
    • good
    • 0

 どんな大人も子供には「幸せになって欲しい」と思う答えは一緒ですよね。

しかし、「幸せ」が大人によって違いがあるということ。子供にとっての「幸せ」も違うということ。学校や親が子供の能力や個性、興味や関心などを無視して一つの答えを押し付ければ子供はおかしくなると思います。
 「いい学校を出て、いい会社に入って、大金持ちになる。」という幸せの価値観を押し付ける大人が少なくとも日本には多すぎるのでは・・・。子供の夢みたいなものをもう少し大事にする教育が行われるべきだと感じます。
 基本的なしつけや学校の教科の指導などは徹底的に子供の時期にはするべきだと思いますが・・・答えになっていないような回答ですが・・・いかがでしょう?
    • good
    • 0

もう一度つけたしです。


たしかに正解がないのはいやかもしれませんね。かといって正解がたくさんあって生徒が混乱するのもどうかと思います。もちろん混乱しないように複数の答えを教える(というよりは実感させられる)教師がいいですね。また、答えの見つけ方を教えるというよりは、答えの作り方を教わりたいものです。3年も禁欲的にがんばって有名大学に入るために勉強したにもかかわらず、その朝雪で滑って怪我をしたおばあさんを見かけた。あなたならどうしますか?「おばあさんを放って置けない。受験は来年でも出きる」が正しい答えなのかどうか???答えは流動的です。存在しないわけではありません。ただ、そういうのを教えるのも至難の業なのだともいます。わからないなりに生徒よりはわかっているのが教師でしょうから、それをうまく伝えられればいいなあと思いまうs。また発想の転換としては、教育は(1つ、複数、流動的であれ)答えを求めるのではなく、問題を作るのも目的です。いろいろな答えを見比べて、そこから問題を作る。で、それに答えて(答えようとして)また問題が出きるどちらが鶏で、タマゴかわかりませんが。
    • good
    • 0

個人的な結論から言うと、答えが一つでないことと、一つのことを教えることは矛盾することではないんだと思っています。



確かに現代の日本は価値観が多様化しています。しかしそれでも「現在の」「日本の」「基本的な」考えというものはあります。例えば現在の日本の基本的な考えは「財布は拾ったら交番に届けろ」「人を殴るな」は当たり前のことですし、「勉強していい大学に入れ」なども考え方の一つとして尊重されるべきだと思います(僕は嫌いですが)。

では、これを教えることはダメなことかというと、そうとは限らないと思います。具体的には「一般的にはこうだけど、こう考える人も・国も・民族もいるんだよ」と教えればそれですむ話なのです。例えばさっきの「勉強していい大学に入れ」も勉強が好きな人は誰にも文句を言われる筋合いは無いと思います。しかし同時に「勉強なんか興味が無い。俺は別の生き方をするんや!」という人もいるし、いてもいいんだという教育をすればいいんだと思います。まとめていえば「答えはたくさんあるけど、今回はこれを教えます」で十分だと思います。もし「どの考え方が一番正しいの?」と聞かれたら(人を殴るななどの基本中の基本は置いておいて)「どれが一番かと無理に考えることはよくないんだ。今回僕がこれを教えたのは今の世の中だとこれがいいんだと考える人が多いんだよ。言ってみれば「お勧め」なんだよ」と教えるべきです。また、別の言い方をすれば「お勧め」ではなくて、「一般論」を教えているんだということもできます。社会のしくみは「正邪」よりもまず「現実どうなっているか」を知ることも大事です。それをこれからどうやっていくかはまた別の問題です。順序を大事にしたいものです。

こうして自分の意見を「押し付け」なくていいのであれば「自信」もなくならないと思います。

長々と失礼しました。ではでは。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「お勧め」ですか、なるほど。
ですが「現実どうなっているか」が、一番わかりませんよね?
それを、みんなでハッキリさせることが出来たら、
教育もわかりやすいのですが。

>「押し付け」なくていいのであれば「自信」もなくならない
には同感です。
僕もそう思いますが、それは「逃げ」では?
と言われたこともあります。

お礼日時:2004/03/15 03:59

実際問題1つの答えしか教えていない先生ってのも(間接的な意味でですが)少ないと思います。

親もそうですよ。矛盾だらけですね、言っていることに。その矛盾が人間味があっていいなあって子供の頃生意気にも思っていました。

1+1が2というのは確かに「自明」ですが、それは数学の世界でだけのことです。この世界では少し、科学的なものや客観的なものが「正しい」とする傾向が強すぎるので、教育もそれに基づいているかもしれませんね。身近なことから考えると、道端で財布を拾ったらどうしますか?模範解答は交番に届ける、でしょうか?ネコババするが模範解答になることはないのでしょうか?警察が信用できない国ならなにが模範解答になるでしょうか?我々、ちょっと日本という文脈、科学という文脈で物事を考えすぎです。まあ宗教に走れというわけではありません。

最近、「社会人」を経験してから教員として採用される人が増えてきました。いいことです。大学出たての22歳にも若い先生なりにしか教えられないこともたくさんあるのでしょうが。やはり経験値の多い先生や、思春期に自分も疑問に思っていたことを大事にして、教師として、人生の先輩として自分なりの解答のようなものをプロセスでもいいので思考錯誤の軌跡を伝えてもらいたいです。

そういう意味で最近流行りの国際化(ちゃらちゃらした意味ではなく)、開発学、文化人類学は魅力的ですよね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
話しからいくと、模範解答が無い国は、ダメですよね?警察も信じられないのはダメだから、ナントカしようとここまでになったのですよね?日本は。

方向としては、模範解答が出来るように教育があるのではないですか?
いつまでも、「正解は無い」じゃイヤです。

お礼日時:2004/03/15 03:43

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード


人気Q&Aランキング