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先日20年以上ぶりに悪魔の飽食を読んでやっぱりえぐい内容だと思って
何気なくアマゾンで同書のレビューを見ると資料の誤用が多く内容が信用できないとある。

ちょっとネットを調べてみると、東京裁判でも後の米国の機密資料にも記述がないから731部隊の行ったと言われていることが全くの嘘でさらに証拠だという日本軍が行ったとされる写真も戦後中国で行われた日本が行ったものではない別の虐殺事件や20年くらい前に行われた731部隊の悪事を展示されていた蝋人形だったり。

731部隊の残虐説の人は存在も行為も事実である。それはハバフロスク軍事裁判で裁かれたとおりであり、アメリカの言っていることの信頼性は、東京裁判で黙殺したから非常に低いと言っている。その証拠に多くの記録がある(ただ、多くの写真がねつ造だとも聞いています)。

実際のところはどうなんでしょうか?
それにしても、こんだけ極端な事しかないというのもかなり珍しいのではと思います。
731部隊が旧満州で行ったことが事実であったとして、部隊が撤退した後の建物を学校として使ったと聞いていますが、ああいった施設を使うと言うことに何の疑問も浮かばなかったのでしょうか?

A 回答 (5件)

私見ですが、731部隊の残虐説にかぎらず、三光作戦に関しても極端な事しかないというのもかなり奇妙な話であると思われます。

中国は広いせいかも知れませんが、焼き尽くしたあとに日本人の移住が行われたのは事実として残っていますので、日本軍は、関係者の口を封じることに長けていたと見ることが出来ます。三光作戦がらみで、731部隊が中国人関係者をすべて殺したと見ると極端な事しかないということの説明がつくのではないでしょうか。残虐の有無に関しては、1989年、中華人民共和国政府発表のアジア太平洋戦争における中国の死亡者は、932万(これに行方不明289万人を足すと1221万人となる)とされています。ヒトラーの「ユダヤ人問題最終解決」、ホロコーストが600万人殺害、とも言われているので、これをはるかにしのぐ数の中国人が、(1221万人のうちには、)生かされることなく、捕虜として収容されることなく殺害されていったように推察されます。国際法を守って、数百万人の捕虜を収容するためにはそれなりの施設が必要となってくると思われるのでありますが、旧日本軍は、捕虜を持つなという通達を出したとされています。捕虜になるくらいなら自殺しろという命令もこれに関連していると思われます。収容所の数が少ない、というかほとんど無いにも関わらずホロコースト以上の数の捕虜がいなくなったということは、三光作戦が功を奏したと考えるのが妥当のようです。捕虜を持つなという原則が、旧日本陸軍(関東軍)の大きな特徴といえそうです。
そのため、ああいった施設を使うと言うことに何の疑問も浮かばなかったと考えられます。真相は藪の中ですが、南京の場合のように、日本人兵士の中に、虐殺をした、という人としなかったという人がいるレベルまで、中国への情報の流出をなくすことが出来たということだと思います。
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この回答へのお礼

遅くなりました。#5さんの回答について私自身が完全に消化し切れていないためでした。

南京事件やバターン島の大量死亡事件がありました。南京事件では撤退が遅れた中国軍兵士が便衣兵として捕虜以下の扱いを受け処分という方針を行われたと聞いています。また、バターン島でも炎天下の中長距離を遠く離れた収容所へ向かうため徒歩で移動させ多くの死者を出しました。

考えれば、日本人は昔から敗戦の責任をとって切腹するという風習があり負けた側の人員の吸収と言うことを考えていなかったように思います。こと関東軍に関して言えば満州事変を起こし無理矢理(に近いでしょう)満州国を作り日本の中国出張所のような形で満州地区を支配しました。それに対してレジスタントがいてその都度制圧して収監しても収容所がいくらあったって足りなくなるのは目に見えて明らかです。

そうすると、また不穏分子を捕まえた→入れる場所がないしどうしようか→殺すしかないな。どうせなら細菌の実験に使っちゃおうという論法も成り立たなくもありません(ひどい論法ですが)。

日本軍は捕虜を持ったときの教育をしていなかったために大量殺人事件を起こしていますが、捕虜になったときの教育もしていなかったために敵軍の口車に乗ってかなり喋って内情が筒抜けだったという話を聞いたことがあります。

捕虜の扱いを考えていなかったという点から考えると#5さんの仰るとおりもてあまして殺してしまったというのが正しいのかもしれません。

お礼日時:2013/05/11 16:47

731石井中将軍医部隊の活動。

実験は貴方の言う通りの面と誇張等がごちゃ混ぜ状態が真実かと。

731は東京裁判で戦犯から除外されたのは米当局と免責条項で合意が出来たからがほゞ定説で異論は無いかと、詰まり731の平時では人権問題で絶対実験出来ない事を遂行してその貴重なデーターを米当局に横流し≒戦犯から除外されてます、これは事実です。

731部隊の兵隊の戦後の就職先は緑十字.日赤等に職を得て部隊時代と変わらない仕事に付けてるのは貴重なデーターを貰った米当局の配慮が有ったと考えるのは自然な事何ですが、このデーターを平時に動物実験等で得るのには50..100年単位でしか得られない超貴重なデーターですから、様々な伝染病の人体実験等のデーターですから、都市伝説的に成りますがエイズ感染もこれの延長線上に有ると言う説も有りますから、それを米当局はアフリカミドリ猿から人に移ったとか公式発表してますがデタラメも良い所です。

有る程度の実験はしてます、マルタとか隠語使って、シナの捕虜とかを実験台にして、でその頃に関東では731で実験に使用するネズミ繁殖.出荷が石井中将も関東人ですからそのよしみか知りませんがチョットした現金収入にも精を出していた記録が有ります、確かNHKで報道してました。
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この回答へのお礼

>731石井中将軍医部隊の活動。実験は貴方の言う通りの面と誇張等がごちゃ混ぜ状態が真実かと。

何故、こんなにも記録が出てこないのかが不思議に思えます。
ただ、石井四郎が撤退時に箝口令を出しただけでみんな口をつぐむのか?
その割には、個人病院や大病院に勤務するなど身元を隠すことをしていません。京大や東大から人を引き抜いていますから、元に戻ることがあるとは思いますがそれでも追跡できます。

ちょっと前ですが、米国から機密保持期限が過ぎた資料が公開されたとのことですが、731に関する一切の記述がなかったとか。データーを横流しして免責を受けたというその事実も出てきません。後ろめたいことをやっていたとはいえ、何も出てこないというのもおかしいと思います。だからといって、ただ731部隊は飲用水の濾過機の開発だけをやっていたとは思いません。あれだけの設備を持っていて何もしていないとは考えにくいです。

私個人は火のないところに煙は立たない派ですが(煙が立っていると言うことは間違いなく火が出ていただろうと思います)、こと731に関して肯定派の人の論拠がテレビであること。
テレビ番組が受け狙いで恣意的な変造をするというのは今に始まったことではありません。
それから、血液銀行の設立者が731の関係者が多かったという点ですが、血液系の研究をしていて商売っ気のある奴らが会社を設立したことと米軍の関連性があるのでしょうか?その後ミドリ十字となって薬害を起こしたときに731後が残っているという話がありましたがそれもどうなんだという気がします。

とは言ってもマルタという隠語があったり、八路軍の構成員(彼らのしていたことは自国のためではありましたが、日本にとっては憎い存在だったと思います)を使って何らかの実験をしたことは間違いないと思います。いくら何でもここまでのねつ造はできないでしょう。罪は償わなければなりません。そのためにも速く歴史の法廷に出て欲しいと願っています。

お礼日時:2013/05/05 12:55

> 実際のところはどうなんでしょうか?



そう言う不思議な事件は・・・なぜか反日国でしか発生しませんね。
その謎を解くには、2つの仮説を検証すれば、答えは判ります。

(1)仮に日本が極悪非道であるとするならば、各種戦争関連被害を訴え出る国が多発するハズ。

(2)仮に虚偽の被害を申し立てているとするならば、当該国はウソつきです。
 さて、では当該国のウソについては・・・枚挙に暇がありません。

証拠は無く、事件があったかどうか判らないにも関わらず、その事件だけが一人歩き・・。
そっちの方が、はるかに大きな事件です。
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実際のところは、信頼に足る資料がないので分からないとしかいえません。

私は超能力者じゃないので、わからないものはわからないとしかいえない。ないものねだりをされても困ります。
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この回答へのお礼

だからこそ知りたいと言うことです。

開国以来現在に至るまで曖昧にしてきたツケを今支払わされているのです。
これは戦後賠償とはまた別の話です。

お礼日時:2013/05/05 11:39

悪魔の飽食は、作者である森村誠一氏も、引用資料や


写真は間違いであったことは認めています。
資料を提供した下里正樹も間違いを認めています。

間違いだったのか、ねつ造だったのかは不明ですが、
南京や慰安婦と同じく、こういうことを有ったと
主張する人は平気でねつ造する、という傾向があります。

面白いのは、資料が間違いであったことを認めている
にも関わらず、事実は存在した、と主張していることです。

証拠や資料があった → だからそういう事実があった
とするのが当然の順序なのに、どういう訳か
そういう事実はあった → しかし資料は無い、とか
資料はウソだった、ということになっています。

また、有名な解剖写真は間違い(ウソ?)であったことに
ついては、少なくとも日本国内では、確認事項です。
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この回答へのお礼

データーが一つもないから、満州で行った一連の虐殺は事実無根だ。と言うのと
建物があって荷担していた人がいて証言があるから存在している。
証拠だという資料はほとんどがどこかの写真や記事などの使い回し。

どちらの立場の人相手でも反論することはできますが、
あまりにも資料がなさ過ぎてディベートとしての擁護すらできません。
(擁護する意義があるかどうかはまた別ですが)

どちらの立場の人であっても誇張して言っている人が多すぎます。
科学じゃない論争というのはこういう物なのかもしれませんが。

2次大戦でも、対米の記録やドイツが行った事件の資料は豊富にありますが、
満州系の資料というのが他の歴史的事件に比べると圧倒的に少ないと思います。
満州国の設立計画というのは日本の一大プロジェクト(?)であったはずですが。
満州国も現地人や日本からの入植者によって発展したという話ですが、
論調自体は日韓併合に通じる物がありますが本当にそうだったのか非常に疑わしいです。

済みません。話しがややこしすぎて言いたいことが伝えきれません。

お礼日時:2013/05/05 11:36

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