痔になりやすい生活習慣とは?

一年ほど前から、毎日死ぬことについて毎日考えてしまいます。

自転車を漕いでいるときに、駅のホームにいるときに、なんでもない日常の中で「今こうしたら自分は死ぬんだ…」と考えて、リアルな想像までしてしまうんです。
自殺したいという訳ではないのです。
特に大きな悩みがある訳でもないと思います。
でもどうしても想像してしまうんです。
我に返ったあとはとても疲れますし、そういうことを想像してしまう自分のことも嫌になります。

自分なりに考えた結果、一年前にあった祖父の葬式や東日本大震災でそれまで意識していなかった「死」を身近に感じてしまったことが原因なのではないかと思っています。

こういうことを考えるのは異常なのでしょうか。
止めたいです。
なんとなく親に相談するのも憚られて、こちらで相談させてもらいました。

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A 回答 (9件)

自分自身の意識の拡大を、死というテーマに基づいて行っているのではないですか


実際の死とはかけ離れた、バーチャルな疑似体験です
それは異常でもなければ、無意味でもないと思います
心の中の予防線が自然に行っている事だと思います
死にたくはないが、死が訪れてしまっても受けられるように、という一種の準備みたいなものです
心の余裕がありすぎる という見方もできると思います

>止めたいです。

疑似体験が悪癖になってしまった感想なのでしょう
意識の集中ができる別なものを見つけた方がいいと思います
一時の気分転換では直らないように思います。
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死に付いて考えてしまって、ノイローゼになった経験があります、14歳の頃です。

今で言うなら『不安障害』と言うことでしょうか?或いは死に対する恐怖症という事だと思います。

余り『死』が身近に感じられてしまって、まるで死刑囚のような暮らしです。ですが、学校も休んだ事は無かったです、仕事も休んだ事が無かったです、ひと時も心が休まらないような心持で生きていた毎日でした。

27才の頃、縁があって結婚をしたのですが、一年後には長男が生まれまして、生活が変わったというのか、新しい生活になじめなかったというのか、『死刑囚の心の中が分かるような心持のせいで』生きた心地がしなかった生活が、ますます追い詰められてしまって、丁度本屋で目に入った本、鈴木知準先生の『不安の解決』を読んで、妻の許しを貰って、早速東京の『入院森田療法』を受ける事になりました。

死の恐怖の為に生きた心地がしない事『離人症』である事を先生には話す事がありませんでした。『誰でも死が恐い事など当たり前過ぎて』先生に話す事など無駄に思えたからです。

この感覚(離人症)は治る筈など無いと、決めて掛かって受けた森田療法でした。初めての出会いの時先生は、一本の鉛筆を取り出して『言いかね、、、、君、人間は見ようとすると、鉛筆が見えなくなるんだよ!』と言いました。

当方は、何がなにやらでした。先生の意図が何も分からなかったのです、ですが何故か、『入院森田療法を受ける気持ちでいましたので、帰って入院の用意をして直ぐに入院をしました。』

生き難い気持ちが是以上強くならないためと言う意味でした、治す事はあきらめていました。

2ヶ月間の入院治療を受けていた間、講話と言う時間に沢山の本を読んで下さいました。主に『道に至る事や、剣道などの免許皆伝の話や、弓道などで弓を射るのは『自分ではなくて、”それ”が射るのだ』と言う話です。

そうして時折『ノイローゼは悟りを開けば治る』と言っていました。

退院してから4年後の事、、玄関で自分の靴を揃えていた時の事です、自分の心(自我意識)が『自分の無意識の意識』と出会う体験がありました。

日記などは書いた事がありませんでしたが、その日だけは書きました、内容は『無意識にも意識があった』です。

鈴木先生の本棚に『鈴木大拙全集』と言う本がずらりと並んでいましたので、退院してからは、先生の教えをを忠実に守って、鈴木大拙博士の本を読むようにしていた折にです。

その日を境に『恐怖症は完治しました。』自分自身を恐怖にしていたのが、自分自身のもう一つの心『無意識の意識』だった事を了解したからです。

そのシステムは、人間の心に感情や考えを『湧き上がらせていた者』は自分の無意識である事、そうしてその『意識』は、生まれた訳ではない事から、滅する事が無い者、と言うことが分かりました。

今まで死を考えると『自分の心が苦しくなった訳は、自我意識だけを認めて、無意識の出番を封じ込めていたからです』漠然とした不安や、恐怖心は『無意識からの救いの声だった事』が分かります。

今までの苦しさは『永遠からの救いの手を、自分から振り払っていた事』だった事です。

人生とは何か?自分は何者か?と言う疑問も氷解しました。心の奥底から感じていた不安や恐怖心が『心の奥底から、力が抜けてゆきました』是ほど恐怖や不安に『身体中に力が入っていたのか!』と言う感想でした。

『心身脱落、脱落心身』と道元が言っていた事が実感出来ます。

鈴木大拙博士の言う言い方があります。深い不安や悩みに苦しむ人は『深い人間性の表れ』と言う事です。貴方の苦しみは貴方の人間性が深いせいです。そして貴方の人格が高いせいです。

自我意識が自分の無意識の意識(命の働き)と出会う場合を『見性体験』と言います。その体験以後『心の矛盾が解消します。』

自分の心の中の内部抗争が終結するという意味です。その静寂な心持を『涅槃』と形容しているようです。或る動画を載せて置きます。この中に『内部抗争が終結する様子が出ています。』

キリスト教的な表現なら『神と和解する。』です、禅的な表現方法なら『生死の問題が解決する。』です。どちらにしても『究極的な心の癒しの心理学を体現した』と言う意味です。

生死に囚われない生き方が出来るようになるという意味です。お金にも名誉にも左右されないで、今正に死のうとしていたとしても『幸福感が失われない、と言う種類のの幸福感でいられる。』というほどの意味です。
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死について繰り返し考えてしまう時期ってありますよね。


私は年長の頃か小学校の低学年の頃だったか、もう定かではありませんが、人間は飢えたり、重い病気をしたり、不慮の事故に遭ったりしなければ、とにもかくにも健康に気をつけてさえいれば死なないと思っていたのに、最後の最後には誰もが必ず老衰で死ぬと聞いたときは、とてもショックでした。

最後には必ず死ぬのに生まれて来るって何なんだろう?
どんなに注意深く生きていても、誰でも必ず死ぬのなら、今生きている私って一体何なんだろう? 最後の瞬間ってどんな感じなんだろう?
生きているって、夢を見ているのと同じで、私は本当は生きていなくて誰かが見ている夢なのかも知れない…。
私の夢の中に出てくる見知らぬ人が目を覚ますと消えてしまうように、本当は私は何処にもいなくて、誰かが目を覚ましたら消えてしまうのかも…。
――などと考え出すと恐くて眠れなくなったりしていました。

高校時代の同級生にその頃の話をしたら、「子供なのにそんなこと考えてたの? 年寄りみたい」と笑われました。
逆に私は、「えっ、どうして? 死ぬのって誰でも恐いことじゃないの? 明日がある日突然なくなるのは不安じゃないの?」と、とても不思議でした。
高校生で既に人の生き死にが、ごく自然で当たり前に思えるなんて。
不安に思うことも疑問に思うこともなく、この同性で同い年の人は死を当たり前のことだと受け入れている。そのことの方が不思議だし、笑われたこともショックだったので、以後、他人にはそういう話をするのは止めました。

中学の頃、従姉から高校の漢文の授業で習った荘子の『胡蝶の夢』の話を聞いたときは、そんな昔の時代の異国に同じ様なことを考えた人がいたということにホッとしましたね。
『胡蝶の夢』の中には人の生き死に、存在の有無についての不安は何も書かれてはいないけれど、胡蝶という美しい媒体を通して大きな視点で訴え掛けて来るようで、私の不安を払拭できる説話となっていました。
あらすじをざっと聞いただけでしたが、子供の頃に抱いた不安が、これで和らいだような気がしました。
そのまま教科書を借りれば良かったのでしょうが、それからは、高校で『胡蝶の夢』の授業を受けるのが楽しみだったことを今思い出しました。
【胡蝶の夢】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E8%9D%B6% …

『胡蝶の夢』の授業を受けたのは、同級生に子供の頃の話をするよりもずっと後になりましたが、同級生にも『胡蝶の夢』を通して、私が幼い頃に感じていた生きていることの不思議と不確かさに対する感覚が少しでも伝わったのならば良いな、上手く伝え切れなかったイメージが伝わっていたならば良いなと思いました。
私がした話は、もう忘れてしまったでしょうけれども、そのときその瞬間だけでも…などと今更ながらに思います。

私自身、荘子が伝えたかったことのどれだけを理解できたのかは解りません。
ただのイメージで終わっているだけかも知れません。
世界観がリンクしたように感じたので、不安が和らいだように感じているだけなのかも知れませんけれどね。
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類推できないことはそのまま呑み込むほかないのですが、いったん死を丸呑みしてしまうと周囲にいかに死に似ているものが多いかに驚かされます。

しかし名詞の死は曲者です。実は死ぬというのはあくまで生きていることの延長です。言い換えると死というものは実在していません。実在していないものは幽霊のようなものですから、考えると気分が悪くなって当然です。
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死を身近に感じた時、自分の死について考えることはよくあるでしょうが、


数年も経てばだんだん楽になってきます。

死についての出来事を、忘れてはいけませんが、
死に自分が近付いてしまうのも良くないと思います。

今は死についてどっぷり漬かっている時なのかもしれません。

でも、日常をしっかり生きていきましょう!
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わたしも被災と、祖母の病死から死を考えるようになりました。



祖母に至っては、私が仕事でお見舞いに行けなくなり明日~と伝えた日に亡くなり、一年たった今でも後悔と喪失感で涙がでそうな日もあります。

ただ、今私のお腹には新しい命があります。毎日元気に動いているんです。
こうやって命は繋がっていくんだなと
一日一日を大切に生きようと考えさせられます。
死があるから、
新しい命があるから必死に生きられるのかもしれませんね。
死ぬ時に後悔なしに笑って死ねるように今を頑張ろうと思いましょう(^O^)
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何のために、、、。

日常にあふれる死では、、、。

駅のホームに、押されて、落ちて死ぬ人もいる。

ドライブ中に10トン車に押されて、ぺちゃんこ。

上から落下物、、、身内のし、、、、どこにでも溢れている、、、、ダカラ宗教があり、、、。祈る人もいれば。

私のように、人生で、10回以上死ぬかと思っても、まだ生きている、、、つまり、神様は、私に役目を果たせと

言っているのかも、、、。特養のケアマネです。毎年20人位は死にます。まっとうに人生を過ごした年寄りが、

家族にも看取られずに、特養の個室で寂しく死ぬのです、、、。あなたも、もし生きているなら、、、自分のうちなる心に、

神様に、、あなたが果たすべき目的を、、、。見つけなさい。

男なら、学業、しごと、愛情、妻を娶り、家を立てて、子供を育て、父はは子供を大切にし、次の世代に、あなたの生きた証を伝える、
これが役目でしょう、、、。死ぬまで、神様の迎えがくるまで一生懸命行きなさい。私からの、、、命題です、

では、、神様の変わりより、、、。笑。
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異常ではないと思います。


常に我々は「死」と隣り合わせですし。


私もよく[死ねる要素]を探してしまいます。
目に映るものから
ここはこうして死ねる。
そこはああして死ねる。
そうゆう要素を探してみると驚くほど沢山あるんですよ。


「今線路に飛び込めば死ぬ」
と考えたことがある人ってけっこういると私は思います。


最近で身近に死を感じてしまったなら尚更考えてしまいますよ。


誰にでも「死」ということについて深く考えるときがある。
私の周りの人も言っていました。


どうかお気になさらず、
「死」より「生」を。
「過去」より「未来」を見てください。
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悪い事でも異常でもないと思いますよ。


人間には必ず「死」が付き物ですからね。

ただ、私はこう考えています。
「人間いつか必ず死ぬし、いつ死ぬかなんて誰にもわからない」と・・・。

なのでいつか絶対死ぬんだからその「いつか」におびえて暮らしてもしょうがないなと思うんです。
せっかく生きているんだから生きている時間を楽しまないと損ですよ。

出来る限り後悔しないような人生を送りましょうよ。
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Q「死ぬ瞬間を想像してみた」・・・これって心の病なのでしょうか?

先週の昼休み、
天気良くてたまたまベンチでふと寝っころがってたら
「自分が老人になって老衰して死ぬ瞬間」を想像してしまいました。それ以来、

「人間死んでも物になるだけで、何にもならない」
「死んでも生きても意味ないのじゃないか」
「金持ち、貧乏も関係ないよ、どうせ時とともに死んで、回りも死んでみんな存在した事すら忘れるんだから」
「人が死ぬのもゴキブリが死ぬのも同じだ」
といった事をついつい考え込むようになってしまいました。そのことをふと思い出して、考え出してしまうと、まるでドツボに嵌ったかのごとく次々と考え出して
今生きてる事、自分が死ぬことに関して虚無感、無力感、脱力感が感じるようになってしまいます。


ちなみに私は20代の社会人です。
心の病にかかったことは無いです。
こんな経験初めてです。このことが時々頭に離れられず、困ってます。これって病気なのでしょうか?

※宗教勧誘・改造セミナーの書き込みご遠慮ください。

Aベストアンサー

こんにちは。
先週の昼休み<って、事はまだ一週間程しか経ってないんですよね?
虚無感、無力感、脱力感が感じるよう<だとしても仕事もこなされてますよね?
だったら特に問題はないのでは。
死ぬのはほっといてもいずれ、向こうからやってきます。
こちらの意志に関係なくです。
どーしようもないのですから、まだ少しは自分の意志が通る生きるの方で悩む方法が先ですよ。
と言っても生きるのに意義等を求めろと言う訳ではありません。
人間はただ生きる為に生きるのであって、何かの為に生きていく訳じゃないんですから。
生存に関わる生理的欲求には耐えられませんよね。
ただ生きる為に生きるなんて寂しい、そんな事じゃいけない何て言う人もいますが、その言には何の根拠もないですしね。
別に達観しているとか、斜に構えているんではなく、本来そういうモノであるからそれでいい<と思うんです。
天衣無縫<あるがままに、っていう意味の四字熟語なんですけど大好きです。
人間死んでも物になるだけで、何にもならない」 <元々、単なるタンパク質とアミノ酸の固まりです、人間は。
それでも生きているのが不思議じゃないですか。
不思議なモノは何になるとか、何にもならないとか意味づけ出来ないと思うんですよ。
それはただ不思議なだけで。
少なくとも僕の脳では、ですけど。
「死んでも生きても意味ないのじゃないか」 <無くていいと思います。
何故、意味が必要なのか分かりません。
「金持ち、貧乏も関係ないよ、どうせ時とともに死んで、回りも死んでみんな存在した事すら忘れるんだから」 <誰かがあなたの死後、あなたの事を強く思うでしょう。
でもいずれ、その人もなくなります。
延々と語り継がれても地球自体の、宇宙自体の寿命があるかぎり(あると思う。少なくとも、現在の状態の宇宙には)かならず存在すら忘れられてしまう事が。
でもね、それまでは生きる訳で。
金のあるなしはそれなりに重要な要素です。
まだ生きてるし。
「人が死ぬのもゴキブリが死ぬのも同じだ」 <え~と、色んな所に行った事があるのですが、日本では清涼飲料水は買えるが牛丼は食えねぇ、程度の金額が原因で簡単に人が殺されている所もあります。
蚊をつぶす様な感覚で人を殺している人もいます。
快楽殺人犯なんかじゃなくて。
平気でロシアンルーレットをする人たちも。
今の世間一般では目に付かないだけで、自分の感覚でいえば「ゴキブリ」の様に死んでいる人はたくさんいるのでして。
同じかもしれませんね。
ただ、ゴキブリよりも死に対して立ち向かえると思います。
このサイトにもたまにおられますよね、生きるって何とか、自分の居場所がうんぬんとか言う御方。
外を見て晴れてるか曇ってるか雨か。
喉が渇いて腹が減る。
仕事してて疲れて、遊んで疲れて。
眠くなって眠る。
生きてる事が感じられますよね。
その延長線上でしょう、死も。
意外と死後は死後でなにかあるかもしれませんよ?
何もない可能性も勿論。
それを確かめられる時は勝手にやってくるんだからほっときましょう。
ちなみに過去三回程、死にかけた(心停止2回)事も自分にそれなりに影響しているのかも知れません。
でも、仕事をしてます、遊びもしてます、結婚もしてます、子供も欲しいです。
明日は死ぬかもと常に思っていますけど。
特に生きる事に感慨は持っていませんけど。
これでいいと思うんですよ、僕は。
あ、当然、自分自身に不満はありますけどね。
対面じゃないとうまく言えないので説教じみてますけど、そんな気は全くありません。
単に自分が思っていることを書いただけです。
不快だったら謝ります。
最後に回答らしく>悩むなら徹底的に悩んだ方がいいですよ。

こんにちは。
先週の昼休み<って、事はまだ一週間程しか経ってないんですよね?
虚無感、無力感、脱力感が感じるよう<だとしても仕事もこなされてますよね?
だったら特に問題はないのでは。
死ぬのはほっといてもいずれ、向こうからやってきます。
こちらの意志に関係なくです。
どーしようもないのですから、まだ少しは自分の意志が通る生きるの方で悩む方法が先ですよ。
と言っても生きるのに意義等を求めろと言う訳ではありません。
人間はただ生きる為に生きるのであって、何かの為に生きていく訳...続きを読む

Q死について考えることは、普通のこと?

一日の内でほんの5分か10分なのですが、死について考えることがあります。

マンションを見ると「あの屋上から飛び降りたら死ぬのかな。今日飛び降りたら、明日の今ごろはもうないんだ」という風に。他にも線路沿いを歩きながら特急電車が通りすぎるのを見ている時とか。

実際にそれを行動に移そうとは思わない…というか怖くて移せないし、そんなことしたら大勢の人に迷惑かけるしとんでもないことだと分かっています。

それに、自分はたとえどんな高いところから飛び降りても死ぬことはなくて、大怪我で残りの人生きっと一生後悔して生きていくことになるんだ、と思っています。
楽して死ねることはないだろう、と思っています。

でも24時間中のほんの数分とはいえ、毎日そういうことを考えている自分が少し不安です。
何かあったときに衝動的に行動に移すんじゃないかという気がして。


誰でも死について考えることはあると思うのですが、毎日(ここ3か月ほどです)・現実的に(哲学としてではなく、という意味で)死について考えるという行為は心理的な面から何か理由があるのでしょうか?
口に出して話す話題でもないから、みんな言わないだけで、死について考えるのは自然なことなのでしょうか?

ぼんやりと死について考えてる自分が、自分自身つかめなくて怖い気がしたりします。
なので抽象的な質問ですが、死について考える人というのは例えばどんな心理状態なのか、教えてください。

よろしくお願いします。

一日の内でほんの5分か10分なのですが、死について考えることがあります。

マンションを見ると「あの屋上から飛び降りたら死ぬのかな。今日飛び降りたら、明日の今ごろはもうないんだ」という風に。他にも線路沿いを歩きながら特急電車が通りすぎるのを見ている時とか。

実際にそれを行動に移そうとは思わない…というか怖くて移せないし、そんなことしたら大勢の人に迷惑かけるしとんでもないことだと分かっています。

それに、自分はたとえどんな高いところから飛び降りても死ぬことはなくて、大怪我で残り...続きを読む

Aベストアンサー

多くの人の支えによって
暮らしが成り立っているという自覚がないのと、
自身のライフデザインに描いた
目標を実現するために
完全燃焼できていないのではないでしょうか。

Q死ぬことばかり考えてしまい疲れました

数年前にうつを発病し、半年前に再発して現在も治療を受けています。
一日に何度も死ぬことばかり考えてしまいます。

思えば子供の頃から事あるごとに「死んでしまいたい」と考えることが多く、
うつ病と診断される前も後も「死にたい」と思う気持ちに大きな変化はありません。

実際に自殺の行動を起こしたことはないのですが、死に捕らわれることに疲れてしまいました。

うつ病の症状のひとつとして諦めるしかないのでしょうか?
それとも自分の中の何かのSOSなのでしょうか?

同じような経験をされた方、改善の方法などありましたらお聞かせください。

Aベストアンサー

「死にたい」と思ってしまうとのことですが、「今、すぐにでも死にたい」と思ってしまいますか?
人間、必ず寿命があります。この世に生まれてきた以上、必ず「死」がやってくる。避けられないですよ? 永遠に生き続けることができる人なんて、存在しません。
「死にたい」と考えるのではなく、「そのうち(嫌でも)死ぬ」と考えてみませんか?
「なにも今、死にたがらなくても、そのうち死ぬんだから待っていよう……とりあえず、ラーメンでも食べておくか。後悔しないように。」とゆったり構えてみませんか?
「死にたい」と思えば思うほど、「死」という暗くて冷たいモノは寄ってきます。そして最終的に、人をひどく疲れさせてしまう。
けれど、誰にでも「死」は近寄ってきます。ならば、それと上手に付き合っていって、最終的には離れて行ってもらいましょう。
「死にたい!」という(嫌な言い方ですが)積極的に死に向かってしまう姿勢を、「そのうち死ぬから待ってよう」と受身にするだけでも、同じく「死」について考えていても、ちょっとは違うと思いますよ?

確かに「死にたい」と思うのは、うつの症状の一つです。
でも、諦めるしかないものではないと思いますよ。

うつになるまでには、時間がかかったと思います。1日2日でなったものではないと思います。
ならば、治るのに時間がかかっても不思議じゃない。
とりあえず、もうちょっと待ってみましょう。

しかし「死にたい」と思いながらでずっと過ごすのは、辛いですね。
このことは、お医者さまに話してみましたか?
SOSだと思うのならば、何か思い当たるフシはありますか?

ひょっとすると、他の方も仰るように、お薬や治療法が合ってないのかもしれません。
まずは、主治医の先生のお話しましょう。

「死にたい」と思ってしまうとのことですが、「今、すぐにでも死にたい」と思ってしまいますか?
人間、必ず寿命があります。この世に生まれてきた以上、必ず「死」がやってくる。避けられないですよ? 永遠に生き続けることができる人なんて、存在しません。
「死にたい」と考えるのではなく、「そのうち(嫌でも)死ぬ」と考えてみませんか?
「なにも今、死にたがらなくても、そのうち死ぬんだから待っていよう……とりあえず、ラーメンでも食べておくか。後悔しないように。」とゆったり構えてみませんか?
...続きを読む

Qタナトフォビア(死恐怖症)の症状を抑えたいです。

現在23歳、大学3年で就活が間近に迫っている男です。

昨年(2010年)の年末から、死んだら自分はどうなってしまうのだろうという思いがほぼ四六時中、頭から離れなくて心身共に疲れています。

小学校に入学するかしないかの頃から、ふとした瞬間に、死んだら自分はどうなってしまうのだろうと考えて得体も知れない怖さを感じることが度々ありましたが、寝るなどしてしばらくしたら治まっていました。

しかし、今回はすぐに治まらず、死んだら自分の意識は無くなってしまうのだろうか、「無」は何なのだろうか、何の為に生きているのだろうかとか、宇宙について考えてしまったりして、ここ数日は朝になるまで寝られず、起きている間も考えてしまいます。恐怖や絶望を感じてしまい、食事も無理をして行っている感じがします。情けないですが、自分の部屋で声を殺して泣いてしまうこともありました。

また、母親(60代前半)もいつか死んでしまって、火葬が行われるであろうことも考えてしまい、家で母親の顔を見ただけでも、涙が出そうになってしまいます。ニュースなどで人が死んだことを聞いても、その人について考えてしまいます。

先日、ネットで調べて「タナトフォビア」という言葉があることを知り、自分もそれを発症していると思い、ここのような相談サイトを見て回ったのですが、理論的な理解はできても、感情をなかなか抑えられません。少し落ち着いているときと考え込んでしまうときが交互に来ている状況です。

10代の時に強迫観念症(これが正式名かどうかはわかりません)を複数発症したこともありました。(元々、そのような病気になりやすいのだと思います。)そのときは病院には行かず、程度の差はあれ、自分で症状を改善しました。

心が休まりません。どうすれば、タナトフォビアの症状を抑えられるのでしょうか。

強迫観念症の件で家族には迷惑をかけてきており、また、今回は対象が「死」ということもあり、家族には話していません。なので、ここで質問させていただいた次第です。

長文かつ乱文で申し訳ございませんがよろしくお願いします。

現在23歳、大学3年で就活が間近に迫っている男です。

昨年(2010年)の年末から、死んだら自分はどうなってしまうのだろうという思いがほぼ四六時中、頭から離れなくて心身共に疲れています。

小学校に入学するかしないかの頃から、ふとした瞬間に、死んだら自分はどうなってしまうのだろうと考えて得体も知れない怖さを感じることが度々ありましたが、寝るなどしてしばらくしたら治まっていました。

しかし、今回はすぐに治まらず、死んだら自分の意識は無くなってしまうのだろうか、「無」は何なのだろうか、...続きを読む

Aベストアンサー

今晩は。

症状を抑えるのも大事かと思いますが、うまく付き合う、それもひとつの解決策かと思いお返事します。

強迫性障害を持っています。死が対象だったことがあります。
死に捉われ、苦労はしましたが、お陰で意識がとても変わりました。
その経験をお伝えします。

なぜ死に捉われるのかから探りました。
実は身近に死が沢山溢れていることに対し感覚がそれを捕らえていることに気付きました。
だから意識が「死」から離れない。死を感じる結果、それを強く意識してしまう。
だから病気だ、というよりも単純に感性が鋭い事が原因なんだろうと思いました。
感性が豊かな人なら大なり小なりタナトフォビックであろうとも今は思っています。
死、はいかなる人であれ未知です。
DNAからは死を避ける行動を取るように恐怖という感情を引き起こすよう書き込まれています。
それなので死=恐怖は自然な感情です。ところが死が溢れているがゆえにいつまでも繰り返し
恐怖を引き起こす、どこかで麻痺するのが通常なんでしょうけれど、麻痺しないことが苦痛となる。
麻痺しないことは間違ってはいないと思うので病気だとは考えません。
ただ麻痺しないから困っている現状がある、それをまず客観的に捉えられるようにしました。

そこで繰り返し引き起こされる恐怖への対処法を考え、実行しました。

何をしたかというと、死、の反対を探したんです。
誕生ですね。意識して、意識を向けた結果、溢れる死と同じように
生命の誕生を至る所に感じられるようになりました。
毎日、毎秒、ありとあらゆる生命が生まれている一方で、死んでいく。
繰り返し、繰り返し、です。その感覚を得てはじめて万物流転をきちんと理解できた気がします。
自分の身に起こる死もまた、肉体が解体され、流転する。自然の流れなんだろうと。
そこに魂を信じる気持ちがあれば、輪廻転生も有り得る事とも思いました。

その一方で、死からも学びを得ました。何よりも如何に命が儚いか、です。
だからやはり誠に、生きて存在しているということ事態が奇跡なのだと知りました。
一期一会という言葉の持つ真の意味に触れることが出来たのも、死を思ったが故に。
今は昔、全ての時計に書いてあった言葉だそうです。メメントモリ(死を想え)と。
その昔は今で言うタナトフォビアが当たり前だったのかも知れませんね。
ちなみに朝生まれ、夜死す、それが繰り返されて日々となる、という考えもありますね。
なによりも人は思ったよりも簡単に死んでしまうものなので
限られた日々を一所懸命生きなさい、という智慧なのでしょう。

いつか必ず死にます。死後の世界の話で困るのは、結局死んでみないことには判らないですし、
折角まだ生きているのに、知りたいから今死のう、というのも違います。
なので死後の悩みは死後のお楽しみとしてひとまず置いておきませんか?
死後も意識が継続していましたら、その時にあらためて考える、としておいて
意識が無かった時は諦めよう、としてみましょう。
問題の死への概念ですが、死の意識を振り払うことは大変です。
だったら死に対してポジティブな意識を持つように意識を変えてみませんか?

私の辿った道のりです。
身近に溢れる命が死んでゆく、その切なく脆い命が故に、命に対しての愛おしさに繋がった。
儚さゆえの愛おしさだとしても、溢れる息吹に感じ入り、懸命に生きる大切さが
死を感じるが故に繰り返し伝わってくる。
その時にはじめて死の概念がそのまま命への慈しみへと変わりました。

残された日々を大切な人たちといとおしみ、生きる。それはかけがえのない日々となるでしょう。
命を見送り、自分の最後の時には、素晴らしい人生を過ごせれた、と悔いなく死ねるでしょう。
思い残すことが無いから安心して自らの命を自然へ帰す。
そんな心を最後の時に持てるよう日々、命を燃やして生きていきたい。
それこそが、死を想うが故に苦しみを生むことに対しての最大の対処法として
僕が今、まさしく実践中の毎日です。

繰り返しますが、命は儚いものです。お母様を想う気持ちは慈しみでしょう。
慈しむ思いがあるのですから、まずはお母様への慈しみの行動を取ってみましょう。
具体的に、日々の感謝の気持ちを手紙としてお渡しするのも良いでしょう。
あなたの笑い顔を見せることも、もちろんとても喜んでくださるでしょう。
何も出来そうになければ、ただ、傍に居る、たったそれだけでもとても大きな喜びでしょう。
愛情こそ、死への恐怖から解き放つ何よりのものではないでしょうか。

私事ばかりで恐縮ではありますが、何か拾えるものがありましたら何よりの喜びです。
長々とお付き合い、ありがとうございました。

今晩は。

症状を抑えるのも大事かと思いますが、うまく付き合う、それもひとつの解決策かと思いお返事します。

強迫性障害を持っています。死が対象だったことがあります。
死に捉われ、苦労はしましたが、お陰で意識がとても変わりました。
その経験をお伝えします。

なぜ死に捉われるのかから探りました。
実は身近に死が沢山溢れていることに対し感覚がそれを捕らえていることに気付きました。
だから意識が「死」から離れない。死を感じる結果、それを強く意識してしまう。
だから病気だ、というよりも単純...続きを読む

Q思春期に死について考えてしまうのは普通?

私は中学2年生の男子です。あまり実感はありませんが、思春期と呼ばれる年頃です。

最近、毎日毎日、すべての人に必ずやってくる「死」について深く考えてしまい、ため息ばかりです。
以前、小学校4,5年生の時も「死」について深く考える時期がありました。その時は時間が立つにつれてその悩みは消えて無くなりました。そして、また今、「死」についての深く考えるようになりました。でも、小学校の時とはちょっと違った感じです。

小学校の時は漠然と死にたくないな。という気持ちでしたが、今は「死」とは何なんだろう?死んだらどなるんだろう?「無」になるのかな?「死後の世界」はあるのかな?「生まれ変わり」はあるのかな?先に死ぬ家族とは再開できるのかな?今、勉強していることは死んだ瞬間に「無」になるのかな?そして、死にたくないな。小学生の時より科学的な事が少し、理解してきてその悩みが深いものになりました。

1週間くらい前からずっと悩んでいます。この「教えてgoo」にも「死後」に関わる様々な質問をしました。

この悩みは「思春期」という時期的な悩みなのでしょうか?

何をしている時も心の片隅に必ずこの悩みがあります。

そして、必ず来る家族との別れのことも考えてしまいます。

このような事を深く考えてしまうのは思春期の時期的な悩みなのでしょうか?

同年代の皆さん、貴方はどうですか?

大人の皆さん、そんな時期はありましたか?

詳しい方、この悩みは思春期には誰にでもある悩みなのですか?

そして、いつかこの悩みはなくなるのでしょうか?

私は中学2年生の男子です。あまり実感はありませんが、思春期と呼ばれる年頃です。

最近、毎日毎日、すべての人に必ずやってくる「死」について深く考えてしまい、ため息ばかりです。
以前、小学校4,5年生の時も「死」について深く考える時期がありました。その時は時間が立つにつれてその悩みは消えて無くなりました。そして、また今、「死」についての深く考えるようになりました。でも、小学校の時とはちょっと違った感じです。

小学校の時は漠然と死にたくないな。という気持ちでしたが、今は「死」とは...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは

その問題は思春期の時は誰でも考えると思います。大人になったら忘れる人もいるし、大人になっても考えてる人もいます。この先この問題に解決というか自分なりの納得する答えが出てきたならばもう悩まなくなるかもしれませんが、納得できないのならなかなかこの考えを自分から消すのは難しいとおもいます。
ちなみに私も思春期の時に考え始め、今なお考えてます。ちなみに20歳すぎてますが。

この問題に興味があるなら質問者さんがしてるように、色んなとこで質問したり、それに関する本や小説、映画などを見るといいと思います。今まで予想もしなかった何かを見つけられるかもしれませんよ。

この問題と向き合ってると否定的になりがちですが、考える事も楽しみながら探索していけばいいとおもいます。

Q歳を取るほど死が怖くないのは何故ですか?

 若い人ほど死ぬことを恐れ、歳を取るほど満足したから?かどうか分かりませんが

 怖いと思う人が少ないそうですが何故なのでしょうか?


 個人的にはカウントダウンに入っている方が恐ろしと思うのですが
 
 いわゆる「お迎え」っていうものがあるので、宗教的な要因もあるのでしょうか?

Aベストアンサー

Q/怖いと思う人が少ないそうですが何故なのでしょうか?宗教的な要因もあるのでしょうか?

A/日本の場合はそうかもしれませんね。
宗教観や倫理観の問題ですね。人が生きる意味は、人によって様々ですが、一つ共通に言えることがあるとすれば、苦しむことを嫌うということです。その逆に楽をしたいという感情もあるでしょう。そして、遺伝的には、次の性を残すことが目的です。

この苦楽と子孫のいずれかが満たされていくと、死を恐れる感情は徐々に抑えられるはずです。

もっと、分かりやすく言えば、親は子供が出来れば、子が死ぬなら自分の命を捧げる覚悟をするケースもあります。人生の目標が親であり、親として子供を育て上げることに目標があるなら、その人の人生は、満たされたことになり、少なくとも一つの大きな未練はなくなります。それは、死しても自分の子孫が残るということで果たされるからです。

苦と楽というのは、子供の頃に死を恐れることにも影響します。苦しみには仏教では四苦八苦というものがあり、生老病死に生きる上で必ず1度は味わうであろう、愛する人と別れる苦しみ、恨んでいる人や憎しみを抱くような相手と会う苦しみ、求めるものを欲する苦しみ(それが手に入らない苦しみ)、精神的な苦しみの4つを加えた8つの苦しみがあるのです。

死ぬ苦しみが、怖いのは年老いても実際には同じですが、子供の場合は、精神的な苦しみが少なく、憎しみを抱くことも普通に育てられていれば少ないはずです。さらに、愛する人が近くにいることも多く、別れる機会も少ないはずです。それに対して、漠然として理解できないのが死の苦しみです。

生きる苦しみは、病気をしたとき、人生において一人立ちをしたとき、生活を自分で設計したとき、子供が生まれ家族が出来たときと順番に、大きくなります。それらは、全てが苦しみではありませんが、生きていることの苦が、死の苦に勝っていけば、自分から死を選ぶようにもなります。

人の喜びや悲しみ、苦しみや、楽しみは人によって様々ありますが、その人にとってほぼ苦と楽は正反対の価値です。楽が10なら苦は-10なのです。ただ、人は慣れる生き物です。そのため、最初は楽が10でも次に同じ楽を味わっても、9に感じます。苦も不条理でなければ同じことですが、楽しか味わっていない人は、それを理解できないため、苦が緩和される前に、諦めてしまい社会に苦ばかりがあるように感じるようになります。
生まれたときから、一定の楽を味わえば、たいていの場合、年齢があがるにつれて、死は怖くなくなるでしょう。
何故なら、死に対する苦しみより、社会の苦しみの方が現実的で、恐ろしいからです。


最初から、死に直面するような社会に産まれ、育っていくと死を重んじるようになり、恐れるまではいかないでしょうが、死の価値を誇大に見るようになります。まあ、よい方向で教育されれば、最後まで生き抜いて、死の苦しみが少ない社会を目指すかもしれません。悪い方向で教育されれば、テロリズムに走り、自分の死を選ぶときに、多くの敵を一緒に巻き込むでしょう。

人の喜びは、価値のある物を手に入れたとき、人に評価されたとき、そしてそれらを合わせて自分の好きなことを好きなだけ出来るときなどに生まれます。死に対する感情は、その教育と幼児期からの育ちによってある程度は決まります。ある方法での死を喜びと錯覚させるように教えられれば、死は恐怖ではなくなるでしょう。
また、社会が苦しみの固まりだと感じれば、死は怖くなります。そして、一番よい死の苦しみを和らげる方法は、目標の幸せを手にして、幸せを一定程度勝ち取ることです。苦をある程度受け入れ生きることが、死を安らかに迎える方法かもしれません。

Q/怖いと思う人が少ないそうですが何故なのでしょうか?宗教的な要因もあるのでしょうか?

A/日本の場合はそうかもしれませんね。
宗教観や倫理観の問題ですね。人が生きる意味は、人によって様々ですが、一つ共通に言えることがあるとすれば、苦しむことを嫌うということです。その逆に楽をしたいという感情もあるでしょう。そして、遺伝的には、次の性を残すことが目的です。

この苦楽と子孫のいずれかが満たされていくと、死を恐れる感情は徐々に抑えられるはずです。

もっと、分かりやすく言えば、親...続きを読む

Q死の恐怖は克服できますか?

40代後半の男です。

この年齢になると体の衰えを強く感じますし、同世代では病気で亡くなる人もいますし、両親も余り長く生きることが出来ないだろうし、死に関して身近に感じる年齢になりました。

正直に言って今が一番、死に対して恐怖心が有ります。

死に対する恐怖心を和らげることは出来ないでしょうか?

死が近くなる高齢者は、年齢を重ねる毎に死の恐怖心が薄くなっていくのでしょうか?

Aベストアンサー

66歳、男子。死を意識しながらも、日常的には元気に暮らしている者です。

他の回答者の方々の意見を拝読しながら、この一義的な出来事にこれほどいろんな考え方があるのに、驚いています。

自分が思うには、「死への恐怖=忌避すべき最大のもの」という意識は本能の一部だと思っています。この本能があるために人類は種(しゅ)として存在しているのは明白です。種の存続のため、個は死を回避する最大の努力を強いられ、苦しみながらも存続しなければならないという宿命を背負っているものだと思っています。

死を回避する個の努力がなかったら、とうの昔に人類は地球上から消滅していまっているでしょう。

誰にとっても死への恐怖はあるものだし、恐怖心があってこそ人間として正常だと思います。死への恐怖心をなくす現象として「ボケる」という生理現象がありますが、そのような死に準ずる状態も忌避するのも本能的なものだと思います。

並行して自殺という行為に就いて考えます。これは個が種に対しての主張だと思っています。個にとって生きることが余りに苦痛である場合、種の意志に対して個が主張し、反抗できる唯一の手段であるのです。多分、他の種にはない行為だと思います。人間に与えられた最終的な「権利」ということになります。

老齢化すると、肉体的に衰え、生きていることに苦痛を覚えるようになった時、生への執着心が薄れれば、死への恐怖も多少相殺されるかも知れません。 それでも人間としての理性がある限り、死への恐怖心はなくならないものだと思っています。

66歳、男子。死を意識しながらも、日常的には元気に暮らしている者です。

他の回答者の方々の意見を拝読しながら、この一義的な出来事にこれほどいろんな考え方があるのに、驚いています。

自分が思うには、「死への恐怖=忌避すべき最大のもの」という意識は本能の一部だと思っています。この本能があるために人類は種(しゅ)として存在しているのは明白です。種の存続のため、個は死を回避する最大の努力を強いられ、苦しみながらも存続しなければならないという宿命を背負っているものだと思っています。

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Qなぜ「どうせ死ぬのに」、頑張って生きるのですか?

20代半ば、会社員です。


最近、あらゆることに対してやる気や情熱が持てなくなってしまいました。
理由は、質問のタイトルにも書いた通り「どうせ死ぬから」というもの。


例えば・・・

自分が勉強して知識を付けても、その内のほとんどは自己満足。

仕事でその知識を使い社会に貢献できたとしても、社会全体から見たらほんの極わずか。

自分が痩せて「嬉しい!やった!」と思っても、ほとんどの他人にとってはどーでもいいこと。ましてや社会にとっては何の意味もありません。

僕本人にしか分からないレベルで小さな変化や成長を自分の中に感じても、他人にとってはどーでもいいこと。

何かの技術に習熟して、他の人ができないことができるようになったとしても、やっぱり社会全体から見たら取るに足らないこと。

僕が何かの資格を取ったりしても、やっぱりそれは地球全体で考えたら本当に些細なこと。


そしてそもそもの話。

どんな風に生きたとて、結局のところ人は死にます。
当たり前の話ですが。

じゃあなんでどうせ死ぬのに頑張って生きるのでしょうか。

しかも、上述したように、何か頑張って成し遂げたとしても、ほとんどが自己満足。
自己満足を超えて社会に幾ばくか貢献できたとしても、その影響は本当に小さい。。。


もしあなたがベートーベンやゴッホなどの世界クラスの才能をお持ちであるならば、その影響は大きいでしょう。
ですが、そんな人は本当に極一握り。

僕を含む、彼ら以外のその他大勢の"凡人"は、結局頑張ってもその努力の跡や功績は後世には伝わらないんです。

じゃあ、頑張っても無駄じゃないですか?


一生懸命、大変な思いをしながら生きるのって、必要なくないですか?


ただでさえ、あなたは日本や世界という基準で見たら、小さい存在で、正直いてもいなくてもいいんですよ。
あなたは後世に残る程の偉人にはならないだろうし、多くの人間に必要とされる人間にもならないでしょう。


その上、悪口を言われたり嫉妬されたり、潰されたり、精神的に辛い思いをさせられたり・・・と、色々な目に遭いながらも一生懸命生きたとして、残念ながら結局は死にます。


じゃあもう、どうせ死ぬなら生きなくてよくないですか?



・・・・っていうようなことを、ここ3ヶ月ぐらい前からずっと考えています。



自分は今20代半ばで、これまで色々とその場その場で頑張って来たつもりです。


高校受験の為に勉強して、部活では一生懸命走って、大学受験をして、そして就職活動をして・・・と、なんやかんや頑張って生きて来ました。


でもここまで生きて来て急に気付いたんですよね。


「俺、どうせ死ぬんじゃん」
「このまま生きてても、どうせ俺は後世に何年も残る偉大なものを作り上げることなどできない。つまり長い歴史で見ると俺の人生なんて何でもないんだ」


ってことを。


これまで本を読んだりして知識を付け、本人しか分からないレベルで成長したこと。
趣味を一生懸命やって、そのスキルを磨いて自己満足を得たこと。
ダイエットして痩せたこと。
何かに感動したこと。
新しい経験をし、新しいことを知って喜びを感じたこと。


これら全て、結局僕以外の人間にとってはどうでもいいことなんだなと。
そして、当たり前ですが、結局死んで無になるんだから全ては無意味なんだなと。


こんなことを最近強く思ってしまうようになったんです。


別に仕事で辛いことがある訳でも、プライベートで絶望的何かがあったとかでもありません。
恋愛で躓いているとか、他人が羨ましくて仕方ないとかでもありません。
特にサボリたいとか、その様な怠慢状態になっている訳でもありません。


単に、

「凡人が生き続けても何も残らないし、自分が何に感動し何に喜びを感じても他の人にはどうでもいいこと。 しかもいつか死ぬ。じゃあ生きてても意味なくね?」

という気持ちが急に湧いて来て、消えないだけです。


巷には

「人間関係を円滑にする方法!」
「コミュニケーションをスムーズにする為の〇〇ステップ!」
「資格試験取得への第一歩!」
「10年先を見据えた生き方をしよう!」


みたいな趣旨を唱う自己啓発本みたいなのが山のようにありますが、こんなのも正直無意味です。

結局あなたに、そして僕待っているのは「死」なんです。



・・・みたいな、「そもそも論」的な部分でしか物事を考えられなくなってしまっただけです。



こんな状態なため、ここ3ヶ月は本を読んで知識を付けようと思っても、

「どうせ俺がこうやって知識を付けて賢くなっても、結局は自己満足だ。 しかも俺より賢い人はゴマンといる。 じゃあやっても意味ないよな・・・」

って考えてしまったり、趣味に没頭しようと思っても、

「どうせ俺がこうやって趣味を楽しんでも、俺よりこの趣味に習熟している人なんて山程いる。。。 じゃあ意味ないんじゃないか・・・」

こんなことを思ってしまい、もう全てに対してやる気が失せ、情熱を燃やすことができないんですよ。



この気持ちが一向に消える気配がないので、思い切って仕事も辞めようかとも思い始めてます。
仕事を辞めて、一切の友人関係を絶ち、部屋に引きこもって餓死するまでずっと横になって生ける屍になろうかと。

冗談ではなく、本気で。


かなり前置きが長くなって申し訳ありませんが、以上を踏まえて質問です。


なぜあなたは「どうせ死ぬのに」生きるんですか?
あなたが幸せになろうが喜びを感じようが他の人にとってはどうでもいいのに、なぜそれらを追い求めて一生懸命生きるのですか?
それと(これはできればで結構です)、どうすれば僕はまた生きることを肯定的に捉えられるようになると思いますか?


これらのあなた自身の明確な意見をお聞きしたいと思います。

(回答する際はお手数ですが、年齢の方も最初に明記して下さい。 その方が回答者様の人生経験などを推測しやすいので)

20代半ば、会社員です。


最近、あらゆることに対してやる気や情熱が持てなくなってしまいました。
理由は、質問のタイトルにも書いた通り「どうせ死ぬから」というもの。


例えば・・・

自分が勉強して知識を付けても、その内のほとんどは自己満足。

仕事でその知識を使い社会に貢献できたとしても、社会全体から見たらほんの極わずか。

自分が痩せて「嬉しい!やった!」と思っても、ほとんどの他人にとってはどーでもいいこと。ましてや社会にとっては何の意味もありません。

僕本人にしか分からないレ...続きを読む

Aベストアンサー

19歳女性です。

生きる意味なんていうのは、私も分かりません。
でも、「なぜどうせ死ぬのに頑張って生きるのか」の答えは何となく分かる気がします。
あくまでも私の考えです。

私は、「どうせ死ぬから」こそ、頑張って生きているのではないか、と思うのです。
もし、いつか死ぬと分かっていなかったら、ここまで生きてこられなかったかもしれない。
「死」という人生のゴールがあるからこそ、そのゴールまでの道のりを全うしたい、と思えます。
さらにいえば、生きる意味が分からないのも当然のことだと思います。
「生きる意味を探す」「生きる意味をつくる」というのも、立派な「生きる原動力」です。

抽象的になってしまい、分かりにくくなってしまいました。
もう少し分かりやすく言うと、私は、いのちの期限が決まっているからこそ、可能な限り、自分に与えられた人生を全うしたいと思うのです。
「生きる意味」というのは、誰かに提示されるものではなく、自分で見つける、さらにいえば、自分でつくるものだと思うからです。
だから、簡単に見つかるものではないのは当然です。
一生をかけて、向き合っていかなければいけない問いなのです。

勉学に励むことも、恋することも、友達と過ごすことも、家族をつくることも、仕事をすることも、全て、無駄なことではないと私は思います。
それらは全て、自分の生きる意味を形成するための重要な材料になるからです。

19歳女性です。

生きる意味なんていうのは、私も分かりません。
でも、「なぜどうせ死ぬのに頑張って生きるのか」の答えは何となく分かる気がします。
あくまでも私の考えです。

私は、「どうせ死ぬから」こそ、頑張って生きているのではないか、と思うのです。
もし、いつか死ぬと分かっていなかったら、ここまで生きてこられなかったかもしれない。
「死」という人生のゴールがあるからこそ、そのゴールまでの道のりを全うしたい、と思えます。
さらにいえば、生きる意味が分からないのも当然のこと...続きを読む

Q毎日死にたいと思います。心の病気ですか?

この症状が心の病気なのか、病院に行ったりしたほうがいいのか、教えてください。

症状は3年くらい前から出ているように思います。

・毎日死にたいと思う
最初は夜寝るときだけだったのですが、最近では昼間でも考えるようになりました。
自殺の方法を考えたりすることもあります。
ただ、1度も行動に出たことはなく、妄想してるだけという感じです。

・感情が抑えられない
母親のことがとても嫌いです。
なので、電話がきて話をして電話を切った後、憎悪の感情が押し寄せてきて体が熱くなり、感情が高ぶります。
そんな状態が2時間くらい続くことも。
電話に限ったことではなく、母親のことを考えただけでこうなることもあります。

生活は普通にできているし、食事も普通にできています。
ただ、人と会ったり話したりすると精神的にとても疲れてしまって、起きていられなくなることはあります。

カウンセリングなどに行ったほうがいいのでしょうか?
その場合、カウンセリングにかかる金額も教えてもらえると助かります。

Aベストアンサー

毎日死にたいと思うようでは、実際辛いでしょう。
早く病院に行きましょう。

カウンセリング単独のところもありますが、精神科、心療内科で、カウンセリングを行っているところもあります。

はじめに医師が診察して、カウンセリングが必要だ、もしくは、患者が希望していて妥当だと思うと、カウンセラーの予約を入れてカウンセリングをするというシステムですね。

後者のほうは保険が利きますので、コスト的に大分安くなります。

まずは、医師と相談してみてください。精神科、心療内科といっても、普通の診療科とそれほど違いありません。料金もとりあえず3割負担で1500円程度です。

カウンセリングのことはそのとき話し合えばよいでしょう。カウンセラーがいる精神科、心療内科を探すのは、ちょっと手間ですが、電話帳か、
通信簿.com
http://www.tusinbo.com/
で、根気強く探してみてください。

Q死の恐怖を忘れたい

21歳の男子大学生です。
最近急に死ぬことが怖くなってずっと死について考えています。どうすれば乗り越えることができるでしょうか。自分はこのようにして一応は乗り越えられという体験談も教えていただきたいです。

死を怖いと初めて思ったのは小学校の時でした。

その時は母に相談することで精神が安定しましたが、その日から時々死ぬことを思い出しては不安になっておりました。時々思い出す分には人間ならしょうがないかなと思い開き直っていましたが、今は気がつくと死について考えてしまっています。

今私は大学の大事なテストを控えているのですが、1週間ほど前に、その勉強をしているときに急に死が怖いと思いました。その次の日に彼女に振られたということもあり、ますます情緒不安定になっている気がします。また勉強している時もふと死について考えてしまい、勉強も捗らず、自分を追い詰めていく一方です。

過去の皆様の投稿を読んで、「今を一生懸命生きて、楽しんで、親孝行できればいいのかな」と前向きに思えたと思えば、しばらくするとまた恐怖におびえて、「今していることに何の意味があるのだろう」と考えています。いっそのこと霊の存在でも信じられれば怖くないのですが……

頭の中で様々な考えがぐるぐる回って、このままでは自分がおかしくなるのではないかと思いここに投稿させていただきました。


友人と一緒にいるときは死について考える時間は短いように思えますが、それでもやはり考えてしまいます。遊んでいるときにさえこんなことを考えてしまうことがあるのは辛いです。また、どうしてこんなに無邪気に笑えるんだろうとも思います。

また私は親と別れることにも恐怖を覚えています。私は母親と父親が大好きで、就職してからも地元に帰って親孝行したいと考えています。両親には感謝しきれないほどに感謝しているのです。

しかし、だからこそ、こんなことを言ったら親が心配するのではないかと思い相談もできません。また友人に相談して、その友人も私みたいになったらどうしようと思い相談できません。

支離滅裂で文がよく分からないのですが、結局私が知りたいのは「どうすれば以前のように普通に生活できるか」ということです。

考え過ぎない方がいいというのはわかるのですが、やはり考えてしまいます。できれば薬や精神科に頼らないで元の自分に戻りたいと考えています。

アドバイスよろしくお願いします。

21歳の男子大学生です。
最近急に死ぬことが怖くなってずっと死について考えています。どうすれば乗り越えることができるでしょうか。自分はこのようにして一応は乗り越えられという体験談も教えていただきたいです。

死を怖いと初めて思ったのは小学校の時でした。

その時は母に相談することで精神が安定しましたが、その日から時々死ぬことを思い出しては不安になっておりました。時々思い出す分には人間ならしょうがないかなと思い開き直っていましたが、今は気がつくと死について考えてしまっています。

今...続きを読む

Aベストアンサー

ありました、そんな時期。
小3のころ、いきなり死について怖くなり、一日中考えてしまう日々が続きました。
あればっかりは忘れるしかないですよね
でも一度そこまで行ってしまうと、なかなか戻れませんよね。
私は友達と会うことで紛らわしているうちになおっていた気がします。
とにかく忙しくする。バイトや遊びの予定をぎゅうぎゅうにいれてみてください。意図的に。死について考えてしまって遊ぶ気がでなくても、無理にでも予定を埋めてください。ただの飲みとかより、たとえばスノボとか、集中できるものや、集中せざるをえないバイトがいいとおもいます。
最初は効果がでなくても死ぬほど忙しくしてれば、気づいたら忘れてると思いますよ!
私はあの状況には一生なりたくないです。笑
まじつらかったです。なので、再発しないように、絶対に考えないようにしてます。笑


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