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東京都の銀座以外にも、
地方の商店街も「銀座」という地名が多いですが
「銀座」は「商店街」という意味なのでしょうか?

A 回答 (7件)

たしか、もともとは金座・銀座とは貨幣を作る機関を指す言葉です。


銀座は銀貨を作っていたという意味です。

東京の銀座にはその鋳造所があったので地名に残った、というようないきさつがあったと思います。

で、銀座は東京でも屈指の繁華街なので、各地(都内も)の商店街が繁盛している銀座にあやかって「○○銀座」と名乗るようになりました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/08 21:12

「銀座」の地名の由来は、江戸時代に設立された貨幣の鋳造所のことで、元々は、京都の伏見に創設されたのが始まりだそうです。


以後、東京の蛎殻町に移転して以来、「銀座」の名称に代わり親しまれるようになり、この地名が定着したとされています。
各地の「銀座」の地名は、お金に纏わる商売が繁栄する様に付けられたのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/08 21:12

銀座という言葉は江戸時代に今の銀座で銀を鋳造していた、、銀を作ってたんですな



それが元
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/08 21:12

東京の銀座は大昔、銀細工の集合地区だったことに起因していますが


よその地域では、銀座の賑わいにあやかって付けたところが多いですね

銀座=商店街 ということでなく 商店街に銀座つけたら「かっこいい!」
と1945年くらいから流行りだしたネーミングです
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/08 21:12

銀座の元の意味は、「銀座の地名の由来は江戸時代に設立された貨幣の鋳造所」だからですが、全国のどこにも銀座があります。



「商店街」というよりも、「人やモノが多く行きかうところ」という意味合いです。

山でも、山が多く連なり、人が行きかう山を「表銀座」といったり、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E9%8A%80% …
具体的な場所は思い出せませんが、船が多く通る場所を「海の銀座」と読んでます。

地方の商店街は、その土地では「人やモノが多く行きかうところ」ということでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/08 21:12

東京都銀座は華やかさがあります。



それにあやかって商店街が賑やかに繁盛するようにつけたのです。
またその通りを「銀座通り」といっている所もあります。

「銀座」と聞いただけでなんかウキウキしませんか?どんな所かと行って見たくなりませんか!
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/08 21:12

商店街と言うより 繁華街として栄えてほしい一心であやかっているのでしょう


直接に商店街や繁華街と言う意味は国語的にはありません
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/08 21:12

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問題は、バブルでの地価の上昇と、その頃には農業をやってくれなくなった人間が都市部にたくさん住むようになって、細かい土地はまとめてマンションみたいなものが建てられるように立ち退いてもらおうという「地上げ屋」が脅しまわり始めたころからでしょう。このころから、巨大ビルを商業施設として、スーパーや百貨店など何でも揃えている「大規模小売店舗」ができて、古くからの特定分野の商品を扱う商店街の脅威となり「大規模小売店舗立地法」というものができたほどです。

その後は、東京のように莫大な人数の「農家の子ども」が郊外に作られたニュータウンに住むようになり、各家庭が車を所有できるようになり、その近くに取り扱いメーカーの縛りのない、家電量販店のような郊外型ショッピングモールが作れるようになって、完全なるコスト競争が、古くからの商店街を襲いました。

という私の親戚は、良質の針葉樹林を山ごと買い付けて、その木を伐採しては川でいかだにして海の木場まで持っていって一財産をなすという仕事をしていて、戦後に木材の家が減ったところで引退したような人間です。19世紀生まれからの伝聞も含めたのが上記の内容です。

大規模小売店舗立地法 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A6%8F%E6%A8%A1%E5%B0%8F%E5%A3%B2%E5%BA%97%E8%88%97%E7%AB%8B%E5%9C%B0%E6%B3%95

大規模小売店舗立地法および葛飾区特定商業施設関係|葛飾区
http://www.city.katsushika.lg.jp/41/001303.html

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