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 イスラム教の六信で予定説とありますが、キリスト教、仏教、またはその他の宗教(世界規模の)で同じようなことを説いているものはありますか、知っている方ぜひ教えてください。出来たら教典の箇所もお願いします。

A 回答 (3件)

いつの間にか補足がついていましたね。

URLが一ヶ所間違っていましたが正しいものを探して参考URLを読ませていただきました。キリスト教とイスラム教について丁寧にやさしく書いてあるものですから、これを読めば充分理解できるとは思うのですが・・

まずは、用語についてですが、用語として考えたときには「予定(または天命)」と「予定説」とは違うものです。イスラムの神とキリスト教の神は同じ神ですから、基本的にはどちらも全知全能とされています。イスラムでいう予定(天命)はその神の全知全能の主張から当然に導かれるもので、ムスリム(信者)が無条件に信じなければならないこととされ、だからこそ「六信」の一つなのです。

これに対して予定「説」はあらためて神の全能性を主張したものであって、その意味内容はプロテスタントもイスラムも同じですが、歴史的に考えると前者はカトリックの「善行説」に対抗するものでした。善行説とは、「神によって救われるには善行を積まなければならない」とするもので人間の意志を多少なりとも感じさせるとともに最大の善行とは教会に対する寄付・寄進である(これを根拠にして免罪符が販売されました)という点においてプロテスタントの攻撃の対象になったものです。

そのように考えますと、六信の一つとしての「予定」を「予定説」と呼ぶことにはためらいを感じざるをえません。

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さて、最初のご質問をイスラム教でいう「予定」すなわち「神によってこの世の出来事はすべて決定されている」と考える宗教があるかどうか、というものに読み替えさせていただきます。

参考URLをお読みになっていれば理解されているはずですが、まず当然にキリスト教では同じことが主張されています。しかし、仏教の基本的な考え方は「人は如何にして解脱するか」という問いに答えるものであり、仏とは既に解脱したものについての呼称ですから、絶対的な神は存在しません。ただし、大乗仏教では仏に絶対性を付与しますからキリスト教・イスラム教の神に近くなります。しかし、もともと神の全知全能性を主張するところから始まっているわけではありませんから、論理的な追求は(仏教内部ではともかくとして)一般的にはなされていませんから「予定」にあたるものは存在しないでしょう。

さらに、他の宗教で言えばユダヤ教(キリスト教・イスラム教の母体宗教です)に影響を与えたゾロアスター教では、光の神と暗黒の神との「最後の決戦(アルマゲドン)」などについて語られていますが、それを「予定」とするには無理があるようです。

その他の宗教はほとんどが多神教ですから神の全知全能であるとか、唯一絶対性を主張することはありません。これ(全能性)がなければ「予定」がなりたたないことも当然です。

ギリシア神話の中にはゼウスを含め神にも逆らえないものとして「摂理」がありますが、これは何者かによって設定されたり決められたりしたものではなくて、まさに「運命としてあるもの」です。なお、この考え方をキリスト教は「神の予定」として取り入れています。

結論として、私の知る限りの範囲ではお聞きになりたいような「予定」について述べている宗教はキリスト教・イスラム教以外にありません。

蛇足ですが、日本の神道系の宗教の中には一神教をとり、神の唯一絶対性や全能性をいうものもあるかもしれませんがとても世界規模とは言えないですから探索することはしませんでした。

参考URL:http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/is …
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この回答へのお礼

 すばやい返答感謝します。そうですね、『説』とつけるのは語弊があるかもしれませんね。そこを読み替えて回答していただきありがとうございます。

 イスラム教の中でも解釈の分かれるところなのでしょう。カダル派などでは人間が自分の行為について責任をもつとの意味での自由意思説をとなえています。

 神道の中にも西アジア・中央アジアの方から来た宗教の影響を受けたものがあるらしいので、『予定』のことについて触れているものもあるかもしれません。

 実際、予定が立てられているのか、そうでないのかは分かりませんが、どちらの立場にせよそのように考えるようになった経緯には興味はありますね。
原住インディアンたちはそのあたり、どのように考えていたのかなど興味はつきません。

 参考にします、ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/21 08:25

イスラム教で六信という場合には


アッラー・天使・聖典・預言者・来世・天命
の六つのことを信じなければならないとされていると思うのですが、どこから「予定説」というのが出て来たのでしょうか。来世または天命を信じるという所を誤解したか、意味を違えて訳したものがあったかのどちらかであるかと推測いたします。が、しかし私の浅学無知によるものであるかもしれませんので、まずはイスラム教における「予定説」とはどのようなものであるか、ご質問者による補足をお願いいたします。

単に「予定説」と言えば、#1の回答にあるようにプロテスタントの用語です。ただ、この場合「神によって救われることが予定されている人」は神によってその信仰の道を踏み外せないように予定されている人であり、客観的に誰が見ても敬虔な信者です。普段はいい加減な態度をとっていても神によって救いが予定されているなんてことはありませんので、ご注意を。

この回答への補足

補足が遅れてすいません。イスラム教で言えばスンニー派がよくいっていますよね。
文章で言えば

 予定(カダル)……「天命」ともいう。過去・現在・未来において、
世界に起こるいっさいの事柄と人間の行為のすべてが、あらかじめ定まっている
という天命思想がイスラム教にはある。

というのを
http://structure.cande.iwateu.ac.jp/religion/isl …
でみました。

補足日時:2004/03/21 00:27
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キリスト教ではプロテスタントに予定説というのがあります。


新訳聖書のローマ人への手紙 第9章18節
[だから、神はそのあわれもうと思う者あわれみ、かたくなにしようと思う者をかたくなにする。]
この言葉を次のように解釈しているのです。
神は救う人と救わない人を前もって決めている。つまり、救いは予定されてるということです。言い換えると、Aという人がいればキリスト教を信じて救われるかどうか前もって決まってるというこです。
その理屈はこうです。
神は全知なので誰が救われるか分かっている。ということは誰が救われるか前もって決まってるというわけです。
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この回答へのお礼

お礼が遅れました。
ありがとうございました。

唯一神がいる、いない、とどちらの立場をとるかによって、宇宙観というか人生観というかはだいぶ異なってきますね。

新約聖書読んでみます。
では

お礼日時:2004/03/24 18:28

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