重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

【GOLF me!】初月無料お試し

ヨーロッパでは世界遺産になるような、数百年前に建てられた壮麗な教会建築物がいっぱいあります。日本でも厳島神社とか姫路城とか法隆寺とかあります。

現在の日本では新たに新興宗教団体がそれぞれ大きな建物を本部として持ったり建築中だったりします。現在の我々余り信仰心のない者にとっては、それらの建物に、今、何の感動も覚えないのですが、将来、数百年後、あるいは千年後とか、21世紀に建てられた歴史的建築物として、宗教を抜きにして、評価され称えられることになるのでしょうか? どう思われますか?

最近東大寺の大仏建造の秘話を読み、国民の半数を強制使役し、このため相当数の国民が死んだということを知りました。今、我々はそんな史実に関係なく、東大寺に詣で大仏様に手を合わせ、その壮麗さに感嘆しております。ヨーロッパでも事情は似たようなものだと思います。
で、上記の質問となってわけであります。宜しくお願いします。

A 回答 (9件)

歴史的な仏教もキリスト教も始まった当時は新興宗教、実は神社本庁は戦後に設立された新興の団体、ただそれを作った連中が明治時代からの流れを汲むというだけ、それでも明治です。

神社神道は古い歴史ある神社を統括しているに過ぎない、若造に支配されている古老と言う事です。で、多くの人が新興宗教だと思っている天理教とか金光教は江戸時代。つまり今の神社本庁はもちろん神社神道(明治に制定)寄りもはるかに古いんです。

だから将来に残り、それなりの文化の発信地であれば、文化遺産になる可能性はいくらでもあります。新興宗教がすべてコンクリートにするとは限らないし、この後に科学が進めば再建不要の素材が出てくるかもしれない。それをいち早く採用して、そしてそれによって世界中の建物にその素材が使われるようになれば、100年500年経てば世界で最初に使った建物として文化遺産にも登録される可能性は充分にあるでしょう。

どの宗教だってたった頃から文化的価値があったわけではないし、寺や仏像の多くは緊迫や極彩色で飾られていましたから、今とはぜんぜん違う。つまり今作って、そのままの形で文化的評価が高まるわけじゃないんですよ。
いまの新興宗教でも、これからの新興宗教でも、何百年も残る可能性もゼロではない。そして今の評価が何百年も続くわけじゃないと考えれば、文化的価値が上がる可能性もゼロではないです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
よく分かりました。

お礼日時:2013/05/15 11:10

評価の基準の一つは古いことです。


残っていれば間違いなく評価されるでしょう。
その建物にまつわる歴史的に重要な要素があればさらに評価されます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
石と違って木や紙は残りにくいし、コンクリートも寿命が短いとなると、石造りがいいのかも知れませんね。

お礼日時:2013/05/15 11:13

こんにちは。



まずは、現代建築物の一つである、鉄筋やコンクリート(あるいは、鉄筋コンクリート)などの建造物は、修復に修復を重ねても500~1,000年などという長くはもたないと思います。

原因としては、
(1)塗装を繰り返しても鉄骨内部からの腐食。
(2)地震などによる強度・・・耐震性。
などが考えられます。

次に、美的価値観と歴史的価値観が考えられます。

例えば、全国を探せば、1,000年以上とまではいかなくとも、400~500年余りを経ている神社や仏閣、あるいは民家などもあると思います。

しかし、美的価値と歴史的価値がないため、評価されないのではないでしょうか。

ただ単に、その村だけの歴史的価値であり、それらは「村史」とか「市史」などには残るでしょうが、全国的な歴史的価値などがないのではないかと思います。

まあ、現代の新興宗教なども後年には世界的な宗教になるかもしれませんが、そうした寺院などもその時に評価されるでしょう。

良く、西洋は「石の文化」、東洋は「木の文化」と言われますが、その言葉が生まれる源泉は現存する建造物からきているのだと思います。

将来、どのようにしても壊れない、どのようにしても倒れない・・・などという物質が発明されれば、それは、その時に現在の物が過去の物となりますので、残っていれば、そして、美的価値と歴史的価値があれば評価されるのではないでしょうか。

東京タワーとかスカイツリーなどは何年もつのでしょうかねぇ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
美的価値と歴史的価値のあることが条件になるということですね。

お礼日時:2013/05/15 11:21

そもそも歴史的建造物って、建物そのものの価値でしょ。


それが宗教団体のものであれ銀行であれ駅舎であれ、
建物それ自体にその時代を代表する建築物としての価値が認められれば、
歴史的建造物になるのでは?

現在の宗教団体の建物にそのようなものが現実にあるのかどうかはあいにくしりませんが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>その時代を代表する建築物---ということであれば、戦後の神々のラッシュアワーと言われた一時代を代表するとは思うのですが・・・

お礼日時:2013/05/15 11:25

 檜の木造ならともかく、鉄筋コンクリートは100年は持ちません。

したがって歴史的建造物となることはあり得ません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ということは、どの宗派も自派の宗教が永遠に長く続くものとは考えていないのですね。

お礼日時:2013/05/15 11:26

残ってればねww

    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/05/15 11:27

今の新興宗教にそれだけの価値を覚えますか?


あまりにお金の影が見え隠れし、インチキくさい宗教も多いと思いませんか。

仏教やキリスト教、イスラム教などは多くの人の心を捉えて今日までその建物も大事に時の人々が守ってきましたよね。

その間、世界にはおびただしい数の新興宗教が生まれたのではないでしょうか。やはり多くの人の心を捉え切れなかった宗教は建物はおろかその宗教の存在すら消え去ったはずです。

現在の新興宗教がその建物を含め、遠い将来評価されるかどうかはこれからの人々が長い歴史と言う時間の中で決めること。いい加減な宗教は単に一時的な存在でしかないと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>仏教やキリスト教、イスラム教などは多くの人の心を捉えて今日までその建物も大事に時の人々が守ってきましたよね。

それがそうでもないのですよ!イスラムなども現在はザカート(喜捨)を税金化したり、企業の利益から一定の割合で強制徴収している国がありますね。宗教の歴史をちょっと調べてみると、負の側面がやたら見えて素直に手を合わせる気がしなくなるのでイヤになるんですね。

お礼日時:2013/05/15 11:34

数百年、千年の感覚であればありうると思います。


ただし、その建物などが残っていればですが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やっぱりあり得るでしょうね。
でも、コンクリートでは残らないのですね。

お礼日時:2013/05/15 11:36

>>将来、数百年後、あるいは千年後とか、21世紀に建てられた歴史的建築物として、宗教を抜きにして、評価され称えられることになるのでしょうか? どう思われますか?



宗教に限らず、歴史的な建築物という「物的証拠」がないと、「え、イエスキリストって想像上の人で、実際は存在していなかったのでしょう?」「聖徳太子なんていなかったんでしょう?」と言い出す方が必ずいますからね。存在を否定されれば、評価さえもしてもらえないでしょう。
だから、宗教に限らず、あらゆる文明にとって、建築物は大切だと思います。

世界の海底には、アトランティス文明やムー文明とか、それより前の超古代文明の痕跡が残っているはずですけど、もし、当時の堂々とした建築物が、その威容をかなり残して発見されれば、その文明の存在を信じる方が増えると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
昔、地球は1つの大陸だったそうですから、5大陸に分離する前に存在した文明があれが、今は海の底に沈んでいるという可能性がありますね。

お礼日時:2013/05/15 11:40

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!