プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

色々な会社、人間を見てきました。
不動産業界は疑う所から接客していきます。
それが世の中の常識かと言うと違うと思いますが
所詮、他人は他人、自分は自分なのでしょうか?

私の気持ちとしては信じたいという思いが強かったです。
綺麗事が好きだったのかもしれません。

皆さんの人間関係を作る上で基本的なスタンスを
教えて頂けますか?

疑ってかかった方が自分が傷つかずにすみます。
でもそうすると、人付き合いがなくなっていき
虚しさを覚えてしまいます。

人間関係ってそんなもんですか?
私が他人に求めすぎていたのでしょうか?
宜しくお願い致します。

A 回答 (12件中1~10件)

こんにちは☆



世の中色々な人がいますが、どの人にも、見返りを求めずに同じように接することだと思います。

その中で、だまそうとしたり、信じられないことを企んでいる人もいるかもしれません。
でもその時はその時で毅然とした態度で対応するしかないと思います。

自分が傷つかないように壁を作るのでなく、相手に何がしてあげられるかを考えて人間関係を築ける方が幸せな人生じゃないかと思います^^
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この回答へのお礼

こんにちわ!
pgpg1580jtさまが仰る通りです。
まだまだ修行が足りませんね。
そうなれるよう頑張ります。

お礼日時:2013/05/15 19:47

こんにちは。



質問拝見させて頂きました。

人間関係って難しい問題ですよね。

私は以前ある商品を扱う卸会社に勤務をしていたのですが、その会社の私の営業所の営業マン7人分のお客様の注文やクレーム等の管理していたですが、大体一人当たり100社ぐらいの担当を持っていましたから、色々なお客様がいました。

その中でも仕事だけの関係で終わる人も居れば、仕事以外でプライベートで仲良くなる人も居ましたが、私がその会社を激務の為精神疾患を患い辞めてから、プライベートのお付き合いをしていたお客様も2~3年したら付き合いもなくなり、現在もお付き合いさせて貰っているお客様は2人だけです。

それより問題だったのは、学生時代から仲良くして来た親友(?)と思っていた人から、私が精神疾患を患ってから疎遠にされた事です。

これだけは、すごくダメージを受けました。
私は、親友と言うものはお互い楽しい時も辛い時も共に分かちあい支えあうものだと思っていましたから…。

この件以来、所詮他人は他人だなと思う様にしています。
適度な距離を置いて付き合っていくものだと思います。

1番最悪なのは、人間関係において相手に依存をしてしまう事だけは辞めておいた方がいいと思います。
私自身1度経験があるのですが、当時友人として付き合っていた人が毎日仕事帰りに、私の家にくるのですが会社の上司や同僚の悪口、会社に対しての愚痴ばっかりで嫌になった事があります。

私も仕事で嫌な事があっても、それを他人に話しても私の会社の事は分からないと思うし、友人といえども他人が働いている会社の悪口を言われても分からないので困るだけですからね。

私は、正直友人と言えども他人は100%信用しない様にしています。

回答になっていなくてすいません。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
お気持ちよく分かります。
メンタルの方は大丈夫ですか?
私も極度の人間不信や、完璧主義的発想で
うつ病治療中です。

依存タイプなので、その辺りも気を付けないと
いけないですね。
人間関係は難しいです。
でも何とか、自分の心地よいスタンスを
築き上げたいと思います。
有難うございました。

お礼日時:2013/05/15 19:50

#5です。

お礼ありがとうございました。

他の方へのお礼なども拝読して感じたんですが、
質問者さんは人間不信に陥るようなショックな出来事に遭遇されたんでしょうか?
具体的に何があったのか不明ですが「人間なんて所詮こんなもん」と思って
心を閉ざしてしまうと、これからの人生がつまらなくなりますよ。

私はバツイチです。離婚当初は「信じていた人に裏切られた感」マックスでした。
しばらく、友人にすら心を閉ざしていました。でも、それじゃ楽しくないんですよね。
別に新しいパートナーに巡り会って、未来が開けたとかじゃないんですが
(ずっと独身です)、恋愛に限らず、出会いはたくさんあります。
その中で、信じるに値すると思った人とは、心を通わせたいと思っていますし、
通りすがりの他人の表面的な優しさにすら、救われる時があります。
(お店の人のちょっとした心配りなどでも)。

もちろん「思ったようにいかない」ことも多々あるんですが、
それはそれで仕方ないことなので、気持ちを切り替えるようにしています。
先の回答にも書かせていただいたんですが、人を「許す」ことって
難しいけれど、大事なことだと思っています。自分も許されたいですから。
コツは済んだことは忘れ、自分も他人も責めない(その暇に次のことを考える)ことだと思っています。
ま、自分書いてて「自分はどこま出きてるのかな?」とは思ってますが、ご参考まで。
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この回答へのお礼

度々のご回答有難うございます。
人を信じられないというのは、子供の頃からです。
転校を何回か繰り返し、冷めた自分がいた事は
今でも覚えてます。
それだけが原因ではないと思いますが・・。

paddybirdさまが仰ってるように
冷めた生き方は、生きていて張り合いがないです。
傷つく事はあっても、人と関わる事で感動する事も
あった頃が懐かしいです。

今は、基本的に人を信じてません。
本当は信じたいという気持ちも少しはありますが
そう思える人に巡り会えないのです。

と言うか、巡り合っていても、自分が避けている
可能性大です。

元々人に依存するタイプなので、今のスタンスの方が
波がなくて助かってます。
傷つく事をかなり恐れているようです。
大の大人なのに・・・。

お礼日時:2013/05/15 15:31

「善意は信じないけど利害は信じる。

他人をだますなどというのは自分にとってもリスクがあるんだからむやみに嘘をつくのは得ではない。誠実に対応するのが最終的には得になる。それを理解できない馬鹿者もたまにいるが大抵は信じて間違いはない。」

 基本こんなスタンスで。
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この回答へのお礼

tiltilmitilさま、有難うございます。
誠実に生きて損してばかりです。
今の所は・・・。

嘘も方便という言葉もあります。
嘘つきは泥棒の始まりとも。

私は馬鹿正直過ぎます。
これが人生を行き詰まらせてる原因だと
自分では思ってます。

何があってもブレないような
信念が欲しいです。

お礼日時:2013/05/15 12:45

人から裏切られたり裏の顔を見たりすると、


本当、すごくショックですよね。

そして不動産関係の仕事ともなれば、
半ば考え方がヤクザ的なところもありますよね。

子供の頃から色々と汚い世界を見せられてきました。

というのも、私が一人娘ということもあり、
親が亡くなってしまった時に一人で闘う力をつけるため、
という親の老婆心と勝手な思い込みから大人の世界に
放り出されたりしましたが、正直、物事が理解できはじめるように
なった中学生の頃は、死ぬほど苦しい思いをしました。

子供として振舞いたくてもそれが許せない。

だから何かミスをすれば大人と同様に謝罪求められたり、
本当にしんどかったです。

そんな環境で育った私はいつの間にか、
女性とはまともに関わらなくなってしまいました。

私自身、女性ですが、
所詮、女は感情的になって泣いて騒ぐ。
まともに接する相手ではない…

と考えるようになってしまったことから、
正直なところ、女性同士のネチネチとした喧嘩をしたことがありません。

男性に関して言えば、男性は地位や権力を誇示したいモノであると。

だから、なるべく刺激をしないように、
相手の長所だけ誉めるようにしています。

今までの経験から言えば、
男性の方が愚痴の数も陰口も女性よりも多いかな?

女性は気にいらない相手がいると集団で陰口言ったり、
質問攻めで苛めるけれど、男性の場合『この野郎』と思う相手が
出て来ると自分に正当性もなく見方が居なくても、
徹底的にやり込めちゃうところがあるから怖いと思います。

さて、人のことを疑って掛った方が良いか?

NOです。

ハッキリ言って疑う必要はないかな。

時間の無駄でしょう?

但し『所詮…』という考えを念頭に置いて考えておいた方が良いと思います。

すごく厭らしい言い方になってしまうけれど、

大体の分類は出来る訳でしょう?

学歴、職歴、身なり。

でも、『人のことを見かけで判断してはいけない』と言う可笑しな通念のような
モノがあるから、学歴や職歴、身なりで判断するのはどうかな?って、
自分自身にブレーキをかけ判断が謝るけれど、実際のところそのままですよ。

だから可笑しな部分があったら、
『ああ、変わったちゃんなんだな~』とか、

すごく立派そうに見えたら、
『努力家なんだろうな~』とか、
少し考え方に余白を残す感じで捉えています。

そうすれば人に対し過剰に求めることもなくなるし、
傷ついたり傷つける前に回避できるでしょう?

きっとお若い方だと思いますので、
何でも真摯に受けてしまうところがあるのでしょうけれど、
本当、何でもマジメに受け止めているときついので、
サラッと流せる訓練をしてみてください。

死ぬまで人間は人間と付き合って行かなければならないので、
早いうちに切り替えモードが出来るようになると楽ですよ!!
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
すごく共感出来る部分がありました。

>>所詮、女は感情的になって泣いて騒ぐ。
まともに接する相手ではない…

私の場合は、所詮人なんてって思います。
私は男性ですが、女ってこんなもん、とか
妙に冷めてしまいました。
男女関係なく、人間に興味が持てないのです。

『所詮』という考え方、良いですね。
少し楽になりました。

自分の事もそうですが、他人の事もサラリと
流せるように、意識してみます。
有難うございました。

お礼日時:2013/05/15 12:42

基本的に質問者さまの考え方で正解ですよ。



安易に信じることが異常に美化されている昨今ですが、実はこれってすごく醜いことです。
だってロクに相手を見極めもせず、一方的に信じて、その結果の実利が自分が望むものでなければ、「裏切られた」という。
つまり、考えもせず、押しつけて、自分の気に入らないと相手を非難し、責任転嫁する…これって最悪でしょ?

本来であれば相手をしっかり見極め、自己責任において相手を信じ、その結果の実利が自分の望むものでなければ自己責任において解決する、これが信じる正しい姿です。
つまり疑いに疑いを重ねて、疑うのがバカバカしくなるから信じるのです。

だから信じるのにも度合いがあります。
知らないおじちゃんから、「ちょっとソースとって」くらいしか頼めない人から、「この人と一生を共にする」と思える人、「この人のためなら死ねる」と思える人まで様々です。

信じるというのはやること(疑うこと)をしっかりやった人のみに許される崇高な怠惰です。
疑うことを経ずに信じる奴はバカです。
裏切られても当然、裏切られなかったら単なるラッキーです。
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この回答へのお礼

有難うございます。

信じる、信じないって難しいですよね。
これからは信じるに値する人だけを信じていきたいと思います。
いきなり第一印象とか、フィーリングとかで
信じたりすると、裏切られたとか、こんなはずじゃって
なってしまいますので、時間をかけて、信頼関係を築いていきます。
・・・ですが、実に面倒くさい。

お礼日時:2013/05/15 12:36

私の場合、信じる・信じられないではなく、出来る・出来ないかで判断しています。


人間関係はギブ&テイクですから、助けることもあれば助けられることもあります。
私の信条は自分のことは自分で解決するです。
それは他人さんにも当てはめます。
目の前にとても困っている人がいたら、何が障害になっているのか、自分が負担なく解決出来る事柄ならば、手伝いましょうかと声を掛けます。
しかし到底手に負えない内容なら、他の誰かに声を掛けます。
自分が困ってしまった時も同様で、人数が足りれば解決出来る問題なら周囲の人に助けを求めますが、そういう類の話ではない時は専門家に助けを借ります。
こういうスタンスで生きているとシンプルですから人付き合いで悩むことはありません。

信じるという言葉を耳にすると私は他人に下駄を預けて生きている印象を受けてしまいます。
丸投げするのですからその後どうなっても文句は言えません。
しかし往々にして人は相手に期待してしまうものです。
人に尽くすという行為は一見すると甲斐甲斐しいイメージが先行しますが、その実ちゃんとお返しを期待しているということです。
だから当てがはずれると信じた私が馬鹿だったとなってしまうのです。
自分の人生ですから自分の判断に責任を持たなければなりません。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
そもそもの概念を見直す時なのかもしれません。
なかなか難しい作業ですが。
ni_si_kiさんのスタンス、参考にさせて頂きます。

お礼日時:2013/05/15 12:33

不動産業界で働いておられるのでしょうか?


であれば、仕事上では疑ってかかるのが正解ですよね。
どんな人間でも「小さな嘘」をついたり「見栄を張ったり」します。
そこが人間らしいところでもありますが、仕事では不確定要素は排除すべきです。

仕事を離れて友人をつくりたいなら、
まず、信じるスタンスの方が打ち解けやすいと思います。
でも人間観察を怠って、ただただ信じると裏切られるケースもあると思います。

また、人は時と場合によって変化します。自分もそうです。
不意の出来事があって「まさかこんな自分が出てくるとは思わなかった」みたいな
こともあると思います。それは他人でも同じだと思います。

私の場合は、人を「信じる・信じない」というより、
「許せる・許せない」みたいな視点で考えることが多いです。
基本、誠実な人が、苦しんで苦しんでついた嘘なら「許せる」からです。
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この回答へのお礼

こんばんわ。
不動産業界は以前勤めていました。
業者・客、ともに騙しあいだと思いました。
最初はですが・・・。

そういう業界の習慣についていけず辞めました。
不動産業界で働いている人の発想ってよく似ていて
言ってる事も同じ事言ってます。
見栄っ張り、子供が大人になったような人が
多かったように思います。

>>私の場合は、人を「信じる・信じない」というより、
「許せる・許せない」みたいな視点で考えることが多いです。
基本、誠実な人が、苦しんで苦しんでついた嘘なら「許せる」からです。

なんだかとても考えさせられるお答えです。
裏切られても許せる場合もあります。
一つの結果(出来事)で全てを判断するのは愚かですね。
そう思いました。

頭で分かっているけど、心がついてきません。
本当に信頼出来る人が一人でもいれば、また自分も変われる
要素があるかもしれませんが、今の所、誰一人としていません。
寂しい人生を歩んでいると思います。

なるようになる、で生きてくしかないですね。

お礼日時:2013/05/14 23:21

理由もなく何かを信じたりはしない。



人が必ず嘘をつくと信じる理由もない。

ケースバイケース。

傷ついても致命傷じゃなければ別に気にしない。

傷を恐れすぎ。
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この回答へのお礼

有難うございます。
確かに傷つくのを恐れていると思います。
もっと勇気を持ちたいと思いました。

お礼日時:2013/05/14 23:16

60年近く生きて来た印象では三人に一人ぐらいの確率で


「あのバカが」程度の陰口を言っているように思います。
後、統計では4割ぐらいの人間が浮気を肯定しているようです。

私は、自分の快楽の為なら自分の恋人や配偶者を裏切れる人間を
人として決して信じることは出来ません。
浮気を肯定する人間が皆陰口を言うとは限りませんので
少なくとも半分の人間は信じてません。

ただ、そんな人間であっても仕事場では仕事をしてくれれば良いわけですから
プライヴェートでは決して親しくならないという、ただそれだけの事です。
そして、親しく付き合える人間というものも数が限られているわけですから
結局のところ多くの人を信じる必要も無いと思います。
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この回答へのお礼

有難うございます。やはり相手次第ですね。
私の場合は、基本的に他人を信じてない事に最近気づきました。
40前になってです。

今までは信じてると思ってましたが
それは頭の中だけで、心では信じてませんでした。

どちらかと言うと、信じたいという気持ちが
強かったです。

>>結局のところ多くの人を信じる必要も無いと思います。

楽になりました。世の中全ての他人の事を信じれるのは
よほどの人徳者か、ちょっとおかしい他人でしょう。
どちらかに偏りすぎず、考えていきたいと思いました。
有難うございました。

お礼日時:2013/05/14 21:57

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