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太平洋戦争で日本軍がやろうとしたことは欧米列強による植民地支配を許さないこと、
というのが真意だったというのが何冊か読んだ本の中に書いてあり、
同時に満州に攻め入ったのは関東軍というアンチ日本軍だったように書いてあります。

やがて日中戦争が勃発したようですが、
天皇は併合で日本人となった朝鮮人の将軍に勲章を授与したとも書いてあります。
関東軍が天皇の言うことを聞かずに満州へ攻め入ったならば、
天皇は日中戦争を勝利に導いた将軍に勲章を授与したのは何故だったのでしょうか。
また天皇も日本軍も戦争には否定的だったようですが、
ならば日中戦争は何だったのかなと疑問でなりません。

僕は満州事変と日中戦争が関係のない出来事なのにセットで考えて迷っているのかも知れません。

もし詳しい方がいらっしゃれば、
僕の疑問に回答をお願いいたします。

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A 回答 (5件)

>太平洋戦争で日本軍がやろうとしたことは欧米列強による植民地支配を許さないこと、


>というのが真意だったというのが何冊か読んだ本の中に書いてあり、

それはその通りです。そもそも欧米列強が19世紀にアジア諸国を植民地化していった狙いはアジアを資源・食料・原材料の供給基地として囲い込み、商品の輸出先として囲い込む狙いがあった訳です。産業革命で飛躍的な工業生産力を備えた先進国は、そういった目的で自国の勢力圏として囲い込んでいった訳です。ところが明治維新後にようやく近代化の端緒についた日本が工業化を果たした時には、もう日本が進出できそうな国はどこにも残されていなかった。それは大げさな表現かも知れないが、日本は大幅に出遅れてしまったことだけは確かです。幕末に結んだ不平等条約を日清日露で改定して、ようやく先進国に追いついたといっても条件はかなり違っていました。日本が工業国として成立させる為には、欧米列強に植民地化されたアジア諸国を解放して他の先進国と対等・平等に貿易が成り立つようにする必要があったのです。そしてまさにアジア諸国の解放に成功したことが今日の日本の経済立国・貿易立国の基盤になっています。

日本がアジア諸国を解放したなどというつもりはないし、そんな事実はない。しかし日本が太平洋戦争に打って出たことが、アジア諸国に独立の勇気を与え、独立の機運を作ったことは否定できません。太平洋戦争そのものは日本の敗戦で終わり、国土を灰燼に化してしまった。しかし植民地化されていたアジア諸国を独立させるという目的は果たしたのです。例えば、今、ブルネイの天然ガスの輸出先の半分は日本が占めています。それが火力発電所の燃料になっている。しかしブルネイは太平洋戦争当時はイギリスの植民地でありました。

>同時に満州に攻め入ったのは関東軍というアンチ日本軍だったように書いてあります。

それは違います。日露戦争後、ポーツマス条約で日本はロシアから租借地として大連・旅順を、南満州鉄道として東清鉄道の南満州支線を割譲されました。それらを防衛する為の軍が関東軍だったのです。満州事変後に満州国が成立した後は満州国の国防も担いました。役割的には関東軍は、日本軍とは異なりますが、アンチ日本軍だった訳でもないし、ましてや満州に攻め入ったなどという事実はない。軍中央の統制に従わない暴走した関東軍将校のことであれば、「アンチ日本軍」という評は当たってないこともないが、それは個人的にそうだっただけで関東軍が組織的にアンチ日本軍だった訳ではありません。

>ならば日中戦争は何だったのかなと疑問でなりません。

日中戦争を理解する為には、辛亥革命後の中国大陸の歴史を知らなければなりません。ポーツマス条約で大連・旅順、南満州鉄道の利権を獲得した日本は、「辛亥革命後の中国大陸の歴史」に翻弄され続けたといったことなのです。辛亥革命後の中国大陸の歴史を簡単に説明することは不可能ですし、歴史の授業でもほとんどまともな説明もされていません。これは一冊の本でも書ききれないぐらい複雑怪奇な問題なので、ここで回答せよというのは無理難題。ここでいえるのは、日本は血を流して獲得した利権を守ろうとしただけだということだけです。それとは別に蒋介石にも清からロシア、ロシアから日本に渡った利権を回収したいという悲願があった。その激突が日中戦争だったということです。簡単にいえば、それだけです。日本にすれば、蒋介石に文句をいわれる筋合いはなくて、それは満州国から借りているだけだということになるのですが、蒋介石にすれば満州国の独立など認めない。満州も中国の一部だというのが蒋介石の主張なのだから、まるで話が噛み合う余地は無かった訳です。

だから太平洋戦争と日中戦争はそもそも全く別な話なのです。一方は欧米列強から植民地を独立させることが目的で、もう一方は既得権益を死守しようということが目的です。だからまあ、虫が良すぎるというか欲張りすぎというか、身の程知らずに手を広げすぎということもいえる。

このへんで私の回答としては一旦筆を置かせていただきます。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
ただただ頷くばかりで、
他の回答者さんからも僕の無知を教えられ、
感謝するばっかりなのですが、
mekuriyaさんから頂いた回答と、
読み終えた本たちで付箋を貼って置いたページを読み直し、
僕は深々と頷くだけでした。

ありがとうございます<(_ _)>

補足日時:2013/05/25 00:27
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この回答へのお礼

とりわけ最後段にある、

> だからまあ、虫が良すぎるというか欲張りすぎというか、  身の程知らずに手を広げすぎということもいえる。

この2行は深々と頷いてしまいました。
感謝。感激。

また質問した際に、
何か御教示お願いします。

どうもありがとう御座いました<(_ _)>

お礼日時:2013/05/25 00:28

戦後60年以上が経過しました。


自民党など保守勢力は,「アメリカから押しつけられた憲法」と称して,先ず,9条改正を目標に96条の改正で,改正条件の緩和を目論んでいます。憲法前文の中の「主権在民」には,当時の日本共産党の野坂参三演説が反映されています。自民党の先輩である自由党・民主党・改進党をはじめ,左右両派社会党も結局はこれに同調しましたが,保守派は「主権在天皇論」,社会党に至っては「主権は国家にある」などと陳腐な説を持ち出しました。
それは兎も角,アジア解放のための戦争であったとか,欧米による経済制裁に対する止むに止まらぬ戦争だったなどとの,屁理屈が罷り通ろうとしています。
外国の領土に軍隊を送り込み,戦闘行動を展開し,支配地域を広げようとする国家的行為,これを「侵略」と呼ばずして,何を侵略というのでしょう。
安倍総理は「侵略の定義は無い」などと非常識を唱え,国際間の物笑いになっています。それどころか吉田茂は,世界を敵に回した戦争の終結に当たって,日米単独講和に踏み切り,その見返りに「ポツダム宣言」を「無条件降伏」化し,「ヤルタ協定」さえも受け入れさせられて千島を放棄し,沖縄・奄美・小笠原をも明け渡しました。日本国内での米軍基地の無制限認可,米軍用地・電力・ガス・水道・高速道路通行権の無制限提供が,安保で義務づけられました。
その日が「主権回復の日」とは,まさしく「恐れ入谷の鬼子母神」です。
明治政府の富国強兵策の結果,軍部が強力となり,満州国をデッチ上げた勢いで「シナ事変」にまで突き進みました。「事変」とは,「宣戦布告」が無かったための呼称です。
その流れを見れば,大元帥陛下の統帥権が及ばなくなっていたか,見て見ぬフリをしていたのか,いずれにしても,近隣の強勢国家と大差ない当時の国家像が忍ばれます。
戦線を拡大し続けた責任者が,靖国で安らかにお眠りになって居られます。合掌。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

返答が遅れてスミマセン。
国民は憲法96条の改正に賛成ムードですが、
安倍政権は手出ししすぎだと思います。
可決も否決も1/2になったら何でもありでしょう。

恐ろしいのは、
「過去の清算より未来」に向けて全力投球みたいな、
橋下市長による維新の会の発言だと思います。

ただ「侵略の定義はない」という風な安倍晋三さんの発言が、
何だか意味がわかりません。
パール判事は善悪の規定はなく日本の是非は語れない、
これを東京裁判で一貫して主張しました。


タイ国のプミポン国王は、
「日本軍の目的が欧米の植民地支配から免れることだったのは嘘」
と言うよう米国政府に強要させられたと自身で告白しました。

だから日本軍の戦争は欧米の植民地支配を免れること…
と思いたいところなのですが、
ならば清朝末期の皇帝こと溥儀の人生は何だったのか。

僕は日本軍とか関東軍について勉強しはじめたばかりです。
だから知らないことだらけです。
しかし溥儀は清朝末期の皇帝とはいえ関東軍の許可なしには、
何もできなない飾り物にすぎなかったことも、
全ての本に書かれています。

一部の本ではありますが、
満州事変で勢いづいた関東軍が南京に攻め入ったことが、
今日の赤字国債の原因とも書いてありますから、
やっぱり支配地域を広げたかったのかな…
という気がしなくもありません。

貴重な御意見をありがとうございます。

補足日時:2013/05/20 15:29
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1931年 満州事変の時の関東軍首脳 その後



石原莞爾 関東軍作戦参謀
(1935年)8月1日、参謀本部作戦課長
1937年 盧溝橋事変時「事件の拡大を防止する為、更に進んで兵力の行使することを避くべし」と不拡大を指示する総長電が発せられる。これは参謀本部の実質的な責任者であった石原莞爾少将の主導
板垣征四郎 関東軍高級参謀
(1939年)1月5日 - 第47代陸軍大臣。9月4日 - 支那派遣軍総参謀長。

関連 東条英機
1935年(昭和10年)9月21日には、大陸に渡り、関東憲兵隊司令官・関東局警務部長に就任
1937年(昭和12年)3月1日、板垣の後任の関東軍参謀長に就任する[13]
※ 盧溝橋事件時、参謀長:東條英機中将17期)は蘆溝橋事件発生の報に接すると、八日早朝会議を開き、「ソ連は内紛などのため乾岔子事件の経験に照らしても差し当たり北方は安全を期待できるから、この際質察に一撃を加えるべきである」と判断し、参謀本部へは「北支ノ情勢ニ鑑ミ独立混成第一、第十一旅団主力及航空部隊ノ一部ヲ以テ直ニ出動シ得ル準備ヲ為シアリ」と報告した
1938年(昭和13年)5月、板垣征四郎陸軍大臣の下で、陸軍次官、陸軍航空本部長に就く
1940年(昭和15年)7月22日から第2次近衛内閣、第3次近衛内閣の陸軍大臣
1941年 首相、太平洋戦争開始

関東軍というアンチ日本軍
この論理はどこから出てくるんでしょうか?関東軍の首脳は日本陸軍内でちゃんと出世しており、関東軍がアンチ日本軍であるなら、なんでその関東軍の首脳が日本軍の首脳になれるのでしょか?

石原にしても東條にしても、現地軍にいると「イケイケ」で軍中央の意思を無視して戦線を拡大している。

この回答への補足

石原はアンチ天皇だったらしく、
東条が引き留めようにも引き留められなかった、
という風に書いてありました。

アンチ日本軍というのは中国人留学生が米国人留学生から、
「南京で中国人が30万人も殺されたなら、
 中国軍は何処に居たの?」
と質問されて確かにおかしな話だと思ったそうです。
そしてこの中国人が調べて書いた内容に使われた造語です。

余談ですが中国人留学生によると、
中国軍は逃げてしまったそうで、
更には中国軍同士で殺し合いがあったし、
歴史的に繰り返された殺し合いで死んだ中国人が、
合計30万人とか40万人とか50万人となってしまい、
ようするに南京大虐殺は全くのウソだったとの結論です。

補足日時:2013/05/15 06:36
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日本軍は侵略目的で戦争を起こしたことはありません。



満洲事変から朝陽寺事件、山海関事件と、すべて中国側の軍事作戦による結果である。
その後の日中戦争も、中国の国民党内における内乱が原因で、日本が中華民国南京政府を支持した結果の軍事介入であって、中国国民党の改革派内の共産派(現中国共産党)の軍事行動における中国人民の救済が目的であったのです。

また韓国併合も、元々は李王朝から請われてのものであって、結果・・・近代化が図られたのです。
感謝されても、恨まれる筋の話ではありません。

ちなみに、金日成はこの頃からテロリストでした。
日本軍から賞金首になってました。

この回答への補足

侵略目的で戦争を起こしたことは無い、
というのは意外と韓国人の教授たちの本に書いてあります。
中には日本の軍人たちは優しく接してくれたし、
何かを強要されたことも無かったし、
改名の件も強要されなかったので自分の名前で過ごせた。
という記述があります。

だから台湾が日本に感謝していながら、
同じように扱ってもらえたし、
様々な設備投資をしてくれたのみならず、
当時3千万円の借金があった朝鮮の全額を完済したのは、
朝鮮の祖先ではなく日本によるものだった。

韓国人は韓国を報恩の国と自負するが、
報恩どころか忘恩の国である。

というような記載が5名の教授、
それも韓国人の教授によって記載されているから、
韓国併合は韓国というか李朝から請われた結果、
これは間違いないと思います。
ただし日本が支援してあげたという上から目線の発言が、
テレビでもネットでも本でも見られます。
言葉遣いとしては如何なものかと長らく悩んでいます。

それから併合の話の続きですが、
終戦間近になって日本軍は銃弾の数が必要になり、
農民にとっては唯一といえる祖先に供えるための、
御飯茶碗その他の銅を了承を得ずに強奪してしまった。

これだけは日本軍の失敗だった。
ここで了承を得ていれば韓日関係は違ったはずなのだ。

とも其々の本に、
あたかも親日が故の悲しみのように書いてあります。

これをどのように評価して、
日中戦争や関東軍と対比させるかで、
当時の事実が更に晴れやかになる気がします。

補足日時:2013/05/15 14:00
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あなたは関東軍という部隊を理解していないんではないでしょうか?


そもそも関東軍は満洲に攻め込んでいませんよ
関東軍は、日露戦争で日本が獲得した旧ロシア権益(主に鉄道)を警備するために満洲にいた部隊のことです。
昭和初頭の満洲には4つほど軍閥があり、その内の一つが張作霖・張学良親子です。彼らの傍若無人な振る舞いは日本どころか朝鮮人・満洲人も困っていました。その結果、張作霖は爆殺され、張学良は満州事変で満洲から追い出されたのです。問題は他の軍閥で、日本は攻撃する理由は無いがさりとて安定の邪魔でした。そこで溥儀を使って満洲国を作ったのです。

日中戦争は抗日運動が引き金です。抗日運動は今でいう反日デモと同じです。蒋介石の無策で社会に不平不満が溜まっていたのを日本軍とベルギー軍が中国にいるから(このいた部隊は北京と天津の領事館を警備するためにいた部隊で、北京議定書で決められた駐留軍です)社会が良くならない。日本企業が搾取しているから(当時、日本の企業は中国に工場を建設して国内消費財などを生産していました。今と同じです)貧乏なのだと煽ったのです。その結果、多数の日本企業が襲われ、罪もない日本人が街中で銃撃されて殺されていたのです。そのトドメが通州事件でした。北京近郊の通州で日本人避難民が襲撃されて虐殺されたのです。世論は中国叩くべし!となり、軍部も出兵せざるを得なくなりました。これが日中戦争です。

先日の反日デモ、もしあれで日本人が100人殺されてたらどうなってたでしょうか?我慢しますか?私は我慢で済まないと思います。日本の世論は一挙に右傾化し、日本にいる中国人は生きた心地のしない状態になり、尖閣で開戦してると思います。

当時の状況と現在はそっくりなんだと思いますよ

この回答への補足

まず僕の関東軍についてですが、
ここで質問したかった理由は、
まさに僕が関東軍を理解できてなかったからです。

ただ蒋介石なり張作霖なり、
日本人を28,000人も殺害したどころか、
日本人と仲良しだった中国人も殺害したと書いてあり、
どこで日本人と中国人が仲良くなったのか疑問でした。
中国人まで殺害された理由は、
共産党系の軍人だと思っていましたが、
単なる民間人だったと考えて大丈夫でしょうか。
これと溥儀について改めて質問するかも知れません。


それはそれとして、
三国志や水滸伝を読んでいて、
いつも政府と民間人の構図で成り立っており、
反政府デモが内戦になってしまう、
これを常に繰り返しては何も変わらないみたいな、
現在の中国は殆ど昔と変わらないように思いました。

補足日時:2013/05/15 07:33
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柳条湖事件、満州事変、盧溝橋事件、日中戦争と、軍部と天皇との関係も教えてください。

Aベストアンサー

もともと戦前の日本の軍制は政治と軍の統帥を明確に分離するものでした。
これは明治政府の権力基盤が不安定であったことから、反政府勢力と軍が結びつくのを恐れた結果です。
当然ながらこのような軍事と政治を分離した体制は、対外戦争において非効率的なものですが、日清・日露戦争では伊藤博文や山形有朋などの元老が言わば超法規的に軍と政府の意思統一を図ったため、問題は表面化しませんでした。
ですが皮肉にも日清・日露戦争の勝利はこの体制の「正しさの証明」となってしまい、加えて共産主義革命に対する恐れから、戦前の日本では本来過渡的な体制であったはずの明治体制の抜本的な変革は、さしずめ戦後日本における改憲のごとく、タブー視されるようになってしまいました。
しかしながら元老のカリスマ性に頼った体制が長持ちするはずが無い事は自明の理であり、このために大正期は「軍の統帥権とはあくまでも純粋な作戦面に限定される」という言わば「解釈改憲」でこの問題を乗り切っていたのです。
しかしながら抜本的な改革が行われなかった結果、軍と政府の分立状態は次第に亀裂が大きくなり、張作霖爆殺事件でも真相究明ではなく田中義一内閣総辞職で幕を引く結果となりました。
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この結果、これ以降に政府や議会が軍の行動を統制しようとすると「統帥権の干犯だ」と揚げ足を取られる事になってしまいました。
(当時の書籍を読むと現役の軍人でも「統帥権の独立は時代遅れであり、国家の将来に禍根を残す」と激しく非難している例もあります)

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この為に満州事変では軍中央の意向に逆らって占領地を拡大し、現地軍が勝手に満州国建国を行った事をマスコミがこぞって支持し、軍中央も政府も暴走を追認してしまいます。
当然ながらこの結果として「軍中央や政府を無視しても戦果さえ挙げれば認められる」という「下克上」の風潮が生まれ、その後の日中戦争においてズルズルと占領地を拡大する現地軍を止めることが出来なくなってしまいます。

総じて言えば本来、過渡的な体制であった筈の明治維新体制が、皮肉にもその成功故にこそ維持され、時代に合わなくなった状態で行われた普通選挙による民主化が、党利党略しか考えない近視眼的な政治家を生んでその問題を拡大し、また政府及び軍中央が武力行使を支持する世論に阿って誰もが責任を取ることを回避していった結果だと言えるでしょう。

もともと戦前の日本の軍制は政治と軍の統帥を明確に分離するものでした。
これは明治政府の権力基盤が不安定であったことから、反政府勢力と軍が結びつくのを恐れた結果です。
当然ながらこのような軍事と政治を分離した体制は、対外戦争において非効率的なものですが、日清・日露戦争では伊藤博文や山形有朋などの元老が言わば超法規的に軍と政府の意思統一を図ったため、問題は表面化しませんでした。
ですが皮肉にも日清・日露戦争の勝利はこの体制の「正しさの証明」となってしまい、加えて共産主義革命に...続きを読む

Qなぜ戦前の日本軍は暴走してしまったのですか?

なぜ戦前の日本軍は暴走してしまったのですか?

関東軍の暴走や、5.15事件、2.26事件…。
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※これはド素人の質問ですので、質問文中に認識違いなどがあった場合は遠慮なく指摘して頂いて結構です。その際はどうぞお手柔らかに…

Aベストアンサー

>当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?
一言で言えば大日本憲法の条文にある「統帥権」でしょうね。
米国・英国の軍隊は文民統制(シビリアンコントロール)が為されていました。
大日本帝国軍の指揮系統は建前上、天皇の命令だけしか聞き入れない制度になっていました。
これを「統帥権」と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
明治天皇のように、自から指揮、命令していた時代はそれで良かったのでしょう。
内閣・国務大臣も戊辰戦争を戦ってきた人々でしたからね。

時代が進むにつれて、「統帥権」の変容したのが、軍部の暴走した要因だと思います。
大日本帝国陸海軍には行政組織の陸軍省と海軍省が有り、それぞれに大臣がおりました。
これらは内閣の一員の行政組織で、人事権、徴兵などを行政事務を行ないます。
それとは別に海軍には軍令部、陸軍には参謀部があり、軍令部総長・参謀総長がおりました。
実際の作戦立案、実行を一手に握っていました。

最初は海軍省>軍令部、陸軍省>参謀部の関係でした。
現役の軍人とはいえ、官僚ですのである程度の常識を持ちイケイケの軍人を抑えていたのですが
それに不満を持つ軍人が「天皇は陸海軍を統帥す」の文言を盾にとり、統帥権の独立を画策し始めました。
次第に省令等を改定し、海軍省<軍令部、陸軍省<参謀部の力関係になりました。
つまり、軍人の文が弱まり、武が強くなってきました。
国会議員が異議や反対意見を述べたりすると「統帥権干犯」を持ち出し、反対意見を封殺していきました。
つまり、建前上、天皇のみしか軍隊を指揮命令する事が許されない
神聖にしてだれも犯す事の出来ない武力集団に仕立て上げたのです。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tousuikennnokannpann.htm

しかるに、昭和天皇は皇太子時代、大英帝国を訪問し、英国の立憲君主制に触れ、それを模範にするお考えが有りました。

国王・皇帝が独裁的に指揮・指示・命令をするのではなく、それを輔弼する内閣・国務大臣の政策を承認する形を取りました。
それで、天皇の名の下に、自分の都合よく相手国に武力行使を独断専行で行い、全て事後承諾で戦争へと進んだのです。
結局は、降伏か戦争継続かで意見が分かれ、収集が付かなくなり、昭和天皇のご聖断となった訳です。

>当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?
一言で言えば大日本憲法の条文にある「統帥権」でしょうね。
米国・英国の軍隊は文民統制(シビリアンコントロール)が為されていました。
大日本帝国軍の指揮系統は建前上、天皇の命令だけしか聞き入れない制度になっていました。
これを「統帥権」と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
明治天皇のように、自から指揮、命令していた時代はそれで良か...続きを読む

Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む

Qミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい

ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい。なぜあんなに強かった日本軍が負けてしまったのですか?理由を教えて下さい。ちなみに僕は戦史に関してはド素人ですので、その辺はご了承ください。

余談ですけど、先日新聞を読んでいたら「アベノミクス第三の矢はミッドウェー」とかいう記事が載っていて、要するに第一、第二の矢(経済政策)はうまくいったが問題は第三の矢で、これが日本の今後の経済趨勢を決するという内容でした。

それで僕は、緒戦の快進撃から一転、大敗北を喫したミッドウェー海戦の敗因とやらをどうしても知りたくなった次第です。

Aベストアンサー

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%BA%81%E9%98%B2%E8%A1%9B%E7%A0%94%E4%BF%AE%E6%89%80%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%AE%A4/dp/B000J9GX1M

この本によると次の6項目が大きな日本軍の敗因として取り上げられています。

(1)情報戦の大敗。日本海軍の暗号が解読され、米軍は日本軍の計画を察知していたのに、日本軍は敵情がよくわかっていなかった。

(2)心のゆるみ。開戦以来の戦果から心にゆるみが生じ、作戦の計画と実行に慎重さを欠いた。

(3)山本長官の出撃。山本長官が戦艦に座乗して出撃したので、その位置を秘匿するため、無線の使用が制限され、作戦指導に支障を生じた。

(4)航空戦様相の事前研究、訓練の不足。索敵、偵察、報告などの地道な訓練及び、空母の被害局限対策の研究が足りなかった。

(5)5日の航空決戦の指導の誤り。二度の兵装転換によって弱点を作った。

(6)戦艦主兵思想の転換の不十分。戦艦部隊が後方遠く離れて航空決戦に寄与できなかった。


○ちなみに当時、敵であったニミッツ太平洋艦隊司令長官は戦後に出した著書の中で、「勝利は主として情報による。・・・日本軍は奇襲を試みようとして日本軍自体が奇襲された」と述べています。また日本軍が空母戦力を分散してアリューシャン作戦を行った事を批判し、その戦力分散が無ければ米艦隊が敗北していた可能性があると述べています。

○なお、アメリカ海軍公刊戦史を編纂したサミュエル・エリオット・モリソン少将はミッドウェー海戦について、日本の空母が最も脆弱な状態の時に、米爆撃隊が偶然に日本の空母を発見し攻撃できたという、幸運に恵まれた事から「100秒足らずの時間に起こった事実の相違で、日本軍はミッドウェイに勝ち、太平洋戦争にも勝利をおさめたかもしれない」と日本軍にも勝利の可能性が十分あったことを述べています。

○英国の著名な戦史家リデルハートはその著書で日本の敗因について、十分な数の索敵機を出さなかったこと、戦闘機の援護不足、空母の防火対策が不十分、空母での兵装転換時に敵に向かって航行したこと等、他にも色々指摘していますが、最後は「・・・これらの過失は自信過剰から生じたと言っても過言ではない」と述べており、日本軍の「自信過剰」を問題視しています。

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9...続きを読む

Qユダヤ人はなぜ迫害されたのですか?

先日オランダへ旅行に行った友人がアンネの日記でお馴染みの家を見学に行ったらしいのですが、ユダヤ人が何故迫害されるようになったのか疑問のまま帰国して僕に聞いてきました。僕なら知っていると思ったらしいのですが、僕はこの何故?に対して全くの無知でした。ご存知の方、ぜひ教えて下さい。

Aベストアンサー

起源をたどるとローマ帝国の皇帝がキリスト教徒になり、キリスト教を国教にしたころまで遡れるそうです。
キリストを処刑したのはローマの執政官だったのですが、それではローマ帝国が悪いということになってしまいます。
そこで教会はユダヤ教徒(=ユダヤ人)が執政官に強硬な働きかけをしたために、ローマは「しかたなく」殺してしまったということにしてしまいました。
何世代もそういう教えが伝えられた結果、「ユダヤ人はキリスト教の敵」ということが常識になってしまいました。
そのことも関係して、ユダヤ人は金貸しなど当時身分が低いとされた職業にしかつくことが許されていませんでした。
(それが原因でユダヤ人の多くが金持ちになってしまいました。これもユダヤ人に反感を持たれるようになる原因の一つです)
金を借りて返せないと逆切れして暴力をふるう人は今以上にいたのですが、その大義名分として先の理由がつかわれるようになります。
こういう騒ぎが暴動に発展して、ユダヤ人が略奪&虐殺されることはナチス以前から多くあったそうです。

このような状態が1000年以上も続いたのですから、「ユダヤ人を迫害してもあまり問題は無い」という悪しき文化がうまれたのでしょう。
ユダヤ人に対する差別や迫害はヨーロッパ(というよりキリスト教圏)全体でよくあることだったそうですが、その中で一番激しかったのがドイツのあたりだったそうです。
(これには神聖ローマ帝国などが絡んでいるらしいのですが、面倒なので省略)。

第一次世界大戦後の混乱を利用してナチスが成り上がるために利用したのがこういった差別意識(+自分たちは選ばれた人種なのだという選民意識)です。
「戦争に負けたのはユダヤ人が悪い」など、現在の某組織のように敵を作ることでドイツを自分たちの都合のいいようにまとめようとしたのです。
後はよく知られているように、資産の没収、強制収容、虐殺という流れになって行きます。


という内容の本を昔読んだことがあります。
記憶で書いているので、内容の正確さについては自信がありませんが、おおむねこんな感じだったと思いますよ

起源をたどるとローマ帝国の皇帝がキリスト教徒になり、キリスト教を国教にしたころまで遡れるそうです。
キリストを処刑したのはローマの執政官だったのですが、それではローマ帝国が悪いということになってしまいます。
そこで教会はユダヤ教徒(=ユダヤ人)が執政官に強硬な働きかけをしたために、ローマは「しかたなく」殺してしまったということにしてしまいました。
何世代もそういう教えが伝えられた結果、「ユダヤ人はキリスト教の敵」ということが常識になってしまいました。
そのことも関係して、...続きを読む

Q満州国建国の目的を教えて下さい。

なぜ日本は満州国という独立国を建国したのですか?当時の国際事情や国内事情などを踏まえながら、建国の目的を教えて下さい。

Aベストアンサー

当時、日本を含めた列強諸国は中国に数多くの利権を有していました。
これはアヘン戦争以来、一世紀近くに渡って列強諸国が鎬を削って中国での利権獲得競争を行った結果でした。
そして植民地獲得競争において出遅れた日本において、満州周辺で獲得した利権はほぼ唯一に近い「海外利権」でした。
このため当時の日本では「満蒙の特殊権益」は「明治以来、先人が苦労と犠牲と投資を重ねて獲得した利権」であり、また「国家の生存に必要不可欠」と認識されていました。
しかも当時は世界恐慌の結果、引き起こされたブロック経済化により日本製品は欧米やその植民地の市場では高額の関税を課せられる事となったために、その重要性がかなり誇大に意識されるようになっていたのです。
誤解を恐れず敢えて言えば「戦後の日本における一時期の憲法9条」のように、その是非を議論すら許されないという風潮があったのでした。
しかしながら第一次大戦以降の世界的なナショナリズムの高まりにより、中国においても列強に奪われた利権を奪い返す国民運動である「「国権回復運動」が起こりました。
ただしこのようなナショナリズムに根ざす運動は、現在でもそうですがしばしば過激化し、外国勢力への排撃運動に近いものになる事もよくありました。
その結果、日本人の多くは中国で獲得した利権が危機にさらされており、それが日本という国家の生存すら危うくしかねないという(現在の視点からすれば)かなり大げさな意識がもたれていました。
これは戦後の日本でも「日米安保は戦争の道」「PKO活動で日本は軍国主義化する」とか後から見ると馬鹿馬鹿しい話が大きな政治問題になったことを考えれば、理解しやすいのではないかと思います。

ただし満州事変当時の日本政府はまだ国際協調路線を取って、交渉で穏便な事態解決を望んでいました。
ところがその前にロンドン軍縮条約で引き起こされた「統帥権干犯問題」のため、政府は軍の統制を取ることが出来ず、満州事変により日本軍は政府の不拡大方針を無視して満州の殆どを制圧し、一気に「特殊権益問題」の解決を図ったのでした。
この行為は現在では「軍の暴走」とされますが、当時の日本ではマスコミは拍手喝采して支持し、事態の不拡大を計った「政府の弱腰外交」を非難しています。
そしてこの国民世論の後押しを受けて建国された満州国について、欧米との対決を望まなかった当時の犬養毅首相は承認を渋りますが、五・一五事件で暗殺され(犬養は統帥権干犯問題を引き起こしてこの事態を招いた張本人のひとりであるので、自業自得の一面もあります)、日本政府は軍の暴走と国民世論に引きずられる形で満州国を承認、欧米との全面対決、そして国際連盟脱退へと向かってしまいます。

このように満州国の建国は決して日本が国家意思として行ったものではなく、当時の日本人の「満蒙の特殊権益」に対する過剰な意識と中国側の反発、そして軍の統制問題などが絡み合ったために、一部の暴走を国家が追認するという非常に危ういものでした。
しかしそれが当時は「大成功」を収め、国民からも高く評価されてしまった事で、その成功体験が後の日中戦争、そして太平洋戦争の遠因となり、大日本帝国を滅ぼしてしまうのです。

なお満州事変当時の日本国民の意識について論じた本で、簡単な書籍としては「日米もし戦わば―戦前戦中の「戦争論」を読む(光人社)」などがあります。

当時、日本を含めた列強諸国は中国に数多くの利権を有していました。
これはアヘン戦争以来、一世紀近くに渡って列強諸国が鎬を削って中国での利権獲得競争を行った結果でした。
そして植民地獲得競争において出遅れた日本において、満州周辺で獲得した利権はほぼ唯一に近い「海外利権」でした。
このため当時の日本では「満蒙の特殊権益」は「明治以来、先人が苦労と犠牲と投資を重ねて獲得した利権」であり、また「国家の生存に必要不可欠」と認識されていました。
しかも当時は世界恐慌の結果、引き起こされた...続きを読む

Q朝鮮戦争の原因は何ですか?

映画「BROTHERHOOD」を観ました。
突然に北側から攻撃が始まるのですが、この戦争の原因は何でしょうか?
主義が違うからといっていきなり同じ民族同士で戦争を始めるというのが理解できません。
また韓国にはアメリカ軍もついているわけですから、勝てる見込みもありません。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

朝鮮戦争はソ連アメリカの代理戦争で、日本の敗戦により北朝鮮を支配したソ連よりの北朝鮮人民共和国が朝鮮半島を統一支配する為に起こしたものです。
背後にはソ連、中国がいたのです。

アメリカは韓国を緩衝地帯としていましたからその防衛は韓国軍にまかせる方針でした。

朝鮮は確かに同一民族といえますが古くは高麗、百済、任那時代から敵対関係の時代もあり、気候風土、気質もかなり異なります。
アフリカで民族よりも氏族単位で内戦が絶えないのと同様です。

北朝鮮はソ連の余剰戦車が多数あり、補給も中国を経由して確保できますから短期決戦で勝利出来る計画でした。
開戦当初は計画とうり戦車部隊を先頭にした北朝鮮が優勢でしたがアメリカ軍がその背後の仁川に逆上陸し、補給路を切断したので補給を絶たれた北朝鮮軍は敗北後退し、アメリカ軍の優勢な空軍力により中国国境近くまで追いつめられました。

緩衝地帯の消滅を恐れた中国が義勇軍を送り中朝連合軍と国連韓国連合の戦争になり持久戦となりました。

この時点で中国とアメリカの戦争になったのです。

戦争に残虐な行為はつきもので、双方の兵士、民間人を問わず戦場になった所は悲惨な運命にあいます。

朝鮮戦争はソ連アメリカの代理戦争で、日本の敗戦により北朝鮮を支配したソ連よりの北朝鮮人民共和国が朝鮮半島を統一支配する為に起こしたものです。
背後にはソ連、中国がいたのです。

アメリカは韓国を緩衝地帯としていましたからその防衛は韓国軍にまかせる方針でした。

朝鮮は確かに同一民族といえますが古くは高麗、百済、任那時代から敵対関係の時代もあり、気候風土、気質もかなり異なります。
アフリカで民族よりも氏族単位で内戦が絶えないのと同様です。

北朝鮮はソ連の余剰戦車が多数あり...続きを読む

Q関東軍司令長官と参謀総長

柳条溝事件以降の関東軍の進撃を止めようと、陸軍参謀総長は作戦停止命令を何度か発令していますが、関東軍はこの命令に従わず、満州全域を制圧してしまいました。

関東軍には司令部に独自の参謀がいるので、参謀本部からの命令には従わなくても良いのでしょうか。
関東軍司令長官と参謀総長は統帥上どのような配列なのでしょうか。天皇の下に並列の関係なのでしょうか。

Aベストアンサー

関東軍司令官は駐満州特別全権大使を兼任するなど、事実上、満州における軍事、行政のトップでしたが、陸軍の統帥上ではあくまでも軍司令官のひとつでした(昭和17年からは総司令官)。これに対し陸軍参謀総長はいわゆる「陸軍三長官」の一人で、大元帥である天皇の参謀長として軍司令官の上に立っていました。
関東軍といえども参謀本部の指示を無視する事はできません。事実、関東軍は参謀総長の指示命令を無視したわけではなく、その場では従い、作戦行動の停止、撤兵などを行っていました。
ただ、現地軍の司令官には、戦線、戦局、士気の維持のために適切な軍事行動を独自に行う権限が与えられており、ドイツの参謀制度を真似した参謀部も独自の権限が強く、上級指導部が完全にコントロールすることができませんでした。
このため、いったんは参謀本部の支持で停戦できても、その後、さまざまな理由づけで戦闘を再開し、既成事実を積み上げていったようです。
後から見ると関東軍はまるで好き勝手をしていたように見えますが、実際には、うっかり抗命罪などに問われないよう、抜け道作りに苦労していたようです。

関東軍司令官は駐満州特別全権大使を兼任するなど、事実上、満州における軍事、行政のトップでしたが、陸軍の統帥上ではあくまでも軍司令官のひとつでした(昭和17年からは総司令官)。これに対し陸軍参謀総長はいわゆる「陸軍三長官」の一人で、大元帥である天皇の参謀長として軍司令官の上に立っていました。
関東軍といえども参謀本部の指示を無視する事はできません。事実、関東軍は参謀総長の指示命令を無視したわけではなく、その場では従い、作戦行動の停止、撤兵などを行っていました。
ただ、現地軍...続きを読む

Q「こいつこそ真の戦犯」と思う人は?

歴史のいろいろな書を読むにつれ、いかに東京裁判がデタラメで非正義の下に行われたかに憤りを感じ、犠牲になられた(死刑のみならず懲役等も)諸氏には哀悼・憐憫の念を禁じ得ません。

日本の起こした戦争の内幕に関しては、日本人が一番理解しているはずであり、国体を混乱させ疲弊させた国賊に対しては日本人が自浄するべきで、そもそもガイジンがガタガタ抜かす必要はないと思っています。

従いまして東条や広田等に関しては、私はさほど「悪人」という印象はありません。対して松岡洋右、牟田口廉也、武藤章のあたりこそ、国賊・極悪人だと思います。

みなさまは、誰が真の戦犯だと思いますか?

Aベストアンサー

大西瀧次郎は「発案者」じゃありませんよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E7%80%A7%E6%B2%BB%E9%83%8E

私も冨永恭次(ノンフィクション小説『陸軍特別攻撃隊』参照)や牟田口廉也(同『インパール』などを参照)といった、敵に対してではなく味方に対しての罪が大きい無能な指揮官こそ責任を追及されるべき「戦犯」だと思います。大西みたいに弁明せず腹を切る潔さもありませんでしたし。

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む


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