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私の症状が離人症に似ている気がします。思い違いかもしれません。
症状は過去のどんな記憶も自分から5~10m離れた所から自分と周りの状態を眺めている状態です。
参考までに皆さんの記憶を教えて頂けると幸いです。
(1)幼少期の楽しい記憶、恐ろしい記憶は自分目線か他人目線か
(2)緊張した経験、恥ずかしい経験は自分目線か他人目線か
(3)昨日の記憶は自分目線か他人目線か
(4)一人の時も自分を演じる性格かどうか
(5)自分を離人症だと思うか
ただの思い違いであって欲しいですが、過去のトラウマを考えるとどうなのかわかりません。できれば、離人症ではない方の回答が聞きたいです。

A 回答 (3件)

(1)幼少期の楽しい記憶、恐ろしい記憶は自分目線か他人目線か


:自分目線もあるけれど、他人目線の方が多いです。
記録映画や古いビデオを観ているような感じで、斜め上からとか、5mほど先からとか、夢の中の光景みたいな感覚のものが多いです。

(2)緊張した経験、恥ずかしい経験は自分目線か他人目線か
:幼少期のものは他人目線が多いです。
小学校の3,4年生からは圧倒的に自分目線が多く、思春期以降は完全に自分目線です。

(3)昨日の記憶は自分目線か他人目線か
:自分目線です。

(4)一人の時も自分を演じる性格かどうか
:素の儘です。

(5)自分を離人症だと思うか
:思いません。

けれども、幼少期の頃は離人症に似た感覚を経験しています。
子供の頃に何度も引っ越しを経験していますが、引っ越して間もない4つぐらいの頃、朝起きたときのことだったのか昼寝をした後のことだったのか、今では定かではありませんが、鏡の中に映った自分の顔がどうしても自分の顔に見えなくて、恐くなって母親に、「私の顔が変わってしまったように見えるけれど、いつもの私に見えるか?」と何度も訊ねたことがあります。
母が、「いつもと同じだよ」と答えてくれたので一安心したものの、本当は私の知らない誰かが、私の心と体を眠っている間に別人と取り替えてしまったのじゃないか?と幼心に疑っていました。

でも、そのことを母に話したり、それ以上訊ねると頭がおかしいと心配されてしまうと思ったので、違和感があるものの、「これは気のせいだ。思い違いだ。どうしても自分の体だとは思えないけれど、早くこの顔と体に馴染まなければ…」と、そのときは自分に言い聞かせていたのです。
このことは、父にもキョウダイにも話したことはありません。
話したら、本気で心配されてしまうと思ったし、頭がおかしいと思われるのが恐かったからだと思います。(それと、「本当に取り替えられてしまったように見える」とキョウダイから返事されるのが恐かったのかも…。)

違和感があったのは2,3ヶ月だったのか、半年ぐらいだったのか、これも定かではありませんが、その時期を過ぎたら鏡の中の自分の顔はアルバムの中の自分と同じ人物に見えるようになったし、実感も持てたのですが、その頃は何故だか自分の体が他人と取り替えられてしまった気がしてなりませんでした。


そこまで激しい離人感はその時期だけで、今では違和感を感じることは滅多にありませんが、7,8年に一回ぐらいでしょうか、ふと、手足が自分のものじゃないような気がするときがあります。(普段、飲酒はしませんし、寝不足であるとか、そういうことではないと思うのですが…。)
他人と取り替えられてしまったというのじゃなくて、手足を動かしているのは自分のはずなんだけれど、なんか無機質な感覚というのか、ロボットみたいに鈍くなったみたいな、夢の中みたいな感覚です。
それでも意識を集中させると、いつもの感覚に戻るので不都合はないし、気に病むと本当に恐いことになりそうなので、それ以上は考えないようにしています。
ちなみにこれを書いている今は、しっかり現実感があります。

ご質問者は、このご質問が自分で書いたものだと解りますよね?
そして、ここに投稿された幾つもの回答が、ご質問者が書いたものではない赤の他人が書いたものだということも解りますよね?
そして、集まった回答が、ご質問者に宛てられたものだということも解りますよね?
目線が違っていても、「ご質問者が記憶している過去の記憶が他人のものではない」ということも解りますよね?
であるとするのなら、取り敢えず大きな不都合はないですよね。

過去の記憶に現実味が感じられなくても、自分しか知らない感情や感覚の記憶が自分の中にあるのなら、それはやはり自分の体の中に自分の心が入っているということですよね。
子供の頃に泣いたときの涙の流れる感覚とかしょっぱさとか、胸を締め付けられる感覚とか、転んで膝を擦りむいたときの感覚なんかはどうなのでしょう。
そういう感覚は、微かだとしても心と体に刻まれているのでは?

料理を作ったり、日記を付けたり、粘土細工を作ってみたり、絵を描いてみたり、心と体を繋げる作業をしていると、「自分が作り出したものの中に自分を見出せる」のではないでしょうか。
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もしも自分が離人症だったら何をしたいのでしょうか?


自分が離人症かもしれなくて困ったことがあったのでしょうか?
もっと物事に対して実感を持ちたいということなのでしょうか?
これが質問の意図であるなら、自分の選択で物事がどう動くのかを楽しんで確かめてみたらいかがでしょうか。
楽しみながら見て、それに対して行動して、また楽しみながら見て、それに対して行動する。
これを繰り返しされてみたら物事に対して少しずつ自分に近い視点から見ていくようになっていくとおもいますが。
そして自分と重なった時、実感を持てるようになると思います。
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私自身は診断を受けたことが無いので離人症かどうかはわかりません。


また、私自身専門家ではないため一度精神科に掛かられることをお勧めいたします。
と、前置きさせていただいた上で回答させていただきます。

(1)幼少期の楽しい記憶、恐ろしい記憶は自分目線か他人目線か
他人目線です。正確には少しななめ後ろが多く、頭上から見下ろす記憶もあります。

(2)緊張した経験、恥ずかしい経験は自分目線か他人目線か
これもまた他人目線です。正確には少しななめ後ろが多く、同じように頭上から見下ろす記憶もあります。
上記に加え、話している顔のアップの記憶があります。

(3)昨日の記憶は自分目線か他人目線か
他人目線ですね。WBSを見ながら鶏肉定食を食べている光景と、PCに向かっている光景があります。

(4)一人の時も自分を演じる性格かどうか
個人的な意見ですが、相手に合わせて自分を演じる人間の方が常に一定な人間よりも多いと考えています。
相手に合わせなくても良い人はとても少ないです。社長になって社員に偉そうにしていてもも取引先にはぺこぺこします。
私自身は家の猫含め皆にぺこぺこしているのである種一定かもしれません。

(5)自分を離人症だと思うか
少しgoogleを使い勉強してきました。

現実感の喪失という症状は私自身では出ておりません。
現在住んでいる場所は日中33度、夜間でも28度という酷暑でかつ梅雨のため、汗を流し続けていることも現実感を喪失していない事に関係しているかもしれません。
正直熱くてたまらんので、現実と乖離することで暑さから逃れられたらいいなと思っています。

以上参考にならないだろうなと思いますが、一例を提示させていただきました。
万が一質問者様の少しでもお役に立てたのであれば幸いです。
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