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石垣があるから石がないわけでもないしフビライの時代にはカイカイ砲という投石器が城攻めに使われてましたし、当時はポルトガルや東南アジアとも交流があったのでたぶん伝わっていたと思うんですが、不思議です  誰か歴史に詳しい人 教えてください。

gooドクター

A 回答 (9件)

戦国時代の攻城戦て、思ったより短期戦なんですよ。

小田原城や大阪城のように何ヶ月にも渡る攻防戦になるのはまずまれで、長くても1ヶ月程度、だいたい数日で片付いてしまうことが多いんです。
秀吉と北条氏の戦いの一環であった八王子城攻防戦は、実質的にたった一日の戦いで大勢が決しています。八王子城は当時関東では小田原城は別格としても屈指の大規模なお城だったんですけどね。

戦国時代の軍事行動って、補給の関係で長期の作戦というのは難しかったのです。だいたい出陣して帰陣するまで長くても3ヶ月程度が目安。家を出てから帰宅するまで数ヶ月ですから、相手の城のところまで行って帰ってくる日数を考えると攻め込んだ相手の城でそんなに長居できるわけではありません。
普通に戦ってもものの数日で片付くことが一般的だと考えると、いちいちそんなもん作るのは面倒くさいとなるでしょう。終わった後の後片付けも面倒くさいし。

また当時の城というのは基本的に「仮設建築物」です。普段は使わず、合戦のときだけ使いました。だから壁も板や柵を使うことが多くて、「城というとアレ」の土壁が普及するのは平和な江戸時代になってからです。いちいちカタパルトを使ってまでして壊したくなるようなモノではないということですね。
それに、真っ平らな地形がほとんどない日本では、カタパルトを移動させるだけでも一苦労です。馬も小型でかつ貴重品、偉い武士のステイタス的意味合いが強かったので、騎馬民族やヨーロッパのように馬で引っ張ることもできません。実際には、ほとんど使い物にはならなかったでしょうね。

また弩ですが、戦国時代にはもう鉄砲があったのでわざわざ弩を使う理由はなかったと思います。なにより、早合を使えば発射速度は鉄砲の方が上だし、何より鉄砲の方が実は射手の技術が要りません。弓は使いこなすのに技術が必要なんです。元々弩が日本ではほとんど使われませんでしたしね。
じゃあなんで弩が日本では普及しなかったのかというと、これはたぶんなんですが、弓をメイン武器にしたのは源平時代からの武士です。源平から鎌倉時代の武士といえば流鏑馬ですよね。弩だと、馬上で走りながら矢をつがえることができません。弓というのは前述のように使いこなすには技術が必要で、武士にとって「弓が撃てる」ということはステイタスでありアドバンテージであるわけで、農民風情には使われては困るんですね。弩は歩兵用の武器ですので、武士は弩が農民に普及することは望まなかったと思いますね。
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鉄砲伝来以前の戦国時代の城は山城が多い。


こんな山城の上まで届く投石器ができますか?

街を囲い込む大陸の城と侍が立て籠もるだけの日本の城と、
構造・様式の違いが原因ですね。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kanto …
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投石器ですが、次の2種のどちらかでしょう。



1,「弩」のように、日本の武士の体制に合致せずに使われなくなっていった。

2,「盾」のように、よく使われていたのだけれども、江戸時代に忘れられてしまった。忘れられた理由は、剣道や弓道と違って、武道や競技として成り立たないために、平和な時代には無用な長物になってしまった。

私は1だと思います。
弩が、中央集権体制による管理を必要とする兵器だったように、投石器もそうだったのでしょう。武士は縄張りや相続を巡って、争いの絶えない人々でした。さらに、戦国の武士は徴税も力ずく。しかし、投石器のような大仰な兵器は、相続争いや徴税のためには、機動性が皆無で、威力はオーバースペック。刀・弓・槍・鉄砲ぐらいが使いすく、たまにしかない大規模で長期間の攻城戦のための大仰な兵器を管理し続けるコストを負担する気にはなれないのでしょう。
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投石器があったのか?無かったのか?


答えは不明です
現存もせず、記述も無いから無いとはなりません
別の方の回答にあるように投石器と疑わしい記述はあります
これは鉄砲も同様で、突火筒が日本にあったのか無かったのかは不明ですが、明と貿易していながら鉄砲筒が日本に入ってこないは不自然です

投石器は大型の木製機材ですので、平和な時代には解体されて再利用されるのが関の山です
鉄砲筒も青銅ですので、使い物にならない旧式兵器なら溶かされて寛永通宝にされるのが関の山です

私はあったと思ってます
大砲が輸入されるようになって廃れて木材にされたと見てます
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応仁の乱で、「発石木」で石を飛ばして破壊したとする記録があります。


日本にも投石器はあったようです。

中世の西ヨーロッパも山城が多かったので、
「日本は、山城が多く、地形が複雑で・・・」という説は間違いですね。
そもそも、投石器は、外国でも現地製作が普通だったので、移動の問題はありません。

続きは後に
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既出の質問でこんな物が有りました。


http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2281782.html
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投石器はなかったですが 投石部隊はありました


つまりは人が石を投げるってわけです

それを考えるとやっぱカタパルトは日本には不向きだったのかな?
移動にも時間かかるし
城郭破壊なら大筒や国崩しの方が効果的だし

この回答への補足

武田の小山田信茂ですね^^

補足日時:2013/05/20 17:16
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カタパルトと呼ばれてるやつですよね?


私は投石機には詳しくないですが、普通に考えて山城の場合山道だから使えないですよね?
平城の場合中国やヨーロッパの平城は土や煉瓦や石で造った城壁が防衛力をになっているのでそれに石をぶつけて壊したら意味あるのでしょうが、日本の平城は掘りが防衛力をになっているので石ぶつけて何かの役に立つかというとちょっと微妙です。

この回答への補足

石垣とか煉瓦造りになったのは安士城以降で、その前の木造時代なら少しは効果があると思ったんですけど、

あとついでですけど諸葛孔明の連弩とか出てこないのも不思議です

補足日時:2013/05/19 23:37
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日本では、地形が複雑で、投石器が通れる道がありませんでした。


また、日本の城は、山城が多かったため、投石器で城壁を壊す必要性がありませんでした。
さらに日本では、兵農分離が行われていなかったため、長期間の戦闘行動がとれませんでした。
そのため、投石器を移動させて戦うだけの時間がありませんでした。
そういった攻城兵器を持たない分、大軍を集めることができました。
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