
ふと疑問に思ったのですが、日本の戦国時代で防備を固めた平城を短期間に強攻するといったらどういう方法が一般的なのでしょうか?そもそも史実にそんな例があるのかな?
状況は掘りに囲まれ十分な鉄砲で武装しているとします。
短期間で攻略したいため兵糧攻めは無し。
相手は城を枕に討ち死に覚悟。
掘りには大きな河川を直接使うか引きこみ十分な水が流れてるとします。
(川をせき止めて水の手を断つ、掘りの水を抜くのは不可能。)
こういう場合の史実の例や正攻法ってなんになるのでしょうか?
そもそも史実で落ちたケースがあるのかな?
大阪冬の陣みたいな大砲打ちまくって講和ってのは、大砲打ちこまれても戦闘を続けるとします。
伊勢長島一揆は結局ごり押しが効かず兵糧攻めですよね?
A 回答 (3件)
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No.3
- 回答日時:
意外に思うでしょうが、実は戦国時代の攻城戦というのは短期で終わることが多いのです。
1日や2日で片付くことも少なくありません。んで、城の防御側としては「味方の助けが来るまで持ちこたえる」のが任務となります。味方の城が攻められている間に救援の軍勢が来て決戦する。これが「後詰め」と呼ばれるやつです。典型的なのが長篠合戦ですね。長篠城を武田軍が攻めている間に、織田・徳川連合軍が救援に来ました。このとき織田・徳川連合軍にとって最も重要だったのは「後詰めに来るまで長篠城が持ちこたえること」であり、もし後詰めが来るまでの間に長篠城が落城していたら、信長は無理をしないで決戦はしなかったでしょうし、勝頼も「長篠城を落とした」という結果に満足して兵を収めた可能性は高いです。
じゃあ味方の救援が望めそうにない状況になった場合ですが、この場合は防御側も無理をしません。というか、日本人は困難な状況で粘り強く戦うって苦手ですからね。だいたい1日か2日戦って、「結構(防御側が)強えなあ」となったら、攻撃側は「どうじゃ、助けも来ないし、結構持ちこたえたし、名誉は保たれたから、兵の安全は保証するから開城してはどう?」と提案します。これが結構よくあることでした。
この場合は、双方同意の上で防御側の将兵が整然と撤退するのを攻撃側は見送ります。ここで追い打ちをかけるのは約束違反になるわけで、そんなことをやったら今度は逆に自分たちが攻められたときに復讐されることを覚悟せねばなりません。
で、質問者さんのような条件の場合ですが、もし攻撃側と防御側の戦力差が圧倒的に攻撃側優位だったら、攻撃側が力攻めして数日でカタがつきます。八王子城攻防戦や、伏見城攻防戦、岩屋城攻防戦なんかがそうです。伏見城や岩屋城は結構長く持ちこたえましたけどね。
んで、力攻めでどうも難しい、となったら、諦めて帰ります。ええ、日本人は困難な状況で粘り強く戦うのが苦手ですから。こりゃ落ちねえや、また来よう、というわけです。高天神城や小田原城なんかがそうで、何度も攻められては撃退しています。あのくらいの大規模な城だと攻める方もあまり本気じゃ攻めないですけどね。
実質的には、戦国時代の国境線というのはかなりグレーゾーンでしてね、ゲームや現代社会みたいにはっきり線が引かれているわけではないのです。例えば今は神奈川県の津久井って地域は甲斐の武田氏と相模の北条氏の国境地帯でした。武田氏と北条氏は武田信玄と北条氏康の時代は同盟が組まれていましたが、晩年に三増峠で合戦がありました。この三増峠の合戦のとき、津久井の地侍には武田氏と北条氏の双方から「こっちの味方で出陣せえよ」と命令がきました。どうしたかというと、どうやらみんなで話し合った上、そのときは武田側につくことになったようです。つまり、そのときの状況によって有利なほうにつくのを繰り返すことは珍しくありませんでした。
関東地方の諸将なんて、上杉謙信が関東に出兵してきたら上杉方につき、越後に帰ったら北条方につくってのを繰り返していました。
八王子城、岩屋城は山城ですし、伏見城は結局力押しだけでは落ちずに内応させましたよね。
案外例がなさそうです。
御回答ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
調略です。
敵の将兵、あるいは重臣をあらかじめ買収しておき
いざ戦いになると大手門を開かせたり、内乱を起こさせます。
秀吉が得意とした戦法です。
戦国時代主従関係って結構ドライで、主人としてふさわしくないと
思えば将兵はすぐに見限ったりしました。
武士は生きることが第一だったんです。
江戸時代になって武士とは死ぬことであるとか
忠臣であることが強調されたりしました。
戦国時代の武士道と江戸時代の武士道は異なります。
No.1
- 回答日時:
秀吉の 高松城 水攻め は条件に合いますか。
信長の 本能寺の変を ひそかに聞いた 秀吉が 早急に解決 するために 取った策です。
これを終わらせた後、急きょ 光秀征伐に 引き返します。(大返し といったような気がします)
産駒URL:
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Chuug …
御回答ありがとうございます。
うーん掘を超えてどう攻撃するんだろう、そもそも可能なのかというのが疑問点だったのですが水攻めはもう点でした。
確かに条件には合致してますが兵糧攻めとともに水攻めも無しでお願いします。
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