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日本の80年代のバブル景気は、過剰流動性によるインフレ現象で
あったと聞きましたが、その認識は正しいでしょうか?

なぜ「過剰流動性」状態になったのかがよく分かりません。
調べると、「市場に大量のマネーが供給されること」のようですが、
当時、公定歩合を5%→2.5%に引き下げたのは、知っています。
しかし金利を下げただけで、今のアベノミクスのような量的緩和では
ないのに、なぜ大量のマネーが供給されたことになるのでしょうか?

金利の引き下げとともに日銀が円を大量に刷って市中銀行が大量に借り入れたということでしょうか?

宜しくお願いします。

A 回答 (2件)

厳密さはないですが



日銀が公定歩合を下げるということは支払う利息が少ないので利益が少ない事業にも融資しやすいということでお金は流れ易くなります。

過剰流動性は日銀のではなく市中銀行が多くに融資して信用創造を多くするということもあります。
信用創造はキーポイントになります。

例えば銀行が企業Aに1億円融資したとして土地を購入して半年後に2割値上がりしてその元金と利子を返済したとします。しかし企業Aが支払ったお金企業Bにわたりますが当面使わないので銀行に預けるとします。銀行は預かったお金の1割を突然の返済などに備えて取っておいて9割を企業Cに融資します。

こんなことをして融資してすると返済まで1億が1億9000万市中に出回ります。
詳しくは信用創造を検索してみてください。

当時はバブル3業種と言われた不動産関連、ノンバンク、建設の業種と銀行の間で値上がりのトレンド中でお金がまわります。これが過剰流動性ということだと思います。
(ノンバンクは預金で集金ができないので銀行からの融資で企業などに融資します)

本来なら土地から見込める収益があっての値上がりならいいですが集団心理でその業界にいると自分だけ抜けられないのがバブルが止められない理由です。
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この回答へのお礼

手元の本を調べたら、「池上彰のやさしい経済学」の本に
信用創造について書かれてありました。よく読んでみようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/24 01:23

過剰流動性から説明するのは、まちがっていませんが、


それ以前の問題として、当時、日本は、Japan as
no1などとっもてはやされ、海外から資金が流入する
状況にあったことと、いわゆる土地神話ーーー土地は
さがらないーーーが喧伝されて、地上げや土地ころが
しが横行したことが、素因としてあります。

そのために、資金需要が潤沢にあるという状況のなか
で、貸出が増え、市中にでまわる資金量がふえたとい
うことでしょう。

ですので、インフレといってもいわゆる物価ではなく、
おもに、地価ですね。1年で2倍などおきた地域も
ありました。

過去の日本のハイパーインフレに関していえば、
戦後では、第一次オイルショックのときがもっとも
すさまじく、それ以前には、アイスクリームは10円
が最低価格であったものが、数年後には、50円が
相場になったというような、上昇率をしめしました。

といったように、表面だけの経済用語で、経済実態
ははかりがたいものです。

この回答への補足

ありがとうございます。

> 貸出が増え、市中にでまわる資金量がふえたということでしょう。

その貸出しのために日銀が大量に円を刷ったという理解で正しいのでしょうか?

補足日時:2013/05/23 09:55
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