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古代文明と聞けば「神殿」を思い浮かべるのですが、
古墳時代以前のわが国に「神殿」はあったのですか。
池上曽根遺跡で巨大な建物跡が見つかって、神殿ではないかと言われましたが、結局神殿ではなかったのですか。

また、紀元前のころ、中国や朝鮮に神殿はあったのですか。
弥生時代に中国大陸や朝鮮半島から日本列島に大勢の人びとがやってきましたから、もし大陸に神殿があったのなら、渡来人が神殿らしきものを作ったのではないかと、想像しています。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

 池上曽根遺跡は、まだ確定はしていないと記憶しています。



 当初は(質問者さんの定義するところの神殿とはいかなるものを言うのかわかりませんが)「神殿か」みたいなことが言われていましたが、「どうも違うみたい」という声も大きくなってきた、という段階ではないでしょうか。

 中国朝鮮に限らず、地域のボスの権力はもっと大きなボスから認められることで維持できたわけですが、じゃあ大ボスの権力はどこから認められたのかと言えば、神以外にありえません。

 「俺が王様なのは、俺が一番強いからだ」なんて言ったら、もっと強い人が出ればその人に王の地位を譲るのが正しいことになるのですから、ずっと王様でいるには神によって権威づけるしかない。

 であれば、どこかに神を祀る場所があったはずです。質問者さんのいう「神殿」の定義に当てはまるかどうか不明ですが。

 で、人間はアフリカから拡大したのですから、全人類はアフリカ人の末裔。

 日本にも、何百回、何万回と渡来したわけですから、やってきたばかりの渡来人が神殿を作った可能性は大いにあります。

 もっとも、その元にある神様は、それ以前に形成されていた八百万の神々思想(当時はその原型)に吸収されて、ワンノブゼム化してしまいましたが。

 余談ですが、アフリカからやってきた過程で、各地でいろんな習慣を拾ってきたらしく、例えば、日本人が御輿を担ぐ方式(棒の上に御輿を置いて肩に担ぐ、その前に禊ぎをする、神社の神官の着る服の飾り・・・ などはユダヤ教の風習とそっくりだそうです。

 また、「省」の名前を忘れたのですが、中国の山奥の少数部族の集落入り口には、日本の「鳥居」そっくりの門があって、横棒の上には見事に「鳥」の彫刻が数個(数羽か)載せられているモノクロ古写真を見たことがあります。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
神殿を定義できる知識はありませんが、住居や倉庫ではない大きな建物で、何らかの祭祀が行われた、と推定できる建物は「神殿」と呼べるのではないでしょうか。

>日本にも、何百回、何万回と渡来したわけですから、
>やってきたばかりの渡来人が神殿を作った可能性は大いにあります。

そうですよね。
吉野ケ里遺跡や三内丸山遺跡にありそうな気がするのですが。
池上曽根遺跡の建物跡は、まだ確定していないのですね。

「中国にあるその鳥居」の写真は私も見たことがあります。

お礼日時:2013/05/26 20:40

>池上曽根遺跡で巨大な建物跡が見つかって、神殿ではないかと言われましたが、結局神殿ではなかったのですか。


弥生時代と言われる正式な年号は不明です。
学者連中が妄想の上に形成した捏造そのものですので。

さて、
>古墳時代以前のわが国に「神殿」はあったのですか。
私が知る限りの神殿は、エルサレム第一神殿くらいです。
そこには、階段状ピラミッドがあり、契約の箱も安置されておりました。
平家、源氏、藤原家などの有力な家系のみ存知、その辺で妄想を発言する学者は全く知らない古代遺跡です。

>また、紀元前のころ、中国や朝鮮に神殿はあったのですか。
コリアンは、西暦千年頃から発生した蛆虫なので、神殿と言えるものはありません。
強いて言えば、西暦5世紀から8世紀の間に築かれた檀君神殿しか存在しませんが、建設したのは中国人の先祖です。
続いて、中国ですが。
モンゴル自治区内の秦・始皇帝とされていますが、中国に遺跡があるだけで、中国人と無関係です。
中国人の国は、高句麗です。


おまけ
1.
ニニギの墓地=前方後円墳 ですが、古墳の記述を現地あるいはWebで見ると6世紀から7世紀と説明されています。

2.
古墳は、日本の歴史書 竹内文書によると、23代 天之忍穂耳身光天津日嗣天日天皇(アメノオシホミミ)から建造し始めたと記されており、トータルで10世紀に渡る期間で建造されたようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
日本のどこかに「エルサレム第一神殿」があるのですね。

お礼日時:2013/05/28 20:25

通りがかりの者です。


古墳時代以降の神殿は、神社でよろしいでしょうか。
日本書紀や古事記に出てくる神々(八百万の神々)は
ヤマト朝廷が天皇の歴史(国生み)を神格化したものですが
各地の伝説を集めたものでもあります。
その後(平安時代位)に、我も我もと各地に神社が造られました。
祀られた神々は、弥生時代の神々が多いようです。
天照神、ヤマトタケルなどです。
神殿は神々がなくなったあとに作られ物なので、
その時代は神殿はなかったということでは如何でしょうか。

いやいや、その時代に中国の神々を祀った神殿が作られたのでは
と考える事も出来ますが、
その時代は、中国は戦国時代、紀元前6000年位は占いなどが
権力としてあった時代でしょうが、その後何千年も戦いのと
新たな王朝ができる時代の繰り返しです。
神々よりも実力主義や孟子、孔子など思想家たちの時代でもあります。
中国から来た渡来人が中国の神々の神殿を作る可能性は少ないと思います。

日本は島国であった、隣国の巨大国家中国も自国の統一で日本の侵略まで
出来なかった
などで、日本は比較的独立した文化で、この2000年位の若い文明でできている。
豪族や武士の時代が長く続くも天皇(朝廷)の子孫が続いていて
江戸時代の大政奉還で、天皇に政権が戻るといった云った
特殊な歴史もあります。
つまり日本神話の神々を祀った建物が日本の神殿です。

各家庭にある神棚も神を祀る場所なので我が家も神殿であるといえば
縄文時代や石器時代にも占いや神技似たようなことはあったでしょうから
岩戸遺跡にあるこけし形石偶だあった場所も神殿といえば別でしょう。
神殿の定義にもよりますが、邪馬台国の卑弥呼が鏡などを使って呪術を使った
建物も神殿と呼べば、それが弥生時代の神殿ということになりますが。

追記ですが、キトラ古墳や宝塚古墳には四神(四獣)が描かれています。
中国の神々が日本に影響を与えたのは(或いは旧日本人が興味を持ったのは)
6~7世紀ということになります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>神殿は神々がなくなったあとに作られ物なので、
>その時代は神殿はなかったということでは如何でしょうか。

自然崇拝では、太陽や山や水を崇めるので、“神々がなくなったあと”というのは納得できません。

邪馬台国の卑弥呼の建物は神殿と呼んでよいのでしょうが、見つかるのを楽しみに待っています。

お礼日時:2013/05/26 21:12

神殿とは、神社の神道の「神殿」でいいんですよね。

神道では、大昔は、神殿も拝殿もありませんでした。山が神域で山に神様がいると考えていたようです。自然崇拝みたいなものだったようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
神殿を定義できる知識はありません。
ただ、パルテノン神殿の映像を見て、日本史では神殿という言葉を聞いたことがないような気がして質問しました。

お礼日時:2013/05/26 20:08

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