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明治時代の小説や、明治時代を背景にした映画の中で、政治家や金持ちが妾をかこっている話がよく出て来ます。

これは当時としては一般的な風潮で、政治家や名士として特に恥ずべきことではなかったのでしょうか?それとも一応は恥ずべきことだったんでしょうか?

森鴎外や漱石は妾を持ってなかったように思いますが・・・
清廉潔白のイメージの強い乃木希典などはどうですか?
金や権力を持った人たちの何割くらいが妾をかこったんですか?

その他の偉人たちについても知りたいです。

この質問に女性の人権を傷つける意図はありません。
そうではなく、我々の先達が余りにも女性の人権を踏みにじっている事実を知りたいのです。

A 回答 (9件)

妾を持つというのは、


「政治家・高級官僚(戦前は、高級官僚がそのまま政治家に横滑りする例が多く、選挙を経ない政治家が普通にいました)」
「財界人と言われるようなクラスの経済人」
「大地主」
のような、庶民からはかけ離れた所得や資産を持つ人たちなら、「まあ、許される」行為だったように思います。

当時、「妾を持つこと」が、社会からどのように見られていたかというと、明治時代に、黒岩涙香というジャーナリストが「万朝報」という、今の普通の新聞と週刊誌と夕刊紙を合わせたような新聞を発行しており、その新聞の目玉連載が「名士の妾について報道する」というものでした。

この記事を喜んで読む人がいて新聞の部数が伸び、自分の妾について報道された名士からは反発があったようです。「まあ、許される」行為だった、と書いたのは、明治時代でも、
「**氏は妾A子、B子、C子の三人がいる」
などと報道されると、それなりにダメージがあったらしいからです。

明治時代の前半くらい、藩閥全盛の時代は、高級官僚や高級軍人(明治維新の功績でその地位に就いたような人)は、堂々と妾を持っていました。

例えば、明治初期に熊本市で起きた「神風連の乱」で、政府軍司令官の少将は、妾と寝ている所を襲われて死にましたが、妾は負傷しましたが命に別状なく、東京に「ダンナハイケナイ ワタシハテキズ」という電報を打ったことで歴史に知られています。他にも、妾がいたことが明らかな高級官僚を知っています。

官僚と言うより政治家である伊藤博文や山県有朋は、当たり前のように妾を持っていました。

こういう風潮は、「大学を卒業して、高等文官試験に受かって官僚になる」「陸軍士官学校や海軍兵学校を卒業して将校になる」というルートを辿った人が官庁や軍の幹部になる大正くらいには薄れたようで、そういった官僚や軍人で、「妾を持っていたことが現代まで知られている」という例はちょっと知りません。

その代わり、「お金を持っている人」や「偉い人」は、結婚していても、今よりずっと軽い気持ちで妻でない人とセックスしていました。

現在では、芸者というのは「伝統芸能の継承者」のような感じになっておりますが、戦前は、貧しい親が娘を「芸妓・酌婦・娼妓」に売る(正確には、前借り金と引き替えに、芸妓・酌婦・娼妓の仕事を雇い主が指せることを了解する)ことは合法でした。

「芸妓・酌婦・娼妓」という3つの仕事は、実体としては大きく違うものではなく、芸者であっても、借金を返すためには売春をしなければならず、契約書には「借金返済のため、雇い主からの指示があれば、醜業(売春のこと)を嫌がらずにします」という条項がありました。

戦前の芸者という職業の実体については、実際に芸者として辛酸をなめた女性が戦後に書いた本

芸者―苦闘の半生涯 (平凡社ライブラリー)
増田 小夜 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4582761224/

本を読むと、戦前の社会的地位のある人について「馴染みの芸者がいる」という記述をよく見ます。これは「馴染みの芸者と、定期的にセックスをしていた」ことを指します。

この「馴染みの芸者」の借金を肩代わりしてやって(身請けする、落籍する、と言いました)、どこかに住まわせて生活費を与えたり、小料理屋を開かせたりして「自分専用の芸者」にすることが「妾を持つ」ということになりました。

「銀座のクラブのホステスを、マンションに住まわせる」とか「馴染みのホステスがクラブを辞めて自分の店を持つ時にパトロンになる」ということは現在でも存在すると思いますが、同じことです

===

今で言うと、ソフトバンクの孫社長、ユニクロの柳井社長、逮捕される前の堀江貴文氏のような人は、戦前の常識であれば「妾を持っても、まあ、許される」でしょう。

「ヒルズ族」などと呼ばれる人が、著名な芸能人と結婚したり、真偽は知りませんが「モデルのタマゴとしょっちゅう合コンをしている」などと伝えられるのは、同じような話です。それほど批判的に報道されることはないと思います。

一方、戦前は、日本経済の規模が今より小さかったのと、「創業者=経営者=社長」である場合が今より多かったので、「一流大学を出て一流企業に入り、出世競争を勝ち抜いて60くらいで社長に上り詰める」という事例は今より少なかったと思いますが、上場企業の社長で、「銀座のクラブのホステスを愛人にしている」ような事例はそれなりに存在すると思いますよ。

ですが、「ヒルズ族」のような富豪の女性関係には寛容な(報道価値を見出さない)マスコミも、

「有名企業の経営者」
「高級官僚」
「国会議員、知事、市長」
のような人の女性関係についてなら、報道価値を見出すでしょう。

昭和が平成に変わる頃ですが、首相だった宇野宗佑氏は、「月30万円で愛人を囲っている」と報道されたのがきっかけで辞職に追い込まれました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
興味深く読ませていただきました。

芸者―苦闘の半生涯 (平凡社ライブラリー)
増田 小夜 (著)
是非読んでみたいです。

お礼日時:2013/06/20 14:13

平成でも皇位継承権のある某親王は愛人がいるということです。

(噂です)
ただしこれはいろいろ事情があり、いわゆる『愛人』ではなく、事実婚に近いが結婚できない事情があり、またご身分から(実質的な)妻と紹介できないので、好きな女性が女官として近くにいるということで、やむ得ないことです。
暗黙の了解として周囲は事実婚と認識されているということかな?
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この回答へのお礼

再度の情報ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/20 14:37

明治どころか、昭和時代の田中角栄首相(当時)でさえ、神楽坂に愛人がいることは首相在任中も周知の事実であり、誰も問題にしていません。


神楽坂の逆転一方通行は角栄氏が永田町から愛人宅に『帰宅』するための便宜という都市伝説すらあるくらいです。
過去を紐解くと女性でも権力者になると愛人を囲っている例は洋の東西を問わずで、わが国では孝謙天皇、外国ではイギリスのエリザベス1世、ロシアのエカテリーナ2世等々、女性の場合は大ぴらにしないので、噂の域を出ませんが、状況証拠からそうではないかと推察される方々は多々います。
武田信玄や上杉謙信が『男性』を愛人にして囲った(武田信玄は他の男性と浮気したことを詫びる男の愛人宛の手紙まであります)事例すらあり、要は何でもありが性の世界の真実です。

人間は性に興味があり、洋の東西、男女を問わず、権力者はその道に進む。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2013/06/20 14:36

質問者さんの、最後の行の「あまりにも女性の人権を踏みにじっている」という


観点と言うか、解釈論では、妾は恥ずべき物、持つ男は女性の敵になってしまいます。

それは歴史の流れと、ある観点からみれば非常に正しいことなのですが、もの事の側面は
決めつけることよりも、多面的に考えてみることも、必要なこともあります。

廃れて行ったのは、女性の自立と意識の向上の賜物ですが、近代という社会は合理性を
追求する物なので、合理性に叶わなかったことも、一面でしょう。しかしそれは
あくまで「教育」などが請け負いました。

形而下と形而上の面から言えば、お金と力のある男は、色を好まなくても女の方から
寄って行く。これは現代でもひとつの現実真理です。

まあこのスケベ男が、と腹立たしいことは形而下の世界ですが、側面的に昔は家というものを
非常に重んじていました。
跡継ぎが出来ないと、養子や養女を貰ったり、嫡子の出来が悪いと、わざわざ養子をもらい
跡を継がせるようなこともありました。
子供を育てることは女性の仕事でしたし、なぜそんなに家にこだわったのだろうと言うことは、
現在の社会問題の解決方法が、反対から見たら、あるのかもしれません。

例えば核家族化による孤立は、無縁死や生活保護の問題を招きました。老後の年金も、
昔は隠居して、暮らして行ける生計が在ればひっそりと暮らし、それが無い人は娘や孫
たちと遠慮がちに生き延びたと思います。

で、妾の問題なのですが、これは変則的扶養の状態です。
女性が社会に出ていきにくかった時代には、美貌と遊びごとのセンスが在れば、大金持ちの
男性から目を掛けてもらい(だから「めかけ」といいます)こうやって暮らして行ける方法
もあり、貧しい父母は「色の白いのは七難隠す」とかいって、器量良しの娘が出来ると喜んだのです。

今は、女性は自分で勉強したり、働く社会に進むことは当たり前になりました。
資格を取り医者や弁護士にもなれます。
反対に器量の良い女性は、テレビの女子アナウンサーや航空会社のキャビンアテンダントを
めざしたりはしませんか。あれあれ、今でも女性を武器にして高収入な仕事に就こうと
するのは肯定していいのだろうか。

お話が明治のお妾さんから離れてしまいましたが、電波芸者なんて陰口もあるのは、本質は
どんなに世の中が変わろうと、昔から変わっていないと見るむきもあるのです。

森鴎外は古い家の人ですが、ドイツ留学中に現地の女性と恋愛になり、日本にまで
女性が追い掛けて来たという過去を捨てて、軍医と言うエリートの道を歩みます。
夏目漱石は、近代とは何かと言うテーマに向かい合い、それでも女性のことで悩む主人公を
描いた作風などにも彼なりの女性観が出て来ます。
乃木希典は、日清戦争の武勲とは反対に多くの将兵を失ったことに、自分の命と生きる道を
考え明治天皇崩御と共に殉死します。
彼は学習院の総監だった後年、東京市電(路面電車)で通勤し、いつも着席せずに、
にこにことした表情で電車の一番後ろに直立して、子供たちを見守っていたそうです。

そうやって近代の坂道を150年ほどで走り切った日本という国が、いま深い悩みを抱えています。
維新の元勲や英雄たちが、確立しようとした近代。その近代のあゆみの中で妾腹制度は
廃されて行きました。

今、彼らが生きていたとするならば、大きく変わった日本に驚嘆するのか嘆息するのか。
表面上は女性が強くなった社会に、自分たちが活躍する時代でないと、嗤って後に
するのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私が女性なら、こういう質問は非常に不愉快に感じるはずです。この質問を女性が読むことも想定しましたので、断りました。結果は男性ばかりの回答のようでした。

お礼日時:2013/06/20 14:34

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

皆さん博識でいらっしやるようで、私の出番ではないかも知れませんが、簡単にお話しいたしましょう。

まず、江戸時代には将軍は側室を持つことが当たり前だったことはご存じと思います。

これには、幕府と朝廷をつなぎ留めるために、将軍の正妻は公卿の出身がおおかったのですが、

(1)いわゆる、政略結婚ですので、必ずしも正妻を好きになれない。
例えば、5代将軍の綱吉の正妻は鷹司信子ですが、綱吉はほとんど夜を共にしていない。

(2)公卿は幕府から宛がい扶持しかもらえないため、非常に貧乏でしたので、そこで育った姫君も栄養状態が悪く妊娠する確率が非常に少ない。屋敷が雨漏りをしても直す財力さえなかった。

(3)従って、将軍家で正妻から生まれた将軍は一人もいない。

(4)そこで、将軍の後継者作りのために大奥ができ、堂々と側室を宛がい子孫を残そうとした。

さて、一般の武士(旗本や御家人など)の場合ですが、江戸時代では妾(側室)を持つことは武士のステータス・アップであり、同僚からは羨ましがられるほどでした。そして、正妻がそれを咎めることは、かえって、「鬼嫁だ」などと非難されました。

これらの風習(習慣)が明治時代では、明治の高級官僚は、言ってみれば武士の成り上がりですから、妾(側室)を持つのも当たり前という風潮だったのです。

また、江戸時代から明治時代にかけては、いわゆる、恋愛結婚などは珍しく、全て親が相手の身分や財力を基に決めた「許嫁制度」でしたので、やはり、結婚しても正妻を好きになれない人も多かったと思います。そこで妾に走るケースも多々あったと思います。さらに、妾を持つことがステータスと言う風習も色濃く残っていたと思います。

そして、この時代には、娘は12歳になると、もう大人と見られ、娘も大人だと自覚をし、良縁があれば結婚をさせられました。
当然、12歳位では、まだまだ発育段階ですので、妊娠をして、いざ、出産となると大変な苦痛と体力を要し、出産の際に母子共に死亡することも多かったのです。従って、家名を残すための実子を得るために妾を持つケースもあったと思います。

この流れは、現代でも言えることで、18歳未満の女性との買春行為は禁じられていますが、一方では、民法で女性は16歳から結婚が認められていますよね。

まあ、偉人の妾については、すでに何人かの方が答えられていますので、それはそちらにお任せします。

大正天皇は「柳原愛子」という明治天皇の側室から生まれています。

大正天皇は生まれてからすぐに帝王学のために、母から隔離をされて一切会うことができませんでした。そして、47歳で病の床に付きましたが、死の直前に母親との面会が許され、大正天皇は涙を流しながら母の手を握ったまま息を引き取った・・・と言う逸話は有名ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
<<大正天皇は生まれてからすぐに帝王学のために、母から隔離をされて>>---大正天皇の人権が踏みにじられたんですね。同情します。しかし、母親の方も辛かったと思いますね。人間は辛いことをするために生まれて来てないんですけどね。

お礼日時:2013/06/20 14:26

そもそも人間は動物です。


動物のもっとも大事な仕事は子孫繁栄です。
その観点から言うと
女性はどうがんばっても年に一人だけしか子供を作れません。
(双子や三つ子は一般的でないので細かいことは抜きにして)
ところが男は
365日、365人の女性と交われば365人の子供を作れる可能性だって
あります。19・20のころなら1日2回くらいどうってことないですから
極端を言えば700人くらいの子供を1年間で作れます。

というわけで、男は現代日本の社会通念上悪いといわれる、あるいは社会規範にそぐわない、あるいは
統治機構に支障をきたすかもしれない浮気や不倫、さらには妾を持つということをしたがります。

これは動物の本能がそうさせているとしか言いようがありません。

この論法で言うと、神様が動物を作ったとすれば
文明国の現代日本の人間社会においては認められないことですが神様は拍手しているかもしれません。

さーそこで、昔の妾。
徳川将軍は側室を何人も置いていました。これはお家大事ですから
どうしても跡継ぎを作らなければなりません。
正室に子供ができない、あるいは昔のことで今のように医療が発達してませんから
生育率はかなり低く生まれても成人になるまでに死んでしまうことも多かったので
何人も子供を作って生き残りさらにその中でも優秀な子供を跡継ぎにしたかった
ようです。したがって大奥などという側室を養っておくシステムがありました。

それは当時の日本人として当たり前の話でした。
また明治時代にもその慣習は継承され村や町の名士、有力者は妾が当たり前でした。
なぜかというと当時は行政も細部には行き届かず、町の名士がポケットマネーで
橋を作ったり、道路を作ったり、逆に仕事がない人に橋の工事をさせたりして
生計を立てさせていました。
町や村全体がその一軒の名士のおかげで食べていたわけです。
すると、その名士の家が絶えてしまっては食えなくなります。
また名士のほうも町民のため村民のためにこの家のあとを継ぐものが
どうしても必要だと考え、正妻のほかに妾を作り正妻の子ができなかったり
その子が万が一のと気は妾の子を跡継ぎとして家を告がせました。

したがって、名士の妾は人から見てもむしろ喜ばしいことで
本人も子供がいなくて俺が死んだらこの町や村はどうなる!
と責任感を持っていましたので恥ずべきことでは全くありませんでした。

軍人なども階級が上の人はいまのように能力や実績だけで上がれるものではなく
それももちろん大事ですがプラス家柄というのがなければ
将官クラスにはなれません。
その家柄というのは貴族やそれに準じるモノでしたから
やはりお家大事で跡取りがどうしても必要だったわけです。

今上天皇、皇太子に側室を、という議論さえされているくらいです。
正子様に男系ができないのなら側室の腹を借りてでも
後世の天皇を作るべきだという荒っぽいことをいう識者もいるようです。

というわけで、乃木さんはじめ明治の歴史に登場する軍人や政治家には
だいたい妾がいたようです。
また妾の一人もいないと信用されなかったという話もあります。
つまり後世に責任を持ってことに当たっているという意味だったのでしょう。
妾も子供もいなければ、どーせ俺は一人だ、好き勝手なことをして
死んでしまえ!とあとに責任を持たないとう危惧があったようです。

決して女性の人権を踏みにじるものではなく、
子供を生めるのは女性だけ、またそれを育てられるのも女性だけなのです。

>我々の先達が余りにも女性の人権を踏みにじっている事実を知りたいのです。

男が死をも覚悟の上で働くなら、女はその特性で将来のため、町や村のため仕事をするのですから
決して人権を踏みにじるものではないと思います。

現代人の現代の社会通念を当時の状況も知らずこれに当てはめるのは
いささか謙虚さがないような気がします。

慰安婦問題のように英語に意訳するとセックススレイブ(性の奴隷)という
意味とは全く違った意味の妾です。

当時の女性はその意味を理解し名士の家に跡取りがいないということが
どれだけ世間に影響を与えるか、町や村の人たちがどれだけ困るかを知っていたので
旦那に妾がいても怒るわけでもなく嫉妬するわけでもなく
当たり前に感じていたようです。
いわゆる現代のイロボケで妾を囲うのとはワケが違っていました。

デビ婦人だってインドネシア大統領の第三婦人だったか第4夫人だったかです。
これを日本の芸能記者が所詮妾じゃねーか!といったら
烈火のごとく怒り、インドネシアの文化、インドネシアのリーダーの事情を
何も知らずに日本の物差しでモノをいったこの記者は二度と仕事ができなくなりました。
何番目であろうがれっきとした大統領夫人だったからです。

その時代、その国、その地域には独自の文化があり
現代社会のものさしですべてを測るのは傲慢すぎると私は思います。
したがって、
当時、妾だからといって女性の人権を踏みにじっていたという事実には当たらないのです。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
<<その時代、その国、その地域には独自の文化があり
現代社会のものさしですべてを測るのは傲慢すぎると私は思います>>とのことですが、これは間違っていると思うので補足させて戴きます。
<<旦那に妾がいても怒るわけでもなく嫉妬するわけでもなく
当たり前に感じていたようです>>---当時の風潮に従って森鴎外も妾を持ったようですが、彼の著作「雁」でしたか「青年」でしたか失念しましたがその中で、妾をつくった男に妻が「私はどうすればいいんですか!」となじる描写が出て来ます。女性は男に別の女をつくられて決して納得していたわけではないと思います。

モーパッサンの「脂肪の塊」を下地にして、溝口健二が映画
「マリアのお雪」(1935)を製作しました。製作は昭和10年ですが舞台は幕末維新です。その中で、司令官に村人の娘を差し出すところがあります。村人は勿論、両親さえも「皆のためだから」と娘を説得します。娘は最初は泣きながら固辞していましたが最後には説得に負けてしまいます。
貴方の考えは上の村人と同じで一人の女性の犠牲の上に成り立つ考えです。全ての女性が納得していたわけではなく、戦時中の赤紙のように、仕方なく従っていたというのが実情だと思います。一人の女性の人権も犠牲にしてはいけない、たとえ100人の人が利益を得ることがあっても、というのが人類が到達した結論で、人権と言うのはそういうものなんです。

<<その時代、その国、その地域には独自の文化があり
現代社会のものさしですべてを測るのは傲慢すぎると私は思います>>---昔は人類も随分残酷でしたよね。例えば南米を征服したスペイン、原住民を動物と同列視して平気で首を切り落としたりしました。あの時代はあれが普通で正しかったんだですね。橋下氏の「当時は慰安婦は必要だったんだ」と同じ論法です。当時は人殺しが普通で正しかったんだというわけです。この論法の危険なところは、将来また「人殺し」が普通になれば人を自由に殺してよいというニュアンスを含んでいることです。

しかし、さすがに今の日本でも「あの時は人殺しが必要で正しかったんだ」とは言えないでしょう。しかし、妾は必要だった、慰安婦は必要だったとは日本では言えます。しかし、人権感覚の非常に強い欧米ではこれも言えません。「人殺し」は必要だったと言うのと同じくらいとんでもない発言なんです。橋本氏が「国際感覚がなかった」と反省しているのはそういうことなんです。
<<その時代、その国、その地域には独自の文化があり>>と人権を文化の中に含められていますが、人権と言うものは全ての価値観の一番上に立つものです。人権を蹂躙する文化は許されないのです。たまたま今の時代において人権が大切にされているというのではなく、人権と言うのは数千年かかって人類が到達した価値観なんです。そこを貴方は完全に勘違いされているようです。だから、将来時代が変わろうと、ところが変わろうと、逆戻りさせてはいけないのです。時代時代の文化の違いという捉え方をすると、また将来人権を蹂躙する時代が来ることを容認することになります。

折角、フランス革命の「人権宣言」、独立戦争の「独立宣言」そして日本の憲法の基本的人権と、人間は全て平等である、何人も基本的人権は犯されないという価値観に到達したのですからね。女性と男性が完全に平等な世の中であれば、女性が男性の回りに妾として群がる必要はないでしょう。妾制度が存在したのは、社会が女性にとって不平等だったからでしょう。
女性の人権という立場に立てば、妾制度は間違っていた。慰安婦制度も間違っていた。人権と言う立場に立てば過去の戦争は間違っていた。人類は間違った歴史をもったけれど起こってしまった過去は消せません。犠牲になった人たちにいくら謝っても済むものではありません。

以上ですが・・・

補足日時:2013/06/20 13:53
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 明治31年の戸籍法改正までは、戸籍にも妾という身分がありました。



 明治天皇には正室(皇后)のほか5人の側室がありました。大正天皇の母は側室です。皇室が一夫一妻制になったのは大正天皇以後です。

 森鴎外には妾がいました。また、先妻の子と後妻の子どもたちの不和は広く知られています。

 江戸時代、嫡子がいない武家はお家断絶、俸禄召上げとなったので、男子を設けるのは必須の条件でした。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。
森鴎外が提示するテーマは俗っぽく、底が浅いと思っていましたが、やはりそうでしたか。彼の言動を観ると、「エゴは満足させるべきもの」としているようです。

人間のエゴを追及した漱石との差ですね。

お礼日時:2013/06/20 12:31

正妻のみが許されるというのであれば、明治天皇は許されないことになる。


個別に個人がどうだと言う前に、制度として無法ではなかった。

一般に西欧文化への傾倒が強い人は一夫一婦であったように感じられる。
※ 天皇家で言えば昭和天皇はイギリス王室をあるべき姿と考え、一夫一婦制を堅持した。

愛人の話ですと、三木武吉のエピソードが有名ですが、それは戦後の話でもあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8% …
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。
明治時代はまだ徳川時代の伝統を引きずっていたということですね。

お礼日時:2013/06/20 12:18

 伊藤博文など女遊びがひどく、明治天皇直々におまえいい加減にしろとたしなめられたとか。

その妾だったという女性は、後に孫娘に「つまらぬ男と結婚するより一流の男の妾におなり」とアドバイスしたのだとか。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。
最近彼の若い時分の写真を見る機会がありました。
ヤンキーみたいな顔してますね。
こんな男がよく、日本人全部が尊敬する人物として千円札になったもんですね!

お礼日時:2013/06/20 11:50

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