ちょっと変わったマニアな作品が集結

以前から気になっていました。
○○と思います。という表現について、思うなら行動しろよって。
これは、ジャーナリストの池上彰氏も言っていたことです。

思います。
だから?何?って思います(笑)

先日の素粒子抽出時の事故による被爆での記者会見で、
責任者と思われる人が、「謝罪したいと思います」って言って頭を下げていました。
思います。は、いいけど、思うだけなんですか?って。

なんか、釈然としないのです。


成熟社会になり、価値観などが多様化してきています。
常識や正しいことなど鉄板的なものの垣根が無くなってきているように感じます。
これは、歴史認識や敗戦国・同盟国としての教育などの原因が考えられ、
地に足が付いておらず、経済のみを追求してきたことによる結果と思えます。

というわけで、思いますという言い方を自分自身しないように心がけているのですが、
確定結論に至らない場合、使ってしまうところがあります。

断定できない状況・場合であっても、判断しなければならない時があります。
そんな時、どんな表現がもっとも適切なのでしょうか?

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A 回答 (9件)

    僕も「謝罪したいと思います」と言う言い方は、おかしいと思います(あ。

やっちゃった!)

    ですから(自分の言葉を正当化するのもどうかと思うんですが)、犯人は「思います」ではなくてその前の「たい」と一緒にするから変なのだと思います。

     「僕は大阪に行きたいと思います」と駅の切符売り場で言ったら、「この人大丈夫かしら」と思われるでしょう。そう言うことを人前で言える神経がすでに謝る気がない証拠だと思います。

     このところマスコミを呼んで、カメラに写りがいいように謝罪する社長や重役がいますが、「謝罪します」と言った後「辞める」とか「赤字を補填する」とか具体的な行為を示してほしいですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。


おかしいと思います(あ。やっちゃった!)


これは使い方として合っています。
なぜなら、この質問の回答におかしくないという方がいらっしゃり、
恐らく回答者様は学者でもないでしょうから、推量として自己判断でおかしいという結論だからです。



 「僕は大阪に行きたいと思います」と駅の切符売り場で言ったら、「この人大丈夫かしら」と思われるでしょう。そう言うことを人前で言える神経がすでに謝る気がない証拠だと思います。


その通りです。
とても分かりやすいですね。
以前、フジテレビの加藤女子アナが番組出演者に前に出てきてもらうという場面で、
「どうぞ、前の方に出てきて頂きたいと思います。」って言っていました。
放送業界で、この程度です。

出演者に対して、指示や依頼でもなく、ただカトパンが思っただけということになります。

この場合、
1.前に出てきて下さい。もしくは、前にお越し下さい。(私はこれが一番正しいと思っています。断言の尊敬の形になっています)
2.前に出ていただけますか。(いただけますかとは、自分に対して良い行いをするよう相手に求めているので本来×です。相手はゲストだからです。)
3.前へお願いします。(内容は省略していますが、言葉にしなくても分かる程度になっていますね)
4.その他

数年前に元野球選手が我々は結果を残せなかったらすぐ戦力外通告だよ。
アナウンサーは言い間違えても、とちっても、失敗しても良いから羨ましいなんてことを
言っていました。

お礼日時:2013/06/04 18:07

#8です。



>と、思います。と相手に言ったとします。
その言葉を受け取った相手は、それではない可能性もあると考えます。と、いうか考えるものです。

たしかに、そういう一面はあります。
その番組を見ていないのでなんとも言えませんが、そういう言葉が不適切とされる状況だった可能性は否定していません。
「思う」には曖昧性が含まれるという点では、おそらく意見は一致していることでしょう。
そして、曖昧な表現をすべきではないシチュエーションで使うと違和感を与えてしまう、場合によっては誠意を疑われてしまう、ということも事実です。
ただ、そればかりではないと思います。
端的に言うと、直截な表現を避けるための婉曲用法としての役割です。(むろん、これとて、婉曲表現をしている場合ではない時に使うと責任逃れという評価を受けることもあるわけですが、要するに使いどころの問題です)
「その役割を担うわけですから、当然その言葉には意味があります。
というか、番組の進行上、なければならないのです。」ともおっしゃっているわけですが、その番組の進行に曖昧性があってはいけないのかどうかは、その番組の性質によって異なってくるように思います。
つまり、婉曲的な表現のほうが適している場合もあるはずです。
一概に「なければならない」と決め付けるのは難しいでしょう。
「思う」の意味で、辞書に記されているのは「考える」だと思います。
#8のお礼欄で、
「元々が確定事実について言葉にして、相手に話すのですから、~です。などの断言形で話すのが自然と考えます。」
とおっしゃっています。
これも、「などの断言形で話すのが自然です。」とすることもできるはずです。
しかし、あえて「考えます(思います)」と表現したのは婉曲にご自身の見解を伝えたいと(無意識的にせよ)思ったからだと思います。
これは確定結論ではないから使っても良いのだ、とおっしゃるかもしれませんが、加藤アナの場合もそれは同様です。
「どうぞ、前の方に出てきて頂きたい」「どうぞ、前の方に出てきてください」などと言ったとしても、それは、あくまで彼女が「そうして欲しい」という希望を述べているにすぎません。
「どうぞ、前の方に出てきて頂きたい」よりも、「どうぞ、前の方に出てきて頂きたいと思います」のほうが、「あくまでわたしの希望なのですが、そうしてもらえると嬉しいです」といった婉曲の表現として有効なわけです。
質問者さんの場合も、仮に、「などの断言形で話すのが自然です。」とおっしゃったとしても、意味はほとんど変わりません。
なぜなら、どんな場合であっても、人の言うことの語尾には、「~と思う」という意味合いが、明示的であろうが暗黙的であろうが不可避的につきまとわざるを得ないものだからです。
このように、同じ意味合いの内容なのに「と思う」あるいは「と考える」などと明示するのは婉曲的な表現をしたい場合が殆んどではないか、と思います。
コミニュケーションの円滑化を図るひとつの方法でしょう。
自分の希望なのだから、「思う」という婉曲な、あるいは曖昧な表現を使うのは不適切だとお考えなのかもしれませんが、その希望を前面に出さないでおきたいというシチュエーションもあって良いのではないでしょうか。

>元々が確定事実について言葉にして、相手に話すのですから、~です。などの断言形で話すのが自然と考えます。

加藤アナがどちらの場合であったかは番組を見てないので何とも言えませんが、司会者(進行役)が「どうぞ、前の方に出てきて頂きたいと思います。」と言うのが適切な局面は、案外多いと思います。
一例としては、たとえば、葬儀の遺族に対して司会が言うような場合でしょうか。
あるいは、大事故などに際して非常に危険な作業が必要となり、その場にいた一般人に対し、恐る恐る決死隊を募るような場合など。
確定事実であっても必ずしも全てが断言形である必要はない、とわたしは思います。
ただ、誤解されると困りますのでしつこく繰り返しますが、希望を前面に出すべきシチュエーションで出さないのは、これまた困りますし、違和感を覚えることが多々あるのも事実です。
そのこと自体を否定するものではありません。
しかし、(確定事実であっても)「~と思います」という表現のほうが適切な場合もあるでしょう、ということを申し上げているだけです。
確定事実の中でも様々なシチュエーションがあるわけで、それを抜きにして「~と思います」という表現だけを取り上げて論議しようとしても意味がないのではないか、ということでもあります。
あまりしつこくしても申し訳ないので、今回はここまでにしておきたいと思います。
疑問やご質問が明示され場合、また特に必要性を感じた場合には再度おじゃまさせていただくかもしれません。
  
    
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#7です。



今、#5さんへのお礼内容を拝見していたのですが、若干感想を述べさせてください。
「どうぞ、前の方に出てきて頂きたいと思います。」という加藤アナの発言ですが、「思う」には「願う・希望する」という意味もあり、この意味で使ったのだと思います。
ですから間違いとは言えないでしょう。
ただ、どのような番組だったかはわかりませんが、「自分の願いや希望を表明していないで、さっさと用件を明確に述べろよ!」と言われかねない、まどろっこしい表現になっていた可能性はあると思います。
実際、そうした印象を持つことはわたしもあります。
ただ、それはあくまで「思う」という言葉の問題ではなく、その言葉を適用する場面が適切であったか否かの問題だろうと思います。
シチュエーション(番組内容や出演者)が違えば、「どうぞ、前の方に出てきて頂きたいと思います。」という表現のほうが適切である場合もあります。
要するに、「思う」に代わるほかの表現を探そうとする必要性はないように思う、ということです。
  

この回答への補足

人に自分の意志や言葉を届けるとき、
または、わかってもらいたいとき(つまり、相手は聴いても、聴かなくても良い立場の場合)は、
言葉のノイズは聴いて貰うことの障害になります。
たとえば、え~、あの~、その・・・etc.

と、思います。と相手に言ったとします。
その言葉を受け取った相手は、それではない可能性もあると考えます。と、いうか考えるものです。


要するに、「思う」に代わるほかの表現を探そうとする必要性はないように思う、ということです。

これは逆です。

元々が確定事実について言葉にして、相手に話すのですから、~です。などの断言形で話すのが自然と考えます。

補足日時:2013/06/05 20:24
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この回答へのお礼

加藤アナについては、司会者(進行役と同義)であったため、
単なる言葉ではないのです。

その役割を担うわけですから、当然その言葉には意味があります。
というか、番組の進行上、なければならないのです。

その内容とは、指示、依頼などであり、思う等の個人の心情はこの場合必要とされていません。

思うは、心情の言葉であり、ある人にとっては意思表示です。

意思表示で世間が動くのは君主に代表される人の方針ですが、
加藤アナは天皇でも皇帝でも君主でもありません。

つまり、~思う。~思います。等という人は、
転じて、何様ですか?
とも誹られることもあるかも知れません。

お礼日時:2013/06/05 20:34

#3です。



>そもそも、頭を下げれば謝ったことになるのでしょうか。
また、そこに謝意、誠意はあるのでしょうか?

時と場合によると思います。
軽微な迷惑を掛けたような場合、軽く頭を下げることで対応可能なことはあるでしょう。
逆に、頭を下げずに(または軽い会釈程度で)謝罪の言葉を言うだけで通じることもあります。
むろん、両方揃っているのが好ましいとは思いますし、今回のような社会的問題に関しては揃っている必要があります。
その責任者の場合、「謝罪の言葉」が無かったという点で揃ってないことは明らかで、しかも、頭は下げたものの、それが「謝罪したいと思う」という自身の考えを報告(表明)するという行為に付随しているだけで謝罪の行為ではないという印象を与えてしまっただろう点で、謝罪効果はほとんど無くなっていたのかもしれません。
ただ、好意的に考えると、前回、述べましたように、頭を下げたことが、タイミングの問題で謝罪の行為と捉えることができる可能性はあると思います。
むろん、このようなケースで言葉が添えられていないのは不十分であることは先に触れたとおりです。
その意味で#2で述べた「実際に謝罪という行為を実行したことになりますから、特に問題はないように思います。」という内容は取り消します。

いずれにせよ、「思う」には「判断する・決意する」といった意味もあるので、たとえ確定結論に至っていても、この言葉を使うことは可能である、というのが拙論の骨子です。
「謝罪したいと思います」という文面が不要ということではない、ということです。
仮に、「このたびは申し訳ありませんでした」と頭を下げたとしましょう。
しかし、わたしの感覚としては、「頭を下げて謝罪すれば済むと思っているのだろうか?」という疑念が湧きます。
つまり、本当に悪いと思っているのかどうか?ということが重要でしょう。
誰かに言われて嫌々頭を下げるのではなく、自らの判断で謝罪したいという結論に至りました、という意味で、「(縷々理由を述べた後)そういうことで当方に明確な責任がありますので謝罪したいと思います」とまず述べる。
「思う」だけではしょうがないわけですから、引き続き、「申し訳ありませんでした」と言いながら頭を下げる、というのが理想的な謝罪のスタイルになると考える次第です。
  
>つまり、このときに子供の心境でしょうかね。
悪いと思っていないか、他人事と思っているか。
謝意とは、意であり、そういう気持ちでなければ伝わらず、伝わらなければ会見の意味がありません。

そうした心理が如実に表われていると判断されても仕方ないと思います。
ただ、仮に言葉を添えて頭を下げたとしても、心底申し訳ないと思っているかどうかは判断のしようがありません。
つまり、単に謝罪表現の仕方に疎い責任者であったのかもしれないわけです。
「伝わらなければ会見の意味がありません」というのは全くおっしゃるとおりと思います。
ただ、先述しましたように、「(謝罪したいと)思います」という表現自体が良くない(不要)ということではなく、それだけでは不十分である、ということなのだと思います。
謝罪したいと思った(判断した・決意した)のか、やむなく嫌々謝罪するのか、という点に関して言及することは重要だと思うからです。
  
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口語日本語の欠陥、形容詞型活用の補助活用を「―かろう」「―かった」以外、きちんと継承しなかったため、です・ます体の文末に文法に適った形で形容詞を使うことができません。


「謝罪したいです」という誤形を回避する対処策としての機能が考えられます。
「謝罪したかります」もしくは一段階さかのぼって「謝罪したくあります」と言うことが、共通語としては許されないからです。
1.「謝罪したくありません」という否定文
2.「謝罪したくはありますが、…」のように副助詞が附く場合
3.「謝罪しとうございます」というワンランク上の丁寧表現
では誤形が回避されます。
「謝罪したくあります」という基本の肯定文は共通語として使えません。

この回答への補足

だから、なに?

と、いうことなのですよ。

補足日時:2013/06/05 20:18
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 確かに、この「~したいと思います」「~していきたいと思います」には僕も違和感をおぼえていました。


そもそもこの「~したい」の「したい」自体が動詞です。意思を表示しています。それに付加する形と更に丁寧語が加わった形で不自然な感じが漂っています。仮にこれを「~したいです」としても何か不自然です。語尾に必ず「です」や「ます」を付す必要があるかどうかも疑問です。文の末尾が動詞であるならば、この場合は「です」になってしまう。がしかし文意からすれば、動詞は「~したい」となる。とすれば一つの文に対し、一つの主語なり主題がありそれゆえに動詞は一つであるとの原理は成り立たなくもなってしまう。こんなことを考えながら質問文を再読させていただきました。
 >思うなら行動しろよ。
これは質問者様ならびに池上さんの主観でして、では「歩きながら考える」との丸山眞男の言葉はどう受け止めればよいのでしょう。必ずしも一つの考え方で括ってしまうのは余りにも乱暴ではないか、こんなことも考えてしまいます。ある一つの問題が目の前にあるとして、その問題を解決することはできてもそれと同じ問題がまた別の場所で起きた場合、それを一つ一つずつ潰していかねば問題を解決することにつながらないのではなかろうか。ではそうした考え方の下で行動するには何が最善かを考えると、先ずは行動してみろよとは余りにも無責任ともいえまいか。その問題を解決するには問題を発生させる原因を突き止めそして対応策を探す。そうすることで問題を発生源から絶つこともできる。こうしたロジックなら、目先に囚われることは問題全体の姿を見失うことにもなる。
 こうした手法を選択するにあたって、恐らく質問者様は問答無用の形で切り捨ててしまう可能性もあります。突き詰めて考えるなら、例のデカルトの言葉まで遡らざるを得ない。我思う、ゆえに我あり、との言葉を字面どおりに受け止めるなら、だからどうしたの?となってしまいます。
 確かに例の記者会見での発言には違和感もあります。謝罪したいと思います。本人は丁寧に言っているものと勘違いしている模様で、謝罪致します、の一言で済む内容です。それを態々丁重にする必要も別にありません。聴いて不自然です。
 >成熟社会になり、価値観などが多様化してきています。常識や正しいことなど鉄板的なものの垣根が無くなってきているように感じます
常識や正しいこと、が果たして何れの時代や場所(空間ではなく、その人が所属する社会階層として僕は定義します)でも変わらなかったといえるのか。これも疑問です。過去での解釈や理解の仕方が必ずしも正しかったと断定するためにはそれを裏付け納得させるだけの材料と論理が求められるはずです。常識ほど疑わしいものも他にはありません。常識も変化する。徳川時代の規範である儒教道徳が現在で通用するかといえば疑問の付く余地もある。歴史認識はその最たるものです。南北朝時代の評価を観ても、1945年以前では南朝に正統性があるとされていたものの、戦後歴史学の研究成果を踏まえるなら北朝を正当な王権と認めねばその後の経緯を説明することも難しい。
 そうした点では、むしろ戦後の教育を積極的に評価すべき点も多々あります。本来の質問趣旨とかけ離れてしまいましたが、「~と思います」を英語の“I think~”と受け止めるのではなく、そこに話者の意思が込められているものと好意的に解釈し「私はこのように考え、したがってこの様な行動をとる」と理解すればよろしいのではないでしょうか。
 断定できない状況であっても判断を下さざるを得ない場合、こうした時には迷わず「~する!」と宣言してしまえば済む問題であると存じます。意思表示すればよろしいでしょう。患者の容態が急変した時、医師が瞬間的な判断を求められることはよくあります。そうした時に躊躇することが何よりも現場スタッフに不安を与えてしまいます。
 言葉を状況によって使い分ける、まことに難しい問題でもあります。若輩者が年上の方にもの申すようで恐縮です。
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この回答へのお礼

長い文面をありがとうございました。

要するに聞き手が解釈で補完しなさいといったところでしょうか。

全体像を見るのは大切ですが、
関わり合いの少ない場(例えば新聞やニュースなどで知る場合)は、根本となるところが
ピックアップされますから、仕方がありません。

孔子の教えは、アジア圏の一部ですかね。
南朝が正とされたのは三種の神器があったからでしたかね。
明治時代に改めて問題化されてこの結論になったはずだったような。

お礼日時:2013/06/04 18:20

#2です。



>もしかしたら、
謝罪したいと思いますというのが直接の謝罪の言葉ではないと判断出来るからかも知れません。

なるほど。
そういうことはあるかと思います。
その会見を見てないのでよくわかりませんでしたが、どのようなタイミングで頭を下げたのか、ということも関係してくるように思います。
たとえば、「謝罪したいと思います」と言い終るか終わらないかのうちに頭を下げたとすると、「謝罪したいと思う」ということを頭をさげつつ報告している、という印象を与えてしまいます。
つまり、この場合、謝罪という行為は実行されていない、という判断をされてもやむを得ません。
しかし、「謝罪したいと思います」と言い切った後、ワンクッションおいてから、深々と頭を下げたのであれば、それが(一応の)謝罪行為という印象を与えることは可能だと思います。
前者の場合は、素直に謝りたくないという体質が露呈していた、と解釈されてもしかたありません。
後者の場合はどうかというと、この場合でも、謝罪の言葉を明言しなかったという点で、同様のそしりは免れないでしょう。
前者と異なり、一応、形だけの謝罪行為は行った、ということはできると思いますが。
ただ、いずれにしても、「思います」という表現自体の問題ではないはずで、その表現を使わないようにする必要性はないものと思います。
今回のケースは、実際に謝罪という行為が「思うだけで」行われていない、あるいは、行なわれたという印象を与えられていない、という点が問題なのでしょう。
 

この回答への補足

そもそも、頭を下げれば謝ったことになるのでしょうか。
また、そこに謝意、誠意はあるのでしょうか?

たとえば、子供ケンカで相手に怪我をさせた場合、
父が子をつれて、相手方に謝りに行くとすると、謝意を込めて頭を下げる。
つまり、最低でも「悪かった」といって頭を下げることで謝意を表すのですが、
子供は自分だけの責任ではなく、相手の子供も悪いと思っていて謝罪の言葉も無く自ら頭を下げません。
それで、父がその子供の頭を押さえて頭を下げさせます。

つまり、このときに子供の心境でしょうかね。
悪いと思っていないか、他人事と思っているか。

謝意とは、意であり、そういう気持ちでなければ伝わらず、伝わらなければ会見の意味がありません。

補足日時:2013/06/04 18:30
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下記辞書で確認してみますと、「思う」には多様な意味があります。


http://dic.yahoo.co.jp/detail?p=%E6%80%9D%E3%81% …
「謝罪したいと思います」は、さしづめ、「謝罪したいという考えを持つに至りました」とでもいったところでしょう。
そして、実際に頭を下げて謝罪したのであれば、謝罪したいと思っただけでなく、実際に謝罪という行為を実行したことになりますから、特に問題はないように思います。
「謝罪したいと思います」と言うだけで謝罪しない場合であれば「思うなら行動しろよ」と言うことができますが。
ご質問の意図から若干逸れるかもしれませんが、この場合、何か問題があるとすれば、「謝罪すれば済むのか?」という点ではないか、と思います。
「断定できない状況・場合であっても、判断しなければならない時」に「~と思います」という表現を使うこと自体に、全く問題はありません。
「地球環境は改善しなければならない、と思います」と誰かが言った場合、「思うなら行動しろよ」と突っ込むことは可能ですが、それは、「~と思います」という表現自体を否定しているわけではないはずです。
「思うだけじゃなくて行動しろよ」ということでしょう。
「思う」という行為をしてはいけない、という意味ではなく、「思う」に「行動」をプラスする必要がある、という意味だと思います。
  

この回答への補足

ありがとうございました。

なんていうのが的確か分かりませんが、
記者会見では、そもそもの目的が記者の前で謝罪することで世間に広く伝えるという意味があります。
ですから、謝罪会見を開いたなんてことも言ったりします。
そういう意味では、少なくとも昭和~平成の間では、簡単に書くと
「この度はご迷惑をお掛けして、誠に申し訳ございません」等と言って、頭を下げる・謝るという形だったのですが、
「謝罪したいと思います」って頭を下げられても、ちょっと釈然としない気がします。

なんていうか、判断に苦しむような場合ではなく、
世間に迷惑を掛けたことは明白であり、非の打ち所がない事実なわけなので、100%悪いと思って
断言する形で謝罪するのが常識的に見ても良いと思うのです。

思います。っていうのは、断言を避け、どこか無責任な言い方に聞こえます。
たとえば、面接で○○ですか?と聞かれたら、○○もしくは、××です。と答えます。
○○だと思います。等と答えれば、自信が無い?よく知らない?適当な回答をしている?人を食った表現で失礼とか思われると予測できます。

もしかしたら、
謝罪したいと思いますというのが直接の謝罪の言葉ではないと判断出来るからかも知れません。

直接の謝罪の言葉としては、
1.ごめんなさい
2.すみませんでした。
3.申し訳ありません。
4.その他

直接の言葉が欲しかったですね。
あの東海村の事故には。

補足日時:2013/06/03 19:09
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と、私は考えています。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/03 18:56

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宜しく御願い致します。

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民事訴訟の約30%は本人訴訟といって、弁護士に依頼せずに自分で争っている訴訟です。

まず、原告が訴状を書き、裁判所に提出します。訴状には書式があって、一応それに沿って書くことになります。穴埋めすれば書けるような用紙が裁判所においてあります。

訴状は相手に送達され、第1回の期日が決まります。
一応、原告、被告が揃って裁判所で争うのが原則ですが、民事訴訟はほとんどが書面での陳述つまり、文書でのやりとりになります。それが、何度も何度も続いて、2~3年以上争っている事案は珍しくありません。

原告が申し立てたことのひとつひとつについて、被告は、
1.認める
2.争う
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最終的に双方の陳述(といっても、文書のやりとりですが)、が終了すると、裁判官が判決を書きます。

その間、判決ではなくて、和解しないかという打診が裁判官から何度もあります。互いに合意すれば、判決と同じで、強制執行などもできます。

双方が納得しなければ、判決ということになります。
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