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子供の頃虐待されていました。
大人になって、"たとえそうでも恨んじゃいけないよ"と虐待に対する悩みを人にしたら、そう指摘されました。
恨まない代わりに、あなたももう自由になりなさいっていわれました。
気持ちの面で虐待されてた当時に囚われてしまってます。

恨まない・憎まないように努力しています。
ですが、どうしても好きにはなれません。これは良いのでしょうか?
どなたか宜しくお願い致します。

A 回答 (5件)

親を「どうしても嫌いになれない」、そういう思いがあるのか、ないのか。


これに尽きますし、ここが大切だと思います。

親に対して愛情の欠片があるのなら、その欠片を頼りに「過去の傷を掘り起こすのをやめる」。
それは、自分で自分を地獄の業火で焼くのと同じだから。
どうしても嫌いになれないのなら、心の奥深いところでは親を慕っているのです。
だから、虐待の記憶を掘り起こすのは自虐でしかないし、怨みを募らせては、ますます地獄の責め苦になってしまうので、過去を美化するでも克明に思い起こすでもなく、そのまま「記憶の中の時を止める」ようにするんです。
僅かに残った思慕の情まで汚さないように、傷をいじらないように「そっとしておく」んです。

親を憎んだこと、恨んだことがあっても、どうしても嫌いになれないのなら、「本当は好きなんだ」ということ。だから、傷を無理に広げるようにしていじらなければ、何時か傷は癒えます。
無理して顔を付き合わさなくても良いし、無理に愛そうとしなくても良い。
心の奥底に慕う気持ちがあるのに、それでもどうしても許せなくて苦しくなったときは、取っ組み合い、罵り合いの大喧嘩をしても良い。
それで気持ちが晴れたとき、初めて親を許せることがあります。
それって、親を呪ったり、憎んでいた自分を許すことでもあるんです。
「恨まない代わりに、あなたももう自由になりなさい」とあなたに言った方は、そんな気持ちがあったんだと思いますよ。
「親を許すことは、あなた自身を許すことなんだよ」って。

何があっても許せず、憎しみの心が消えないのなら、「その人の子供であることをやめる」。
その人の子供であることをやめるけれど、「人間であることはやめない」。
簡単に人を傷つけたり、罵ったり、蔑んだりしない人間になる。
自分の親が愛を注いでくれなかったからと、身代わりを求めるように、世の中の全ての親を憎み、罵り、軽蔑するようなことをしない。八つ当たりするように憎む対象を他に求めない。

それをしてしまうと、自分が許せない、心から憎いと思っている人と同じになってしまうから。
恨んで恨んで、心を醜くしてしまうと、自分の心を醜くさせたと親を更に恨んで、地獄の業火に焼き尽くされてしまいます。
そうなると、もう人の世よりも、魑魅魍魎の世界を生きるようで辛いです。
そんなの、少しも幸せではありませんよね。


親だからといって、無理に愛そうとしなくて良いんです。
無理に愛そうとして、それでも愛せなかった人が、虐待をするんです。
世間体を気にせず、さっさと孤児院にでも託すような人だったら、最初から人任せなら虐待はしないです。
「子供を愛したいけれど、大人にもなれず、愛し方が解らない人が虐待をするんです」。
親だって最初から鬼だったんじゃないんです。
愛しかたが解らないのに、無理して愛そうとしたから、鬼のようになってしまったんです。

だから、あなたも無理に親を愛そうとしなくて良いんです。
「どうしても嫌いになれない」なら、その気持ちを思慕の欠片を大切にしてください。
でも一緒にいると、どうしても辛いなら、距離を取るようにすれば良いです。
親に愛情を求めないけれど憎みもしない、貶めもしなければ理想化もしない、「ただ、あるがままに」ということです。

どうしても、なんとしても許せないのなら、決別です。
辛くとも、あなたが大人になることで、鬼ではなく「本当の人間として生きること」で、過去とは決別して今を生きて行きましょう。
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この回答へのお礼

あなたにお礼しようと書いていた文は他の人のところに書き込むかたちになってしまっていて、コピーしたいけど上手くスマホを扱えずまどろっこしいので、再度同じ内容は書けませんが、発見したことは「親をどうしても嫌いになれないということ」嫌いな面はあるのですが、好きというか普通な面も普通にあり、嫌いだけど付き合っていけるかんじです。
決別したいとまで思えません。

結婚して子供が出来たときに私が親を愛せないからと言って子供におじいちゃんおばあちゃん、親戚を会わせてあげず人間関係を遮断してしまうようなことはしたくありません。(私が経験者ですから。記憶もないような赤ちゃんのときに会っている写真でしか知らなくて、次会った時はおなくなりになった後ですから。私は本来近いはずの親戚のことを何も知らないのです。全く接点はなかったけど、生前に話してみたかったな、親族の温かみを感じれたかもそれないとおもうと結構残念です。家族の温かみを家庭内で味わえないなら、おじいちゃんおばあちゃんとは味わえたに違いないと勝手に思っています。現実にはどうだったか分からないですけど(笑)
近場に居た、おじいちゃんおばあちゃんとも結局、あまり接する時間を与えてもらえず、小さい頃から知っているけど、思い切り甘えられたことはありませんし、比較的あまえやすかったおじいちゃんも私が物心つく頃には亡くなってしまい、少し苦手なでも好きなおばあちゃんは生きていますがかなり高齢です。結局、両親がそのまた両親を嫌いな傾向が強かったので親戚関係ほとんど会っておらず知らない人ばかり。お会いするのは赤ちゃんのときと、亡くなってからや、そのお葬式関係で初めてお目にかかることばかり、内心とっても恥ずかしいです。)

このような経験幅の狭さを自分の子供には味あわせたくない。親は嫌いな相手でも、孫は好きかもしれない、おじいちゃんおばあちゃんは孫を好きかもしれない。
だから自分の子供には沢山の経験をさせてあげたいです。
親も内向的な性格で、私もそうですが子供が出来たら子供のために外交的になることを頑張れる気がしました。

親があまり外と付き合わないので私も小さい頃、外との付き合いが全然ありませんでした。親が見せてくれる世界が狭すぎたというか。
私は子供のために、そういう面を頑張ってみようと思いました。
そうやって自分も苦手を克服しながら大人になるのがこそだてなのかなあと思いました。

お礼日時:2013/07/06 19:33

自分で出来る心理療法に「内観法」があります。



http://homepage3.nifty.com/rines/naikanpage.htm

・していただいたこと ・して返したこと ・迷惑をかけたこと この三点を書き出すだけです。
お母さんから始め、お父さん、家族へと進み、あなたの記憶のある年齢から今までの年齢ごとに
書き出せば、あなたの気持ちに変化が出て来ると思います。

先に言いますと、恨んだり、憎んだりすることは自分の心身を傷つけることに為ります。
ウツ病から、頭痛や関節、背中の痛みに苦しむ人が多いので注意して下さい。

恨まず、憎まずが難しいのなら、許すとは「裁かない」ことだと思って下さい。
裁きは神様かお天道様に任せたら良いと思います。
裁く心が出て来たら、「これはエゴのしていること!」と自分に言い聞かせて下さい。

大人の人に相談したら、あなたのするべきことを教えられましたね。
もしも、同じことを、あなた自身で口に出したら、素直にその言葉通りに動けたと思います。
あなたの考え、気持ちに沿った答えが出せたなら、今は苦しんでいないと思います。
あなた自身で、親御さんから受けたことが何であったのかを考えて、意味も考えてみませんか。
一般的な言葉は「もう大人なのだから、自分の人生は自分で決められる」の様な言葉が多いですよ。

恨まない・憎まないように努力しているのは、何時も「恨まない・憎まない」と言い聞かせているのですか?
人の潜在意識は「否定語」を含んだ言葉は、逆に受け取ります。
「恨まない」は「恨む」と言い聞かせていることになります。
これでは、好きに成ることは出来なくなってしまいますので、「好きに成る」と言い聞かせる方が良いですよ。
自己暗示は言葉の選び方で逆の働きにもなりますので、注意して下さい。
まず内観法を遣って見て、疑問があったら、また質問して下さい。
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この回答へのお礼

裁かないこと。この方法は私に適切だと思います。接するといつもジャッジしていますから。
無になるよう努力しないと無理ですが。ですが最近、自然に恨まない、憎まなくなってきていることに気付いています。同じ空間でも普通にすごせたり。多少違和感は残りますけど。
1つ分かったことは私は親や家族と決別したり縁を切る様なことは出来ない。したくないんだと分かりました。
過去あんなことをされたけど、相手の気持ちに寄り添いたいタイプの性格だと分かりました。だから否定されたり裏切られた時には人一倍傷付いてしまうんだと分かりました。心の根っこは、とてもやさしい人ということが分かりました。
今も仲良くしてしまうのは、そういう性格からだと分かりました。父を恨むのは虐待のなかで私が編み出した間違った解釈だったのも今は分かり、父と普通に接するように人知れず努めています。

していただいたこと、して返したこと、迷惑をかけたこと。今なら頭が整理できていて、冴えていて、まとめやすそうなので内観方をやってみようかなぁ?とおもいました。

言葉の威力とか普段は感じませんが影響していたのかも。嫌い嫌いと思っていたら、やっぱり嫌いでしかなかったですし。
感謝感謝と思ったり、好きになる!って言い聞かせてみようって思いました。

まずは内観方をしてみて疑問があったら、また質問させていただきますね!

お礼日時:2013/07/04 11:56

自分が親になる年齢になった時,どんな親であれ(そもそも隣の家の人の親がどんな育て方したかわからない。

うちよりひどいかもしれない),オムツの乳飲み子のあなたをごはんをあげオムツをあげ,学生服姿まで育てたわけです。あなたにできますか?子供ができる人間なだけでもすごくないですか?あなたが持っている持ち物は誰が与えてくれましたか?そういうことを考えてくると親を責められません。自分のことプラス子供のこと両方背負って労働してきたわけです。自分にこれから子供がうまれたら親がしてくれたことが最低限できますか?までの気付きを早く持ったほうがいいです。虐待の傷のほうは異性の恋人が癒してくれたりします。
自分が一生親役になったら?,,と思うとひどい親とも言いきれなくなります。傷は異性のおおらかな人に癒してもらいましょう
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この回答へのお礼

こんにちは。お礼が大変遅くなってしまいましたが、私は分かったことがあって。
どうしても親を嫌いになれないことです。

学生時代の友人で、境遇が似てるから仲良くなった人がいます。
もう10年来くらいの友達で、彼女は結婚8年目、子供が沢山居ます。
最近再会して、意外に感じてしまったのが彼女は同県に住む親とほぼ決別しているようなところです。
1年に1回も会わないことに驚きました。子供は6人も居て今時珍しいし、親御さんからすれば初孫達で可愛いと思います。
電車やバス乗り継いで70分位でいけるのに、車なら50分位でいけるのにと不思議でした。
以前彼女はお父様のことは好きだと言って居ました。
旦那様とお母様が折り合いが悪いのは結婚当初から聞いていました。どうして親と決別してるのかは今はわkりませんが、私には寂しく感じれました。
よく母親になって初めて親のありがたみとか分かると聞くから彼女に親と仲良くやっているのを期待していたのかもしれません。

私自身は親を嫌いになれなくて根底では慕っているんだろうということも分かり、仲良くやっていきたい願望があります。

親の置かれた背景とか考えれば何となく両親の上手くいかなかったことが理解できます。
それは、しょうがなかった…頑張ろうと思えば頑張れたと思うけど子供第一な考えの人たちじゃなかった。
愛情深い人たちじゃなかった。
でもつとめは果たした。
不自由は感じなかった。
放任でもなかった。
あれは、あの人たちの性格がそういう結果になったからしょうがない。
精神年齢が子供だったのかもしれない。

私も今大人になって、中身は子供の部分が残ってる。
だから私も親と同じような失敗をすることが有り得る。
親はいい反面教師になった。
親とはまた違うことで私は苦労しそうだ。
運よく私が家庭内、今までの人生では遭遇しなかったことに遭遇したとき苦労するんだと思う。
逆にもう経験済みなことには強いかもしれない。

って思えるようになりました。

あと異性の恋人で傷が癒えたことは1度もありません。

お礼日時:2013/07/06 19:00

質問者さまを虐待したのは


親御さんでしょうか。
お辛いでしょうが、親御さんが
Victim of Circumstances ではなかったかどうか、
それとなく生育史を知ってみませんか。
そうすることで、許せるかもしれませんよ。
許すことができれば、その時点から、
質問者さまの新生がスタートします。

〈ふろく〉
弱者は決して許すことができない。
許しとは強者の態度である。 (Mahatma Gandhi)

許すには、心の部屋を1つだけ増やせばいい。 (『私の頭の中の消しゴム』)

一番悲しい熱情とは憎悪である (Benedictus de Spinoza)
ということで、質問者さまの
《恨まない、憎まない》努力は非常に素晴らしいですね。
被害者意識は、決して、
質問者さまをシアワセにはしませんので、
できるだけ早期に、消滅できるといいですね。
楽しい時には笑顔が育ち、
苦しい時にはこころが育つ。 (軌保博光)
いまいまの質問者さまには何が
育っているのでしょうね。

囚われをクリアするには
『荘子』を読んでみるのも1つの方法では
ないでしょうか。

でも、強烈なフラッシュバックなどが
なさそうなのは大いなる救いだとおもいます。
お大事に!
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好きにならなくていいと思います。



だって、嫌いなんですから。

嫌いなものを好きになれというのはある意味再び精神的な虐待を受けるのとおなじなのでは?


親と子は愛情のきずなで結ばれてなければいけないと思いこまない方がいいのではないでしょうか。

好きになれないことは「良い」とか「悪い」とか言う事ではなくて、「そういう事」という極めてニュートラルな感情です。なぜなら「好き」にならなくてはいけない理由がないのですから。

ご参考まで。
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