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テレビや雑誌などで見かける邪馬台国がどこにあったかという論争で
昔から気になっていることなのですが、
そもそも魏志倭人伝に書かれた内容そのもの信憑性について
あまり聞いたり見たことがありません。

史書とは言え、
書き手もしくは母国の主観が当然あるでしょうし、
かつ政治的意図も入っていると思うのです。

それを教条主義的に捉えられているようにしか見えないのですが、
当時の政治状況や正史の扱い、他の列伝についてあまり言及せず、
現代日本では魏志倭人伝の記述をそのまま正しいものとして
邪馬台国論争を述べているのが多いと思うのですが何故でしょうか?

A 回答 (10件)

邪馬台国なる国は徳島にあります


卑弥呼がいたあの国かどうかは知りませんが
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あなたが言う通りに魏志倭人伝はかなりいい加減です。



まず邪馬台国なんて国も邪馬壱国という国もありません。
どう見ても悪口ですよね?

実は耶馬台国 Yé mǎtáiguóが正しい呼び名で中国語でも「やまたいこく」の発音に近いのです。
日本語表記は倭太国もしくは大和大国です。

卑弥呼もOKwavwの知ったかぶり管理人?(従業員)が煩いので説明を省略しますが、日御子でいいのです。

現在はいろいろな物がごちゃまぜで魏志倭人伝が正しくないのは明らかなのに正しいと言って全部信じようとしたり、記紀にも正しい記述は多いのにわけわかんないから全部でたらめだという人がいるのです。

魏志倭人伝は正しい部分もあるが、いい加減な部分が多いという事を自覚すべきです。
しかし記紀と同じように正しい部分もあるので、本当に困ったものです。
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 前に三国志は親切な歴史書と書き込んだ者です。


 じつは、邪馬台国に関する記述は、後漢書や隋書にも書かれています。ただ、魏志倭人伝ほど詳しくは書かれていないです。あくまでも個人的見解として私の感想を書いたので、これらの史書をご自身で読まれたほうがいいと思います。きっと参考になるでしょう。
 中国や朝鮮半島の史書には日本の史書には無い日本に関する記述が多々有ります。あまり議論の的になっていない重要な記述だってありますよ。
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陳寿が書いた『三国志』には「邪馬台国」なんてないですよ。

そういっているのは、近畿地方の天皇家史観につなげたい方々です。
「邪馬壱国」というのが当時の国名です、『三国志』によれば。「壱」という文字は、変換できないので、こういう書体にしますが、これの旧字体が本来のものです。
また、日本の教科書がそうなっているから、卑弥呼の遣使が「239年」ということになっているけど、『三国志』の形態が紀伝体だということはご存知だと思うけど、皇帝本紀の該当時代を読むと、239年1月1日に司馬仲達が遼東を平定した直後に死に行く皇帝を見取る場面が描かれています。だから、239年に外交使節と対応する皇帝はアバウトには居ません。
こうしたことをまるで無視して議論しているのは、不遜です。
講談社の『中国の歴史第4巻』では、遣使の年を238年としていて安心して読めます。
古くは『邪馬台国はなかった』という古田武彦の名著があります。ミネルヴァ書房が復刊しています。
失礼ながら、勉強してみてください。
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当時の政治状況や正史の扱い、他の列伝についてあまり言及せず、


現代日本では魏志倭人伝の記述をそのまま正しいものとして
邪馬台国論争を述べているのが多いと思うのですが何故でしょうか?



邪馬台国論争というのは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%BC% …
ここから始まります(いわゆる市井の人による邪馬台国論争)
郷土愛の発露大会なのです。

史料批判では
魏志倭人伝の謎を解く - 三国志から見る邪馬台国 (中公新書) [新書]
この方は三国志の専門家なので、スパっとしています。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。

魏志倭人伝の本の紹介もありがとうございます。
正直、魏志倭人伝はアウトライン程度で、
魏志倭人伝などにこだわらず
遺跡などの国内史料からの方で読み解くほうが
いいような気がして来ました。

お礼日時:2013/06/09 19:17

 魏志倭人伝が載せられている三国志は事細かく注釈がついているかなり親切な史書として評価が高いという話を聞いたことがあります。

もちろんそれだけが判断材料になっているわけではないと思いますが。実際にほかの史書に書かれている邪馬台国に関する記述を読み比べてみてもそれほど異なる内容を載せているとは思わないです。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

他の邪馬台国に関する記述のあるという史書とはどういったものでしょうか?

補足日時:2013/06/09 19:11
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中国文字って面白いルールがあるんですよ


文字自身は確かに表語文字なんですが、外国語由来の言葉は漢字に置き換える時に表音文字にするんです

東に『ヤマタ(ヤマト?)』という国があると聞いたから、邪馬台と漢字を当てたわけです
「ヒミコ(ヒメミコ?)」が統治していると聞いたから、卑弥呼と漢字を当てたわけです

こう置き換えると日本史と合致します
三国志当時の日本は日本武尊の東征から応神帝の即位までの時代ですので、日本は大混乱状態にあったのは間違いないんです。応神帝は子供でしたので母である神功皇后が統治していました。

つまり、大和国は姫巫女が統治していたんです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

そういう視点のお話も面白いですね。

お礼日時:2013/06/09 19:10

一般的に魏志倭人伝と呼ばれている書物は、「三国志」魏書三十 烏丸鮮卑東夷伝のことを言います。



この書物が東夷伝と呼ばれるのは倭人(日本人)だけでなく、中国から見た東方民族である、烏丸,鮮卑,夫餘,高句麗,東沃沮,挹婁,濊,韓などが同時に載っているからです。

この中でたとえば高句麗は現在の勧告と北朝鮮の一部の地域の民族であり、韓も朝鮮半島の一部にいた民族で、鳥丸や鮮卑などは中国北部からモンゴルにかけて住んでいた民族として知られています。

東夷伝はこれらの民族の居住地について、可能な限り方向や行き方、移動にかかる所要時間を示していて、別の書物や遺跡などから推測される各民族の居住地までの距離や方向などの信憑性、正確度についてはすでに論争が終わっているのです。

ですから、この東夷伝の中の邪馬台国の行程だけ不正確で主観や政治的意図があるとはいえません。ほぼ正確に記載されている、とされているのです。

ですので「水行10日」などのアバウトな表記のために、邪馬台国がどこにあったのか、未だに判明していませんが、邪馬台国が日本にあったことはほぼ間違いなく、それが近畿から西日本のどこかであろう、というところまでは有識者の考えとして一致するのです。

そのため、近畿説と九州説が有力な説になるのですが、もちろん邪馬台国が日本国内に無い、という説も存在します。
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テレビや雑誌などではおっしゃる程度のレベルですが、学術的研究ではご指摘の点も十分考慮した上で議論されています。

メディアに出る人は一部をのぞいてまともな研究者ではないことが多い状況にあります。
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ん? そんなこともないと思うよ.

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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/09 19:12

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