電子書籍の厳選無料作品が豊富!

僕は公務員試験の勉強を現在しています。
空いている時間はなるべく勉強にあてるようにして頑張っています。
でも、たまにどうしようもなく虚しいようなさびしい気持ちになります。

理由は周りの同級生と比べているからだと思います。
周りの人たちはなんだか楽しんで充実しているように見え、また同じ公務員を目指している友達も旅行に行ったりしています。こういうのをみると、自分はどうしてこんなに必死に勉強をしているのだろうと思ってしまいます。正直みじめになります。かといって、遊びにいく友達など少ないですが…。
もちろん、公務員になりたい気持ちは強いです。自分は自分だと思っても、どうしても目に入りますし比べてしまいます。
勉強をしても受かる保証がないという不安も原因になっているのかもしれません。

正直しょうもない悩みだなと思います。昔からそうです。隣の芝は青く見えます。

資格の勉強などの勉強を頑張っていたことのある皆さんはどうして頑張れるのでしょうか。
このような気持ちにはならないのでしょうか。
周りを気にせずに頑張れる原動力が知りたいです。

回答お願いします。

A 回答 (5件)

個人的な感想ですが、思うに、どんな仕事をしたいのかが無いからでは?


公務員というのは単なる種別でしかなく、教育、建設、福祉などの業種の次に、ではそれをどこでやるかという選択肢の1つとして自治体に所属して、という所が出てくるのが順番だろうと思います。
それを飛ばしてただ公務員。それは恋に恋するのと同じ事で、行為をしたいだけ、相手は誰でも関係ない?違うでしょ?普通。(ま、普通じゃない人も居るけど)

で、あなたは何をしたい?どの組織で?ではなく、どんな仕事をしたい?答えが無いのでしょ、たぶん。
だからモチベーションも上がらないし、融通も利かない頭の固い・・・
あああ、公務員にピッタリだわ。www

公僕とは何ぞや?
    • good
    • 0

好きなことだからがんばれる。


好きなことだからがんばった。

たとえそれで死んでも、
たとえそれで傷ついても、

好きなことをやったんだから。
    • good
    • 0

貴方は「蟻とキリギリス」という絵本を読んだことはありますか?



幼い子供用の絵本ですが、社会の縮図を書いた絵本です。

Wikipedia参照

夏の間、アリたちは冬の食料を蓄えるために働き続け、
キリギリスはバイオリンを弾き、歌を歌って過ごす。

やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、
最後にアリたちに乞い、食べ物を分けてもらおうとするが、
アリは「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだい?」と食べ物を分けることを拒否し、
キリギリスは飢え死んでしまう。

というお話です。

また、それでは残酷だというので、

アリが食べ物を恵み、「私は、夏にせっせと働いていた時、あなたに笑われたアリです。
あなたは遊び呆けて何のそなえもしなかったから、こうなったのですよ」
とキリギリスに告げ、それを機にキリギリスは心を入れ替えて働くようになる、
という話などに改変されたバージョンもあります。

という話なのですが、このお話で何を感じるか・・・ですよね。

貴方を例えるならば蟻。
周りの友人・知人を例えるならばキリギリスです。

それでもやはりキリギリスが羨ましく、良いと思いますか?
    • good
    • 0

質問者さんの場合は結果で人生が変わることのプレッシャーを感じているため、仕方ないかと思います。



単純に大学を卒業して資格を得るのとは違いますから、普通はストレスになるでしょう。


「頑張る」と言うと肩に力が入るので、「もしもの場合」を常に頭にいれておくと、そこまでストレスにならないかもしれませんね。
受験勉強を頑張ってる子供に「頑張れ!!!頑張れ!!!!!」とは言いにくいものです。

「これ以上にどう頑張ればいいのですか?」
って普通の子供は思いますから。


ストレスが溜まったときは、軽い運動をしたり、朝日を浴びて散歩してはどうでしょうか?

食事も、身体に良いものを食べましょう。

自然のエネルギーを借りましょうね。
    • good
    • 0

いや、しょうもない悩みだとは思いません。


そういう風に悩むのは普通の事です。

まぁ確かに、人によっては能力が高かったり要領が良かったりして、軽々と物事を進めているように見える人もいますよね。
しかしそういう人達にはそういう人達なりの悩みがあって人生がある訳です。

質問者さんは質問者さんで、自分らしく人生を歩んで行けば良いのですし、変えろと言われても変えられるものではありません。

私なんぞは不器用な上に心配性なので、仕事に関係する勉強をあれこれと続けていないと落ち着きません。
周りは程ほどにやってプライベートも楽しんでいる人が多いようですが、私にはそういう真似は出来ない事は重々分かっているので、羨ましいけれど無理だなぁ~、と、諦めの境地にいるという感じです。

ちゃんとやらなかったことで失敗してしまった、という経験を何度も繰り返してきましたし、やれるだけやったけれど失敗してしまった、という経験も何度も繰り返し味わってきました。
しかし、後者の場合、後から思い返した際に後悔はしても引き摺らない事も、経験上分かっています。
私はこの“失敗したという負の感情を引き摺る”傾向が強いため、出来るだけそのようなことが無いように、可能な限り安らかな人生を過ごすために今出来る努力を続ける、という強迫観念にも似た強い思いがあるために頑張っているのだと思います。

どう考えても不器用な人生ですが、これはもう性格上仕方の無いことなので、こういう自分に付き合っていくしかないのだと考えています。

質問者さんも、ご自身の性格と自身の要望との間で妥協点を見つける事で自分自身と上手に付きあいながら、その中で出来る限りの良い人生、楽しい人生を歩んで行って下さい。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!