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歴史に無知な者でございます。

今まで、聞いたことが無かったのですが、キリスト教の宣教師が日本人を奴隷として拉致・連行し、外国に売り払っていたという話を耳にはさみました。

これは歴史上の事実ですか?  
それとも、キリスト教嫌いの人が捏造した作り話なのでしょうか?

あるいは、キリスト教宣教師と緊密な関係を築いてた南蛮商人が独自に奴隷貿易を実施しただけで、宣教師は日本人の奴隷貿易には一切関与していなかったのでしょうか?

私が学校教育を受けた時代は、アメリカ人やキリスト教徒に遠慮しなければならない時代で、第二次大戦中に国際法違反で非人道的な原爆を投下したキリスト教徒たちを糾弾することもありませんでした。そんな時代の教育でしたので、キリスト教徒や南蛮商人が日本人を奴隷として輸出していたなど、キリスト教徒に失礼になる事実は教えてもらえなかったのかもしれません。

しかし、現在はアメリカによる占領は終わり、キリスト教を特別に崇める必要もない、自由な良い時代になりました。

今の時代になったからこそ、歴史の真実を知っておきたいと思います。

戦後の検閲教科書に書かれていない歴史の事実をご存じの方から、教えていただけるとありがたいです。

A 回答 (21件中1~10件)

16世紀の南蛮貿易というのは一般には



東南アジア交易圏に南蛮人も参加するようになった
と、ご理解ください。
南蛮人が来る前と来た後で交易の構造はそれほど大きく変わっていない。
商材として鉄砲が加わった
※ ちなみに日本にもたらされた鉄砲も西欧から持ってきたのではなく、東南アジアで製造されていたものがもたらされています。

人間を商材にすることは、世界中どこでも行われてきたことです。
この際に、人間を確保するのは現地の権力、交易の主体になるのは交易業者となります。
※ アフリカの奴隷貿易も人間確保はアフリカの現地権力です。

後期倭寇における禅僧の位置づけは、南蛮貿易におけるイエズス会士である。

ということで、他の方へのお礼の中の文章になりますが「まとめ」ということで書かれている文章に関して。

1.奴隷の調達は日本人がやっていた(奴隷狩り)。キリシタンは直接の奴隷狩りには手をださなかった。
※ 手を出さなかったのではなく、手を出せなかったと考えるのが妥当かと

2.奴隷売買は日本人の奴隷商人がやっていたことであるが、鎖国時代であったため国内売買だけで、輸出はできなかった。
※ 江戸時代に入って日本人の海外渡航禁止令がでるまでは、奴隷交易に参加していたと推測するほうが妥当かと。


3.日本人の奴隷商人から奴隷を購入したキリシタンの奴隷商人が独占的に日本人奴隷を貿易することができた。
※ この判断はできない。

4.世界各地のポルトガル人の街で日本人奴隷が観察され、レポートされているが、輸出された日本人奴隷の人数は定かでない。
※ メキシコはスペイン領ですので、ポルトガル人の街と限定する必要はないかと。
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この回答へのお礼

有難うございます。

歴史を不勉強だったので、江戸時代=鎖国時代というアバウトな認識でおりました。

年表を調べてみると
●1452年:ローマ教皇ニコラウス5世はポルトガル人に異教徒を永遠の奴隷にする許可を与えて、非キリスト教圏の侵略を正当化
・・・・・・・
●1571年:当時のポルトガル王セバスティアン1世から日本人貧民の海外売買禁止の勅令が発布されるが、奴隷貿易は根絶せず
●1587年 (天正15年):豊臣秀吉はバテレン追放令を発布して、イエズス会布教責任者であった宣教師ガスパール・コエリョに人身売買と宣教師の関わりについて詰問
●1596年 (慶長元年):長崎に着任したイエズス会司教ペドロ・マルティンスはキリシタンの代表を集めて、奴隷貿易に関係するキリシタンがいれば例外なく破門すると通達
・・・・・・・
●1603年 (慶長8年):徳川家康が征夷大将軍。江戸に幕府樹立
・・・・・・・
●1624年 (寛永元年):スペイン船の来航禁止
●1633年 (寛永10年):奉書船以外の日本船の海外渡航禁止
●1635年 (寛永12年):海外渡航と在外日本人の帰国を全面的に禁止
●1637年 (寛永14年):島原の乱
●1639年 (寛永16年):ポルトガル船の来航禁止
●1641年 (寛永18年):平戸商館を長崎出島に移す
●1659年 (万治2年):江戸城本丸造営竣工
・・・・・・・
●1833年 :イギリス領諸島で奴隷制が廃止
●1846年 :スウェーデン属領で奴隷制が廃止
●1848年 :フランス領で奴隷制が廃止
●1863年 :オランダ領で奴隷制が廃止
●1865年 :アメリカ合衆国で奴隷制が廃止
●1868年 (慶応4年):江戸城が明治政府軍に明け渡される

ということですから、江戸時代よりも150年早くキリスト教徒が全世界で奴隷貿易をしておりました。その中で、日本は開始時期が遅かった事、そして鎖国によって比較的早い時期に奴隷貿易が終了したことは幸運でした。

奴隷貿易というとどうしてもアメリカ合衆国の事と思いがちでしたが、ポルトガル、スペイン、オランダなど、カトリックもプロテスタントも両方で奴隷貿易を推進していたことがわかりました。

お礼日時:2013/06/19 20:10

本題とずれた部分で恐縮ですが、毛利氏はキリシタン大名ではありません。


むしろ当時の宣教師からキリシタンに好意的ではないと警戒されたほどです。
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この回答へのお礼

それは失礼しました。
ご先祖さまでしたら、間違えをお許しください。

Wikipediaのキリシタン大名一覧に下記三人の毛利名がありましたもので、、、、。

毛利重政 - 豊後速水郡の内で1万石。豊後守。
毛利高政 - 豊後佐伯領主。伊勢守。
毛利秀包(シマオ) - 毛利元就の子、小早川隆景の養子。筑後国久留米城主。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …

お礼日時:2013/06/19 23:42

要するに、



乱世であり、武士の戦いだけでなく、村対村のケンカですら、捕虜は奴隷として売買される時代、奴隷狩りが「庶民のたしなみ」「若者の通過儀礼」に近かった時代に、西洋人が日本にやってきて、それに加わった、ということです。

「悪徳商人」や「キリスト教」に責任を転嫁したがるのは、「理性的な歴史研究」ではなくて、「イデオロギーで興奮」に過ぎません。私は30代後半で「興奮」はやめました。もう、若くはなかったので。
 
どちらかというと、善悪ではなくて、「荒っぽかった」と評価すべきことなんでしょうし。
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この回答へのお礼

善悪に関する意見を聞いているのではなく、私が善悪の判断材料とする歴史的事実を質問しておるわけです。
おわかりおと思いますが、善悪は個人が判断することであって、他者に質問することではないのですよ。

色々いただいた情報を総合すると、

1.奴隷の調達は日本人がやっていた(奴隷狩り)。キリシタンは直接の奴隷狩りには手をださなかった。
2.奴隷売買は日本人の奴隷商人がやっていたことであるが、鎖国時代であったため国内売買だけで、輸出はできなかった。
3.日本人の奴隷商人から奴隷を購入したキリシタンの奴隷商人が独占的に日本人奴隷を貿易することができた。
4.世界各地のポルトガル人の街で日本人奴隷が観察され、レポートされているが、輸出された日本人奴隷の人数は定かでない。

史実としてはこんなところでしょうかね。

お礼日時:2013/06/19 11:28

http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bit …


戦国期日本の貿易担当者 : 禅僧からイエズス会士へ

こんな論文もあった。

南蛮貿易に関してはイエズス会が主導権を握った、という前提に立ち、ではその前は?ということで海洋貿易国家「宋」から話を紐解き、禅僧からイエズス会士に担当者が変わりましたと説いている。

参考URL:http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bit …
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この回答へのお礼

狸4Uさん、
毎度貴重な資料提供ありがとうございます。

当時、数少ないバイリンガルであった禅坊主が、日中交易に貢献したとうのは説得力がありますね。

しかし、禅坊主は奴隷貿易もやっていたかどうかとなると、ご紹介いただいた資料では分からない。

やはり、アフリカなど世界各地で奴隷貿易の経験を積み、ポルトガル語が堪能で、かつ「売り先」を確保できるという条件を具備しているのは、南蛮商人だけでないかな。(思うだけで史実は不明)

この辺の歴史的な資料が見つかると良いのですが、奴隷貿易という歴史の暗部ですから、歴史の勝者によって資料は抹消されているのかもしれませんね。

お礼日時:2013/06/19 11:38

>バテレン追放令が発令以降、キリシタン大名以外の一般の日本人悪徳商人は、南蛮貿易の奴隷商人と接点があったのでしょうか?


確かに示す史料はありませんが、あった可能性が高いかと。悪徳商人という表現はいかがなものかと思いますが(当時としては常識的な行為ですので)。

>もし、キリシタンでない悪徳商人が奴隷貿易をしようと試みた場合、奴隷貿易の権益を独占するべくキリシタンに宗旨替えしたキリシタン大名は、キリシタンでない日本の悪徳商人を排除しなかったのでしょうか?
キリシタン大名に限らず一地域権力が経済活動に対して制限を加え徹底させることは容易ではありません。
大友氏はイエズス会に毛利氏に硝石を輸入させないように求めましたが、その後毛利氏が硝石の入手に困ったというわけではありません。
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この回答へのお礼

客観的な歴史考察有難うございます。

キリシタン大名の目を盗んで、独自に南蛮商人と商売した日本人商人が居たのかどうかは、史実として興味がありますね。
もし居たとすれば、巨額の利益を上げて、歴史にのこる大商人になっていたのではないかと勝手な想像をします。


>その後毛利氏が硝石の入手に困ったというわけではありません。

毛利氏もキリシタン大名と聞き及ぶ故、独自に南蛮商人から硝石を購入したとして何ら不思議はござらぬ。
不可思議なのは、キリシタン大名でもない普通の日本人商人が南蛮商人と相通じて、日本人奴隷の輸出ができたのかどうかでござる。

お礼日時:2013/06/19 11:49

NO.1・6です。



日本人奴隷を南蛮人に売り渡していたのはキリシタン大名に限らないでしょう。
当時の日本において奴隷売買はごく一般的な行為です。仕入れようと思えば、どこからでも入手可能というわけです。イエズス会の活動範囲から、九州のキリシタン大名領中心ではあったと思いますが。
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この回答へのお礼

バテレン追放令が発令以降、キリシタン大名以外の一般の日本人悪徳商人は、南蛮貿易の奴隷商人と接点があったのでしょうか?

もし、キリシタンでない悪徳商人が奴隷貿易をしようと試みた場合、奴隷貿易の権益を独占するべくキリシタンに宗旨替えしたキリシタン大名は、キリシタンでない日本の悪徳商人を排除しなかったのでしょうか?

このへんになると、一般の歴史教育でカバーされない詳細事項になりますので、歴史の専門家、あるいは市井の愛好家の史実調査と史実の開示がのぞまれますね。

お礼日時:2013/06/18 00:18

>宣教師は日本人の奴隷貿易には一切関与していなかったのでしょうか?



インドのゴアやら南米やらにも、日本人奴隷はいたという記述があるので関与はしていたでしょう。
ただし、わざわざポルトガル船だけで奴隷貿易が行われたとは考えれず、当時の倭寇(明の海賊)によっても行われていたと見るのが妥当ではないでしょうか。

東洋人は希少性があるので連れて行かれのでしょうかね。
信長に黒人奴隷が献上されたように、西洋では東洋美女が珍重されたでしょうしね。
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この回答へのお礼

有難うございます。

倭寇が極悪非道であったことは既知のことですから、いまらさ驚きません。

「キリシタンは善人であった」かのごとき誤認識があったので、この点に関してはしっかりと歴史認識を修正しなくてはならんと思っております。

また、後進の日本人が誤った歴史認識を繰り返さない為に何をしなくてはならないかを思案するこの頃です。

お礼日時:2013/06/18 00:15

http://en.wikipedia.org/wiki/Catholic_Church_and …

英文とフランス文しかないらしい内容。

一貫した位置はなかったが、1965年に公会議で奴隷制が否定された。

http://www8.georgetown.edu/departments/americans …
イエズス会の奴隷保有をしていたプランテーションの研究


http://en.wikipedia.org/wiki/Slavery_in_Portugal

Until the mid-17th century, during the early Portuguese mandate of Macau, some 5,000 slaves lived in the territory, in addition to 2,000 Portuguese and an ever-growing number of Chinese, which in 1664 reached 20,000.[19] [20] This number decreased in the following decades to between 1000 and 2000.[21] Most of the slaves were of African origin, although they also included people from all around Asia, namely Chinese, Japanese, Malay, Indonesian and Indian people, mostly women with which the Portuguese often married.

以上引用

イエズス会が奴隷貿易の主体者であったかどうかは不明だが、奴隷保有に関して16世紀ないし17世紀において完全に否定していたわけではない。
イエズス会の場合、17世紀から18世紀の典礼論争に如実に出るように、『郷に入りては郷に従え』的な布教活動をしております。
http://en.wikipedia.org/wiki/Chinese_Rites_contr …

東アジア貿易圏における奴隷貿易(カソリック教国の行なっている)にワザワザ異議を唱えるとは思えない。
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この回答へのお礼

狸さん、いつも貴重な情報源をありがとうございます。

共に理科系の教育を受けて、技術者の人生を歩んようですが、今は理科系の人間が不勉強だった歴史や社会の仕組みなどに興味を持つようになりました。

興味を持ってみると、理科系の分野以上に、文系の分野は出鱈目がまかり通っているような気がします。

今後とも、よろしくご指導ください。

お礼日時:2013/06/18 00:11

>中国人や朝鮮人は儲からないことをするのですか?


中国や朝鮮と、ポルトガルやオランダでは、距離が全く異なりますし、扱う物資も物資の量も異なります。
日本からヨーロッパに行くのに、1年以上かかります。
これは、海流や風向の関係からです。
当時は、帆船でしたので、季節風を利用しての航海だからです。
1年間の食費を考えてみてください。
物資は、食費を必要としません。

奴隷・人身売買を行っていたのは、倭寇と呼ばれる日本人・中国人・朝鮮人の集団です。
私は、「奴隷を売り買いしていたのは、日本人や中国人、朝鮮人などです。」と書いていますが、なぜか質問者は、奴隷を売り買いしていた人の中から日本人を除いて、あたかも日本人が関与していないように書いていますが、これは意図的なのでしょうか?

スペインが奴隷を必要としたのは、西インド諸島やパナマ地域でした。
この地域では、原住民が過酷な労働と天然痘などの疫病により絶滅してしまったためです。
そのため、アフリカなどから、大量の労働力として、黒人奴隷がつれてこられます。

ポメトガルが奴隷を必要とするのは、スペインよりも後、17世紀くらいに入ってからです。
原住民の少ないブラジル北部でプランテーションが行われるようになってからです。

しかしスペインにしても、ポルトガルにしても、奴隷制の経済効率の悪さから、奴隷は、次々と解放されてゆき、実質的な奴隷制は、すぐに崩壊することになります。

>多くの日本人奴隷が広くポルトガル人のいる地域に売り払われていた
これは、どこの事なのですか?
日本近郊で、ポルトガル人のいる地域としては。マカオやマラッカがありますが、それは都市部のごく狭い地域にしかポルトガル人はおらず、奴隷を必要とする状況にはありませんでした。
そもそもポルトガルの人口は、100万人程度で、国外に出せる国民も極めて少ないのが実情でした。
交易のみに従事し、現地での生産を行わないポルトガルが、大量の奴隷を必要とすることはありませんでした。
マカオやマラッカ付近までは、倭寇の活動範囲でしたから、それらの人達による人身売買による人達がいても不思議ではありません。

>イエズス会宣教師の悪行はあったと思いますが
さのような証拠は存在しません。
むしろイエズス会は、奴隷貿易に否定的で、原住民保護志向でした。
全く無かったとは言いませんが、少なくとも、組織としてのイエズス会にはありえませんでした。

質問者は、自分勝手な思い込みが、真実だと勘違いする事態に落ち込んでいるのです。
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この回答へのお礼

有難うございます。

>多くの日本人奴隷が広くポルトガル人のいる地域に売り払われていた。これは、どこの事なのですか?

インドのゴアです。それ以外にも、名称を忘れましたが南米街でポルトガル人やスペイン人の街ですね。
でも、ゴアは欧州よりも近いですから、きっと、日本人と中国人と朝鮮人が日本人奴隷を輸送したのでしょうね。
日本人と中国人と朝鮮人にはそれほどの航海術が無かった時代だと「勝手に思い込んで」いました。
あの時代に日本人や中国人や朝鮮人がそれほどの船と航海術を持っていたなんて、目から鱗です。


イエズス会は素晴らしいですね!!


「ゴア(印度)人民のスペイン国王フェリッペ二世陛下の城砦を守っているのは、白人の五、六倍もいる日本人奴隷で、好戦的な彼らは鉄砲をもち土民を撃退しています」

勿論イエズス会の許可なく奴隷貿易をしたに決まってますよね。

お礼日時:2013/06/17 12:07

また追加しますが


私も人身売買が行われていなかったとは認識していません。
ヨーロッパ人にとって奴隷というのはごく普通の商品だったでしょうから
日本人の奴隷がいても不思議ではありません。
ただ、アフリカのように多くはなかったものと思っていました。

それと、そんなに意図的に隠され続けてきたことなんでしょうか?
ジャガタラへ遊女として売られた女たちが帰国の願いを切々と書き綴った
ジャガタラ文など割と有名ではありませんか?
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この回答へのお礼

三度にわたり、有難うございます。

>そんなに意図的に隠され続けてきたことなんでしょうか?

キリシタンがアフリカだけでなく、日本人奴隷貿易もやっていた事は、特別隠されていた事では無いのかもしれません。
中学校や高校で歴史を教えてくれた先生方などにとっては常識だったのでしょう。

しかし、歴史に不勉強な私個人は、アメリカ人とキリシタンは、閉鎖的な日本社会になにか「新しい物」「良い物」をもたらした人達で、日本人は彼らに感謝し、彼らを尊敬しなければならない、という先入観を持っていました。(昔の話です)

それが事実に基づく歴史認識だったのどうか、今後、少しずつ史実を勉強したいと思っております。

お礼日時:2013/06/17 12:14

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