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各地を転戦した薩軍は、鹿児島に帰ります。

城山に籠る薩軍は七万もの政府軍に包囲され

総攻撃をされ、西郷隆盛は命を落としますが、

この西郷隆盛を攻撃した政府軍とは、長州の役人のことでしょうか?

明治政府の役人って薩摩の人間もいたと思うのですが?

初代大警視は、鹿児島出身の川路利良だったと思いますが?

この辺りがよく分かりません。

もし、政府軍の中に薩摩出身者がいたとしたら、

同郷の西郷隆盛等を攻撃できるものでしょうか?


明治に入ってからのことがよく分かりません。

山田風太郎の本は数冊読みましたが、、、。

「飛ぶが如く」を読めば、この辺りのことがわかりますでしょうか?

愚問で済みません。

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A 回答 (1件)

長州のみならず、全国から徴兵された兵士を主力とする帝国陸海軍の主力です。



西郷の、いとこの夫川村純義。
西郷の親友大山巌。
など西郷と行動を共にせず、軍に残った薩摩系軍人も
勇敢に西郷軍と戦っています。

警視庁から、腕に覚えある剣豪警官を選抜して参戦させたり、
旧奥羽諸藩出身軍人や新選組の生き残りも、
朝敵の汚名をそそがんと、西南戦争では、活躍してます。

司馬遼太郎先生の「「飛ぶが如く」は、ぜひ お読みください。

同じく「花神」では、
大村益次郎(村田蔵六)が暗殺される直前に、
西郷が叛徒に利用されて薩摩から戦乱が起こることを
予想し、大阪周辺に軍需物資を貯蔵し、
九州から東京までの通信輸送路を整備するよう指示したことも、でています。


鹿児島県逆徒征討総督:有栖川宮熾仁親王
征討総督府 参軍:山縣有朋陸軍中将、川村純義海軍中将
書記:福島安正

新撰旅団 司令長官:東伏見宮嘉彰親王陸軍少将(明治10年5月29日-)
参謀長:長坂昭徳陸軍中佐、千坂高雅陸軍中佐兼少警視
参謀副長兼大隊長:立見尚文陸軍少佐
突撃隊長:浅田信興陸軍中尉
士官:田村五郎こと丹羽五郎陸軍少尉、石川邦光二等少警部

第1旅団 司令長官:野津鎮雄陸軍少将
参謀:鮫島重雄陸軍工兵中尉(4月-)

第2旅団 司令長官:三好重臣陸軍少将(2月29日-)、大山巌陸軍少将(3月10日(別働第1旅団司令長官兼任)-)、黒川通軌陸軍大佐(5月13日-)
参謀長:野津道貫陸軍大佐
士官:上田有沢陸軍大尉

第3旅団 司令長官:三浦梧楼陸軍少将(3月10日-)
大尉:川村景明陸軍大尉(-4月)

第4旅団 司令長官代理:黒川通軌陸軍大佐(4月15日-)
司令長官:曾我祐準陸軍少将(4月16日-)
攻撃兵指揮官:大沼渉陸軍少佐

別働第1旅団 司令長官:大山巌陸軍少将(2月27日-)、高島鞆之助(3月28日-)
参謀長:岡沢精陸軍少佐
参謀:西寛二郎陸軍少佐
下士:津田三蔵(3月11日-)

別働第2旅団 司令長官:山田顕義陸軍少将(3月28日-)
参謀:山川浩陸軍中佐
(歩兵第1連隊中隊長心得):安東貞美陸軍中尉
少尉試補:中村覚陸軍少尉試補

別働第3旅団 司令長官:川路利良陸軍少将兼大警視、大山巌陸軍少将(6月28日(別働第5旅団司令長官兼任)-)
参謀長:山地元治陸軍中佐

別働第5旅団 司令長官:大山巌陸軍少将(4月13日-)

熊本鎮台 司令長官:谷干城陸軍少将
参謀長:樺山資紀陸軍中佐
参謀副長:児玉源太郎陸軍少佐
歩兵第13連隊(熊本) 連隊長:与倉知実陸軍中佐
連隊長心得:川上操六陸軍少佐
大隊長:奥保鞏陸軍少佐

歩兵第14連隊(小倉) 連隊長心得:乃木希典陸軍少佐
連隊旗手:河原林雄太陸軍少尉
連隊付:東條英教陸軍軍曹


近衛歩兵第1連隊 連隊長:野崎貞澄陸軍中佐
大隊長:山口素臣陸軍少佐
第一大隊第一中隊長:寺内正毅陸軍中尉(右腕を負傷)

東京鎮台歩兵第2連隊(佐倉) 連隊付:一戸兵衛陸軍少尉試補
少尉:藤巻胤家陸軍少尉

東京鎮台歩兵第3連隊(高崎) 将校:梅沢道治陸軍少尉

名古屋鎮台歩兵第6連隊(名古屋) 連隊長:佐久間左馬太陸軍中佐

大阪鎮台歩兵第8連隊(大阪) 第1大隊長:大島義昌陸軍歩兵少佐

広島鎮台歩兵第11連隊(広島) 大隊長:川村景明陸軍少佐(4月-)

広島鎮台歩兵第12連隊(丸亀) 連隊長:黒木為楨陸軍中佐
中隊長:佐藤正陸軍少尉

屯田兵 中隊長:永山武四郎陸軍准少佐

警視隊 檜垣直枝権少警視、佐川官兵衛一等大警部(元会津藩家老)、大浦兼武警部補、斎藤一警部補(元新選組隊士)
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。

山田風太郎の「警視庁草紙」に、新撰組の斎藤一が警察に入り、西南戦争に

加わった、、、と書いてありますね。

「九州出張」だとか。

意見が違うだけで殺しあう、、、というのも、切ないですね。

西郷隆盛と大久保利通も親友だったのに、袂を別つ。


まぁ、現代でも、殺し合いはしなくても、「社長派、副社長」と

同期入社の仲間でも分かれてしまいますから。

いつの時代でも、同じなのですかね。

今、早乙女貢の「会津士魂」を読み始めました。

会津藩の人々の 悲惨な暮らし、、、を読むことに、最後まで読むのに耐えられるかどうか、、、。

沢山のデーターありがとうございました。

お礼日時:2013/06/18 18:13

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