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最近、どんなに怒ったり、悲しくても笑顔や優しい言葉で相手を許してしまいます。でもその後ですごくしんどい自分がいるんです。別に嫌われたくないから、怒らないんじゃなくって、怒るのではなく理解したいから諭したいから怒らないんです。私は感情的に怒ってもなんにも解決できないとこれまで信じてたんです。でも最近すごくしんどい自分に気づいて愕然としました。感情をコントロールすることに上手くなって、自分をさらけだせなくなりそうです。
私の信念って、間違ってたんですか?そうしたら、すごく悲しいです。

A 回答 (14件中1~10件)

人間って感情の動物です。

喜怒哀楽があって当然ではないでしょうか。ただそれを自身で上手くコントロールしながら人との調和を保つ人もいれば、喜怒哀楽をダイレクトに表出する人も・・・ほんと人の数だけ色んな人がいます。

ただ最も大切な事は、やはりご自身にとって無理(ストレス)なく日常生活が送れる事ではないでしょうか?
だからといって感情むき出しでは人間関係にもヒビが入ってしまいますが、それは人との関わりの中で自ずと「学習」していくものでしょう。

私はどちらかといえば思った事ははっきりと口にするタイプの人間ですので、あなたのように顔で笑って心で怒って・・・という事が苦手な方です。が、そんな私も2児の母となり、日々の職場での人間関係や様々な経験の中で、私なりに日々「学習」中。

とはいえ、やはり感情をぶつけ合っていては何の進展もありません。それでは幼児の喧嘩と何ら変わりません。やはり人として・・・「感情」ではなく、互いに冷静な一面を持ち備えた上での「話し合い」は必要でしょう。それは決して自らの「気持ち」を押し殺すというものではなく、互いに歩み寄る為の手段としてです。
人との関わりの中で「会話」なしでは何も進展しません。当然、時には衝突する事もあるでしょう。が、必要であれば、何らかの意思表示をする事が大切です。


>感情をコントロールすることに上手くなって、自分をさらけだせなくなりそうです。
もし本当にあなた自身「感情のコントロール」が上手な人であれば、今回のご相談のように「しんどい」と感じる事はないはずです。「しんどい」と感じるご自分がいらっしゃるという事は、やはり感情のコントロールが不十分であるか、無理に感情を抑えている為ではないでしょうか。

「感情」とは、何も悪い気持ちの表出ばかりではありません。嬉しい気持ちや楽しい気持ちなど、プラス的な感情も多くあるでしょう。仮に、それらあらゆる感情を全て何らかの形で抑え込んでしまったなら・・・もはやそれはロボットか能面でしかありません。


他者との摩擦を恐れるがあまり、大切なプラスの感情をも覆い隠してしまうのは大変勿体ない事です。
あなたらしい気持ちの表出をされる為にも、もう少しそれまでの固定観念をぬぐい去り、人間らしい一面を表出されてみてはいかがでしょうか。
人間として・・・
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こんにちは。



自分も、基本的には他人に対して、
怒ったり、することはしないです、どんなに
心の中で深く戸惑ったとしても。

どんなに愛する人でも、そうでない相手でも
その本人にしかわからない事情や考えや想いが
その本人の根底に流れているとおもいます。

なので、よいことも悪いこともすべて
受け止めることや感じることができるのは本人しか
いません。

自分は、自分の時間をたくさんもって、
自分の頭でしっかりと考えて、いろんな立場からの
ものの見方ができて、なるべく公平で丁寧に
生きていけたらよいとおもうのです。

感情をコントロールすることと、
自分をさらけ出すことは、同時にできます。

自分にとって、心地のよいとおもえる感情を
自分が抱いているとおもって、それでもう一度
ふりかえって、おだやかな広い心で
相手に接すれば、自分を開いた状態で
なおかつ相手に不快な気持ちを感じさせないように
できるとおもいます。
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こんにちは。



>感情をコントロールすることに上手くなって、自分をさらけだせなくなりそうです。

正直申し上げて感情をコントロールされているのではなく、ただ無理をされている(自分を押し殺す)ように思いますよ。

「いい人」は、いつも自分の気持ちを抑えようとして、その気持ちを相手にじゃなく、自分に向けてしまうんですね。

そこには他人を傷つけまいとして、自分も傷つきたくないから、そのためにとことん無理を重ねてしまう。

>最近、どんなに怒ったり、悲しくても笑顔や優しい言葉で相手を許してしまいます。

相手を赦す(ゆるす)前に、自分を赦さなくてはいけないのではないでしょうか。

人からどう思われてるだろうか、人からの評価を気にする、人から同情をかうような、人に左右される人生などつまらないではないですか?

それよりもどーんと自分をぶつけて、精神的に強く、ある意味図太く生きる、そうしないと人間が小さく小さくなってしまいますよ。

悲しい・・と感じるのは、相手が自分の想うことと違うからであって、その自分が「こう、こう思う」のであれば、はっきりと言えばいいと思うんです。

貴女の人生でしょう?

けっして相手に屈服した生き方ではなく、ぶつかり合って、自分の主張が堂々とでき、それが自然体でいられるようになれば楽ですね。

「善を為すよりも、まず善人たれ」・・私自身もこうなりたいと思っていることですが、人のことよりも先ず「自分」があってからこそ、相手のことも考えられるようになると思います。
そうしてそれから、無駄なもの、つまらないもの、余計なものを省いて、生きていく上で何が必要なのかをみつめていかれることがご自身にとって大事じゃないかな、と思うんですね。

自分に、こうあるべきだ、ですとか、こうしなくては、という狭い枠に捉われるのではなく、こだわりを持たない、もっと大らかに、勇気と自信を持った生き方もあるんじゃないかなと思います。

自分の殻を打ち破っていくのは、大変かもしれませんが、そうしながら段々と前に進んでいくのでは、と思いますよ。
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ああ、きっと同じです。

>私(^^;

私の場合、感情はちゃんとコントロールしないといけないもので、努力すればそうできると思っていました。でも実際にはまったくできなくて、怒りや悲しみが表面に出ることなしに、中でぐつぐつと煮込み状態になってるだけでした。これって結局、制御できてなかったってことなんですね。

「自分は傷ついてなんかいない」と無理して感情を無視するのも、「全人格的に傷つけられた」と全面降伏するのも、どちらも失敗だと思います。0か100かでなく、「軽く傷つく」ことを覚えると、随分気持ちが楽になります。コントロールってそういうことなんだというのが今の実感です。

「こういうところがちょっと嫌だった」「3時間落ち込むくらい傷ついた」など、過小でも過大でもなく口にするようにしてみてください。爆発寸前まで溜め込むと、正当に怒ったり悲しんだりできなくなりますよね。これが笑顔や優しい言葉とセットで出せるのが、自分の気持ちと相手との関係の両方を気遣える人なんだと思います。

iceneさんの今のしんどさが、これから先の幸せにつながるよう祈ってます。
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おはよう ございます



今まで、無意識になさっていらしゃったのでしょう。

でも、今はそれが、心の負担に思えるのですね。

文章の中の、諭すというのが、気になりましたが、目下の者とか、教え子が相手のお話でしょうか?

自分が正しく、相手が正しくないと思えることで、自分が被害をこうむりそうな時は、怒って相手を責めた方が、自分にストレスがたまらなくて、精神衛生上、良いと思います。それで、相手が謝ればゆるす。相手が反撥してきたら、自分が正しくないのかもしれないと、相手の言い分を良く聞き、謝る時は誤り、あとにしこりを残さないようにすれば、しんどさは無くなると思います。

また、相手は、悪いと知っていながら、悪い事をする事があります。その時はおもいっきり怒ってほしくて悪い事をするのだと、何かの本で読みました。

人間は日々、進歩しています。ズーート同じだったら、全然進歩が無いことになります。

信念が間違っていたのでは無く、成長(進歩)したのです。
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怒っても笑顔で許す、、、それはとても辛そうです。



「わたしは怒っている、なぜならあなたがこういうことをして、
私はこう感じたから。」

ということを伝えないまま、笑顔になる、というのは、大事な部分を飛ばしてるようにおもいます。
もし、悲しいとか、怒りの感情に任せて暴走せずに、
でもきちんと相手にも、不快に思ったことを伝えられて、
相手とも共有できて…その上で笑顔になれれば、、、まだ、いいと思いませんか?

私には子供がいて、その子どもは、こちらが感情をぶつけると
パニックになります(そういう障害があるのです)。ので、わたしは、怒る感情にブレーキをかけつつ、
相手にも あなたはこうしたからこうなった、と、わかるように説明し、
その上で、感情を言葉で説明してわかってもらう、ということをつづける毎日です。
ブリーチ(漂白剤)を飲もうとして もう服にもついてるのを発見し、ワぁ!やめて!という場合にも、大声を出さずに、
「あ、そのままで、ちょっとまってね。」と低い声でささやく。。そっとビンを返してもらう…
からはじめなくてはなりません…

正直、これでもかなりきついです。(キャー!!!と大声でいえればどんなにいいか。でもそれをすると、怖がって漂白剤をぶちまけてしまいます.)質問でおっしゃるように、怒るだけでは、改善しないという例でかきました。のでその部分はわかるつもりです

増してや、怒りを相手に伝えないまま笑顔なんて、私ならできっこないです。

そして なんでもなかったように済ましてしまうのは、
相手にも、本気で向かい合っていないという感じがします。
相手との摩擦で不快な思いをするくらいなら、
自分が引き受けたほうがいい、、、と意識せずにでも思っているのなら、
摩擦よりも苦しんでいると思いました…
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上手く言えませんが、無理に感情を抑えると誰だってしんどいと思います。


理解したい、諭したいと思ってらっしゃるんなら 「怒る」以外に「話し合う」「相手の意見を聞いてから自分の思うことをそれとなく言う」とか、色々あるかと思います。感情をコントロールするのも必要だけど、思ってること言わないで笑顔で許すだけじゃ相手のためにならない事だってあるような気がします。
私もまだまだできた人間じゃないので、自信はないですが
できるだけ相手を理解し、自分の考えも理解してもらえるように努力しています。
みなさんのようなしっかりした回答じゃなくてすみません。
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時系列的にその感情を持ち始めたのは最近なのでしょうか。

そのような人は少数派であると思いますが、同じように苦しんでいるのではないかと思います。結果として、それは人生を生きていく上で不利な感情であると私は考えます。
その精神状態がどうして発露するのか?それはあなたの精神が他人の精神を抱腹することができる、頭の良い方であるからと思います。
私はこのように考えています。私はすべての罰を受け入れなくてはいけない人間である。あほらしいフレーズですが、どこか心が和みます。
三浦綾子さんの小説なんか試しに読んでみられては…
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 怒ることは悪いこと、という考えがありませんか?


 悲しむ、喜ぶ、楽しむ、は自然の感情として、何かが起こったときに自然に出てくるものとして許せるけど、怒るのは悪いことだ、と。
 怒るのも、他の感情と同じ、怒るべき出来事が起こったら怒るという感情が表れるのは自然なことなのです。ですから、それを押さえ込もうとしたら無理が来て、それが長く自分の癖のようになると結果として「鬱状態」になったりする。
 どうして、怒るという感情を否定する気持ちが現れるのでしょう。怒る→相手にたいして脅威を感じさせたり、不快な思いをさせる。という、相手へ負の感情を生まれさせるからでしょうか。
 周りの人に迷惑をかける人を見て、怒りたくなる。当然でしょう。その人に怒りの感情を見せるのは悪いことですか。見せ方にもよるとは思いますが、怒りの感情は抑えようとしても相手に届くものです。その抑えようとしたうえで届く怒りというものは、結構有効で、相手を自分が悪かった、と思わせる契機になります。そういった意味で、私自身は相手が怒ったとき、わが身を振り返り、反省するとてもよい機会と捕らえ相手に感謝しています。怒ってくれなかったら、自分が悪かったと心でわかっていてもなかなかそれを改めようとしたくないのが人間の性というもので沿うから。
 で、ここで大事なのは何に対して怒るかということに鳴ってきます。ここでその人の人間の器の大きさが見えてくるわけで、ちっぽけなことで、顔真っ赤にして怒ったら、顰蹙買うわけです。誰かが、理不尽に辛い目にあっているとき、そんな目にあわせている人にたいして怒ることはわるいこと?
 自分がどれだけの人間か、何に対して怒るかによって評価されるといっても過言ではないでしょう。
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「信念」を貫く事は自分との戦いだよ。



だって、「信念」って自分との約束だもの。(人から言われたら命令だものね)

でもさー、相手を理解したいから感情を押し殺す必要が何処に有るのかなー?相手に自分を理解してもらいたいと言う欲求って必ず有ると思うのだけどなー。

しんどいのはその自分の欲求が満たされないからじゃないの?

相手を思いやるのは大事。でも、自分の感情さえも旨く使って相手に自分を知ってもらうのも、相互理解のためには必要な事だと思います。(優しいだけじゃ相手は理解しようとしてくれませんよ。)
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