激凹みから立ち直る方法

なんでも意見するのではよくなくて、かといって放置もいけません。

社会の仕組みに取り入れられてますよね。

例えば、政治では直接民主制よりも多くは間接民主制です。ある日、ある国民が呼び出されて政策を企画することも議会に参加することもありません。普通、国民は政治についておおまかにしか知らなかったりするからですね。かといって、選挙で国民の意思が表現されます。

もう一つの例でいうとドイツの会社法では大会社だと監査役に従業員代表が入りますね。従業員の立場で会社にものをいうのだと思いますが、実際の執行は執行役がしますね。監査役も一番大きな会社でも半数しか入れず、議長も資本家代表監査役だったと思います。多分ですが、従業員は立場を言いに来ていて、別に経営のプロではないと思うのです。

知っている時(人)が意見を言うのと知らない時(人)が意見を言うのをわけないといけないと思うのです。全部いちいち教えてても教えるほうは伝達しないといけないし、知らないほうは専門分野以外の話まで聞かないといけません。効率悪いですし。

知っている時の態度と知らないものに対しての態度、あるいはどこまで知るべきでどこからは知る必要がないのでしょうか。

A 回答 (4件)

子曰、由、誨女知之乎、知之爲知之、不知爲不知、是知也、



子曰、由(子路だろう)や、女(汝)にこれを知ることを誨(おしえ)んか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為せ。是れ知るなり。

つまり人って知っていると思っていても実は知らないって事なんですよね。
私の地域で450年続く家があるが、当主が小学校の旧友です。
彼は良い奴ですが、意識の根底は自分の家柄ですからね、その比較の中での位置づけと判断。
結局彼は外部を知らない、自分の世界しかない。人ってそんなもんでもありますね。

もっとも大事な事は踏み込んで判断し、自己の中に入れるのではなく、聖域として知の内容としないことが必要なんでしょうね。
その聖域もあたかも無関係の職人がお仕事すには踏み込んで作業しても、聖域とする者にとっては踏み込むことを慎む。

知らないことを知らないこととして、受身にもならないで判断もしない。それだけでしょう。
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この回答へのお礼

納得です。

受け身にならず判断しないというのがいいです。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/24 19:13

>知っている時の態度と知らないものに対しての態度、あるいはどこまで知るべきでどこからは知る必要がないのでしょうか。



○吉田松陰先生は「学ばずして死ぬことほど恥ずかしいことはない。」と言われました。立派な教育者の意見に謙虚に耳を傾けることが、回答になると思いますね。
知ることは人としての義務ですね。わからなければ謙虚になって教えを請えば良いだけですね。
また、知識と実務は違うものです。しかし、いつあなたの出番があるやもしれません。その日に備えて日々努力することですね。どのような舞台にも主役が交代する時はあるのです。その時のためにね。
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この回答へのお礼

知ることは確かに義務ともいえます。
全部はしれないですが。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/24 19:14

こんばんは。




「なんでも意見」で、素晴らしい。

ユーザーは、オーナーです。
「愛のある罵倒は助言」です。


でも「絶対」ではありません。
・・・そこにも「プロ」の出番はあります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/24 19:14

>どこまで知るべきでどこからは知る必要がないのでしょうか。



まず、なんであれ未体験のことは専門家でさえも真実を知ることはできないんだということを理解すべきです。

誰もが知りたいことを知ったと錯覚するまで知ろうとします。
後は、信頼という幻想で成り立ちます。

どこまで知るべきかではなくて、何を信頼すべきかの問題です。
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この回答へのお礼

信頼する。というのはなるほどと思いました。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/24 19:39

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