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物には性質があります その性質が精神を作ってるという説 と

精神には感覚質(クオリア)があって その赤なら赤と言う質感を持つと言う説があります。

どちらが本当だと思いますか?

それ以外の意見もどうぞ。

A 回答 (9件)

その二つの説は必ずしも矛盾しません。

感覚器官や、神経伝達分子により、クオリアを持つ我々の脳が形成されているのは、あきらかでしょう。

たとえば、先天赤緑色覚異常は目の感覚器官のあるわずかな欠損によって、「その赤ならその赤という質感」に大多数の人とは違う異常な感覚をもたらします。もっと簡単にいえば、脳の視覚野が破壊されれば、目が見えなくなります。

クオリアの哲学的研究が、多くの場合、生物学的な知見を取り込んでいない感じがします。
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この回答へのお礼

クオリアも器官や神経 脳に左右されるという事でしょうか

その通りですねえ

考慮すべき視点だと思います

どうもありがとうございます。

お礼日時:2013/06/27 21:39

唯物論が観念論に対立するものであったのは、「物」が精神とは


独立した“外部”に依拠したものである、という古典物理的な考え
(現在は「素朴唯物論」と呼ばれる)だった時の話である(今でも
日常的感覚としては普及しているが)。

代表的な例が、不確定性原理だ。
そこにおいて得られる相補的な不確定性とは、「空間的な位置の
不確定性と、その変化である速度の値の持つ不確定性の対は、
一方を確定しようとすると他方が無限不確定性(=無)に発散する」、
また「時間的な位置(時点)の不確定性と、その変化(静止質量は
原理(超弦)的な光速性の潜在化(現象表面的定性化)で生じ、
時間軸的な相対運動を意味する)である質量の値の不確定性の
対も同様に相補性を成す」というものである。

そこに示される2対は、「位置(S)と速度(St)」、「時点(T)と質量(Ts)」
といった具合に、時間軸(T=時間的流れ=記憶=過去=超光速)と
空間軸(S=空間的広がり=予測=未来=光速下)の仮説的な相補
分化(階層現象表面的な定性化による仮象的非光速性)を示唆
しており、もはや唯物論の極限である最先端の物理学において、
唯物と唯心は統合されていると言える。
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>物は性質を持っていてそれを人間が分かりやすい概念で捉えているだけだと思いますが?



科学の立場、即ち、人間の視点からすれば、物は性質を持っていてそれを人間が分かりやすい概念で捉えていると言えます。

人間がどうあれ、物には性質がある・・人間が滅亡しても物には性質があるとするのは、あくまでも人間の視点です。

一方、人間の精神は、アプリオリに物に性質を持たせています。
そもそも物には性質がある・・・と認識しているのは人間の精神ですから。

信じがたいことですが、人間が認識しなければ、物には性質がないのです。

あなたは、そんなわけはない。人間なんかがいなくても、物には性質がある言い続けるでしょう。まさにその視点こそが極めて人間だということです。
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この回答へのお礼

そう言う考えが多くある事は知っていますが

私にはそうは思えませんねえ

どうもありがとうございました。

お礼日時:2013/06/23 23:26

脳という物質の性質の一つが精神で、その根底にある主体が認識した‘対象である物質の性質に関するニュアンス‘がクオリアだと思います。

そしてクオリアは各人の生きてきた経験とともに培われてきた各人なりのフィルターを通して知覚されるため、同じ物質あるいは性質に対しても‘各人なりに多様なものになる‘と言えるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

成る程よく分かりました

どうもありがとうございます。

お礼日時:2013/06/23 18:17

性質⇒精神⇒クオリアでよろしいでしょうか?




それならどれも同じということになりませんか?


「人の精神」と言えど、形はないので言葉としては表現しにくいものですね…

心と違うものだとしたら、<雫>のようなものだと思ってます。


心から涙がでてるような雫のようなものです。
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この回答へのお礼

>性質⇒精神⇒クオリアでよろしいでしょうか?

私は実はクオリアはないのではと思っているのですが

性質⇒クオリア⇒精神 と言うことだと思います。

雫のようなものと言うのは難しいですねえ

どうもありがとうございます。

お礼日時:2013/06/23 18:15

こんばんは。




全ては「補完」なのですね。

(「多人数(複数人)精神病」というのも、あるとか。)




・・・完全にオープンなら、それには至らないでしょう

この回答への補足

よく分からないですが 

補完とは補う事 補って完全にすること と辞書にありますが

補足日時:2013/06/23 18:11
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物に性質づけをしているのは精神側ですね。


物が物としてあるようにしている根本さえ精神がやっています。
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この回答へのお礼

そうなのですか?物は性質を持っていてそれを人間が分かりやすい概念で捉えているだけだと思いますが?

どうもありがとうございます。

お礼日時:2013/06/23 18:04

本当ですか?



どちらも、私は否定するかな?何故なら、面白くないですし、書いていることはどちらも同じ事に帰結しますので、結果的に一方に正しさなどないものです。近代のものかどうかは、別としてこれは、考えにおける語彙の問題です。

本題です。
そもそも、精神(魂)を性質として一元化できるのかが、本来は難しいかと。
例えば、質問者様が今、この質問を出来て居ることに対して、私はどちらでもないと答えたこと、それは物質としての性質によって異なるかということです。血液型が違うからといった発想なら、4種類。RH型であればさらに+と-を繋げただけです。遺伝子なら、2の2000乗以上それだけが性質なら、それでも良いのですけどね。

本当のところはもしかするとどちらか一つかもしれません。いや、正確には性質があり、その性質にクオリアという概念があるだけかもしれません。それがいわゆる多様化した人という遺伝情報の個性になり、そしてそれに記憶という経験則が加わり、個性が形となるだけかもしれません。

ただ、言えることはそれは果たして性質やクオリアとして単純に統計や数値として見せるものであるかというだけです。

これは、卵か鶏かということですよ。突き詰めれば、歴史はビッグバンによって誕生したということと同じです。それが、ある事象に対して、早いか遅いかを議論するだけです。

ちなみに、この質問の2つの場合は、実を言えば同じことです。
いや、書き方や考え方によってそれを突き詰めれば、違うことですけど。言っていることは同じです。
要は、精神が何らかの影響を与えると言うこと。それを突き詰める過程が違うのですが、それも実を言えば、同じだったりします。感覚質は質(物質)ということです。物が持つ性質は物質でしょう。
即ち、言い方を置き換えただけであり、言い方の順序を変更しただけです。

よくある大学のレポートや、論文の概念です。
もし、それが、証明できて正しいなら、きっとどちらが一方が残るのです。しかし、両方があるということは、即ち、ニュアンスとしてどちらも、似ているか、または証明できないのです。

私の概念ではどちらも、証明には乏しいと思います。何故なら、精神が植物にあるかを厳密に証明できていないからです。もっと書けば、ミトコンドリアには精神があるのか、人の一つ一つの細胞は精神を持つのかということです。

物質の性質が精神を持つなら、場合によっては細胞や皮膚の一片でも精神を持つはずです。
そう思いませんか?しかし、精神を意識できる(共有できる)存在は、人と人やまたは動物と動物(人)という関係に限られます。植物は少なくとも人が精神を持つと答える(証明する)にはまだ、時間が掛かるかもしれません。即ち、説ではあるが、結末ではありません。

よって、第三説もあって然りです。即ち、その2つは結局同じことを述べている。即ち、人の発想における人の限界である。そして、逆に言えば性質が、もし経験によって変化する種ならば、それは性質も影響はするだろうが、最終的な精神の持つ能力は、経験によって開花するということになるかと思います。

そういう高度な精神を持つ者を人は、精神を持つ者として考えるだけであり、実は生きとし生けるものに精神があると考えれば、性質に限らない精神こそが人のいう精神となり、そうでないものが質問にある2つの精神に繋がるともいえるかも知れません。

いかがでしょうか?
精神は、同系統の精神を持つ者とそれに近い種が、見るから精神です。しかし、他から見たとき、それは精神といえるのかは、分かりません。物質の性質が精神を作るなら、食べるものによって変化するでしょう。しかし、同じ食事をしていても、性格は違うでしょう。そういうものです。
どちらも、学説として根源的に突き詰めればその可能性はあると思いますが、大脳新皮質を考えた場合、それが曖昧になります。即ち、精神や魂といったものは、その性質に計り知れないものがあるということです。

それが、分かったときに、例えば社会が豊かになるなら、確かに良いことですけど。
突き詰めるだけ突き詰めて最近は、耐えられず死を選ぶ人もいる時代ですから、個人的には根源はある程度、想像に留めるからこそ、神秘が人の真価(または進化)を誘うようにも思います。
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何というか、どういう理論なのか知らないので答えるべきでは無いのですが、後者のクオリアの方については、その“質感”というものはヒトが“そう感じる”というたぐいのものであり、そのもの自体が根本的に持っているものでは無いようなイメージを受けました。

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この回答へのお礼

私も間違ってるかもしれませんが

クオリアは人間精神を説明する為に想定されたのではないでしょうか

どうもありがとうございます。

お礼日時:2013/06/23 18:00

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