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タイトルのままです。

文禄の役・慶長の役、合わせてでお願いします。

A 回答 (2件)

毛利家です。



○「文禄の役」で1万人以上出して率いた武将を抜粋しますと・・・

(1)毛利輝元・・・3万人
(2)鍋島直茂・・・1万2千人
(3)島津義弘・・・1万人
(4)宇喜多秀家・・・1万人
(5)小早川隆景・・・1万人
(6)加藤清正・・・1万人


○「慶長の役」では・・・

(1)毛利秀元・・・3万人
(2)鍋島直茂・・・1万2千人
(3)島津義弘・・・1万人
(4)宇喜多秀家・・・1万人
(5)小早川秀秋・・・1万人
(6)加藤清正・・・1万人

文禄・慶長両方とも、毛利家が3万人出していて断トツです。
この数字は1924年に出版された日本軍参謀本部編纂の「日本戦史・朝鮮役」からのものです。

ちなみに秀吉の出した「高麗陣陣立書」(誰がどれだけの兵数を出し第何陣になるかが書かれたもの)が現存しています。
下に貼ったのがその「秀吉高麗陣陣立書」・・・慶長の役について書かれたもので、神戸大学付属図書館からの画像です。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/ …
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この回答へのお礼

参考にしますありがとうございました。

お礼日時:2013/06/25 14:54

具体的な資料を持っている訳ではないですが、毛利家(小早川・吉川を含む)でしょう。



大名への軍役(1万石あたり300人、と言った要領)は、「戦地に近いほど大、戦地から遠いほど小」となります。

例えば、豊臣政権の九州征伐では中国と四国の大名の軍役が大で、北条征伐では徳川家や上杉家の軍役が大でした。

朝鮮征伐の場合は、九州・中国・四国の大名の軍役が大となったはずです。
そうなりますと、中国地方と伊予や筑前に120万石+小早川領(30万石程度)を有する毛利家の出兵数(石高x軍役)が最大となります。

なお、島津家は、豊臣政権下での石高は56万石でした。他の九州や四国の大名は、島津より石高が小さくなります。

徳川家の石高は250万石ほどですが、朝鮮に兵を送っておりませんので対象外です。
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この回答へのお礼

詳しい内容ありがとうございました。
参考にします。

お礼日時:2013/06/25 14:54

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