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私の知り合いの男性が、宗教的な理由で禁欲しています。
結婚するまでは、そういうことを考えることさえ避けているそうです。

私は女性なので、その辛さは想像するしかないのですが、女性でも性欲が高まるときがありますから、男の人にとってはかなり辛い修行だろうと想像します。

しかし、一切想像もしないなんて、そんなに清廉潔白な人が存在しうるものでしょうか?
性に淡白な男性がいることは理解出来ますが・・・。
でも精神的な鍛錬で、若い男性が性欲から自由になることができるとは、とても信じられないのですが・・・。

ご意見頂ければ有り難いです。

A 回答 (7件)

性欲の強さには個人差があるという前提ですが,確かに禁欲は辛いです。

ただ,辛いからこそ修行方法として選ぶというのはあるでしょうね。本当に性欲がなかったり,たいして強くないのであればわざわざ禁欲する必要はないのですから。
苦行や禁欲は宗教的な修行方法としては珍しいものではありません。仏教でもキリスト教でもみられるものです。その是非や実際の効果は分かりませんが,苦痛を通じて精神を高める,肉体を制御しようとする,というのは広く世界的にみられる考え方のようです。

スポーツなどでランナーズハイという現象がありますが,人間の脳は苦痛を感じると苦痛を弱めるために麻酔効果を持った脳内麻薬を合成するという働きがあります。トレーニング次第ではこの脳内麻薬の分泌をふやすことで,非常に達成感を感じることもできるそうです。
我々宗教やスポーツと関係ない一般人だって苦労して何かを成し遂げた時の達成感は素晴らしい快感だというのは分かりますよね。
つまり,苦行というのはやり遂げれば「俺はこんなにも辛い行為に耐えているすごい人間なのだ」という陶酔感が得られるわけですね。これが宗教的な儀式とまじりあい,宗教的エクスタシーという快楽を得られるとか。その快楽はセックスなどによる性的な快感をずっと回るそうです。
確かに一時的に性器から得られるだけの肉体的な快感よりも,自分は聖なる人間だ,神に愛された偉大なる存在なのだ,と心からそう思える状態ってなんだかすごそうな気がしますね。
宗教的修行者って実はその快感を得るために修行してるんじゃないかな,と個人的には思ってます。


また,宗教は古代においてはコミュニティの維持のための規範としての意味合いを持っていました。言ってみれば庶民向けの法律です。現代日本のようにきちんとした教育がなかった昔の文明では庶民は性欲に関してもしばしば暴走し,コミュニティ存続に悪影響を与えることはよくありました。性病の蔓延,レイプなどの性犯罪,食糧事情が悪いにも関わらず無計画な子作りをする,他人の妻(夫)を寝とって騒動を起こすなど。これらは現代でもよく起きてますけどね(笑)。で,そういう問題を防ぐために宗教が利用されたわけです。「汝,姦淫することなかれ」「不殺生不邪淫不偸盗(殺人をするな,セックスに溺れるな,盗みをするな)」などのフレーズを聞いたことはないでしょうか。キリスト教や仏教での経典の言葉だったりします。
教養も教育もない庶民に「気持ちいいからってセックスに溺れるなよ,つつしみを持てよ。でないと社会がめちゃくちゃになるぞ」って言っても「社会とかしらねーよ!俺の勝手だ!」となります。そこで「欲望に溺れる人間は神様に見捨てられますよ」「肉欲は悪なのだ。克服しないと地獄に落ちますよ」というように,欲望を否定することは正しいことであるかのように宗教を利用して喧伝するわけです。その結果,実際は単に社会的な必要性から生まれた禁止事項がいつのまにか宗教的に邪悪なる行為,という風にすり替わってしまうことがよくあるのですよね。
有名なところではイスラム教の豚肉は不浄だから食べてはいけない,という教え。これはもともとは,豚肉は寄生虫が多く,暑いアラブ地方では腐りやすいので豚肉による食中毒が多発していたのでそれを防ぐための教えだったのです。だから「正しい方法で調理した豚肉や歓迎のために異教徒から出された豚肉は食べてもいい」という教えもあります。なのに現代では「豚は次元の劣った存在なので豚肉を食べたら天国に行けない」という風に解釈されてしまい,敬虔なイスラム教徒はけして豚肉を食べません。もっとも一般的なイスラム圏の人はそこまで敬虔な人は少なく,機会があれば豚肉を気軽に食べる人も多いらしいですけど。
他にもキリスト教の「血抜きをしてない肉は食中毒にかかるから食べるな」が「生血は邪悪で汚らしいからけして食べるな,輸血も絶対にするな」というモルモン教の教義になってしまったりも。


長くなりましたが,こういうような事情から宗教が性欲や贅沢欲などを禁止する考えが醸造されてきたわけで,何かしら宗教にはまってる人はそういう考えを持ってても珍しくはないですね。私の知り合いにも子供は病気になっても治療せずに自分の免疫力だけで健康になるべき!という教義の宗教にはまっててインフルエンザにかかった子供をけして病院に連れて行かなかった人がいました。幸いその子は無事大人になり,親と喧嘩別れしてしまいましたが元気に無宗教者として生きています。

彼らはそうすることで天国に行ける!次元の高い優れた人間になれる!と信じているのでその宗教を信仰していない我々の理屈では測ることはできない存在かと思います。しかしながら,そういう社会的な理由から生まれた教義を守って禁欲することで精神的に成長できるのかは神のみぞしる,というところでしょうね,宗教だけに。
禅なんかのお坊さんなんかだとそういう禁欲の教えが成立した背景を知った上で,禁欲をすると自分がどうなるかを知るために修行をするそうです。で,「禁欲って特に意味はないな」というのを理屈ではなく感覚として実感することでその修行を終了するそうです。知り合いの真言宗系のお坊さんは逆に性欲をとことん追求したらセックスに飽きて悟れるんじゃないかと思って何日もアダルトビデオをぶっ続けで観賞したり,風俗に通いつめたりした結果「やり続けると数日もしないうちに飽きる。でもしばらくしたらまた性欲が湧いてくる。肉体の機能の問題だからどうにもならないね」とのことでした。正直,その話を聞いたときは単に風俗で遊ぶための言い訳なんじゃないかな~,とも思いましたけど(笑)

まあ火の粉が自分に降りかからない限りは生温かく見守ってあげればいいんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、申し訳ありません。詳しくありがとうございました。

>これが宗教的な儀式とまじりあい,宗教的エクスタシーという快楽を得られるとか。その快楽はセックスなどによる性的な快感をずっと回るそうです。確かに一時的に性器から得られるだけの肉体的な快感よりも,自分は聖なる人間だ,神に愛された偉大なる存在なのだ,と心からそう思える状態ってなんだかすごそうな気がしますね。

なるほど。とてもわかりやすかったです。よくある洗脳状態というのも、本人にとってはとても幸せな時間なのでしょうね。
当たり前のことですが、宗教というのはなかなか他人からは理解できませんね^^;

お礼日時:2013/07/10 15:19

30代の男です。



自由になれないからこそするのですし、
辛いからこそするのでしょうね。
辛くなければ、口実をつくってまで
我慢する必要もないことでしょう。

ただ、自発的にそうするよりは、
宗教的な理由や宗教の世界観に
当てはめて禁欲する方が、
強い意志でできるという意味は
あるのだと思います。

それでも、性欲の発散という意味では
禁欲だとしても、それはそれで
自己満足にすぎないんですよね。
そこのところに気づかないとしたら、
彼の宗教はまだまだ浅はかです。
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この回答へのお礼

自由になれないからこそするのですね。
好物を断って願掛けをするというのはわかりますが、性の辛さを我慢するというのはなんだか私には不気味な世界ですね^^;
確かに。考えてみれば、すべてのことが自己満足に過ぎないですもんね・・・

ありがとうございました。

お礼日時:2013/07/10 15:24

本でそのような変な行動をとる男性についての記述を読んだことはあるよ。


迷信に凝り固まって、強迫観念と化したモンスターを作り上げるとインポになるという事らしい。
可能だよ。
精神を既に病んでいるだろうから結婚はあなたを不幸にするよ。
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この回答へのお礼

可能ですか。

過剰な性欲が精神の病なら、その反対も、ということですね。
何事も極端に走るとよくないですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/27 19:20

実行してるとしたら、そもそも性欲がないか、もともと


低いのでは?

どうも?世界的に男性は性欲を失っているようですし?

ただ宗教的な場合、信者の人達の想念エネルギーで強化
された想念エネルギーの集合体や、創造・強化された一
時的半実体の神仏様方のサポートなどが得られた場合、
また祈りなどの初歩的な霊的働き掛けなどでも、ある程
度の結果(抑制)が出る場合もあるだろうとは
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この回答へのお礼

そういうときは祈ることで、性欲に打ち克つ助けを得るそうです。

私にとって性に関することはとてもプライベートなことなので、
たとえ神様にでも明らかにしたくないですよ^^;

そうした宗教心のある人とは、根本的に考え方が違うのでしょうね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/27 19:16

”一切想像もしないなんて、そんなに清廉潔白な人が存在しうるものでしょうか?”


     ↑
おそらくですが、存在しないと思います。
存在するとすれば、その人は嘘つきか
病気でしょう。

”精神的な鍛錬で、若い男性が性欲から自由になることができるとは、
 とても信じられないのですが・・・。”
     ↑
私も信じられません。
親鸞も、これは不可能だということで妻帯を
認めたのだと思っています。

もっとも、禁欲生活が長期間に及び、そのため
あっちの機能が退化してしまった、ということは
あり得るかもしれません。

また、そういう修行を積めば、克己心が強くなる
という事もあるでしょう。
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この回答へのお礼

そうですよね。
性の道徳とか・・・もちろん大切なことだと思いますが、
行き過ぎた我慢は精神にもいい影響を与えないような気がしますよね^^;

ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/27 19:12

 あなたはその男性とどういう関係なのですか(笑)。

あなたがそういう情報を知り得たということは、翻ってみれば、彼は悩んでいて、それを女友達に打ち明けたということでしょう。そしてこれも十分に立派な猥談ではないのですか。この事実が全てを物語っているように思いますね。つまり、自由にはなれていないんですよ。

 しかしふと思ったのですが、禁欲し続ければ、女性という存在からは自由になれるかもしれませんね。欲望というものを冷静に捉えれば、性欲の対象が女性でなくなるということがあるのかもしれない。そして女性から解放されると、次に向かう先が男性になるのかな。実際、キリスト教圏の修道士はホモセクシャルが多いというし。

 禁欲して変わるのは、欲望の向かう対象を女性から逸らせるということかもしれないなあ。だとすれば、私は嫌だな(笑)。逸らして変な方に行くくらいなら、元の自然なままがいいや。
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この回答へのお礼

私は直接彼から聞いたわけではないんです。
彼と同じ宗教に属しているという女性から聞いたんですよ。
「私たちの宗派では・・・」と。もちろんその女性も禁欲しているそうです。
説明が足りずすみません。

えげつない話しだなあ、と思いましたけどね・・・
そんなことわざわざ暴露せんでも・・・と思いました。

性欲自体はなくならない、というお考えですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/27 19:08

 なにを考えているんですかね。

もったいないの一言。国が滅びる。
 頑張って子どもを作り育てよ と言いたい。

 最近の若い男性は性に淡泊な上に禁欲までしているんですね。

 だから、若い女性がどんどんおじさんにまわってきます。
2年くらい前からのパートナーの一人は、同年代の男子とはSEXする気にならないそうです。
 理由は、せこくて貧乏くさいくせに、SEXがヘタクソでつきあいが面倒くさいんだそうです。

 おじさんとしては複雑な気持ち。これでは国が滅びる・・
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この回答へのお礼

結婚したら奥さんとはするのでしょうけどね。
「貞操を守る」ということなのでしょうが・・・
自慰さえもしないというのは、ちょっと理解に苦しみます。

おじさんの魅力は私も感じますね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/27 19:02

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