No.3ベストアンサー
- 回答日時:
島津の場合、鹿児島に攻め入るルートといったら宮崎側と熊本側のほぼ2ルートしかなく、しかも熊本側は地形が困難で大軍が用いづらく、守りやすいです。
しかも日本列島のいちばん端っこで、遠征にはかなり費用もかかるし遠方からの軍勢となると大軍も集められません。一方、毛利となると、瀬戸内海ルート、山陰ルート、関門海峡(九州)ルートと3方向から攻撃が可能で、しかも瀬戸内海ルートと関門海峡ルートは船が使えるので補給が楽で大軍を用いるのも可能です。いいや山陰や広島県奥部の山岳地帯はかなり地形が困難なのでここに籠れば・・・と思うかもしれませんが、ただ籠城しているだけではじり貧で、いずれ力尽きます。籠城事件て最終的には必ず逮捕されるでしょ。
むしろ家康としては徹底抗戦を選ばれたほうが毛利家滅亡の大義名分を得られたのでそっちのほうが「願ったりかなったり」だったと思います。仮に豊臣家が口を挟んでも「これは豊臣家は関係ねえ話っすから」といえますしね。
後の大坂の陣の名目がお寺の鐘がどうのこうのってやつですよね。はっきりいえばあんなのこじつけというか言いがかりもいいところで、つまり権力者がその気になればなんだって名目にできるってことですよ。
一例を挙げれば、その旧毛利家の領土をもらったのが福島正則ですが、広島城の一部が壊れたので修繕を幕府に届け出ました。しかし幕府側は「んー、たいした修理じゃないからいちいち届け出るほどではないよ」といって届け出を受理しませんでした。そして広島藩が修繕をしたら「幕府に届け出ぬまま勝手に城を修理するとは不届千万」という理由で改易を言い渡します。このとき福島正則は自分がハメられたことに気づいたでしょうが、時すでに遅し。正則は文句もいわずに改易に応じたといいます。
ちなみにそこだけ見ると福島正則は腰抜けにも見えるかもしれないけど、実はこの時の広島藩の幕府への引き渡しのエピソードが秀逸です。
改易が言い渡されたとき、正則自身は江戸にいました。広島に幕府の使者が居丈高に改易を言い渡しますが、国を守っていた家老は「正則本人から命令をもらってないから応じられない。文句があるなら一戦交えて全員城を枕に討死する」と武士の気概を露わにして使者を追い返します。
しかし正則本人から認める書状が届くと一転、明け渡しに際しては掃除や整理整頓がされていただけではなく、引き渡し物件の目録もきちんと用意され、さらに家臣たちは正装をして足軽も身なりを整え武装して整列して(軍隊として誠に正しい正装)整然と引き渡しが行われたそうです。
福島正則は文字通り槍一本でのし上がってきた苦労人で、お勉強はからきしダメでひらがなくらいしか読めなかったそうですが、大変に部下思いの人だったそうです。もし正則が「一戦交える」といったら家臣たちはおそらく全員応じたと思いますが、もはや戦国の時代も終わったので無駄に家臣を死なせるのは忍びなかったのでしょう。しかしその引き渡しのときの見事さ(後の赤穂藩のグダグダっぷりと比べると好対照だと思います)が大変に評判になり、正則の元家臣たちには再就職の誘いが引きも切らず、「全員が再就職できた」とも「みな家禄が二倍三倍で再就職先が決まった」ともいわれています。
そしてその引き渡しを仕切った家老には当然のことながら各大名から高額の家禄のオファーが殺到したそうですが、「誘って頂けるのは大変にありがたいが、もう年寄だし主人を変えるつもりはありませんので」と断ったんだそうです。くぅ~、カッコイイ!って毛利家に全然関係ない話ですね。
No.5
- 回答日時:
大坂退去後という意味で判断しました。
秀頼を擁手放し、堅城大坂城を退去した時点で、毛利に勝ち目はありませんので、いかんともしがたいかと。関ヶ原の戦いの結果、東国はもちろん、西国も東軍が圧倒的に優位に立つ中、豊臣家に対する反乱が成功する見込みはないでしょう。
もし毛利が家の存続よりも領地の維持を優先して自暴自棄の防衛線を展開したとしても、関ヶ原で動員された兵力を転戦させられますし、元西軍の挽回のチャンスを求めている大名も動員できます。遠征は十分可能でしょう。海路がつかえるぶん上杉攻めよりも遠征としては楽かと。
No.4
- 回答日時:
結論から言うと、可能です。
徳川家康は、関ヶ原の合戦の後で、毛利輝元が退去した大坂城に入り、西軍を豊臣家の官軍と認めていた秀頼・茶々と対面して、「仲直りの儀」を行い、『秀頼、茶々、豊臣家直臣の責を問わない』ことを条件に、『徳川家康は豊臣家の大老に復帰し、若年の秀頼卿に代わって政務を行う』状態を作っています。
※ あまり知られていませんが、関ヶ原には豊臣家の直臣(江戸幕府の旗本に相当)が西軍の一員として参戦していました。
これ以降、徳川家康は「秀頼卿の代理人」の立場で日本国を統治しました。即ち「家康の言うことは秀頼の言うこと」でした。豊臣家が介入したくても、秀頼の権限を委譲しているのですから介入する手段がありません。
ですので、家康は秀頼に代わって諸大名に「秀頼卿に刃向かう毛利輝元を討て」と命じる権限があります。他の方も指摘するように、毛利の両国は東西に長く、陸路だけでも山陰方面・備中方面・北九州方面の三方面から、海路は瀬戸内を経由して四国方面から、下記であれば日本海方面からも攻め込めます。海路を用いる場合は補給が自由自在ですし、どこからでも攻め込めます。毛利家が劣勢の場合は、非常に守りにくい領地です。
そして、毛利攻めは、家康とその幕僚が作戦を立てて、毛利家の周囲の各大名に通知するだけで可能でした。
そうなれば、毛利家は、秀吉の小田原征伐で潰された北条家以上の「袋だたき」状態で滅亡するしかありません。織田家の武田討伐の時のように離反者が続出し、毛利家の名誉は地に落ちたでしょう。毛利家の誰もが、その程度のことは容易に想像できましたから、毛利家は処分に黙って従ったのです。
===
島津家に対しては、それほど簡単には行きませんでした。他の方が指摘なさる通り、日本の南端に位置し、攻め口が限られ、当時の日本の航海技術では海上攻撃が難しい島津領を攻略するのは、いかに「秀頼卿の代理人」でも容易ではありません。
島津家は、限定された攻め口に防御施設を整え、大量の鉄砲を備えています。城攻めに等しい攻撃となりますから、攻撃軍の犠牲は膨大なものになったでしょう。よほどの兵力を集中し、損害を顧みずに波状攻撃をかけない限り、返り討ちに遭う可能性もあります。
徳川家康が、いくら「秀頼卿の代理人」の資格を有するとは言え、日本の南端でそんな作戦を強行するだけの力はまだありません。だから、島津家は徳川家康に対して「攻めて来られるならお相手いたす」という強気の交渉を出来たのです。
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