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幕末の頃の42両の価値は現在の貨幣価値でいくらくらいになるのでしょうか。また、当時の長屋に住んでいる職人の家庭では年間どのくらいあればそこそこの暮らしができたのでしょうか? どなたかおわかりの方、具体的にお教えくださいませんでしょうか。お願い致します。

A 回答 (5件)

幕末は貨幣価値(当然物価も)の変動が大きいので


安政の大獄で有名な安政期とします。
江戸時代の物価は初期は安定していましたが、経済の
拡大につれ徐々に上昇し、そのたびに改鋳で、貨幣の
通貨高をふやし価値を下げてきました。

物価については文政時代のデータは先答の URL や
諸本にかなり詳しく載っていますが、安政期以降は
はっきりしません。

そこで改鋳による貨幣価値の変化を見ましょう。
一両金貨(小判または判金)の中の純金量。
慶長15.1g  文政7.3g 安政5.1g 万延1.9g
万延の改鋳で貨幣価値は約4割に、物価が連動すれば
約2.5倍になったわけです。  (安政期を選ぶ理由)

江戸時代は貨幣の分析技術は高く、改鋳後は直ちに
大手両替商が含金量を調べ全国に伝わりました。
(灰吹き金精錬技術の応用です)

両と円の換算は条件(物価、環境、生活水準など)により
異った数字になりむずかしいのですが、おおよそ1両が、
慶長30万円、文政15万円、安政10万円、万延4万円
と見るのが妥当と思います。

幕末安政期、長屋住まいの家族持ち職人の年収は
30両(先答えのURLの文政期20~25両)くらいでしょう。
今の300万円位というところですか。
(江戸中期の力士の給料10両から10両の名がついた)


42両というと420万円位で1年半近く暮らせた金額です。


専門的な話ですが以上は金から見た貨幣価値で、
慶長金は安政金の3倍位の価値があるのですが、銀や
銅から見た貨幣価値はこれとは異なるという問題が
あります。
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幕末はハイパーインフレの時代でした。


乏しい生産物が輸出されてしまって市中に物がない。

おまけに幕府のタガが緩んだのをこれ幸いとばかり贋金が横行していました。
慶応ごろには幕府や新政府が率先して
何百万両もの金メッキしたような2分金を発行してたんですから
何をかいわんや。藩札私札も乱発に次ぐ乱発。

おまけに庶民が頼りにしていた天保銭までも薩摩や土佐その他の諸藩で
山ほど贋金が作られていたんですから
もう貨幣価値なんてグチャグチャです。藩によっても違いますしね。

1両は4分といった法定交換率まで無視されていたらしい。
1枚100文の偽天保銭を作る原料として鋳つぶされるため、
銅銭の価値が高騰したりもしています。

相当の経済学者でも幕末専門でない限り
あの時代の貨幣価値については簡単に答えられないだろうと思います。
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貨幣価値は他の方の回答のとおりですが、「年間いくらなら生活できたか」というのは、現代人の年収の感覚で考えても無意味です。


なぜなら、当時の人たちに「年収」という概念はなかったからです。あ、武士なら年収ですけどね。
当時の町人は「お金がなくなれば働く。あれば働かない」という現代日本人からするととんでもなくプーな暮らしぶりでした。「毎日働くのは野暮だ」という価値観だったんです。
実際に、幕末に江戸で外国人向けの家を建てるとき、「大工が何人来るかはその日にならないと分からない」ということに非常に外国人が腹を立てたという記録が残っています。
これは、当時の江戸では火事が多くて貯金しても火災で失われるリスクが高かったのと、今の銀行のような庶民の貯金を預かってくれるシステムがなかったからです。
だから、「年間どの程度でそこそこの暮らしができたか」ではなく「結果として年収にふさわしい暮らし方をしていた」というのが近かったと思います。
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庶民の生活と収入について



江戸時代ですが参考にして下さい

参考URL:http://park5.wakwak.com/~toshkish/kakei/kakei03. …
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幕末はかなり変動したらしいですね


参考サイトをご覧下さい

参考URL:http://www.kisc.meiji.ac.jp/~wonomasa/kahei.htm
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