
生物学カテゴリで同名タイトルの質問に回答したところ立ちどころに終焉しました。
チンパンジーが美しさを感じるのかなどと美しさを用いて議論を進めるのに異議がある回答者は私一人というのです。こちらには同様の異議のある方はおりませんでしょうか。
また私の方が具体的で、美しさを使う論者の方が抽象的だと思うのですが、逆のようなのです。抽象的にテーマの考察を進めようとしているのは私の方ではありませんよね。
一参加者として何が解決した締め切りなのかもよく分かりません。
以上の件ならびにこのテーマにおける科学的な取り扱い方について科学カテゴリとしてご教授ください。
質問の議論のみに終始できる回答者さん、宜しくお願いします。

No.2ベストアンサー
- 回答日時:
人間同士でも美しさに対する感じ方、それを感情と言い換えてもいいですが、異なっていないかどうかはよく分かりませんね。
ただ、おおむね同じらしいということは、自分が感じて反応していることを、他人も同様に表現していることから、強く「どうやら非常に似ている」と推測できます。異種の生物、この場合チンパンジーですが、人間のような感じ方をするかどうかは、人間同士の基準は用いにくくなります。それでも、「生きていくうえで何の役に立つわけでもないものでも好むものがある」という基準なら、観察可能です。
それなら、チンパンジーにも確かにあります。そして、動かないもの、さらには絵や写真でも、そういうものはあります。チンパンジー各々で異なりもすれば、複数のチンパンジーで煮たようなものを好む傾向もあります。
観察例は僅かと言わねばなりませんが、手話などの非音声言語をチンパンジーに教える実験がずっと行われ続けています。主目的が人間とのコミュニケーションですので、チンパンジー自体の感性について、突っ込んで研究した例は、残念ながらありません。
それでも、人間と同じような感じ方をした内容を伝えて来ることは、しばしばあるようです。チンパンジーの内面は知りようもありませんが(それは人間同士でも同じ)、外に現われた言動を見る限り、美しさ(あるいは、醜さ、綺麗さ、汚さ等々)について、チンパンジーは人間と似通っていそうだと言っても問題は少なそうです。
ご回答ありがとうございます。
好むというのが選ぶならいいのです。でも好むから好き好きになりやがては美しいわになりそうなら誠実に言葉を改めましょうです。
連想というのですかね、そういう愉しげな道を避けて退屈な道を進まないと前進したことにならないと思います。
ご指摘の人間も同じというのをうっかりしていました。そこを埋めるのが言語などの表現になるのでしょうね。でもついでにサルとの隙間も埋めてしまうのは台無し行為ですよね。
チンパンジー研究の現実についてご教示していただき勉強になりました。むしろその証拠が何もないという状況に興奮します。回答者さんの見事な説明が爽やかなので興味が出てきましたよ。だけどな~読んでイライラする本ばっかりなんです。チンパンジーに人格ないし尊厳を与えたくてウズウズしている書き手ですから。情緒を挟まない発表を読みたいです。
No.5
- 回答日時:
美についての質問なので美について答えたまでで単に花で済むのならそれでもけっこうだと思いますが?
花と星の美について、かけ離れたものを美という概念で共通するものを見つけることができるのが概念・言葉・抽象の力です。
例えば人間が三人も星が三つも同じ3であるという数学的な抽象を発見したから科学は発展いたしました。
花にも星にも美があることは何も矛盾しないのです。花と星の物理的な性状に由来する美が同じ物とは言えません。三つの星も三人の人間も三つだから同じ物だとは言えないのと同様です。
物としての美は定性的であって定量化することはできず、公式化のようなことはできません。しかし例えば花などは、かけ離れた場所で特に教え込まれたわけでもない人間が美しいと認めます。これを存在しないテレパシーによるものだとしますか?
美しいというのは人間の思いですが、花の方に美しい要素が無かったら存在しえないのです。
公式化はできませんが美にはある程度の法則性を見出すことができますので「美術教育」で教えることは可能です。例えばこの色とこの色の組み合わせやこういう形の組み合わせは美しい→それを応用してこういう形・色もありうるというような発展が可能なのです。
それは単に思い込みではありません。星も人間も三つは三つだといったん気付かされれば理解できるようにここが美だと発見したり人に伝えることは可能なのです。
植物が花を咲かせるのには生存と繁栄のための自然的なプログラムが組込まれている、その中には人間が思う美という概念(他の動物がどう思っているのかはわかることは不可能です)にあたるものも含まれているのです。人間も自然的な存在だからです。
これはむしろ神が全部を作ったなどという理屈では説明のできない証拠のように私は思いますが。
なお花の美は 形・色・質感・香りとして分析は出来ます。
しかしながら「なんとも言葉にならない美しさ」というようなことも実際にあります。これはむしろ美が物として先にある事の証明と思われます。
チンパンジーは人間ではありませんから人間と同じ「美」という感覚を抱くことはありません(確かめようがありません)が、では物の方にある美はなくなっているのかというとそんなことはありません。
人間の場合にはお互い言葉によって同様の感覚を抱いていることは確かめることができますし、生理的な計測もやろうと思えば可能でしょう。
感覚や感情だって物として実在するものだとも言えるのです。
美について語るのは花としての分析とは別の事柄ですから相反するものと考える必要はなにもないのです。
深く考えて頂きありがとうございます。
おっしゃる事は分かります。そういう半哲学的な展開が許されるのであれば私にも相応の私見があります。しかしそういうのでは自然科学的な考察にならないという趣旨です。
なんとも言えない物が残るからというのは自然科学の限界でしょう。そこを越えて行ったり来たりするとトンデモ自然科学の始まりになる、そう思いますよ。私は行ったり来たりするなという意見です。
結局、先方の質問で何が前進したのかはっきりしないのは美などの概念で論理をつぎはぎしたからだと思います。私はこういう自然科学の境界線付近の問題はまとめるよりも少しでもいいから確実な前進をすべきだと願うのです。
No.4
- 回答日時:
いやだから美は花の方にも物としてあるんですよ。
だから人種とか文化とか予備知識無しでも人は花を美と感じることができる。
美は感覚だけではないから芸術家も普遍的なものとして追及することができるのです。
美は物質として存在するのです。
ただそれを「美」と思うのは人間の見方に過ぎませんが。
抽象というのは現実のものから概念を抽き出して象にする行為であって、あやふやに見えるもの・あるいははっきりと見えていなかったものををちゃんとした形にすることなのですよ。
物事をあやふやにするのとは逆でしょう。
たとえば美じゃなくて花じゃマズイわけですか。葉と花を弁別するという程度。花から進んで美になるなら花で停止しておく方がましでしょう。
おっしゃる物としての美が物として一般的にどう存在するか誰にも分からないと思います。花の美、星の美、などなど。花と星ですよ、何光年離れている事か。
チンパンジーよりパンジーの研究が先になりそうですね。パンジーから美を抽出してください。
回答者さんは生命は神が造ったかも知れないという人ですか。
率直なご回答ありがとうございます。
No.3
- 回答日時:
花が美しいのは見る人が美しいと思うからだけではなくて、花の側にも美しさが存在するからです。
ですので見るのがチンパンジーであっても花の側の美しさは変わらずにあると考えられます。しかしチンパンジーが何を考えているかは現時点では確かめることが不可能です。ですのでチンパンジーが花を見て感じるのが人間の美と同じだとも違うとも現時点ではわかりません。
植物が花を美しく咲かせるのは、それが生存や種の繁栄にとって有利だからでしょう。人間はその特質を花の美と見ます。ここからは全くの推測ですが遺伝子的に現在の人類にかなり近いチンパンジーが人間に近い感覚で花を見ることは充分考えられるように思います。
ご回答ありがとうございます。
ですから美しいという言葉を用いる議論の方が抽象的ですよね。自然科学的に前進しないじゃないですか、美しいという部分が引っ掛かっていては。だから美しいという用語を避けることから始まるという考えなのです。
美しさは存在しないと思います。何だか分からないさですから。それに相当する即物的な概念を指定する事から地に足のついた考察が始まると先方の質問で回答した次第です。
推測部分はお考えですからいいのですがその前の美しさを使い回す論説部分に異議があります。
違うとも分からないのに、内在する美しさを仮定するとそれを媒介にして、同じである可能性が高められる気もします。
美しさを使わないで議論するのが望ましくありませんか。花に美しさが内在するかどうかも証明されていませんし。 美醜の問題ですよね。やはり避ける姿勢でするのが自然科学的考察だと思います。
率直なご回答ありがとうございます。
No.1
- 回答日時:
私もその質問に回答して不得要領なまま肩透かしに遭ったものですが、質問は常に題名をみるのでなく、本文の最後を見て回答するほうが適切なことが多いです。
かの質問もそうでしたね。ところで貴方の質問もそんな感じがしますが、更に難解に思えます。具体的なご質問の内容を明確にしていただきたく、捕捉としてお願いいたします。
わたしと一切関係せずに何か疑問に思って質問する事はないの?質問文のお手本にしますわ。
特別にお礼にも参りますよ。
貴方が現れる前にですよ、質問に答えるのみですと書いてあります。手間なんですよ、その手の人向けに書き加えるの。書いてもその手の人に通じてないし。疑問を持ち込むし。
こんなお礼文を私に書かせている自分が何なのかさえ考えられないのでしょう。
ありがとうございました。
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