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東大や京大をはじめとする旧帝国大学や旧商科大学が大学の入試において最難関なのはなぜですか。

理由はありますかね。

A 回答 (9件)

設備、立地、勿論学費、という条件があります。


設備。
A大学は合格難易度が高く、良い学生が集まってそうだけれど、設備が悪いらしい、設備ならB大学の方が、ということなら、どっちにしようか、という優秀な受験生はB大学を選び、結果、B大学の方が難しくなっていくことがありそうです。
立地。
東工大や横国がもし地方にあったら、今の難易度にはなってないでしょう。
旧七帝大に対して旧二高等師範、一つが筑波、もう一つが広島大学。
広大は、筑波ほどじゃないと思いますが、学生のレベルの割に金持ってる印象です。
けれど、入学難易度に於いては、横国や東工大には遠く及びません。
学費。
当たり前ですが、似たようなレベルなら、私立大学にもう100万円注ぎ込もう、とは中々思わないでしょう。
実際は、更に私立の方がマスプロであることが多そうですし。

というような条件があり、良い学生が集まるところとそうでないところが「なんとなく」できるわけです。
何となく、の理由に、昔からあるからだとか、旧帝大だからだとか、旧制一高だからだとか、おらが村で一番だからだとか、そんな理由があるのでしょう。
結果、良い学生が集まれば、当然就職状況も良いだろうし、先々活躍する卒業生も少なからず居るでしょう。
それが評判となって、また良い学生を集めます。
研究面でも、良い学者、良い学生(?)が集まるところは研究成果もやはり出ます。

研究成果がどれくらい違うか。
理系で私がちらちら見た感じ、学部生修士課程の学生が定員通り居るのはまだ当然として、それ以上に、博士課程の学生、今ならおそらくポスドク、企業などからの研究員、余所の大学から預かった学生、等々が居て大所帯の所があったりします。
こういう所では、教授は勿論、准教授や助教の仕事は、各員への指示や論文のチェックや各種手続きが主となりそうです。
それに対して、教員の性格や指導力に問題があるのか研究テーマに人気が無いのか、笑っていいともを家で見てから研究室に来て、晩飯の買い物前にはしっかり帰るような学部生や修士の学生しか集まらず、当然博士課程の学生もポスドクもほぼ0、なんてところもあります。
そういうところでは、おそらく教授准教授助教が自ら手を動かして実験し、論文を書くのでしょう。
教授までやるかどうかは判りませんが。
一つには、まともな研究論文をどれだけ生産するか、なんてことで研究室の善し悪しを測るのですが、前者と後者で、おそらく10倍違うんじゃないでしょうか。ひょっとすると20倍。
研究費をどこかから調達しなければならないのですが、5倍10倍20倍違うのに、同じだけ貰えるわけ無いですよね。
人数で割っても同じにはならない。そう評価されない。
すると、研究成果を出しているところにはお金が集まり、それで研究成果が出るため、人も集まるわけです。
一般的に、研究は、好循環、悪循環しがちだろうと思います。

話を戻して、同様に、xx大学の就職実績、なんてのも、好循環悪循環するわけです。
良い学生が集まれば評判が良くなって人気が上がり、上がった人気の中で定員分採れば合格難易度が上がり、(ある意味)良い学生が集まる、なんてのも好循環悪循環なのです。
旧帝大だから、旧商科大学だから、難関なのではないと思います。
というのは、それらでも最難関とは言い難いところがいくつかあるからです。
好循環悪循環の中で、いくつかは難関大学であり、いくつかはそうでも無いわけです。
横国東工大なんてのは、明らかに好循環がそうさせているわけです。

なお、基本的には、偏差値ランク表は、リアル人気投票の結果です。
人気=潜在的な志願者で難易度が決まるのです。
東大と早稲田、両方受かった奴が東大に行くから、東大の合格難易度が上がるのです。
受験生が一人二人と東大に去った早稲田は、更に下位から定員を埋めるべく合格者を出さなければならなくなるのです。
基本が人気、なんてものだから、超常現象かテロで、東大が木っ端微塵、修復に10年以上かかる、それ以上に今まで居た人はほぼ全員あの世にしか居ない、なんてことにでもなれば、東大の人気が凋落し、当然難易度が落ちても不思議ではありません。いくら旧帝大であっても。

好循環するのかしないのか。その結果、人気があるのか無いのか。
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公立私立共に、創立の古い、そして、今もちゃんと存続している学校は難関である場合が多いですね。


ですからこその
旧帝大だと言えます。

しかし、その難関度合いを決定付けたのは

『一期校・二期校』

という分け方です。

かつて
各大学ごとに行われた入学試験は、文部省(当時)により一期校と二期校の二つの区分に分けられていました。

一期校は3月上旬、二期校は3月下旬に日程がまれていました。

この2つの区分に分けることで大学進学者が首都圏、有名校へ集中することを防ぎ、大学進学者の間口を広げることを意図していたのですが、、、、、

旧帝国大学が一期校に集中し、かつ組まれた日程との関係もあって必然的に一期校が第一志望、二期校は滑り止めという様相になり、これにより期別の大学群格差が序列化されるようになってしまったのです。

これはその後廃止されたのですが
東大・京大が併願出来た時代などもあり、東大・京大の2校がさらにずば抜けてしまう結果にもなったようです。

歴史の長い学校がより難関という傾向は
卒業生の活躍や、難関という状態が積み重なることにより
さらにより難関となり、その他の学校のとの差が広がる傾向に繋がります。

ただ、旧帝大といっても
地元以外では知名度が無かったり、偏差値は低かったりするので
一概には言えないですが・・・・

旧帝大で難関といえるのは結局、東大、京大、阪大止まりだと思います。
旧商大では一橋大学のみでしょう。
神戸大学と大阪市立大学は地元でも(大学受験に関係しない人間には全く無名)知名度低く、難関でも有りません。
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旧帝国大学も旧商科大学も国立で、すなわち国策で建てられたものですよね。


基本的には、そのような「歴史」があり、それが「立地」「設備」「学費」などの要素に影響してくると考えます。
それぞれの有名校についてWikipediaなどを検索してみると、当時からその大学にどれほどの(何の方向性で)重要性があったかをうかがい知ることができます。

旧帝大といっても、最初は明示10年に誕生した「東京大学」が、帝国大学令により同19年から「帝国大学」と称することになった東大のみでした。その後、京都帝大(京大)の設立の機運が高まって他の帝大も形成されていくわけです。目的は、文系としては各地から選抜してのエリート文官養成、理系としては国際レベルに追いつく科学力の増進のためです。もちろん、これらの中での重要度のトップは東大となるわけですが。帝国大学令はその後大正8年に改正されて、大学院・講座・教授会など今の国立大学のベースとなるものを作り上げ、最終的には1947年の国立総合大学令へと発展的解消になります。

そもそも帝大として組織される大学にはいくつもの前身校があります。(北大←東北帝大農科大学←札農をのぞく)ほとんどは江戸時代には幕府により運営されたやはり国立の教育機関でした。そこで蓄えられた知識は、書物や口承の知識(先輩から後輩へ語り継ぐもの)となってすでに学問の継承の流れを生み出していました。

現政府の元となるものが創りだしたその流れを途中で突然止めるわけにはいかず、国(文部省)による大学への予算の配分の優先順位では、どうしても旧帝大が上にくるわけです。

旧高商でも同じことが言えて、こちらは商業実務家養成機関ということで、民間のエリート養成所ということになりますね。すべからく民間(財閥系)から熱い支持がありました。

そのほか、東京工業大学、医科歯科大学と、設立事由に戦前の国の方針が関わっている例が多数です。

戦後の学制は、GHQによる改変を経ているため、それまで(行政/科学技術の中枢を担うエリート養成)とは異なった目的で地方大学が設置されるようになりました。

合格者の模試の平均偏差値に現れるものは歴史や民間との関係、それから研究予算の増減などが微妙に絡み合っているとおもいますが、先の回答者さまのおっしゃるように基本的には人気以外の何物でもなく、さまざまな例外があります。

昭和43年の東大の入試は、東大構内での学生運動の激化により、内閣の判断で中止されました。その年、全国の旧帝国大学の人気=偏差値は急上昇、あまたの敗戦者が出たといいます。
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国が意図的に施設、人材や資金を集中してるからでしょ。


それがブランド形成にも繋がっていく。
日本の場合、ヨーロッパと違って国家戦略として短期間にたくさんの大学を作った。特に後期の国公立大学は初期大学のコピペに過ぎないからってとこもあるよ。
「日本の国立大学はどこに行っても似たような無機質なコンクリートの建物ばかりだ」と日米両方の大学を卒業した野口悠紀雄さんは嘆いてたけど、事実、地方の多くの国立大では初期帝大と同じような建物だけでなく、教授も帝大卒、システムも帝大の模倣と言う事が多かった。そういう状態で先に作られた帝大を超えていく、あるいは全く違う方向性で勝っていくのは難しい。

ある優秀なX教授の立場で言えば
A大学は年収1億円、部下10人、
B大学は年収1000万円、部下2人
これならA大学に行くでしょ。A=帝大なわけだ。
X教授の動き方は同様に、Y,Z・・・と他教授にも波及するし、同様に受験生にも波及する。

100年が経ち崩れていってるけどね。
東大と京大の格差が広がり、また東大京大に比べれば北大や東北大の難易度はずっと低くなってる。
同学部同専攻でセンター平均点で10%以上開いてる東大と東北大・北大を同じ帝大だからってだけで同グループにするのはおかしいよね。
3商大も、一橋、神戸、大阪市大でそれぞれ差がついて来ている。

私立大同様に国立大も勝ち組負け組が出来てきている。
今後はどうなるか分からないけど、最難関グループとするには多すぎるかな。
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http://jp.corogaru.jp/management/pioneering-adva …

このへんが整理されている


消費者心理に「参入障壁」を形成できる(その製品のパイオニアとしてブランドイメージを構築できる)


パイオニアとしてのブランドイメージ:質問者が旧帝国大とか認識する、それです。

経験曲線の効果を得ることができる

うーん大学経営のノウハウが溜まっているとは思えないので、これは大学では関係ないかなぁ


比較的高い価格で販売することができる

後発が参入する戦後の前は、希少価値だったので高く売りつけられた、その価格イメージが残っている。



製品の規格を決定しやすくなる

学部学科ってこうでっせと決めたのが旧帝大


希少な資源(人材、立地など)を先取りできる

基本的に旧帝大は都心だよな


この様な結果、競合他社に対して優位性を持つことができます。これをを「先発優位」と言います。「ファースト・ムーバーズ・アドバンテージ」や「先行者利益」は、これとほぼ同じ意味です。
なお、一般的に先発は優位ですが、パイオニアとしてそれなりのリスクも背負います。その点で言えば、後発組みが有利な場面もあるわけで、これを後発優位と言います。

国家丸抱えだったので、リスクは少なかった。

後発者利益を最近満喫しているのが、国際教養大学。
「生半可な英語教育じゃありませんぜ」と売り込んでいる。
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No.1の回答を読みなおしてみたけど,東大・京大も日産マーチだのAKBのワンピースだのに例えられちゃあ,どうにもしょうがねえ 笑。

しょせん,そのていどの購買行動なのね。

だから,No.3の方が書かれた「マーケティング」というのも,じつに的を射ているわけ。筑波大学は自民党の鳴り物入りで金をかけて設立された大学なんだけど,ぼくにはマツダ車のイメージに近い。絶対に買わん 笑。
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後発ブランドは先発ブランド以上のマーケティング費用をかけない限り先発ブランドに追いつけない。


また、対象市場が大きな立地ほど顧客を集めやすい。

例:マーケティング費用をかけた
筑波大

対象市場の違い
首都圏の大学が一般に他より難易度が高い
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旧帝国大学は図書館などの資料が充実して(国宝級も多数あり)いますが、


後設の大概の大学は資料が乏しい。

金に糸目を付けずに買い漁る大学はありませんから
到底追いつけない部分です。

資料は学業を極めるにあたって、必要不可欠な条件です。
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ぼくが日産マーチに乗っているのと,たぶん同じ理由。

老舗メーカーの製品でロングセラー(根強い人気がある)なら,当たり外れが少ないと考えられる。

しかし,これだけでは難関である理由を説明できません。さらに,アイドル愛用の私服のような人気商品は,資金(学力)がないとオークションで落札できない(入学できない)のに似た現象も付随します。
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