
( a ) キリスト者は 猿回しの猿か?
( b ) 猿として動き回っているそのことが 仕事なのか?
( c ) 楽しんでいる人にも ののしりの言葉をあびせて来る人にも 黙々と務めを果たすその猿なのか?
( d ) あるいはそのうれしい言葉をかけられて微笑みを返し あるいはそのこの世の屑呼ばわりを受けてそれでもやさしい言葉を返している。その《仕事》は そのことだけで じゅうぶんだろうか?
( e ) なぜって自分は猿以上の存在だと思っている人たちにとっては その自分たちが落ち入っている深い地の底こそがよろこびの楽園だと思わずには生きて行けないようだからである。
( f ) キリスト者は その人たちにすすんで猿回し演芸会を催して声をかけ続けているその存在そのものが猿であることを欲した。のか?
( g ) また幕が上がる。――という繰り返しだけでよいだろうか? これらだけでは《芸》がないだろうか?
( f ) 《アース役》にとって 言わば二段ロケットとしてその二段目の噴射は ありうるか? 聖書は何か語っていますか?
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
厳密な意味でのキリスト者やムスリムやユダヤ教徒や仏教徒などについてすべて言えることだが、
自我がない、あるいは相対化されている、もしくは縮小されているということである。
自我、個人の観念が希薄であるため、罵られても平気であり、世界のために尽くすのみである。
「猿以上の存在」、すなわち自らは動物を超えるものだと思いあがっている者は、
旧約聖書(失楽園)にあるとおり、自業自得による苦しみを受けるであろう。
できることならば、自我の肥大化した彼らを救いたいとは思うが、
しかし、彼らが自省する(悔い改める。罪の意識をもつ)ことをしないかぎり、動物に過ぎぬ我々には救うことはできない。
彼らを救いたいと欲するならば、そのきっかけを用意し続けるしかない。
芸がないが、しかし、たかがヒトの分際であるから、それを超える芸はできない。
ヒトは「創造主」たりえない。全知全能ではない。
かくの如くの諦観をもっているのである。
ひっつ‐きーさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。
そうですね。
よく飲み込めない。というのが しょうじきなところですかね。
と言うより分かったと思う内容は
○ 成るように成る。放っておくしかない。
なのですから。読み取り能力がよわいですかね。
ひっつ‐きーさんにはワルイですが わたしは《自我》という用語が大嫌いです。意味がない。あいまいです。
★ ~~~~~~~
自我がない、あるいは相対化されている、もしくは縮小されているということである。
自我、個人の観念が希薄であるため、罵られても平気であり、世界のために尽くすのみである。
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☆ たとえば――のっけから続けていちゃもんばかりつけているようですが―― これなどは 《押しが弱く ふつうにおだやかな人となりであって 隣人愛の思いをみづからの内に感じて それに従い 自分のためにという側面をも持って 世界に尽くすことをおこなう》 このように読めます。わたしには。
つまりその場合は 《自我などは 屁の河童》ですが 《わたしはひとりの個人としてある》という考えはふつうに持っている。こう考えられます。
《ののしられた》場合 むろん まづはムッとなり 相手の状態を捉えようとする。たいていの場合そのあとは 相手が自分自身とも世間とも和解が出来ていないのだなと見て取って それぞれの人のさらに細かい状態に応じて 対処する。
とにかく《ひとをののしりたかったのだな》と捉えたとするなら もうそれでおしまいとする。つまりそういう意味で《平気である》。
しかも同じ場合 《どうもまだ 世間への恨みつらみがそうとう残っているな》と見て取ったなら その相手が次にどういう振る舞いをするかを注視している。おそらく《自分自身との和解が成っていない》から やけくそになって振る舞うのだなというふうにも見て取る。
つまりわざわざそういうふうに《世間の屑と呼ばれる役割りをになうようにまで すすんで成り 世界に尽くそうとする》 これを《猿回しの猿》と呼んでいます。
★ ~~~~
できることならば、自我の肥大化した彼らを救いたいとは思うが、
しかし、彼らが自省する(悔い改める。罪の意識をもつ)ことをしないかぎり、動物に過ぎぬ我々には救うことはできない。
~~~~~~
☆ これは むしろ《猿》とは別に猿を相手にののしる側の人びとのことですね。
議論を伸ばして行ってもらってもかまいませんが いまはそう受け留めて保留とします。
少しかみ合わなかったかも知れませんが このように受け取りお応えする次第です。

No.1
- 回答日時:
こんばんは。
☆( a ) キリスト者は 猿回しの猿か?
◇YES。その可能性は極めて高い。カトリックの人は、ローマ教会という《猿回し》に踊らされている可能性が特に高い。
聖書の解釈の権限は、教会にしかなく、一般信者はそれに盲従しなくてはならない、とされているので。
伝え聞くところによりますと、プロテスタントの信者さんは、聖書の解釈は個人の範囲内で自由に行えるらしいですね。
とはいえ、それは形式的なものであって、実際のところは、その分派の教えや解釈に従っているわけで、カトリックと大差ないのでは?
キリスト教として公認されていない、キリスト教も似たようなものでしょう。
特定の宗派に属さず、聖書や教父たちの教えなどをのみ頼りにする人も、《キリスト猿回し》と《聖書猿回し》、あるいは、自ら作り上げた《ドグマ猿回し》に使役されているだけかもしれない。
☆( b ) 猿として動き回っているそのことが 仕事なのか?
◇YES。聖書という枠の中から出ることは、なかなか容易ではない。そもそも、その枠、舞台から出た瞬間、キリスト者ではなくなるのでは?
背信者、背教者ですよ、その猿は。
そして、この猿は、猿回しから与えられるご飯、〔こころの〕糧をもらって生きていますので、その舞台から逃げ出すと、ひもじくて死んでしまうかもしれない。餓死するかもしれません。
☆( c ) 楽しんでいる人にも ののしりの言葉をあびせて来る人にも 黙々と務めを果たすその猿なのか?
◇それが《隣人愛》です。ののしりの言葉には耐えなければなりません。
右の頬を打たれたら、無条件で左の頬を捧げなければなりません。
最後には、さらに
「あなたに神の恵みがありますように」
といういうリップサービスまでしなくてはなりません。
☆( d ) あるいはそのうれしい言葉をかけられて微笑みを返し あるいはそのこの世の屑呼ばわりを受けてそれでもやさしい言葉を返している。その《仕事》は そのことだけで じゅうぶんだろうか?
◇《猿回し》の《おさるさん》ですから、余計なことを考えてはいけませんよ。
この《おさるさん》は、長い間、餌付けされているので、《猿回しの猿》を演じていることに疑問すら抱いたりしませんって。
逃げ出したら、〔こころの〕飢えで死んじゃうかもしれない。
しかも、仲間の《猿》たちは、脱走した《猿》にはことのほか冷たい。
戻ってきても、なかなか群れには入れてくれないでしょうし、
脱走猿を捕まえて、《火あぶり》にして食べちゃうかもしれない(笑い)。
《隣猿愛》は、基本的に、群れ、仲間の猿の間にしか成立しません。
新参の猿には、《隣猿愛》は適用されますが、
脱走猿には適用されないんですよ~。
奇跡という名の手品、隠し芸を披露しなくてはならないのかもしれません。
───そう言えば、つい最近、誰かさんが異例の早さで聖人に列せられたんだよな。奇跡を二度起こしたとか‥・───
まして、《他の猿回し》の猿など論外!!
そこには、群れの冷酷な論理と現実が存在しています。
☆( f ) キリスト者は その人たちにすすんで猿回し演芸会を催して声をかけ続けているその存在そのものが猿であることを欲した。のか?
◇YES。その方が楽ですから。
猿回しの猿は、自由な生活をする野性の猿と違って、餌の心配をする必要がありません。
なに、自由な生活を続けているように見える野性の猿だって、
実は、様々な掟や自然の厳しい制限に縛られています。
野生猿の寿命は、猿回しの猿よりも短いのだ!!
《他の猿回し》の猿と、どちの待遇がいいのか、これは《猿回し》次第でしょうから、コメントしません。
《ゴータマ猿回し》の猿、これはこれで、結構・・・
☆( f ) 《アース役》にとって 言わば二段ロケットとしてその二段目の噴射は ありうるか?
◇猿回しの猿は、基本的に、猿回しと仲間の猿のいうことにしか聞く耳をもっていませんから・・・
《アース役》は、誰かさんみたいに捕まって、《磔・ハリツケ》にされるかもしれません。
誰かさんみたいに、みんなから石を投げつけられ、殺されてしまうかもしれません。
まっ、その中の一匹くらいは、後になって「目からウロコが落ちた」といって、
猿から人間になり、
今度は《猿を回す》役になるかもしれませんが・・・。
☆聖書は何か語っていますか?
◇壮大な皮肉でしょうか。 そして、その皮肉な状況に陥るな、と物語っているのかもしれませんね。
ではでは。
ねむりねこさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
◇ カトリックの人は、ローマ教会という《猿回し》に踊らされている可能性が特に高い。
☆ あぁ そういう意味ですか。つまり ここで言うのは キリスト者が自分の意志でその猿の役割をになうようにして振る舞っている場合を言おうとしていました。
教会制度の中で信徒が オシエや聖職者の発言によって《踊らされる》というのは これもその人の意志でその組織に参加しているのでしょうから 特にどうということも言わないという姿勢でいます。
◇ 伝え聞くところによりますと、プロテスタントの信者さんは、聖書の解釈は個人の範囲内で自由に行えるらしいですね。
☆ ええ。〔神をいだくときという意味での〕聖書と自分とのあいだに何も介在させないということですから。でも実際のところはわたしもよくは知りません。
◇ とはいえ、それは形式的なものであって、実際のところは、その分派の教えや解釈に従っているわけで、カトリックと大差ないのでは?
☆ そういう話は 話として聞いています。
◇ 特定の宗派に属さず、聖書や教父たちの教えなどをのみ頼りにする人も、《キリスト猿回し》と《聖書猿回し》、あるいは、自ら作り上げた《ドグマ猿回し》に使役されているだけかもしれない。
☆ これはですね。たとえばパウロですが 次のくだりの4:9-13の部分を念頭において 質問の趣旨説明を書きました。
▲ 〔コリント前書 4:1-21(使徒の使命)〕 ~~~~~~
7: ・・・いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。
8: あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になっていてくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから。
9: 考えてみると、
神はわたしたち使徒を、
まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。
わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです。
10: わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、
あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。
わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。
あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています。
11: 今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る物がなく、
虐待され、身を寄せる所もなく、
12: 苦労して自分の手で稼いでいます。
侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、
13: ののしられては優しい言葉を返しています。
今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています。
14: こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです。
15: キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです。
16: そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。
17: テモテをそちらに遣わしたのは、このことのためです。彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう。
・・・
~~~~~~~~~~~~
☆ すなわち 《わたしに倣う者になりなさい》(4:16)というごとくです。これが 猿回しの猿という意味です。
◇ ~~~~~
☆( c ) 楽しんでいる人にも ののしりの言葉をあびせて来る人にも 黙々と務めを果たすその猿なのか?
◇それが《隣人愛》です。ののしりの言葉には耐えなければなりません。
右の頬を打たれたら、無条件で左の頬を捧げなければなりません。
~~~~~~~~
☆ 隣人愛であることに間違いはないとわたしも考えます。
《左の頬ををも差し出す》というのは 基本的に言って 《抵抗を排除していない》と考えます。
なぜなら 《千歩行けと言われたら 二千歩いっしょに行ってやれ》なのですから。
つまり 《相手の欲することを倍にしてくれてやれ》ということですし しかも大事なことは《一緒に〔行く〕》というところだと考えます。そのようにして抵抗をしているというわけです。相手の言うことに甘んじていますが 相手の行動に対して譴責を怠らない。
◇ 猿回しの猿は、自由な生活をする野性の猿と違って、餌の心配をする必要がありません。
☆ 独立独歩の猿は どうでしょう。餌はいっさいありません。もらいません。
ただただ ヒラメキにおいてパウロに倣っているのみです。
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