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物には性質がありますよねえ

物質にもエネルギーにも性質があります(物質もエネルギーの一形態とは思いますが)

しかしこの性質と言うもの 考えると何ものか分からない。

私はエネルギーと性質合わせて「存在」の基礎単位だと考えていますが

ご意見を聞かせてください 性質とはないんでしょう?

何かの相互作用とも聞きましたがピンと来ません。

A 回答 (6件)

性質とは、相互作用の結果の受け手の感受です。


たとえば、味覚も痛覚、嗅覚、聴覚も、全て感覚器官の表面の
感覚細胞の感受分子と、媒体分子の電磁相互作用(構成原子
の最外殻電子同士の反発)に過ぎず、それらが脳内で異なる
性質として甘受されるのは、受け手の五感の感覚器官の、
構造的な違い、あるいはその違いによる相互作用する媒体の
違い(固体分子、媒質中の浮遊分子、気体分子)に過ぎません。
視覚は、その「電磁相互作用」の波長が短く、気体分子や浮遊
分子と相互作用せず、遠くの固体分子と直接電磁相互作用する
ので、先行感覚(空間的広がりを感じる)となるのです。

「エネルギーと性質」と分けていますが、どのような相互作用も、
本質的にはエネルギーの最小単位の量子(=光子)の交換に
よる量子相互作用に過ぎず、それが最外殻電子間で行われれば
電磁相互作用なのです。
こうした、素粒子間での相互作用は、電磁相互作用(光子が媒介)
の他に、強い相互作用(中間子が媒介)、弱い相互作用(ウィーク
ボソンが媒介)、重力(重力子が媒介)の4つがあり、これらの力が
原理的な構造の違いに由来する同じものである事を明らかにする
過程が「統一理論>大統一理論>超大統一理論」という面白い
名前の変化として残っています。

この「過程」は、そうした性質の違いを生む物体の原理的な構造の
違いを明らかにし、「分子>原子>素粒子>クォーク>超弦」と
いった形で、究極的に超弦=量子定常波に還元する過程でも
あったのです。
超弦理論は、全ての物理定数をプランク定数(量子)から導ける
二次的なものである事を明らかにしたのです。
「基礎単位」とは量子であり、根源的性質は量子相互作用(プラ
ンク定数h)に還元されるのです。
こうした考察において、きちんと物理を学ばずに、日常的な感覚の
延長の思索をふくらませて仮説を立てるのは、無理があります。
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この回答へのお礼

物理学で色んな事が突き止められたり 仮説が証明されたりしているのは分かりますが

それとは別に哲学としてどう捉えるかと言う言葉があっても良いのではないでしょうか?

物理学で人生観や世界観が完成するでしょうか?

どうもありがとうございます。

お礼日時:2013/08/19 15:00

ぺーぺーで素人の私が試行・探求・伺い経験して来た事


が(勿論それ以上の事も)科学的見地から書かれていま


自分が経験して来た事はどうやら間違いではなかったよ
うだ、とまた新たに知る事が出来ました

科学者のジュード・カリヴァンさんの本を読まれるのが
いいかと思います
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この回答へのお礼

自分の考えが間違ってるかどうか 気になりますねえ

本のご紹介もどうもありがとうございます。☆

お礼日時:2013/08/19 14:56

対象物を語るにあたって特色となる軸のことだと思います。

たとえば、組成・色・形・大きさなどの軸が考えられて、着眼する軸としてどれかを実質としたときにその他がすべて属性としての‘性質‘というものになるのだと考えます。
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この回答へのお礼

>着眼する軸としてどれかを実質としたときにその他がすべて属性としての‘性質‘というものになるの

この部分は少し分からないですねえ

でも軸と言う考えもあるわけですね

どうもありがとうございます。

お礼日時:2013/08/19 15:17

近代以前、化学において元素の命名が性質によっていたのをユニコさんもご存知かと思います。


そこで選ばれていた語群、たとえば「白く輝くもの」などですが、それは類比にもとづいて引き出されているだけでしょう。
類比とは、すでに認知のスキーマにおいて構成された概念群から、対象の分類にふさわしいカテゴリを参照して既存の概念を充当するという想起の能力です。当然、たくさんのタグが付くがごとく、対象化されたものにはたくさんの類比が集められています。類推といってもかまいません。
古い概念は新しい概念と指示参照の関係にありますので、古い概念には性質が少ないけれども、新しい概念には性質が多く付きやすくなるのです。このように、概念が概念を指差しして作り上げる関係性のなかでしかも新しくなるほどより構造的になり地層的になるというのが性質です。
けれども、分類によってしか属性は計りえず、属性によってしか分類は為しえず、この根っこには謎があります。認知を爆発的に飛躍させる力が働いたのでなければ有機的構成で世界が性質的に記述されるような経験には至らないだろうと思います。
差異、同一性、反復は、経験が対象を掴む契機を与えますが、それはどんな順序に訪れてもどんな頻度で訪れても、小動物ほども経験を応用することはできないでしょう。何かが認知を飛躍的に世界の構成へ開いているのではないでしょうか。わたしは、それは生きている存在のもつ期待の力なのではないか、と思っています。
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この回答へのお礼

言葉の問題でもありますねえ

私は 力や働き作用なども含む言葉として

性質 と言う言葉を使っています。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2013/08/19 15:02

「クセ」のことだと思いますよ。




簡素な回答ですみません。
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この回答へのお礼

クセ ですか 性質(たち)ですね

そう言う訳じゃないんですよね

どうもありがとうございます。

お礼日時:2013/07/23 16:34

概念において、


分類と属性のどちらが、その成りたちとして先んじていると思われますか?
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この回答へのお礼

分類と言うわけじゃなくて 属性以上の

独立して存在しているのではないかと

エネルギーと共に真理の法則に従って変化すると考えています

ありがとうございます。

お礼日時:2013/07/23 16:32

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