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安保闘争というのがありました。
本で読みましたが、安保で左翼の抵抗運動が戦争と同様の扱いになることへの抵抗運動だったのですか?
今までは敵国が居座って同名結ぶのはおかしいというアメリカへの不信感からくる反対運動だったと考えていましたが。
安保闘争の動機詳しく教えてください。

A 回答 (4件)

左翼がうまいこと民衆を扇動して大騒ぎできたということです。


当時は
まだ戦争への拒否感が強かった(アメリカと同盟組んでまた戦争するんじゃないか)
共産主義勢力に力があった(ソ連中国が元気で落ちぶれていなかった。資本主義かぶれしていなかった)
ですからね。


結局左翼は反国家です。国をつぶし個人個人の力を最大限にしたいんです。
なので国がやろうとすることには何でも反対します。
国は、自国が大きくなるよう、安定するように努めます。左翼はそれが我慢ならないのです。
なので、安保を結べば日本国はアメリカの力を借りれるので強くなり安定してしまいます。
左翼としては何としてもそれを阻止し、日本国をつぶしたかったのでしょう。

マルクスの共産主義は
(1)国家をつぶし個人主義に→(2)個人主義だと自由すぎる→(3)優秀で欲のない人間が個人を統括する
って感じですからね。今も(1)にもっていこうと頑張っています。
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>安保闘争の動機詳しく教えてください。


当時の世界は、ソ連を中心とする社会主義勢力とアメリカを中心とする自由主義勢力の冷戦の真っ只中でした。
当然日本もソ連共産党の影響下にある勢力(社○党、共○党など)と親米派(自由民主党など)の対立がありました。
そのような中で、日本とアメリカとの間で安全保障条約が継続されることは、ソ連共産党の影響下にある勢力にとっては、日本がソ連に対して敵視政策を取ることを意味し、どうしても阻止しなければならなかったのです。それが安保反対闘争の大きな背景です。

因みに当時の世界情勢は、ソ連が各国の反政府勢力を支援し、その国に暫定政権を作らせてソ連に介入要請させ、それを基にして軍などを派遣して支援し、その国の革命を成就させていました。
日本ももし安保闘争が安保反対派の勝利に終わっていたら、今頃はソ連共産党の支配下に入って北朝鮮のような社会になって、このような質問自体ができない社会になっていたかも知れません。
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今の人の考え方では分かりにくい「戦後時代」特有の雰囲気が当時ありました。



日本は誤った国の指導者のおかげで日中戦争+太平洋戦争に巻き込まれ、庶民はひどい目に遭いました。おまけに戦争を起こした責任者はスイマセンでもなく戦後の政治をリードし、憲法第9条の精神に反して日米軍事同盟を推進しました。従って当時の多くの日本人とくに戦争の被害が身にしみていた人々や進歩的と言われる人たちや学生は反政府の立場を取りました。ソ連の社会主義は当時の進歩的な日本人には憧れでした。歌声喫茶でロシア民謡を歌いながら(弱肉強食の資本主義ではなく)平等な社会の実現を夢見たのです。1960年には安保改定が国会で議決され、それに反対する学生、他が国会を取り巻きました。東大の先生も授業に出てくる学生に向かって「何故授業に出てくるのか、国会に行け」とアジりました。

その後ソ連の共産主義政権は倒れ、中国を中心とする共産主義は北朝鮮やカンボジアの独裁政権のあきれるような実体を見て、日本人の考え方はすっかり反共に変わりました。現在の社民党(や民主党の一部)は当時の反政府・反安保勢力の生き残りの人たちです。
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”安保で左翼の抵抗運動が戦争と同様の扱いになることへの抵抗運動だったのですか?”


     ↑
違います。
安保というのは、日米安全保障条約のことです。
日本が米国と安全保障条約を締結する、という
ので反対運動が起きたのです。

当時は米ソ冷戦の真っ最中でした。
その中で、米国とこういう条約を締結するという
のは、ソ連、中国などの社会主義国を敵に回す
ことになるから、反対というのがその理由です。

反対する人の内訳は、社会主義に憧れる左派も
いましたが、中立派もおりました。
米国に味方するんだから、戦争に巻き込まれないか
と懸念する人もおりました。

反対運動は学生を中心に行われましたが、今から
考えると、学生など所詮は頭でっかちの世間知らず
であったなあ、と思う次第です。
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