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30代女性です。

最近、なんでもかんでも“セクハラ”にしたがる若者が増えているように思います。どうしてそんなに異常になってしまったんでしょうか、ゆとり教育の影響なのでしょうか?

今までのセクハラとは、明らかに本人が悪意をもって行った性的な嫌がらせだったり、よほど上下関係がハッキリしていて絶対に逆らえない強制力があった場合を定義したと思います。それなのに、今は同僚や同性だろうが部下から上司だろうが、相手が気に食わなければすべてセクハラになっています。これって異常じゃないでしょうか?

友達に「おまえ俺より体重が重いよな(笑)」と言われたら「だって俺のほうが背が高いじゃん」って言い返せば良いだけなのに「先生、○○君に太ってるって言われて僕イジメにあってます!」って訴えに行くほうが逆に陰湿なイジメだと思います。

プライベートでも仲良しの同僚に「仕事帰り、飲みに行こうよ!」と誘われて、イヤなら「飲めないからやめとく」と断れば良いのに、断りもせずに「そうだね・・・」と言いながら、こそこそ裏で「○○さんに飲みに誘われて困ってるんですけど」なんてセクハラ担当者に相談に行く。

そんな自意識過剰でコミュニケーションに障害がある人が今の若者に増えているように思います。相手にはイヤな素振りを見せもせずに、裏で権力者に言いつけて制裁を下す・・・彼らには冗談を冗談で返すだけの柔軟さや、イヤな事をイヤだと伝える意志表示はできないのでしょうか?それはそれで社会人として問題アリだと思います。

私より前の年代では、もっとアットホームな雰囲気でお仕事をしていました。どこの会社にもお茶目で楽しいムードメーカーのような役目をしている“お父さん”のような、いつも部下を可愛がってくれる上司がいて、みんなを楽しませようと冗談を言ったりイタズラ(性的な事ではなく)してきたり、楽しい雰囲気がありました。

私はそうゆう“楽しいお父さん”のような上司が大好きで、そういった方のお陰で失敗から立ち直れたり全員が家族のように打ち解けあって楽しく仕事をする事ができたのです。

けど、今では言葉の一言一言に細心の注意を払って、よけいな事は言わないように、プライベートに触れないように「髪切ったの?それ似合ってるね!」なんて何気ない挨拶すらもできなくなってしまっています。

規則に頼らないとコミュニケーションすら自分でとることができない、こんな窮屈な世の中では冷血で人間味の無い人ばかりになり、人との交流はますます希薄になっていくに違いありません。

以前は、八百屋の店主と上下関係もなく会話をして、職場では上司と冗談を言い合えた時代だったのに。今は店では目上の人に乱暴な言葉をつかったり殿様気分で理不尽なクレームをつけたり、人の言動を悪意にしか受け止められない性格の捻じれた人間が職場の仲間を陥れたり会社もそれに振り回されて過剰すぎる規則を設けたり。

昔なら「おっ!!○○ちゃん髪切ったの?それともヘルメットかぶってるの?」「店長、そのバーコード頭レジに読み込みましょうか?」なんて会話ができたのに、今じゃ若者がムスッとして腹を立てて本社にセクハラだと訴えに行く、そうゆう世の中になってきています。若い人にこそコミュニケーション能力や問題処理能力を高めて、もっと人との暖かいやりとりや会話での上手な切り返し方を身につけてもらいたいのに、とても残念でなりません。

A 回答 (11件中1~10件)

あなたは自分が典型的ないじめっ子体質だということを自覚なさった方がよろしいかと思います(笑)



あなたが強い心だからといって、みんなみんなが強い人ばかりではありません。
30歳にもなって思いやりや想像力のないあなたの方が異常です。

時代は常に変わっていくように、法も人も常に変わっていくもの。
昔は~だなんてあなたは言いますが、むしろ昔の方がひどくて陰では犯罪レベルのことをやってたなんて序の口でしたし差別用語も飛び交ってましたからね。あなたの言う昔なんてただの井の中の蛙で一笑に付されるだけ。

もう少しあなたは他人に対する心遣いをお勉強された方がよろしいかと思いますが、思いやりを持つことはそんなに悪ですかね(笑)

世の中はあなたみたいに強い人ばかりではないことをも勉強してください。
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 何かといえば「ゆとり教育のせい」にして鬱憤ばらしをする方々がいますが、その方々は「ゆとり教育本来の意味」を理解しているのか、と僕は疑問視しています。


 本来の意味で言うなら、「ゆとり教育」は「詰め込み教育」に対する反省ですから、自身の目で見て自身の頭で考えることのできる人物を育成することにあったはずです。 
 こうしたことに鑑みますと、セクハラがゆとり教育によるものである、との結論にはいささかの疑念も生じます。むしろ「相手がどう考えるか」に考えが及ばない世代の方々の方が相手を傷付けていても、その行為に気付いていないのではなかろうか、と職場では議論することもしばしばあります。
 僕自身は「ゆとり世代」の方々からすれば、遙かにおっさんです。でも他のオヤジやおばさん達とは少し違うかもれません。彼等は家庭に帰ればそれぞれに「良いお父さん、お母さん」を演じもします。これでは仮面を被っていることと同じです。ですからそんな彼等に対して、不束ながら時には意見もします「あなた方は狡い。家では娘や息子に対して理解のある親を演じながら、社会に出ればそれを豹変させ言い訳もする」と、するとこの仮面を被った方々は「世間知らずの若造が何を言う」と逆にキレる始末。これらの根底にあるのは「人格」との考え方が日本の社会では希薄なこともあるでしょう。そして「相手を独立した一つの人格として認める」との教育を受けてこなかった貧困が最大の要因でもある。
 軽い気持ちで言ったのに、と反省するならば、自身が「それと同じ言葉を使われたらどの様な気持ちになるか」とお考えになって相手に接することの方が先ではありませんか?。親しき仲にも礼儀あり、と言いますから。
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そもそも、「セクハラ」この言葉が出来たこと自体が間違いなんですよね。



法律も間違ってる。
セクハラで訴えれば、警察の成績にもなる。
ようするに、手柄ですね。
色々な法律が多すぎます。

何かあると、すぐに警察だとか言う人がいますが、つまらないことで訴える人が多すぎですね。

税金も同じです。
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ここではお礼率が問題です。



ゆとり教育以前に「社会問題」病が蔓延しています。

貴方の言わんとする価値観を基準にすると、三十代の女性はかなり無礼な対応をする人が多いですよ。三十代の女性はかなり過保護の状態にあります。
このネットでもいわゆる団塊親父どもの腐れ回答は女性は強いというものばかりです。女にこびてんじゃん。団塊親父のそれがいわゆる欧米化の走りでありこのセクハラ社会問題化の出発点です。
今の二十代の女はある種の狂気ですね。セクハラとうつ病というお話がありましたがまさにそれ、そのどちらかみたいな女が大半です。
一にも二にもマスゴミですよ。
テレビを観なくなれば社会問題の99%は社会問題ではなくなります。
歴史問題や戦争反対原理主義を除けば教育なんて影響力はありませんよ。マスゴミです。そして団塊親父が育てたクソババアがマスコミに影響されて吐き続ける文句が新しい世代の常識を形成します。
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>なんでもかんでもセクハラって、異常では??


たしかに“なんでもかんでも”じゃあ異常ですよね。
でも実際には“なんでもかんでも”ではありませんからその点はご心配なく。

>ゆとり教育の影響なのでしょうか?
違います。
セクハラという概念が社会通念として認知されたのは少なくとも25年以上前です。
その当時は「尻を触られたくらいでセクハラとさわぐな」「上司にしつこく誘われてもいなせるのがいいおんな」なんてことを言う人はウジャウジャいました。
そういう発言をする多くは男性でしたが、自分は上手く社会を渡っていけていると自負する女性にもそのような発言はありました。

ですが、誰でもされたくないことを拒絶できる環境を整えよう、ということで社会は努力してきました。
本当は誰もが相手の気持ちを配慮した発言ができれば良いのですが、世の中にはバカはいくらでもいるのでそういったバカの言動を制限するにはルールを定めるしかなかったんですね。情けないですよね。
「今まではこれでうまくやってきた」という言い分が「今まで良しとされていたけれどそれは他人を傷つける行いだった」という認識に勝てると思い込んでいるバカがたくさんいたんですよ。
たぶん、今もいるでしょうね。


>彼らには冗談を冗談で返すだけの柔軟さや、イヤな事をイヤだと伝える意志表示はできないのでしょうか?
できるひともできないひともいるでしょう。

できないひとはだからと言って下品な冗談を言われたり望まない付き合いを強制される所以はありません。
断れる人だって、わざわざ断るストレスを負う必要はありません。


>家族のように打ち解けあって楽しく仕事をする事ができたのです
それは幸福なことだったと思います。
ですが、質問者様ががそれで良かったからといってだれもがそのような幸福な環境に置かれるわけではありません。そのことをお忘れなく。
お父さんのふりをして女子社員を性の対象として考えている上司はいくらでもいます。


>こんな窮屈な世の中では冷血で人間味の無い人ばかりになり、人との交流はますます希薄になっていくに違いありません
それは質問者様の想像に過ぎません。



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 君の文調でいくと、「なんでもかんでもゆとりにつなげるのはどうか」に行き着いちゃって論議できないんだよね。


 その二番煎じにもなりそうだが、理由を添えりゃ少し筋が通る話として、携帯・スマホの依存化による弊害が考えられる。ホントかどうか、同じカラオケの部屋にいて、会話をメールやラインでやりとりするらしく、すでにそれが私には、それだけで友達になりたくない行動であるので理解不能だが、顔を見ないでしか言わない、言えない環境は、「死ね」「殺す」が冗談で通じる(ハズ)と言われるようになった。
 誓って言うが、私は他人に「死ね殺す」は言ったことがないし今後も言うつもりがない。同世代に言われた覚えもない。ヒトとして言ってはいけないことと認識している。だけど、生徒に聞くとそうではないと言い切る。なのに、広島では殺している。スマホはいじらないに限るね。深い友達がいなくなる。そんな俺でも、「気にしちゃいけない」と思いつつ、Lineの既読は「まだ?」と思っちゃう。怖いツールだよ。
 顔を見ずに会話しかしていない環境が、会話力からの親和力を削いだ証明のように思う。ヒトデナシが育てば、親和力がなくなり、誰もが薄い関係でいつでも裁判に持ち込めるようになるのは、言わば当たり前なんだろう。昭和生まれで良かったと思う今日この頃である。
 顔を見て、話をしなきゃね。つまりは、飲み会って、意味があるんだろうね。
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今日は。


少し話は違いますが、若い人に電話恐怖症というのがあるそうですね。
メールだと自分の発言を確認してから発信できますよね、相手の言った事も残っていて貴方こう言ったじゃないかと後から自分に都合よく有利に話を持って行けたりしますね。
逆に自分が言った言葉の揚げ足を取られたりしますね、確認しながら間違いのないコミュニケーションに慣れて居ますね。
メールに慣れているので間違いが起こるかもしれないぶっつけ本番の電話が怖くて出ることも会話も出来なくなるんですね、自分が責任を持つことを拒否しているんですね。
家庭や私生活の話じゃないんですね、会社で電話が鳴っているのに出ないんですね、すいません出て下さいってこっちに言ってくるんですね。^^
貴女の言われている通り、自分が傷付くことが怖いから過剰に守りに入って人間関係の根本を学ぶ機会を閉ざしていますね、どんどんおかしな世の中になって行く気もしますね。
でもどこかで揺り戻しというか人間社会は自然とバランスが取れて行くものだと思いますね、そんな人たちが居なくなるとは思わないですが住み分けが進むか、こんなアメリカみたいな控訴社会じゃいけないんじゃないかと気付いてバランス感覚が働くと思いますよ。
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まぁね、確かに言いたい事は分かるけど、そりゃ「守られるのが当然」とされている今の世の中ではヒンシュクもんだと思うよ。



「弱きに基準を置く」のが当然のようになったのは、裕福な社会の表れと受け止めるべきか、それとも平和ボケの弊害と捉えるべきか。。。

「権利」を主張するのが「個人」ではなく「社会」となってしまった以上、小さな個人の理想や感情は意味を成さない。

これでは、何が本当に弱くて、何が本当に強いのか、何も分からなくなってしまうな。

そもそもの発端は、全て「個人の問題」であった。

相手に悪気が無かった事、単なるイタズラであった事、ただの善意であった事。

それが分かった事で、それを自分がどう受け止め、どう対応するのか?
それが分かった所で、それを人がどう受け止め、どう対応するのか?

そこに、厳密な「境界線」は何もない。

だからこそ、豊かになった社会は「その全てを取り上げた」のだろう?

セクハラだけが問題じゃない。
パワハラも、モラハラも、苛めも、体罰も。

何も見ようとせず、何も受け付けず、最初からその全てを取り上げてしまえば、取りあえずは「社会で守っている」事の言い訳や建て前には出来るんだよ。

君も分かるだろう?
アットホームや、楽しい雰囲気を作る上で、一番重要な事は、相手と「対等」である事だ。

冗談を言う上司、冗談を受ける部下。
それぞれ立場や役職は違えど、「人間として対等の立場」にあるからこそ、初めて人との交流を楽しいものに出来るんだ。

昔に比べたら、本当に色んな法律や規則が増えたよね。
でも、それらは「必要だからこそ出来た」事でもあるとは思うんだ。

ナイフでも鉛筆でも何でもそうだけど、ものには全てに「正しい使い方」があるもんだ。
しかし、当然ながら、それを扱う全ての人間が、必ずしも正しい使い方をするとは限らない。
それは、法律や規則だって同じ事だと自分は思うんだよ。

どんな理不尽な使い方をしていても、それがその人に取っての「利用の仕方」なんだ。

ハッキリ断れる人ばかりじゃない、上手い切り替えしの出来る人ばかりじゃない。
だから、押し付ける事も、否定する事も出来ない。

人に、「強さ」と「理解」を強制出来ない以上、どうする事も出来ない問題でもあると思う。

こんな世の中を、悲しい、悔しい、残念だと思う気持ちは分かるけど、後はもう、理解の出来る範囲の中だけで、そういう雰囲気を作って行くしかない問題だと思うよ。

長文になってしまったが、参考程度まで。
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20代半ば ゆとりの先がけ?世代です。



質問者様のおっしゃること、非常によくわかります。
私たちの世代ですら、度が過ぎると思うことも多々あります。
「セクハラ」「うつ」という言葉を武器にしている人がいるのも事実だと思います。

私は自分より前の時代のことは分かりません。
ただ、昔より「空気を読む」ということが重要視されてきているようには思います。


>友達に「おまえ俺より体重が重いよな(笑)」と言われたら「だって俺のほうが背が高いじゃん」って言い返せば良い
>イヤなら「飲めないからやめとく」と断れば良いのに、断りもせずに「そうだね・・・」

断ったら相手がどう思うだろう、その場の雰囲気が悪くならないかな
など周りの空気に敏感(過敏?)なのだと思います。
なぜ、そうなったのかと聞かれれば私にもわからないです。
核家族化・少子化・ゆとり教育・遊び方の変化などなど、それぞれすべてが作用しあってるのではと思います。


ただ、批判覚悟で書かせていただくと
ゆとり世代からしてみると「ゆとり」と言われて私たちが批判されるのは非常につらいものがあります。
被害者面するわけではありませんが、私たちも質問者様と同じように普通に育ってきました。
昔より怒られてない・昔より楽をしていると言われればそれまでですが、私たちは昔を知りません。
私たちの時代の中で私たちなりに一生懸命育ててもらって生きてきました。
大人になることを意識的にさぼっていたわけではありません。

「ゆとり世代は・・・」と言いたくなる気持ちもすごくわかります。
批判されるべき人間がいるのも事実です。

ただ、メディアや社会から「ゆとり」と言われすぎて、そういわれることに私は少し違和感があるのです。


質問者様のおっしゃるコミュニケーション能力や、問題処理能力を高めたいのは
私たちゆとり世代も自分自身一番思っています。

しかし、ごめんなさい。
>「おっ!!○○ちゃん髪切ったの?それともヘルメットかぶってるの?」「店長、そのバーコード頭レジに読み込みましょうか?」
という会話はやはりできないです。したいとも思えません。
これがゆとりの弊害でしょうか?


長文・乱文で申し訳ありません。少しでも意図が伝わるとうれしいです。
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私は40歳を過ぎたおっさんですが、若い人とのコミュニケーションに、特に不自由は感じていません。



従い、逆に言えば、質問者さん側にも、「今の若い人とのコミュニケーション能力が無い」とか、「若い人へのコミュニケーション指導の能力が無い」とは言えませんかね?

若い人に期待し過ぎじゃないですか?
自意識過剰な人間は、今も昔も居ますし。

セクハラなんてのは、好きな異性からされたら嬉しい様なコトを、嫌いな人にされるコトとも言えます。
従い、相手に好かれたり、信頼関係を構築すりゃ良いのですよ。
それが無いままに、一方的なコミュニケーションを行うと、相手からセクハラだのパワハラだのと言われる。
それだけでしょう。
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