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 明治から大正にかけて活動された山崎弁栄(やまざきべんねい)というお坊さんが書き残された『光明体系』全六冊(体系にした編者は田中木叉という方)の第一巻・「無量光寿」の冒頭の一節を紹介します。

 総論中の総論、というべきものだと思いますが・・・・・

 ++++++

 帰命無量光寿尊、即ち法身ビルシャナ佛。
 無量光寿は三身一如なる如来の名を挙ぐ。ビルシャナは其の法体即ち如来の法身なり。
 帰命は宗教的客体に対して崇敬すべき義。無量光寿尊は其の対象の本尊なり。其の本尊の法体即ち仏身はビルシャナにして、汎神的に観ずべき法界身の如来、即ち宇宙一大精神態を表号的に擬人的にビルシャナと名づく。また絶対無限の心光は法身に周偏して照らさざる処なく、永恒の生命として霊的活動せる法体なれば、無量光寿と名づく。

 密家には此の法身即ち宇宙全体を唯一の如来身として、金胎不二の大日如来として表号す。略して解説せば、金胎とは理知の義。宇宙全体に周偏せる五大即ち地水火風空と、識大の大元素は宇宙の現象なり。万有の本体にして此の六大を離れて万物あることなし。六大の中(うち?)地等の五大は物体にして之を理と云い、又胎蔵とす。

 識大は智にして即ち金剛界とす。宇宙全体は六大なれば、識大は宇宙精神、他の五大物体とは六大相(あい?)渉入して無礙なり。六大を本体として四曼(しまん)を相とす。宇宙現象は其の相なり。万物は悉く大日の曼茶(まんだ)なり。例せば不動また観音と現われたるは大曼茶。三摩耶曼は本誓とて、各々本づく天職を有して、文殊の智、普賢の行願の如く、之を表示して智剣を執り如意を持つが如く、法曼とは法は軌、生物解(←漢文です)とて、理を知ること。羯磨とは事業、各其分を実行することなり。

 三密とは身口意の働き、宇宙即ち法身の大日如来なれば、宇宙の動作皆な大日の行為にして、万物の音声悉く大日の言語、其の万物の秩序あり理性ありて意味なきはなし、是れ大日の意業なり。

 ++++++

 一、 絶対
 二、 金・胎、理・知、また物質と意質(色と心)
 三、 三身、(法・報・応) また三密(身・口・意)
 四、 四曼←(これ何ですか?)
 五、 五大
 六、 六大

 無知な私は漠然とした受け止めかたしかできてないので、少し掘り下げたご意見、感想などいただけるとありがたいのですが。文中の( )は私が付け加えました。

 よろしくお願いいたします。

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A 回答 (4件)

 こんにちは。



 ▲ 無量光寿は三身一如なる如来の名を挙ぐ。ビルシャナは其の法体即ち如来の法身なり。
 ☆ ワイローチャナが《法身》であるとすれば 問題は 《三身一如》にあるのではないでしょうか? 
 つまり 宗派を超えてだと考えます。


 三身一如あるいは三身常住について 納得しうる説明を聞いたことがまだありません。

 それは おそらく《言葉――神の霊です――が 肉(つまり 人間の身と心との一体なる存在)となった》という神学つまり 三位一体論と大いにかかわっているように考えます。

 つまりそこでは 《人間イエスは 神なるキリストなり》とはっきり――むろん想定における物語としてですが――明らかにしています。

 こういった事柄として明らかにするところがないならば 三身一如は まぼろしに終わると思われてなりません。

 どうなんでしょう?



 つまり わたしは 親鸞びいきですから アミターバにかんして ワイローチャナとは別の神学が――結果としては 同じ全体としてひとつの神を指し示すことにしかなりませんが それでも真言のオシエに吸収され得ないかたちにおいて――ありうる。こう考えています。

 ただし 三身一如は やはり成り立ちがたい。とも思います。応身(つまり さしあたって 光の発耀としての子なる神であると同時に人間イエスである存在)をどう位置づけるかは 法身(つまり あたかも光源としての父なる神)との関係で ブディズムでは むつかしかろうと思います。報身は 知恵のごとく おまけみたいなものではないかとは思っています。

この回答への補足

 即席知識を得ようとWikiを見たら、三位一体の三位を「実体」と「父なる神」と「子なる神」とあるので、私なんぞはすぐに、実体=法身、父なる神=報身、子なる神=応身、として何の疑問も起きませんが、それは考えが浅いからだと思います。

 その考えの浅さゆえにブラジュロンヌさんの疑問が、どういったことなのか捉えられないままですが、もしかしたらその疑問への答えになるのでは?と思って、このお坊さんの文章を載せてみます。

 +++++

 仏の三身・・・法身、報身、応身。この三身の説は諸家必ずしも一定せず各その流儀に随って見解を異にす。
 法身は宇宙の法体一切万法の一大原因にして世界と及び衆生とは其(そ)が天則によりて産出せられたる物。法身は絶対人格一切衆生の父である。一切衆生は皆その子なれば小法身である。それと共に小造化である。仏性てふ仏に成り得らるる可能性を有してをるけれども仏性は自(おのずか)ら開発せぬ。衆生の霊性を開発し霊化し玉ふは報身仏の光明である。

 報身は全法界の中心宇宙最高の座に在(まし)まして慈智の光明円かに照らして念仏衆生を摂取して聖き人に霊化し給ふ処の尊体である。また報身仏は一面には万徳円かに備わり無量の相好妙色身無比荘厳の浄土に在まし法身大菩薩の為に妙法を説きて他受用法楽を享受せしむ。衆生が法身より禀(うけ)たる各自の仏性を開きて霊徳を成就せしむるは即ち報身の霊徳である。

 応身は報身より分身して我ら霊界の衆生の為に斯土(しど)に出で給ひ人類に応同する身(しん)を以て押し教ふるに報身の光明を蒙むりて永遠の光明に帰趣すべき真理を以てす(。)則(すなは)ちこれ釈迦牟尼である。(2013/08/08 00:00)

 

補足日時:2013/08/08 00:00
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この回答へのお礼

 漠然とした思いはあるのですが、もうしばらくお時間を下さい。

 回答ありがとうございます。(2013/8/3 23:36)

お礼日時:2013/08/03 23:35

お礼、ありがとうございます。




☆数学者・岡潔氏も、このお坊さんの独自の説は、「唯一絶対の如来があって、その光明が無差別智であるというところだけであって、他は仏教の通説である。(講談社版“無邊光”より。文面のまま)」と言っています。
◇「唯一絶対の如来があって、その光明が無差別智であるというところだけであって」というのも、独自の説という感じがしません。
たとえば、『華厳経』には
─────────
そのとき仏、これらのすべての菩薩たちに、仏の無量無辺の世界、自由自在の真理への道を知らせるために、眉間の白毫(びゃくごう)から光明を放ちたもうた。
 (毘廬舎那品)

また、放つところの光明を慧燈(えとう)と名づく。その光は、すべての衆生を目ざめさせ、諸法を空寂にして、生ずることもなく、滅することもなく、有にあらず、無にあらず、と解脱せしめる。
 (賢首ボサツ品)

大乗仏典 中村元編 筑摩書房
─────────
などなどとありまして、
光明は仏智の象徴でありますので。
そして、仏智ですから、
当然、無分別智、無差別智です。

といいますか、
仏の智慧は、四智、もしくは五智です。
四智:大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智 (密教以外の顕教の仏の智慧の分類法)
五智:「四智」+「法界体性智」  (五智を説くのは、密教の特色)

四智については、以下のリンク先の説明がわかりやすいと思います。
http://ohah.net/~pari/work/06eien_07shichi.html

なのですが、「意識のホニャララ」は少しマズいので、
より専門的なことを知りたいのでしたら、
真宗さんのWikiDharmaの《四智》の説明が参考になるかと思います。
http://www.wikidharma.org/jp/index.php/%E3%81%97 …

法界体性智は、すこし特殊な智恵なので、知らなくていいと思います。
─────────
密教ではさらに第9識(阿摩羅(あまら)識)を加える。 
さらにその奧に本来的に清浄無垢な自性清浄心と呼ばれる第9識が潜み、これが法界体性智(ほうかいたいしょうち)(大日如来の智恵)
法界体性智は、永遠普遍、自性清浄なる大日如来の絶対智であり、他の四智を統合する智恵である。(大日如来)

http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/gochigobutsu. …
─────────
などと書かれていますが、第九識(阿摩羅識)などありません。
インド仏教は、八識までです。

で、ちと専門的な話になりますが、
〔真言〕密教では、
阿弥陀如来は大日如来の五智のうちの一つ妙観察智を司る仏さま、
とされています。

五智如来については、
http://www15.plala.or.jp/SAISYOU/page011.html
がわかりやすいかと思います。

ではでは。

と思ったのですが、ついでついで。光明と阿弥陀さんつながりで、
真言宗には《光明真言》なる《おまじない》があります。

光明真言
─────────
om amogha vairocana
オーム (聖音) 不空なる御方よ 毘盧遮那仏(大日如来)よ
オン アボキャ ベイロシャノウ 
唵 阿謨伽 尾盧左曩

maha-mudra mani padme
偉大なる印を有する御方よ 宝珠よ 蓮華よ
マカボダラ マニ ハンドマ
摩訶母捺囉 麽抳 鉢納麽

jvala pravartaya hum
光明を 放ち給え フーン (聖音)
ジンバラ ハラバリタヤ ウン
入嚩攞 鉢囉韈哆野 吽

なお、amogha(アボキャ)は不空成就如来を、vairocana(ベイロシャノウ)は大日如来を、maha-mudra(マカボダラ)は阿閦如来を、mani(マニ)は宝生如来を、padme(ハンドマ)は阿弥陀如来を指すと解釈され、金剛界五仏(五智如来)に対して光明を放つように祈願している真言である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%98%8E% …
─────────

今渡こそ、
ではでは。

この回答への補足

このお坊さんの書き残された文章について、私が現代のお経であると受け止めていることを、ねこさんがどう思われたか興味があります。(2013/08/07 15:45)

補足日時:2013/08/07 15:42
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この回答へのお礼

光明真言、懐かしいですね。
確か二十代の頃、真言宗の金儲け教団に一年間通った事を思い出しました。
我を忘れるほど本気になれなかったので、通わなくなりましたが、光明真言や諸仏の真言などは今でも言えます。
これまでの仏教の通説となんら違いはないのでは、というねこさん(失礼かと思いますがこう呼ばせていただきます)の見立てに納得です。
もし、新説が主張されているようでは、釈尊仏教ではなくなってしまうからです。
安心しました。
また時間のあるときに感想など書き込みたいと思います。
回答ありがとうございました。(2013/08/01 16:10)

お礼日時:2013/08/01 16:10

山崎弁栄という人の名を始めて知りました。


ご紹介された文を読む限り、これといって目新しいものがあるとは思えません。
ハッキリいって、
すべて、空海の《即身成仏義》や《声字実相義》、《般若心経秘鍵》などの著作からのパクリです。

《即身成仏義》
  六大無礙にして常に瑜伽なり 体
  四種曼荼は各々離れず    相
  三密加持すれば速疾に顕わる 用
  重重帝網なるを即身と名づく 無礙
  法然に薩般若を具足して
  心数心王刹塵に過ぎたり
  各々五智無際智を具す
  円鏡力の故に実覚智なり  成仏

《声字実相義》
  五大にみな響あり
  十界に言語を具す
  六塵ことごとく文字なり
  法身はこれ実相なり

などなど。

空海の《即身成仏義》を読めば、この文章がそのパクリの文章でであることは、すぐにわかりますよ。
参考までに、
《即身成仏義》の漢文読み下し文と、現代語訳の掲載されているホームページをご紹介します。

http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/sokushinnjyou …

六大、五大、四種マンダラ、三密〔加持〕、理〔法身〕・智〔法身〕、金胎、色(=五大)心(=識大)などなど、
すべて、
《即身成仏義》に詳しく解説されていますよ。
読む人が読めば、これがパクリであることは、「火を見るよりあきらか!!」です。

なので、
真言、空海の教えにしたがって、真宗・阿弥陀さんの新しい解釈をしているといったところでしょうか。
さらに意地悪な言い方をすれば、
真言宗の《興教大師・覚鑁(かくばん)》の
─────────
平安時代後期の朝野に勃興していた念仏思潮を、真言教学においていかに捉えるかを理論化した。即ち、西方浄土教主阿弥陀如来とは、真言教主大日如来という普門総徳の尊から派生した別徳の尊であるとした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%9A%E9%91%81
─────────
解釈を紹介したものとなりますでしょうかね。

ハッキリいって、何も新しくないです。



☆☆☆☆☆☆
さらに《数遊び》をするならば、
 七:七菩提分
 八:八正道、八識(眼・耳・鼻・舌・身・意識、マナ識、アーラヤ識)
 九:九識(「八識」+「阿摩羅識(アマラシキ)」)
 十:十界、十地(菩薩の十の段階)
など、続けることが可能です。

─────────
七菩提分
しちぼだいぶん

 七覚(しちかく)・七覚分(しちかくぶん)・七覚支(しちかくし)ともいう。さとりを得るために役立つ七種の行法(ぎょうほう)。『成実論』では次の七種をあげる。

(1)念覚支(ねんかくし)。心に明らかに憶(おも)いとどめて忘れないこと。
(2)択法覚支(ちゃくほうかくし)。智慧によって、法の真か偽かを選択(せんじゃく)すること。
(3)精進覚支(しょうじんかくし)。一心に努力すること。
(4)喜覚支(きかくし)。法をたのしみ喜ぶこと。
(5)軽安覚支(きょうあんかくし)。身心が軽やかで安らかなこと。
(6)定覚支(じょうかくし)。心を集中して乱さないこと。
(7)捨覚支(しゃかくし)。心の興奮や沈滞がなく平静なこと。

http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%B8%83%E …
─────────
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この回答へのお礼

 パクリ、という表現には少々抵抗を感じます。
 なぜなら文中に“密家には”とあるから。

 数学者・岡潔氏も、このお坊さんの独自の説は、「唯一絶対の如来があって、その光明が無差別智であるというところだけであって、他は仏教の通説である。(講談社版“無邊光”より。文面のまま)」と言っています。
 
 このお坊さんの文章は明治時代のものだから、多少読みづらいところは在りますが、それでもほぼ現代文に近いので、私には理解しやすいです。

 また、経典にある言葉をそのまま使うことなく、ご自身の言葉で表現している所から、このお方の文章は現代のお経、と云えるのではないかと思って学んでいます。

 でも、やっぱり難しいので、何度もこのお坊さんの文章を質問で取り上げて、皆様からの解説を頼ることをしています。

 回答ありがとうございました。(2013/08/01 02:25)

 

お礼日時:2013/08/01 02:27

四曼



真言密教の4種の曼荼羅。諸尊の形像を描いた大曼荼羅、諸尊の持物(じぶつ)や印契(いんげい)を描いた三昧耶(さんまや)曼荼羅、諸尊の真言・種子(しゅじ)などを示した法曼荼羅、諸尊の威儀・動作を表した羯磨(かつま)曼荼羅。四曼。

デジタル大辞泉より


意見感想は「そういう解釈をされたんですね」
それ以外は何もありません。
ただの筆者のまとめでしょうから。

まったく検討がつかないぐらい未熟なときは、人の解釈を読むことも参考になるでしょうが
人の解釈は、あくまでもその人の解釈であるという事を念頭に置く。

自分で確かめることが大切であり、どこぞの解釈を鵜呑みにすると危うさが出ます。
経典さえも誤訳が入ってますから、仏陀が何を言いたかったのは
実践からしか得ることができないと思います。
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この回答へのお礼

 言葉の意味をしっかりと正しく把握して使うことが大事である、とkanto-iさんからは指摘されていますが、こうして自分には手に余るそして背伸びをしているような内容の質問をするたびに、そのことを感じています。

 つま先立ちだから回答へのお礼文もいつもふらふらしていますよね。

 それでも何度も質問をしてきたせいか、以前よりだいぶふらつき感が小さくなってきたかな、なんて思っていますが、皆さんの回答がそれぞれ違う視点を持っているので、なるほどと思ったり、また戸惑ったりしていざご返事を、と思うたびに知識の無さやレベルの低さを知り、そしてそんな時にいつも言葉の解釈が曖昧なまま使っているなぁと自覚させられています。

 今回の知らなかった言葉「四曼」は“四種曼荼羅”で辞典で引くことができました。
 回答ありがとうございました(2013/08/01 01:45)

お礼日時:2013/08/01 01:45

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